1.黒羽⇒芦野⇒白河 <奥の細道紀行1>
④ 芦野の里(あしののさと)を自転車で走る-1 <2017年5月7日>
小さな集落・芦野の里(芦野宿)がある。
芦野宿の入口 芦野の里は田植真っ盛り
江戸時代、芦野氏3900石の城下町として栄え、奥州街道の宿場町として茶屋や旅籠が40数軒あり賑わった
とある。
この日は田植も終わり、田圃の水に泳ぐ苗が爽やかな風に揺れる季節を迎えていた。
芭蕉がここ芦野の里を訪れたのは、元禄2年(1689)陰暦4月15日、桃酔という俳号をもつ芦野資俊(19代・あしのすけとし)が「この柳見せばやな」と言っていることを聞いていたので立寄ったと「奥に細道」に書いている。
黒羽から国道249号線を4kmほど北上すると左手に芦野の里・カフェ・野菜・直売所である無料休憩所
「遊行庵」がある。
芦野の里・無料休憩所「遊行庵」
◎遊行柳
遊行庵から田圃の道を南へ自転車を走らすと、右手に樹齢約400年の大銀杏(いちょう・胴回り610m・背丈35m))が青々と茂っている「上の宮神社」が見えてくる。この神社の社頭にある石鳥居に寄り添って樹齢数百年の老翁「遊行柳」がどっかりと腰を据えている。
「遊行柳」の向かいに立つ西行句碑では「道野辺に清水流る柳蔭しばしとてこそ立ち止まりつれ」と詠まれて
いる。ここから「遊行柳」を「清水流るる柳」とも言い伝えられている。
参道の両側には小川が流れ、その水が田圃に流れ込んで美味しい芦野米を育んでいるようである。
「遊行柳」は鳥居の前にあり、柳に寄り添うように芭蕉の句碑が立つ・・・
恐れながらわたしも一句
實久 「指触れし 稲と柳の 夫婦かな 」 (ゆびぶれし いねとやなぎの めおとかな)
「遊行柳 諸文献によると、朽木の柳、枯木の柳、清水流るるの柳ともいう。 伝説によると文明の頃(1471年)時宗19代尊皓上人が当地方巡航の時、柳の精が老翁となって現れ上人から十念と念仏札を授けられて成仏したという。
いわゆる草木国土等の非情物の成仏談の伝説地である。 後、謡曲に作られ、又種々の紀行文に現われ芭蕉、蕪村等も訪れたことはあまりにも有名である。老樹巨木の崇拝仏教史的発展、文学や能楽の展開等に関する貴重な伝説地である。」
◎ 恐れながらわたしも一句
④芦野の里 | ||
「田一枚 植ゑて立ちさる 柳かな」 | 遊行柳の横 | 「道野辺の 柳眠たき 彼の日かな」 |
(たいちまい うえてたちさる やなぎかな) | 遊行柳-歌枕 | (みちのべの やなぎねむたき かのひかな) |
「歌枕 柳も旅す 今昔」 | ||
(うたまくら やなぎもたびす いまむかし) | ||
「山鳩も 愛でる仕草や 柳腰」 | ||
(やまばとも めでるしぐさや やなぎこし) | ||
「指触れし 稲と柳の 夫婦かな」 | ||
(ゆびぶれし いねとやなぎの めおとかな) | ||
「落ちくるや たかくの宿の ほととぎす」 | 那須・高久宅 | 「目覚めるに 鐘打ちたまう ほととぎす」 |
(おちくるや たかくのやどの ほととぎす) | (めざめるに かねうちたまう ほととぎす) | |
「木の間をのぞく 短夜の雨」 (連句曽良) | 「雨をまといし 寒の朝かな」 (連句) | |
(このまをのぞく みじかよのあめ) | (あめをまといし かんのあさかな) | |
殺生石 | 「怨霊の 生死またがる 夏の石」 | |
(おんりょうの しょうじまたがる なつのいし) |
◎芦野の里・サイクリングコース案内
芦野の里をめぐる自転車ルートを紹介しておく。
左に自転車のハンドルを切り、JAを左に見ながら300mほどでバイパス国道294号線に出る。
農道に咲く花たちがまぶしい。
奥の細道に咲く野花に励まされて自転車を走らせる
バイパスを南(右)へ下り、那珂川の支流・奈良川をわたると国道と旧道の分岐付近、竹林の中にひっそりと
たたずむ芦野氏旧墳墓をみながら北へ向かう。
の居城)の御殿山に向かうと眼下に芦野の水田と那須連山の絶景に出会う。
茶屋や旅籠のあった芦野仲町に出て旧道を走って、無料休憩所「遊行庵」にもどる。
仲町には現在でも旅館を続けている鰻で有名な「丁字屋」(ちょうじや)が残っており、蔵座敷が江戸からの
歴史を伝えている。
約5kmのサイクル・コースで2時間もあればゆっくりと芦野の里を楽しむことができる。
◎ 芦野の里 サイクリング・マップ
◎那須町高久(たかく)
恐れながらわたしも一句・・・
實久 「目覚めるに 鐘打ちたまう ほととぎす」 (めざめるにかねうちたまう ほととぎす)
恐れながら、わたしも一句・・・
實久 「怨霊の 生死またがる 夏の石」 (おんりょうの しょうじまたがる なつのいし)