shiganosato-gotoの日記

星の巡礼者としてここ地球星での出会いを紹介しています。

2017『星の巡礼・奥の細道紀行-句碑の前でわたしも一句』 28

 

2017『星の巡礼奥の細道紀行-句碑の前でわたしも一句』 27
 
 


-4出羽街道中山越え山刀峠・尾花沢 山寺<奥の細道紀行 4>


B  尾沢花を自転車で走る

山刀伐峠(なたぎりとうげ)トンネルの赤倉側登山口を17:18出発し、県道28号線を下り、国道347号線、国道13号線を北上、今夜の宿泊地、大きな駐車場のある「道の駅尾花沢」(花笠の里・ねまる)に19:00に着いた。


まず、花笠温泉「ふくの湯」(400円・山形県尾花沢市新町5丁目)で今日一日の歩きによる2つの峠越え「中山越え・山刀伐峠」での汗と疲れをとるため温泉につかり、赤ワインとチーズで道中の安全に感謝し、ささやかな祝杯をあげた。

イメージ 1
花笠温泉「ふくの湯」で峠越えの疲れをとる  
 
イメージ 2
    国道13号線にある「道の駅 尾花沢」

元禄2年(1689)旧暦の5月17日、尾花沢についた芭蕉曽良は、旧知の友人であり、豪商である紅花大尽・鈴木清風を訪ね、この地で10泊もの長逗留をして旅の疲れをいやしている。
だが、紅花の開花を迎え、紅花問屋の島田屋鈴木家は繁忙期であったのであろう、宿として落成まもない養泉寺に案内している。
ここは現在でも、田んぼに囲まれた涼風吹く丘のうえにある。寺の裏に出れば遠くに月山や鳥海山も眺められ、旅の疲れをとるには最適な環境である。 芭蕉曽良は、養泉寺に7日間も泊まっている。
 
芭蕉は尾花沢に滞在中、清風の周りの俳人たちの歓迎を受け、「涼しさを我宿にしてねまる也」などの五吟歌仙を巻いて過ごした。
また、清風宅で泊まった際には、歌仙を巻き「おきふしの」句を残している。
尾花沢滞在10日目、旧暦5月27日、馬で送られて、山寺・立石寺へと旅立っていく。
 
2017年5月11日 朝5時30分、小雨降るなか、「道の駅 尾花沢」を後にして、芭蕉句碑「涼しさを我宿にしてねまる也」に出会うために養泉寺向かった。
途中、芭蕉曽良が立寄ったとされる「大石田」にもまわってみた。 田畑広がる一大農業地帯である。あいにくの曇り空で、鳥海山の雄姿を望見することができず残念。


イメージ 3
大石田の田園風景(鳥海山は雲の中)

芭蕉清風記念館」の駐車場に車を停め、自転車に乗り換えて、養泉寺、清風邸跡、清風の菩提寺である念通寺、そして尾花沢市役所と、紅花の街をゆっくりと約3km、1.5Hばかりの自転車漕ぎを楽しんだ。
芭蕉清風記念館」は、残念ながら赤い札がかかり休館日であることを告げていた。

イメージ 4
芭蕉清風記念館   


イメージ 5
 
記念館で迎えてくれる芭蕉翁像


芭蕉清風記念館」と隣り合わせて、清風邸がある。 奥に祠があり、吉原の名妓高尾太夫から贈られた柿本人麻呂(人麻呂大明神)が祀られている。

 
◎尾花沢サイクリング・マップ  約3km、1.5Hコース>


イメージ 6


◎恐れながらわたしも一句

山刀伐峠⇒尾花沢    
  山刀伐峠 「田畑も 山刀伐眺む 夏峠」
  (なたぎりとうげ)  (でんばたも なたきりながむ なつとうげ)
    「山刀伐に 翁追いてや 越えし夏」
    (なたぎりに おきなおいてや こえしなつ)
「涼しさを 我が宿にして ねまるなり」 養泉寺 「みだれ髪 古寺も涼けき 猫柳」
(すずしさを わがやどにして ねまるなり)   (みだれがみこじもすずけきねこやなぎ)
 


芭蕉 「涼しさを 我が宿にして ねまるなり」   (すずしさを わがやどにして ねまるなり)
解説 :  清風宅での手厚いもてなしへの感謝の句、「ねまる」は山形方言で、自分の家にいるような気のおけな
     い寛ぎ方をいう、羽前赤倉の山中・山刀伐峠を越えてほっとした気分もこめた句       


恐れながらわたしも一句
實久 「みだれ髪 古寺も涼けき 猫柳」  (みだれがみ こじもすずけき ねこやなぎ)
意味 :  柳のみだれ髪(ご婦人)に触れても 涼しげな古寺(のよう)に置きたや、浮き世(わが身)をば


 
◎ 「養泉寺」 


芭蕉を偲ぶにふさわしい侘び寂びのある寺で、こころ洗われる。 芭蕉の面影や句碑を生業(なりわい)の一部とされていない無垢なお寺さんであり、わたしにとってありがたく、無常のなかにひたることができるお寺であった。


イメージ 7
無常の中に出迎えてくれた養泉寺山門
 
芭蕉翁はここ養泉寺の一遇に7日間も泊まっているのである。 その姿が、そしてそのこころが見えるようである。
拝する者に寄り添うとともに、芭蕉に接するお寺さんの姿勢に共感した。
時に流されない養泉寺との出会いの機会を与えてくれた芭蕉翁にも感謝である。


養泉寺は、なだらかな丘の上にある。 鳥海の山や、まわりの田園風景に心憎いばかりに溶け込む。涼しい風が頬をやさしく触れていく。 この時期、東北のこの辺りは田に水は張られていない。 田起こし(耕起)の真っ最中である。 あいにくの曇り空、鳥海山は雲隠れ。


イメージ 8
養泉寺の裏から絶景の鳥海山が見えるはずだが・・


境内に「涼し塚」、柴崎路水と鈴木素州が宝暦12年(1762)に建てた「涼しさを我宿にしてねまる也」の句碑がある。隣に「壷中居士」を刻む石碑とともに覆堂のなかにおさまっている。 壷中は次に向かう山寺(立石寺)にも「蝉塚」を立てた素封家でもある。

イメージ 9
養泉寺境内 覆堂にある「涼し塚」 (左)
                                                    

また、養泉寺の駐車場にむかう小路に、ひっそりたたずむ連句碑があるので紹介しておく。
連句碑には、芭蕉が尾花沢滞在中に巻いた「すゞしさを」歌仙の、初折の表4句が刻まれている。


すゞしさを我がやどにしてねまる也    芭蕉
つねのかやりに草の葉を燒                清風
鹿子立つをのへの清水田にかけて        曽良
ゆふづきまるし二の丸の跡                   素英


イメージ 10
養泉寺駐車場に立つ連句   

涼しい風に背を押されながら養泉寺を後にして、尾花沢の街中へ自転車を向けた。


お寺から町へはすこし下り坂である。 清風の鈴木家は平泉の高館で自害した源義経の家臣鈴木三郎重家が祖であると伝わる。その清風の菩提寺である念通寺に立寄って、「芭蕉清風記念館」の駐車場に帰り着いた。


尾花沢での芭蕉の長逗留と違って、こちらは数時間という駆け足で次なる山寺・宝珠山立石寺に向かった。
尾花沢から山寺へは、南へ国道13号線に乗り、山形市手前で県道19号線を東へ約40km、1時間15分のドライブである。


--------------------------------------------------------------------------------------
 
 
イメージ 11
<雪とスイカと花笠のまち>尾花沢のマンホール蓋のデザイン


イメージ 12
 養泉寺 芭蕉遺跡 「涼し塚」 解説版


                        ⑮山寺を詣でる<2017511日> につづく