shiganosato-gotoの日記

星の巡礼者としてここ地球星での出会いを紹介しています。

2017『星の巡礼・奥の細道紀行-句碑の前でわたしも一句』 25

2017『星の巡礼奥の細道紀行-句碑の前でわたしも一句』 25


-平泉 ⇒岩出山 ⇒出羽街道中山越え⇒山刀峠・尾花沢 ⇒山寺<奥の細道紀行 4>
 奥の細道」最北の平泉に義経を追い、山刀峠を越え、山寺で「閑さや」の句を生む


岩出山陸奥上街道を走る2017510日>


平泉を日帰りですませ、一ノ関にもどった芭蕉は、翌日の5月14日、岩出山に泊まっている。
一ノ関からの道は、頼朝軍が藤原氏討伐で通った道であり、義経を追った道でもある。芭蕉義経を想いながら歩いたに違いない。
奥の細道」に芭蕉曽良は一ノ関から岩出山まで歩いたと書かれている。
元禄2514日(陽暦630日)、「南部道遙かに見やりて、岩出の里に泊まる」とある。
 
平泉を午前9時15分に立ち、国道4号線を南下、一ノ関をへて古川にて国道47号線を西へ車を走らせJR陸羽東線岩出山駅」に午前11時30分に着く。
岩出山駅前に駐車し、自転車に乗り換え、さっそく上街道陸奥上街道の通称)を走ることにする。 往路(自転車+歩き)、復路(自転車)は爽快なサイクリングロードである県道17号線を走る。
ここ岩出山は、伊達正宗が仙台に城を構えるまでの居城・岩出山城があった城下町である。
岩出山駅前の郵便局のある道を西へ500mほど行った左側に芭蕉翁像と標識「芭蕉一宿の地」が立っている。

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 JR陸羽東線岩出山駅」 上街道往復の基地とした   

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100周年を迎えたJR陸羽東線を走るディーゼル列車

芭蕉曽良が3日ほどかかった旅程約65kmを、わずか2時間15分ほどのドライブで到着する。草鞋姿で旅情を味わう時間さえない慌ただしい「わたしの奥の細道」を歩んでいることに、なにか侘しいおもいがこころに残る。


なによりも飛び去る風景から句作もままならないのには閉口する。 やはり吟行に限る。
いつかはゆっくり歴史や風物を味わいたい奥羽路である。

岩出山陸奥上街道サイクリング・マップ
 往復約34km、サイクリング(1-1/2 H)と歩き(徒歩2H)の所要3時間半のルートである

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岩出山街角に立つ芭蕉翁像                        3.11震災後、復興なった旧有備館 (有備館HP)

芭蕉翁像のある前の道(商店街)を北へ向かい、左に正宗の居城であった岩出山城址(城山公園)を見ながら、「有備館駅」南踏切を渡る。 駅前の池のほとりに、藩校の遺構としては最古の旧有備館がある。
有備館は、江戸時代に岩出山伊達家の家臣子弟の学問所であった建物で、先の東北大震災で倒壊したが
復興なった。


町営バス路線に従ってすすみ、江合川を渡ると国道47号線にでるので信号(要害)をそのまま横切って県道17号線に入る。
バス停「十文字」よりバス停「上馬館」までの間が「上街道」として整備され、昔の街道の面影が残されている。


芭蕉曽良は、平泉から下って、この「陸奥上街道」をここ「岩出山」まで歩いている。
わたしも自転車を降り、押しながら芭蕉とともに上街道の草道を歩くことにした。

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芭蕉も歩いた陸奥上街道の入口案内板

この道「陸奥上街道」は古く「松山道」と呼ばれていた。
源頼朝の軍勢は奥州平泉の藤原氏を討伐するため、多賀城国府を出て、奥州藤原氏の拠点であった多賀波場城を攻めた。藤原泰衡はすでに平泉に引いており、頼朝軍はここ松山道(上街道)を芭蕉とは逆方向に平泉に向かっている。
国道47号線を渡り、「上街道」に続く県道17号線を進むとバス停「天王寺」先の分岐がある。この分岐に上街道の里程塚である「天王寺一里塚」がその形を残している。また分岐より左に入って行くと「天王寺追分」の道標が立っている。

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上街道(松山道)里程標 「天王寺一里塚」跡         上街道(松山街道)と出羽街道(水戸街道)の分かれ道

道標「天王寺追分」には歴史的な説明が書かれている。
陸奥上街道   上街道(松山街道)と出羽街道(水戸街道)の分岐点―芭蕉曽良は、元禄2年(1689)5月14日(陽暦6月30日に、上街道と別れ小黒崎、みずの小島を訪れようとして出羽街道を西に向かったが、途中引き換えし岩出山に泊まった。奥の細道には<南部道遙かに見やりて岩手(出)の里に泊まる>とある。」
 
天王寺一里塚」より約1km先のバス停「十文字」を左に入り、すぐ右にまがると、ここから古の「上街道」がつづく。
バス停「上馬館」までの約5kmの間に古街道が残り、整備されている。
途中、バス停「葛岡」のある県道17号線に出るが、すぐななめ左の古街道(陸奥上街道)に入って行く。
岩出山町が設置した石柱道標「上街道」にしたがえば、迷うこともない。
 
その先の磯良神社を過ぎると古街道の面影残る「千本松長根」が1500mほどつづき、義経を追う頼朝軍の駆ける足音や、芭蕉曽良が暮せまる街道を早足でこちらへ向かってくる姿を思い描きながら、自転車を押しすすめる。
奥の細道」を歩くとき、いつも芭蕉曽良との同行を意識し、芭蕉翁を偲びながらの旅路となるのがいい。

 急な石畳みの下り坂をすすむと民家があり、「千本松長根」の入口を示す道標より、約300mのところにサイクリング折り返し点としているバス停「上馬館」がある。

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 磯良神社                                                  古街道の面影を残す千本松長根
 
復路はバス停「上馬館」で折り返し、県道17号線を陸奥の風を正面に受けながら、自転車を漕いで駆け降り、車の待つ岩出山駅に帰り着いた。
往復約34km、サイクリング(1.5 H)と歩き(徒歩2H)の所要3時間半の奥の細道・上街道ルートを楽しんだ。
ここから、歌枕である「小黒崎」と「美豆の小島」に立寄り、「出羽街道・仲山越え」に向かう。
芭蕉も「奥の細道」に次のように書き記している。
 
「小黒崎・みづの小嶋を過て、なるごの湯より尿前の関にかゝりて、出羽の国に越んとす」

国道47号線にでて、陸羽東線川渡温泉駅を過ぎると、国道沿いの小黒崎観光センターの向かい側に見える小高い山である小黒崎山(標高145m)のことである。小黒崎山を背景に、芭蕉像と解説板が駐車場にある。

平安朝より歌枕として有名な「美豆の小島」は、小黒崎より西へ約500m先にある江合川中州にある、弁財天を祀る小島である。
順徳院  「をぐろ崎みつのこじまにあさりする田鶴ぞなくなり波たつらしも」   続古今和歌集

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小黒崎山を背景に芭蕉像が立つ                            解説板        美豆の小島
 
 国道47号線(羽前街道バイパス)の左手に奥の細道ゆけむりライン(JR陸羽東本線)を見ながら「鳴子温泉」を経て、「尿前の関址」(しとまえのせきあと)に向かう。


 
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芭蕉曽良の「奥の細道」旅姿


                                         ⑬出羽街道 中山越えを歩く
                   につづく