shiganosato-gotoの日記

星の巡礼者としてここ地球星での出会いを紹介しています。

2017『星の巡礼・奥の細道紀行-句碑の前でわたしも一句』 23

 

2017『星の巡礼奥の細道紀行-句碑の前でわたしも一句』 23

 
-平泉岩出山 ⇒出羽街道中山越え⇒山刀峠・尾花沢 ⇒山寺<奥の細道紀行 4>
   奥の細道」最北の平泉に義経を追い、陸奥上街道、山刀峠を越え、山寺で「閑さや」の句を詠む
⑪平泉を自転車で走る2017510日>

登米より、平泉に向かう。
さて、今宵(59日夜)の宿泊地である国道346号線上にある「道の駅・林林館」に着く。
夕食のメニューは、アルファー米、キャベツ・人参入りスープ(チキンラーメン)、納豆、焼鯖、ソーセージ、野菜サラダ、赤ワイン、デザート(アイスもなか)のフルコースである。明日に備えて栄養補給につとめる。


芭蕉は、登米で一泊し、藤原三代の栄華をほこった平泉を訪れている。
その足で、芭蕉が慕い、追い求めた義経の最後の地でもあり、義経堂のある高館(たかだち)に立寄り、弔っている。

国道326号線上の「道の駅・林林館」を早朝5時に出発し、国道346・342号線を経て、平泉での拠点「道の駅平泉」の駐車場に5時50分に着く。 軽い柔軟体操をしたあと、水を補充し、義経最期の地に自転車をこぎ出した。

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「道の駅 平泉」駐車場で自転車に乗換える
 
出発地点である「道の駅 平泉」駐車場を、北西へ自転車のハンドルを向け、遺跡「伽藍御所後」を右にしながらすすみ、JR平泉駅からの道(中尊寺通り・旧道)に出て右折直進、左手の遺跡「無量光院跡」より約500m先の三叉路を右にまがると、突き当りに北上川を背景にした高舘義経堂がある。

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義経最期の地「高舘義経堂」入口
 
◎平泉サイクリング・ルートマップ    <約19km/Hコース>

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◎恐れながらわたしも一句

4.平泉岩出山⇒出羽街道中山越え⇒山刀伐峠⇒尾花沢⇒山寺 <奥の細道紀行4>
             <芭蕉曽良の句>       <恐れながらわたしも一句-實久>
⑪平泉    
「夏草や 兵どもが 夢の跡」 高館義経 「高館に 義経落つる 夏の暮」
(なつくさやつわものどものゆめのあと) 毛越寺本堂前 (たかだちによしつねおつるなつのくれ)
    「北上の 夏を枕に 下る黄泉」       
    (きたがみのなつをまくらに くだるよみ)
    「人の世や 仮初居りし 夏の夢」        
    (ひとのよやかりそめおりし なつのゆめ)
    「平泉 悲しき主従や 夏の果て」        
    (ひらいずみかなしきしゅじゅやなつのはて)
    「きみ慕ふ こころ空蝉 勿忘草」
    (きみしたふこころからせみわすれなぐさ)
    「現人 空蝉の夢 背負い来て」
    (うつしおみからせみのゆめせおいきて)
卯の花に 兼房見ゆる 白毛かな」 卯の花清水 卯の花に 映りし火炎 若呑みし」
(うのはなにかねふさみゆるしらげかな) 曽良の句 (うのはなにうつりしかえん わかのみし)
    「霞たる 栄華の傘や 平泉」           
    (かすみたるえいがのかさやひらいずみ)
    「浮き沈み 世の常と言う 夏の川」      
     (うきしずみよのつねというなつのかわ)
「五月雨の 降りのこしてや 光堂」 中尊寺 「五月雨に 競う金色 経の文」
さみだれの ふりのこしてや ひかりどう) 金色堂 さみだれ きそうこんじき きょうのもん)
  経堂の間 「平らなる 泉に影や 夏御堂」        
    (たいらなるいずみにかげやなつみどう)
    「月のよへと 差渡したる 光堂」       
    (つきの世えと さしわたしたるひかりどう)


◎高舘義経


平泉は、平安の後期、陸奥の豪族藤原清衡(きよひら)を祖とする藤原三代が築いた町である。
そして、芭蕉がぜひ訪れたかった、慕情断ち切れない義経の最期の地として知られる町でもある。
義経の居館跡である高館では義経堂を訪れ、義経を偲んでいる。
眼下には北上川が優雅に流れ、衣川が合流、正面に束稲山(たばしねやま)が見える。
芭蕉が功名の儚い栄華であった夢のあとに立ってなにを思ったのであろうか。
その率直な気持ちを句に残している。
 
芭蕉  「夏草や 兵どもが 夢の跡」   (なつくさや つわものどもの ゆめのあと)


恐れながらわたしも一句
實久  「高館に 義経落つる 夏の暮」   (たかだちに よしつねおつる なつのくれ)
 
高館(たかたて・義経の居館跡)は北上川の西岸の少し高みの丘の上にある。
訪問者は坂をのぼり石段を上がりきると、整理された低い生垣から眼下の北上川の流れと、対岸の山並みが目に飛び込んでくる。

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 義経が最期の日眺めたであろう北上川と束稲山の景観

左へなだらかにつづく玉砂利まじる坂の突当りに高館、すなわち義経居館跡が静かに向かえてくれる。

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 高館(たかたて・義経の居館跡)にある義経

右の突当りにはあたかも義経の庇護者のように芭蕉の句碑が高館を温かく見守り、見上げている。
朝の静けさの中に義経のため息や、哀れむ北上川の流れの音、芭蕉の追憶の祈りが聞こえてくるではないか。

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高館・義経堂の反対側にある芭蕉句碑「夏草や」
芭蕉 「夏草や 兵どもが 夢の跡」

奥州平泉に若くして散った若き英雄義経と、ここ北上川畔の高館より、この見渡す圧巻の風景をともに心弾ませ、こころ熱くして風の声を聞くことができた。このよろこびを芭蕉とともに味わっている己がいることに感謝である。


恐れながらわたしも一句
實久  「きみ慕ふ こころ空蝉 勿忘草」   (きみしたふ こころからせみ わすれなぐさ)
意味:   現世に生きるひとの心ほど虚ろなものはない、あの世に永遠に生きるこころこそ思い出として残るものだ


實久   「現人 空蝉の夢  背負い来て」    (うつしおみ からせみのゆめ せおいきて)
意味 :   この世に生きた義経も、蝉の抜け殻のように地中深く眠り来たあと、短い生涯を踊りきって帰って
            行った
            ひとはみな大きな夢を背負って生まれ来るが、夢半ばで帰って行ってこそ次の夢につなげてくれる
            のではないだろうか
 
居館跡の高館に立って北上川を眺望するとき、義経は何を考え、自分の一生をどのように思い返したのだろうか。
この夏モンゴルで、チンギスハーンの築き上げたモンゴル大帝国の夢のあとを歩いてきた。
チンギスハーンは義経の生まれ変わりだという伝説が残されていることを思いだしていた。
義経もまた、大きな夢をもっていたに違いない。しかし、同じ源 義朝の子でありながら、出自などから義経はいつも兄頼朝に疎まれ、謀叛の罪を着せられ自害(義経31歳没)させられる。 しかし義経は夢を残した。
古来より持ち合わせる日本人の半官贔屓は、義経の亡命説を生み、チンギスハーンの生まれ変わり説にまで高めたのであろう。


この辺りのことについては、ブログ「星の巡礼・モンゴル紀行13」で触れている。


卯の花清水
高館で、悠然と流れる北上川の無の風に吹かれながら、時を忘れて義経芭蕉翁と語らった余韻を楽しんだ後、北の方へ坂を下ってゆくとJR東北本線の踏切の手前に湧く「卯の花清水」に着く。
かたわらに曽良の句碑が立つ。
義経の最期を見届けた後、館に火を放って壮絶な死を遂げた兼房を読んだものである。


曽良  卯の花に 兼房見ゆる 白毛かな」   (うのはなや かねふさみゆるしらげかな)
意味 :  真っ白い卯の花を見ていると、あの兼房の白髪が思いうかぶことだよ


恐れながらわたしも一句
實久  卯の花に 映りし火炎 若呑みし」   (うのはなに うつりしかえん わかのみし)
意味:  真っ白い卯の花に映った真赤な火炎が、無情にも若武者(義経)をのみこんでいくではないか

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卯の花清水(平泉町

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 JR東北本線 卯の花清水踏切を渡り中尊寺に向かう

卯の花清水の先にあるJR東北本線の踏切を渡り、北西へ斜めに進み国道4号線を渡ると、小公園の松のもとに「武蔵坊慶之墓」がある。
文治5年(1189)、義経の居城高館が焼討にあった際、武蔵野弁慶は最後まで主君を守り、ついに衣川で立往生した。 遺骸をこの地に葬り五輪の塔を建て、後世中尊寺の僧・素鳥の詠んだ石碑が建てられた。
素鳥  「色かえぬ 松のあるじや 武蔵坊」
 
弁慶の墓の斜め向かいに、中尊寺の表参道であるうっそうとした杉並木に囲まれた月見坂がある。
 
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中尊寺参道入り口                                   杉並木がつづく月見坂


弁慶堂、地蔵堂芭蕉資料館としても知られる「積善院」、薬師堂、観音堂中尊寺本堂、不動堂、峯薬師堂、大日堂を経て、金色堂に達する。 金色堂は光輝き、浄土世界を思わせる。
藤原清衡が起工した当時の中尊寺のなかで唯一つ現存しているのが「金色堂」である。
16年の歳月をかけて現世に極楽浄土を具現するために建立された阿弥陀堂である。
内部の壁や柱、垂木のすべてに金箔を施し、浄土を醸している。
本尊の阿弥陀如来を囲むように11体の仏像が安置されている。須弥壇(しゅみだん・仏像を安置するため設けた高い檀)には藤原三代のミイラと泰衡の首級が安置されている。
金色堂と経蔵の間に芭蕉句碑「五月雨の」があり、旧覆堂の手前に芭蕉像が立っている。
 
芭蕉  「五月雨の 降りのこしてや 光堂」   さみだれの ふりのこしてや ひかりどう)
意味 :  あたりは雨で朽ちているが、この金色堂だけは光輝いている
あたかも五月雨がここだけには降らなかったかのように
 
恐れながらわたしも一句
實久  「五月雨に 競う金色 経の文」   さみだれに きそうこんじき きょうのもん)
意味 :  金の雨粒と 金の経文字が競いてかしましい金色堂

                                                       
 
      金色堂2 につづく