⑪平泉を自転車で走る<2017年5月10日>
登米より、平泉に向かう。
さて、今宵(5月9日夜)の宿泊地である国道346号線上にある「道の駅・林林館」に着く。
夕食のメニューは、アルファー米、キャベツ・人参入りスープ(チキンラーメン)、納豆、焼鯖、ソーセージ、野菜サラダ、赤ワイン、デザート(アイスもなか)のフルコースである。明日に備えて栄養補給につとめる。
国道326号線上の「道の駅・林林館」を早朝5時に出発し、国道346・342号線を経て、平泉での拠点「道の駅平泉」の駐車場に5時50分に着く。 軽い柔軟体操をしたあと、水を補充し、義経最期の地に自転車をこぎ出した。
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「道の駅 平泉」駐車場で自転車に乗換える
出発地点である「道の駅 平泉」駐車場を、北西へ自転車のハンドルを向け、遺跡「伽藍御所後」を右にしながらすすみ、JR平泉駅からの道(中尊寺通り・旧道)に出て右折直進、左手の遺跡「無量光院跡」より約500m先の三叉路を右にまがると、突き当りに北上川を背景にした高舘義経堂がある。
◎平泉サイクリング・ルートマップ <約19km/3Hコース>
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◎恐れながらわたしも一句
4.平泉⇒岩出山⇒出羽街道中山越え⇒山刀伐峠⇒尾花沢⇒山寺 <奥の細道紀行4> | ||
<芭蕉・曽良の句> | <恐れながらわたしも一句-實久> | |
⑪平泉 | ||
「夏草や 兵どもが 夢の跡」 | 高館義経堂 | 「高館に 義経落つる 夏の暮」 |
(なつくさやつわものどものゆめのあと) | 毛越寺本堂前 | (たかだちによしつねおつるなつのくれ) |
「北上の 夏を枕に 下る黄泉」 | ||
(きたがみのなつをまくらに くだるよみ) | ||
「人の世や 仮初居りし 夏の夢」 | ||
(ひとのよやかりそめおりし なつのゆめ) | ||
「平泉 悲しき主従や 夏の果て」 | ||
(ひらいずみかなしきしゅじゅやなつのはて) | ||
「きみ慕ふ こころ空蝉 勿忘草」 | ||
(きみしたふこころからせみわすれなぐさ) | ||
「現人 空蝉の夢 背負い来て」 | ||
(うつしおみからせみのゆめせおいきて) | ||
「卯の花に 兼房見ゆる 白毛かな」 | 卯の花清水 | 「卯の花に 映りし火炎 若呑みし」 |
(うのはなにかねふさみゆるしらげかな) | 曽良の句 | (うのはなにうつりしかえん わかのみし) |
「霞たる 栄華の傘や 平泉」 | ||
(かすみたるえいがのかさやひらいずみ) | ||
「浮き沈み 世の常と言う 夏の川」 | ||
(うきしずみよのつねというなつのかわ) | ||
「五月雨の 降りのこしてや 光堂」 | 中尊寺・ | 「五月雨に 競う金色 経の文」 |
(さみだれの ふりのこしてや ひかりどう) | 金色堂と | (さみだれ きそうこんじき きょうのもん) |
経堂の間 | 「平らなる 泉に影や 夏御堂」 | |
(たいらなるいずみにかげやなつみどう) | ||
「月のよへと 差渡したる 光堂」 | ||
(つきの世えと さしわたしたるひかりどう) |
◎高舘義経堂
眼下には北上川が優雅に流れ、衣川が合流、正面に束稲山(たばしねやま)が見える。
芭蕉が功名の儚い栄華であった夢のあとに立ってなにを思ったのであろうか。
その率直な気持ちを句に残している。
恐れながらわたしも一句
訪問者は坂をのぼり石段を上がりきると、整理された低い生垣から眼下の北上川の流れと、対岸の山並みが目に飛び込んでくる。
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左へなだらかにつづく玉砂利まじる坂の突当りに高館、すなわち義経居館跡が静かに向かえてくれる。
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芭蕉 「夏草や 兵どもが 夢の跡」
奥州平泉に若くして散った若き英雄義経と、ここ北上川畔の高館より、この見渡す圧巻の風景をともに心弾ませ、こころ熱くして風の声を聞くことができた。このよろこびを芭蕉とともに味わっている己がいることに感謝である。
恐れながらわたしも一句
實久 「きみ慕ふ こころ空蝉 勿忘草」 (きみしたふ こころからせみ わすれなぐさ)
意味: 現世に生きるひとの心ほど虚ろなものはない、あの世に永遠に生きるこころこそ思い出として残るものだ
實久 「現人 空蝉の夢 背負い来て」 (うつしおみ からせみのゆめ せおいきて)
意味 : この世に生きた義経も、蝉の抜け殻のように地中深く眠り来たあと、短い生涯を踊りきって帰って
行った
ひとはみな大きな夢を背負って生まれ来るが、夢半ばで帰って行ってこそ次の夢につなげてくれる
のではないだろうか
この夏モンゴルで、チンギスハーンの築き上げたモンゴル大帝国の夢のあとを歩いてきた。
チンギスハーンは義経の生まれ変わりだという伝説が残されていることを思いだしていた。
古来より持ち合わせる日本人の半官贔屓は、義経の亡命説を生み、チンギスハーンの生まれ変わり説にまで高めたのであろう。
この辺りのことについては、ブログ「星の巡礼・モンゴル紀行13」で触れている。
◎卯の花清水
かたわらに曽良の句碑が立つ。
義経の最期を見届けた後、館に火を放って壮絶な死を遂げた兼房を読んだものである。
意味 : 真っ白い卯の花を見ていると、あの兼房の白髪が思いうかぶことだよ
恐れながらわたしも一句
實久 「卯の花に 映りし火炎 若呑みし」 (うのはなに うつりしかえん わかのみし)
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◎中尊寺
素鳥 「色かえぬ 松のあるじや 武蔵坊」
弁慶の墓の斜め向かいに、中尊寺の表参道であるうっそうとした杉並木に囲まれた月見坂がある。
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中尊寺参道入り口 杉並木がつづく月見坂