塩釜街道を東へ、松島の絶景に感激し、登米に立寄り平泉へと向かう.
左手に松島湾に浮かぶ多島美を観賞しながらのルートであり、往路とまた違った景色が素晴らしい。
12時30分塩釜神社、第1駐車場にゴールする。
一服のあと、給水をおえ次なる目的地「登米」に向かう。
◎恐れながらわたしも一句
⑩登米 | ||
降らずとも 竹植えうる日は みのとかさ | 登米神社 | 「北上の 川や舟旅 東風まかせ」 |
ふらずとも たけうえる日は みのとかさ | きたがみの かわやふなたび こちまかせ | |
「北上や 残心忘る 川柳」 | ||
きたがみや ざんしんわする かわやなぎ |
意味 : たとえ雨が降っていない日であろうとも、竹を植える日には蓑笠を着てやってほしい
(大垣の谷木因(たくぼくいん)で作った句)
恐れながらわたしも一句:
實久 「北上の 川や舟旅 東風まかせ」 (きたがみのかわやふなたび こちまかせ)
意味 : 北上川の舟旅(人生)はいそぐこともなし、いつも風まかせといきたいものだ
實久 「北上や 残心忘る 川柳」 (きたがみや ざんしんわする かわやなぎ)
意味 : 北上川に映る川柳の淡い緑葉は、その流れに身をまかせ己を消し去っているではないか、
己もそうありたい
途中、国道45号線沿いにある「道の駅 上品の郷」で温泉「ふたごの湯」に立寄る。
三日ぶりの温泉でたまった疲れと、汚れや汗を洗い流せる喜びにひたる。
御婆さんが地元で獲れた鯖を炭火焼してくれた。 なによりのご馳走に感謝である。
旅人をいたわるこころを東北の人々は伝えきているようだ。
登米の街に入る。
登米町の駐車場は、橋を渡り最初の信号を左に曲がると、右手100m先に町営駐車場がある。
自転車を組立て、地図・磁石・行動食・水・ガイドブック・記録ノート、筆記用具・ヘッドランプ・カメラ・予備バッテリ・スマホ・万歩計・雨具をフロントバックに移す。
検断庄左衛門」としるしている。
「奥の細道」では、その前後を含めて・・・
<・・・(石巻で)宿からんとすれど、更に宿かす人なし、漸まどしき小家に一夜をあかして、明れば又しらぬ道まよひ行。袖のわたり・尾ぶちの牧・まのゝ萱はらなどよそめにみて、遥なる堤を行。心細き長沼にそふて、戸伊摩と云所に一宿して、平泉に到る>
と述べている。 (案内板より一部抜粋)
石巻で宿を探したか、宿を貸してくれる人もなく、仕方なく小家で一夜をあかし、迷いながら北上川の堤を進んで「戸伊摩」(戸今)という村で一泊し、平泉に至ったとある。 ただ、登米のどこで一泊したかは定かではない。
「戸伊摩」とは、ここ登米のことである。
この東北の田園風景の中に、武家屋敷や明治建築がたくさん残っており、目を見張るものがある。
どのような武家屋敷や明治の建物に出会うか興味が尽きない。
伊達藩の文明開化の姿勢は明治維新後にも引き継がれ、その歴史的建造物を多く残しているのには、驚きである。
「芭蕉翁一宿之跡」碑を後に、駐車場のある「蔵通り商店街」を南に向かったT字路の右角にバルコニーのある旧登米警察署庁舎(現在、警察資料館)がある。 明治に旧登米警察署庁舎として建てられた洋館で、全体にギリシャ建築の様式をみせる建物である。
ほか、旧登米警察署庁舎から500m以内に教育資料館として利用されている「旧登米高等尋常小学校校舎」(明治29・洋風建築)や、水沢県庁舎として使われた和洋折衷の建造物「旧水沢県庁庁舎」(現水沢県庁記念館)があり、ノスタルジーを感じさせる建物である。
石の立派な大鳥居をくぐり、急こう配の石の階段をのぼると社殿に出る。 振り返ると整然とたたずむ登米の街が一望できる。
「降らずとも 竹植える日は みのとかさ」の芭蕉句碑が立っている。
社務所の方向にまっすぐに行くと、突き当りに古くて判読できない明和7年(1770)建立の
石碑がある。
時代が下って、義経が平泉にいたとき、度々参拝し源氏再興の祈誓を立てた神社なのだ。
また、平家を「壇ノ浦」で滅ぼし宿願を果たした祝に、藤原秀衡に頼んで神額を奉納しているほど
である。
てくれる。
いまなお街の歴史的美観保護に力をいれている登米町の姿勢にエールを贈りたい。 大切に保護し後世に
遺してもらいたいものである。
武者隠し 前小路にある武家屋敷景観
街を自転車で走っていて、京都の二条城前や府庁前を走っているような都の匂いを嗅いだ。
ここは東北である、不思議な都の風に心やわらいだ。
約17km、1時間半の登米の街の都の匂いに誘われて、自転車で走る楽しい時間をもつことができた。
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<次の目的地・奥の細道紀行4・「⑪平泉」
につづく>