shiganosato-gotoの日記

星の巡礼者としてここ地球星での出会いを紹介しています。

2017『星の巡礼・奥の細道紀行-句碑の前でわたしも一句』 29

2017『星の巡礼奥の細道紀行-句碑の前でわたしも一句』 29
 


-出羽街道中山越え⇒山刀峠・尾花沢⇒山寺 奥の細道紀行 4>
奥の細道」最北の平泉に義経を追い、山刀峠を越え、山寺で「閑さや」の句を生む

⑮山寺を詣でる2017511日>


JR仙山線山寺駅」に立寄って、山寺「宝珠山 立石寺」のパンフレット、境内案内地図を手に入れた。

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  JR仙山線山寺駅

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門前町商店街と 正面の山が山寺(宝珠山

目の前の山の合間に奇岩と木々の合間に諸堂が見え隠れする宝珠山が駅から見える。

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 山寺(宝珠山立石寺) 配置図


土産物店が並ぶ門前町商店街にある「おみやげ・えんどう」の駐車場に車を停め、立谷川にかかる宝珠橋をわたって根本中堂先にある芭蕉句碑「閑さや」に立寄り、山門に向かった。

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立谷川にかかる宝珠橋をわたって山寺へ向かう

山寺は、正確には宝珠山 立石寺」(ほうしゅざん りっしゃくじ)という。
貞観(じょうがん)2年(860)、今から1157年前に慈覚大師が開いた天台宗霊場であり、比叡山延暦寺から移された法灯が600年もの間、尽きることなく根本中堂で燃え続けている。

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比叡山からの法灯が600年間燃え続けている根本中堂

根本中堂は、ブナ材建築物で日本最古である重要文化財である。ここに先でも述べた「不滅の法灯」が燃え
続けている。
芭蕉曽良は、元禄2年(1689)陰暦5月27日、「一見すべきよし人々のすすむるよりて」山寺に向っている。
そして、有名な「閑さや岩にしみ入る 蝉の声」の句が生まれたのは、山深く奇岩に囲まれたここ山寺である。
芭蕉句碑は、根本中道の左側に立ち、近くに高浜虚子らの句碑もたつ。


⑮山寺    
「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」 根本中道左側 「抜け殻に 夏風涼し 山の弥陀」
(しずけさやいわにしみいるせみのこえ)   (ぬけがらになつかぜすずしやまのだ)


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芭蕉句碑「閑さや」(山寺・根本中堂横)

芭蕉  「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」   (しずけさや いわにしみいる せみのこえ)
解説 :  1926年斉藤茂吉が「改造」で、句に出てくる蝉はアブラゼミであると断定し発表した。 これを機に
            蝉の種類に関する文学論争が起こっている。茂吉はその後、実地調査をなし、芭蕉が詠んだ蝉
            はニイニイゼミであると結論付け、誤りを認めて落着している。


恐れながらわたしも一句
實久  「抜け殻に 夏風涼し 山の弥陀」   (ぬけがらに なつかぜすずし やまのみだ)
意味 :  セミの抜け殻が伽藍にぶら下がり、無の風を受けかすかに揺れている様は、弥陀のこころのように
           穏やかである

根本中道、芭蕉句碑「閑さや」に立寄り、日枝神社の西隣にある秘宝館前に「芭蕉曽良像」と「芭蕉顕彰碑」が迎えてくれる。

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秘宝館前の「芭蕉曽良像」と「芭蕉顕彰碑」


いよいよ奥の院への入口である山門をくぐると、800段あまりの石段がつづく。山門で入山料を喜捨し、こころを落ち着かせての第一歩を踏み出すことになる。 たくさんの杖が並んでいるところを見ると高齢の参詣者も多いようである。
ゆっくりと歩いて上り45~60分、下り35~45分ほどかかる。

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 山寺山門

250段(山門から約20分)辺りに、尾花沢の養泉寺に石碑があった壺中(こちゅう)の建立である「せみ塚」があるが、「芭蕉翁」脇にほとんど読み取れない「閑さや」の句碑が立つ。

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角柱が「せみ塚」石碑・右「芭蕉翁」碑


杉木立ちに奇岩、巨岩が折り重なって続くなか、石仏や石塔が静かに見守ってくれている。霊場としての静寂と厳しさが伝わってくる。 さらに急な石段を上って行くと、山内一番の景といわれ、アカモミジが映える仁王門に至る。

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  アカモミジが映える仁王門

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 山寺配置図




           ⑮山寺を詣でる―2 につづく