大垣へ向かう
◎禅寺・全昌寺
出発している。
日記「奥の細道」に書き残している。
<一夜のへだて千里に同じ>
また若い寺僧の要望に、芭蕉はこころよく次のように吟じている。
「庭掃(はき)て出(いで)ばや寺に散る柳」 芭蕉
師弟の相手を思いやる姿をここ全昌寺で見るおもいである。
「丸岡天龍寺の長老、古き因(ちなみ)あれば尋ぬ。
また金沢の北枝(ほくし)といふもの、かりそめに見送りて、このところまでしたひ来たる。
ところどころの風景過さず思ひつづけて、折節(おりふし)あはれなる作意など聞こゆ。
今すでに別に望みて、
物書て扇引きさくなごりかな
五十丁(ごじっちょう)山に入りて永平寺を礼(らい)す。
道元禅師)の御寺(みてら)なり。
邦機(ほうき)千里を避て、かかる山陰に跡をのこしたまふも、貴(とうと)きゆへありとかや。」
<現代語訳>
「丸岡の天竜寺の長老は古い知人だから訪ねた。また、金沢の北枝というものがちょっとだけ見送るといいつつ、とうとうここまで慕いついてきてくれた。その場その場の美しい景色を見逃さず句を作り、時々は句の意図を解説してくれた。その北枝ともここでお別れだ。
「物書て扇引さく余波哉」
(意味) <金沢の北枝としばらく同行してきたが、いよいよお別れだ。道すがら句を書きとめてきた扇を引き裂くように、また夏から秋になって扇をしまうように、それは心痛む別れなのだ>
◎ 天龍寺
元禄2年陰暦8月10日に江戸品川の天龍寺住職であり親交のあった大夢和尚を訪ね一泊している。
本堂向かって左側に芭蕉句碑「物書いて 扇引きさく なごりかな」が建つ。
芭蕉を慕って、金沢より案内してきた北枝(のくし)に別れの句を書いた扇を与えた。
またこの別れを彫った石像「なごりの碑」が本堂正面前に置かれている。
◎永平寺
「五十丁山に入って、永平寺にお参りする。道元禅師が開基した寺だ。京都から千里も隔ててこんな山奥に修行の場をつくったのも、禅師の尊いお考えがあってのことだそうだ。」と奥の細道に書き記しているだけで、永平寺を詠んでいる一句さえ残していない。
尊敬する道元禅師の「向かわずして愛語を聴くは、肝に銘じ、魂に銘ず 愛語よく回天の力あるを学すべきなり」という大好きな言葉がある。友が病や怪我で床に臥すと聞けば、目を閉じて祈りとともに愛語を送ることにしている。 かならずや相手の心に愛語が届くことを信じ、祈って、願って送っている。
「尋ね入る みやまの奥の 里なれば もとすみなれしみやこなりけり」 道元禅師
自分の落ち着く先をあちこち探し求め、山奥深くはいてみたが、そこにあった人里こそは、以前から慣れ親しんだ我家であった。修行であちこち歩いてきたが、その根本は自分の身近に存在していた
「いたづらに 過ごす月日は 多けれど道をもとむる 時ぞすくなき」 道元禅師
繰り返される毎日についての教え
「濁りなき 心の水に すむ月は 波もくだけて光とぞなる」
心のありかたの教え
樹齢700年といわれる鬱蒼とした老杉に囲まれた静寂にみおくられて福井に向かう。
こちらは、福井にある足羽山公園の駐車場に車を停め、自転車に乗り換えて芭蕉のたどった歌枕の地を走ること
にした。
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山中(温泉)マンホール蓋デザイン 松岡マンホール蓋デザイン
松岡・永平寺・福井を巡る②
福井につづく