shiganosato-gotoの日記

星の巡礼者としてここ地球星での出会いを紹介しています。

2017『星の巡礼・奥の細道紀行-句碑の前でわたしも一句』 51

2017『星の巡礼奥の細道紀行-句碑の前でわたしも一句』 51
 


8-3 金沢 ⇒ 小松・那谷寺 ⇒ 山中温泉 ⇒ 福井 <奥の細道紀行 8>
                芭蕉曽良は、金沢で長逗留したあと、小松・那谷寺を経由して山中温泉に向かう。
                ここから曽良と別行動をとる


 
山中温泉を自転車で巡る     2017年5月15日

那谷寺からは、県道11号線で、山中温泉に向かう。約11km、20分ほどで山中温泉に到着する。  


元禄2年(1689)陰暦
7月27日 小松より6里、約24km先の山中温泉に着く。
8月05日   芭蕉山中温泉より小松にもどる途中、北枝に案内されて那谷寺に立寄っている。


山中温泉は、有馬温泉に次ぐ名湯、行基菩薩によって発見されたと言われる。
芭蕉たちが8日間泊まったのは「泉屋」。14歳の主人・久米之助はこの時、入門を許され、芭蕉から「桃妖」の号を与えれている。
久米之助の伯父も俳人であり、自笑と号していた。

芭蕉は山中の名湯で、ゆっくり疲れを癒しながら、医王寺、道明が淵へ出かけ、散策を楽しんでいる。

 
山中温泉には大聖寺川が流れ、魅力的な自然美を見せる鶴仙渓を形づくっている。この川の東側の高台に約1kmにおよび温泉旅館が立ち並んでいる。
こちらも、山中温泉を代表する「総湯菊の湯」につかり、鶴仙渓はもちろん、芭蕉の足跡を自転車に乗って回ることにした。
まずは、山中温泉南端にある「道の駅山中温泉 ゆけむり健康村」の駐車場に車を停め、自転車に乗り換え、「蟋蟀橋」(こおろぎばし)を渡って「鶴仙渓遊歩道」の石段や凸凹道を自転車を担いだり、手押ししながら、うっそうとした木々が作る影や、碧い水が醸す渓流美を楽しみながら散策した。


山中温泉を自転車で巡るコース  3.5 km / 3.5 H>

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◎ 蟋蟀橋(こおろぎばし)
 
駐車場「道の駅 山中温泉」を北へ300m先の三叉路を右折し、「こおろぎ橋」へ向かう坂道の途中、右手の草むらに芭蕉句碑がある。
「かがり火に 河鹿や波の 下むせび」

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こおろぎ橋坂にある芭蕉句碑「かがり火に」                大聖寺川に架かる「こおろぎ橋」(蟋蟀橋)

 
◎ 道明が淵
 
近くの「あやとり橋」、慈母観音の右側に芭蕉句柱「心ちよや」が建つ。
江戸時代末期の文久年間に建てられた山中温泉で最も古い句碑「山中や」が建っている。
この道明が淵(青い淵をつくる鶴仙渓)は黒谷橋とともに芭蕉が最も愛した場所である。
「山中や 菊は手折らじ 湯のにほひ」
「心ちよや 扇投入れむ 渕の水」

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 あやとり橋・道明ケ淵 大聖寺川


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芭蕉句碑「山中や」                                 慈母観音と芭蕉句碑「心ちよや」

 
◎  「芭蕉堂」

芭蕉堂から、芭蕉も訪れた大聖寺川に架かる「黒谷橋」をわたると、急な坂道が山中温泉街に続いている。
元禄の時代、ここ芭蕉が愛した景勝の地「黒谷橋」は、大聖寺や那谷寺(那谷道)からの旅人を迎える
山中温泉へのにぎやかな入口であった。
芭蕉堂は、俳聖松尾芭蕉を祀る御堂で、例年句会や茶会が催されているという。

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山中芭蕉

◎黒谷橋
元禄の時代、ここ芭蕉が愛した景勝の地「黒谷橋」は、大聖寺や那谷寺(那谷道)からの旅人を迎える山中温泉へのにぎやかな入口であった。
黒谷橋の柱にはめ込まれた奥の細道の一節 「此の川のくろ谷橋は絶景の地や 行脚のたのしひ爰にあり  芭蕉」を見ることができる。
 
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景勝「黒谷橋」                                           黒谷橋の柱ににある「 奥の細道の一節」


◎ 「大木戸門跡」  
芭蕉曾良と別れた寂しさを「行く者の悲しみ、残る者のうらみ、隻(せき)ふのわかれて、雲に迷ふがごとし」と記している。
元禄2年(1689)、俳聖松尾芭蕉は、弟子の曽良を伴い江戸から奥の細道の旅に出て、山中温泉に8泊9日滞在した。
しかし、曾良は、腹の具合が悪く、伊勢の国長島に親族がいるので、先に発つことにした。
4か月にわたる二人旅は、この山中温泉で終わりを告げる。別れに際し二人はそれぞれの思いを句にしている。

「行き行きて たおれ伏すとも萩の原」  曽良
「今日よりや 書付消さん 笠の露」      芭蕉


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芭蕉曽良の別れの挨拶像


泉屋の跡
芭蕉が泊まった「泉屋の跡」にも、別れの芭蕉曽良句碑がある。

芭蕉山中温泉に8泊9日、泉屋旅館に滞在した。旅館の主である14歳の泉屋久米之助は、芭蕉から俳句の指導を受け、桃妖(とうよう)という名前をもらっている。この泉屋で芭蕉曽良は別れる。 奥の細道で苦楽をともにした二人が、あたかも二羽の鳥が、一羽一羽別れて雲間に迷うようだと涙を流しながら別れた場所である。
「行き行きて たおれ伏すとも 萩の原」  曽良
「今日よりや 書付消さん 笠の露」       芭蕉


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芭蕉曽良 子弟の別れを刻んだ石碑





                                              山中温泉を自転車で巡る ― ②
                                                  につづく