ここから曽良と別行動をとる
㉘山中温泉を自転車で巡る 2017年5月15日
元禄2年(1689)陰暦
7月27日 小松より6里、約24km先の山中温泉に着く。
久米之助の伯父も俳人であり、自笑と号していた。
芭蕉は山中の名湯で、ゆっくり疲れを癒しながら、医王寺、道明が淵へ出かけ、散策を楽しんでいる。
まずは、山中温泉南端にある「道の駅山中温泉 ゆけむり健康村」の駐車場に車を停め、自転車に乗り換え、「蟋蟀橋」(こおろぎばし)を渡って「鶴仙渓遊歩道」の石段や凸凹道を自転車を担いだり、手押ししながら、うっそうとした木々が作る影や、碧い水が醸す渓流美を楽しみながら散策した。
◎山中温泉を自転車で巡るコース < 3.5 km / 3.5 H>
◎ 蟋蟀橋(こおろぎばし)
「かがり火に 河鹿や波の 下むせび」
◎ 道明が淵
近くの「あやとり橋」、慈母観音の右側に芭蕉句柱「心ちよや」が建つ。
「山中や 菊は手折らじ 湯のにほひ」
「心ちよや 扇投入れむ 渕の水」
あやとり橋・道明ケ淵 (大聖寺川)
◎ 「芭蕉堂」
山中温泉へのにぎやかな入口であった。
山中芭蕉堂
◎黒谷橋
景勝「黒谷橋」 黒谷橋の柱ににある「 奥の細道の一節」
◎ 「大木戸門跡」
しかし、曾良は、腹の具合が悪く、伊勢の国長島に親族がいるので、先に発つことにした。
4か月にわたる二人旅は、この山中温泉で終わりを告げる。別れに際し二人はそれぞれの思いを句にしている。
「行き行きて たおれ伏すとも萩の原」 曽良
「今日よりや 書付消さん 笠の露」 芭蕉
◎ 泉屋の跡
芭蕉は山中温泉に8泊9日、泉屋旅館に滞在した。旅館の主である14歳の泉屋久米之助は、芭蕉から俳句の指導を受け、桃妖(とうよう)という名前をもらっている。この泉屋で芭蕉と曽良は別れる。 奥の細道で苦楽をともにした二人が、あたかも二羽の鳥が、一羽一羽別れて雲間に迷うようだと涙を流しながら別れた場所である。
「行き行きて たおれ伏すとも 萩の原」 曽良
「今日よりや 書付消さん 笠の露」 芭蕉
山中温泉を自転車で巡る ― ②
につづく