shiganosato-gotoの日記

星の巡礼者としてここ地球星での出会いを紹介しています。

2017『星の巡礼・奥の細道紀行-句碑の前でわたしも一句』 49

2017『星の巡礼奥の細道紀行-句碑の前でわたしも一句』 49
 
 
8-2 金沢 ⇒ 小松・那谷寺山中温泉 ⇒ 福井 <奥の細道紀行 8>
        芭蕉曽良は、金沢で長逗留したあと、小松・那谷寺を経由して山中温泉に向かう。
        ここ山中温泉から芭蕉は、曽良と別行動をとる


 
㉗ 小松から那谷寺をめぐる     2017年5月15日


芭蕉は、多くの金沢俳壇の関係者や、弟子たちに歓待され、9日間という長逗留を楽しんで、蕉風の広がりを感じつつ、小松へ向かう。


先に、小松から山中温泉までの芭蕉の行程を見ておくことにする。


<元禄2年陰暦>

7月24日  小松に到着し、近江屋に泊まる。 小松から北枝が同行する事に決まる。
       立花北枝芭蕉が金沢を訪れたとき入門し、先では蕉門十哲の一人になっている。


7月25日  小松の俳人たちのたっての願いで数日、小松に留まることにして、寺町にある北枝彫刻の
               芭蕉像が奉納されている建聖寺を訪問。
       その後、多太神社で木曽義仲の願状を見ている。 義仲との戦いに負けた斉藤別当実盛は
       かって幼い頃、義仲を助けたことがある。 義仲は実盛の菩提を弔うために願状にそえて兜と
       直垂を建聖寺に納めたといわれている。
       芭蕉は、謡曲「実盛」を思いながら、敵味方に分かれて戦った武将の恩愛に感動し、
       「むざんやな 甲の下の きりぎりす」の句を詠んでいる。


                  この日は忙しかったようで、そのあと日吉神社の神主藤村鼓蟾(こせん)宅で世古連句の会
       をもっている。
       この時の発句は、「しほらしき 名や小松吹 萩薄」である。 25日は藤井伊豆宅で泊まった。


7月26日   泥町の観生宅に招かれ、発句「ぬれて行くや人もをかしき 雨の萩」をもとに五十韻を残している。
                   はっきりしないが、近江屋か藤井伊豆宅のいづれかに泊まっている。


7月27日   小松を出立し、24km(6里)先の山中温泉に到着している。「宿・泉屋久米之介」に8日間全泊。


8月04日    山中温泉に8日間逗留、名湯でゆっくり休養、疲れをとったとことであろう。


8月05日   この日より曽良芭蕉と別行動をとり、三重県長島に向かっている。
                   小松への帰路、芭蕉は北枝とともに那谷寺(なたでら)を訪ねている。
                   那谷寺は、真言宗名刹、寺内には奇岩が多く配されていることで有名である。
                   この奇岩を見て「石山の 石より白し 秋の風」を詠んでいる。
                   白く曝された石と秋の風の白々とした寂しさを重ねて詠っている。


                    この日、金沢の万子に会うため小松に戻っている。
                    生駒万子は、連歌を通じて能順と親交のあった千石知行取りの加賀藩士である。
                    小松に戻った芭蕉は8月6日 小松天満宮で万子と出会っている。


                    ついでに日本一の連歌師といわれる能順にも触れておく。
                    能順は京都北野天満宮出で、小松天満宮の造営の際、別当として招かれ、
                   芭蕉が発句を奉納するときに出会っている。


 
小松は、加賀三代目藩主である前田利常の隠居地であり、小松サイクリングマップにも書きくわえているが、隠居まえから寺社の造営や移転に熱心であり小金沢の観がある。
産業の発展にも力を入れていたのか今でもその活気が受け継がれているようである。


先述した芭蕉の行程表で分かるように、7月24日(陰暦)に小松に着き、予定のなかった小松での句会に誘われ、7月27日に山中へ出立。山中温泉につかり、疲れをとったあと、曽良と別れ、8月5日に小松に引き返している。 途中、同伴の北枝とともに那谷寺(なたでら)を訪れている。


奥の細道 小松>
 
小松と云所にて、しをらしき 名や小松吹 萩薄
此所、太田の神社に詣。実盛が甲・錦の切あり。往昔、源氏に属せし時、義朝公より 給はらせ給とかや。げにも平士のものにあらず。目庇より吹返しまで、菊から草のほりもの金をちりばめ、竜頭に鍬形打たり。真盛討死の後、木曾義仲願状にそへて、此社にこめられ侍よし、 樋口の次郎が使せし事共、まのあたり縁起にみえたり。
むざんやな 甲の下の きりぎりす


<現代語訳>
小松というところで、しほらしき名や小松吹萩すゝき
当地、多太八幡神社に参詣した。神社には、斎藤別当実盛の兜と錦のひたたれの切れ端があった。これらは、その昔、実盛が源氏に仕えていた時分、源義朝公から拝領したものだという。このうち兜は、どう見ても下級武士の使うものではない。目庇から吹返しまで菊唐草模様に金をちりばめ、竜頭には鍬形が打ってある。実盛が討ち死にした後、木曾義仲はこの神社へ願状を添えてこれらを奉納したという。その折、樋口次郎兼光が使者となったことなども神社の縁起には書いてある。
むざんやな甲の下のきりぎりす



こちらは、金沢の金石港近くにある本龍寺の芭蕉句碑「小鯛さす 柳すずしや 海士が軒」を車で訪れ、
恐れながらわたしも一句「夕日落つ 蕉碑や影も 松の中」を吟じ、小松に向かった。


 
2017年5月15日
11:40本龍寺出発、金沢から小松までは国道8号線を走り約30km、1時間のドライブである。
12:40小松天満宮に車を停め、自転車に乗り換えて小松にたたずむ芭蕉句碑巡りに出かけた。


① 小松天満宮(小松神社)
                      参道中ほど右手に建つ芭蕉句碑「あかあかと 月はつれなくも秋の風 」愛で、
                    句碑の前で恐れながらわたしも一句「溶けなじむ 海面の夕日 夏の風」を吟ずる。


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小松天満宮(小松神社)                                 小松天満宮にある芭蕉句碑「あかあかと」

 
② 兎橋神社(うばしじんじゃ・諏訪神社
                  参道入口にある鳥居の手前右手に建つ
                  芭蕉句碑「しをらしき 名や小松吹 萩薄」がある。

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兎橋神社                                              兎橋神社にある芭蕉句碑「しをらしき」

③ 建聖寺(けんしょうじ)、寺町の一方通行の路地にある。 道に面して「芭蕉翁塚」とここにも芭蕉句碑が建つ。
       「しをらしき 名や小松吹 萩薄」、恐れながらわたしも一句「寺町の 路地裏抜ける 夏の風」
       見つけにくいお寺であったが、地元の人のあたたかい案内があり助けていただく。
       お世話いただいた方によると、本堂には芭蕉翁の木像が安置されているとのことだが、
       住職ご不在により残念ながら対面かなわず。


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建聖寺本堂                                          建聖寺にある芭蕉句碑「寺町の」と「翁塚」


④ 本折日吉神社(もとおりひよしじんじゃ)、曽良日記にある山王神社藤井伊豆宅とは、
       ここ本折日吉神社のことらしい。 社殿左側に「芭蕉翁留杖之地」とあり、間違いなさそうである。
       他面に芭蕉「しをらしき 名や小松吹 萩薄 」が彫られている。


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本折日吉神社                                         
正面向かって左 : 本折日吉神社にある「芭蕉翁留杖之地」石碑
         右  : 芭蕉句「小松吹 萩薄」が刻まれた石柱
 
⑤ 多太神社(ただじんじゃ)石鳥居手前の台座に兜が置かれている。 参道に芭蕉翁像が建ち、
        側の竹囲いの中に芭蕉句碑がある。詳しくは、先述の奥の細道の現代語訳を参照されたい。
         「むざんやな 甲の下の きりぎりす」
       恐れながらわたしも一句詠じる蚯蚓ども あけてびっくり 石の下」

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多太神社参道入り口に建つ「芭蕉翁像」             芭蕉句碑「むざんやな」( 多太神社)
 
14:30 小松の芭蕉句碑巡りを終えて、小松天満宮の駐車場に戻る。

 
◎小松の芭蕉句碑をめぐるサイクリング  <約9km/ 1時間50分コース>

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             小松の芭蕉句碑を自転車で巡ったあと
 
                                  「那谷寺に立ち寄って山中温泉向かう

                                                        につづく