奥の細道むすびの地・大垣の水門川遊歩道に並ぶ
芭蕉句碑を自転車で巡る―Ⅱ
① 「行春や鳥啼魚の目は泪」
陰暦三月二十七日。あけぼのの空は春霞にかすみ、有明の月はすでに光を失って、富士の峰がうっすらと見えてきた。上野や谷中の桜の花には、また再び相まみえることができるのだろうかと、ふと不安が心をよぎる。親しい人々はみな前夜からやってきて、共に舟に乗って見送ってくれる。千住というところで舟をあがると、前途三千里の遥かな旅路が胸に迫って、夢まぼろしの世とはいいながら、別離の悲しみに、涙が止まらない。 <江戸深川・東京>
② 「あらたふと青葉若葉の日の光」
弘法大師がこの御山を開いたときに音を合わせて「日光」と改めたという。大師は、千年の後のこの繁栄を予見されたのであろうか。東照宮大権現様以来の徳川家のご威光は、日の光のように天空に輝き、その恩沢は八方にあふれ、士農工商すべての人々はみな安堵した生活をおくっている。 <日光・栃木>
③ 「田一枚植て立去る柳かな」
西行の、「しばしこそとてたちどまりつれ」 に誘われて、 芭蕉もここに立ち止まったのである。その瞬間から芭蕉は西行の時間の中に居る。その夢想の時間の間に早乙女たちは一枚の田んぼを植え終えた。田を立ち去る乙女たちに同期して芭蕉一行もこの場を立ち去ったのである。 <遊行柳・芦野・茨城>
④ 「世の人の見付ぬ花や軒の栗」
この須賀川の宿場のすぐ傍に、多きな栗の木の下に庵をあんで、隠遁生活をしている僧がいるという。西行法師の歌「山深み岩にせかるゝ水ためんかつかつ落るとちひろふほど」の深山の閑寂さとは、さぞやこんな具合なのだろうと思えたので、懐紙につぎのような言葉を書きとめた。 <須賀川・福島>
⑤ 「笠島はいづこ五月のぬかり道」
鎌倉に馳せ参ずる義経一行が馬の鐙を擦ったと言い伝えられる「鐙摺」の細道、白石の城下を過ぎて、笠島に入ってきた。藤中将実方の塚は何処かと人に尋ねると、「こっから遥か右の方さ見える山際の里だら、箕輪・笠島と言ってぇ、道祖神も藤中将形見の薄なども残っているんだでば」と言う。このところの五月雨で道はぬかるみ、身体も疲れていたので、遠くから眺めるだけで通り過ぎることにした。 <笠島・白石・宮城>
⑥ 「夏草や兵どもが夢の跡」
弁慶や兼房など選りすぐりの義臣、この城に立てこもって戦ったものの、その功名も一時の夢と消え、すべては夏草の中に埋もれて果てた。まさに、「国破れて山河あり、城春にして草木深し」。旅笠を脇に置いて、草むらに腰を下ろし、長いこと涙を落としていたことだった。 <平泉・岩手>
⑦ 「蚤虱馬の尿する枕もと」
この地域では馬屋は住居の中にあった。してみれば蚊も虱も蚤も一緒に住んでいたに違いない。馬が放尿するのはいたく当然のことだから、その猛烈な音に目が覚めることも至極尤もなこと。 <封人の家・最上町・山形>
⑧ 「涼しさをわが宿にしてねまるなり」
尾花沢では清風を訪ねた。清風は、金持ちだが、その心持ちの美しい男である。都にもしばしば行き、それゆえに旅の情をもよく心得ている。数日間泊めて長旅の疲れを労ってくれ、またさまざまにもてなしてくれた。
<尾花沢・山形>
⑨ 「閑さや岩にしみ入蝉の声」
山寺は、岩に巌を重ねて山となしたというほどの岩山で、松柏は年輪を重ね、土石も古く苔は滑らか。岩上の観明院・性相院など十二院は扉を閉じて、物音一つしない。崖をめぐり、岩を這って、仏閣を拝む。その景は静寂にして、心の澄みわたるのをおぼえる。<立石寺・山寺・山形>
⑩ 「五月雨を集めて早し最上川」
川の左右が山に覆われているので、まるで茂みの中を舟下りするようなことになる。この舟に稲を積んだのを稲舟といい、「もがみ川のぼればくだるいな舟のいなにはあらず此月ばかり」と詠われたりしている。白糸の滝は青葉の木々の間に落ち、源義経の下臣常陸坊海尊をまつる仙人堂は河岸に隣接して立っている。水を満々とたたえて舟は危うい。 <大石田・山形>
⑪ 「ありがたや雪をかをらす南谷」
この家、千川亭の主人は、この立派な屋敷から、毎日まいにち伊吹の雪を眺めながら冬を越すのですね。
<大垣・岐阜>
⑭ 「荒海や佐渡によこたふ天河」
元禄2年7月7日、新潟県直江津での 佐藤元仙宅での句会での発句として掲出されたもの。ただし、この夜、芭蕉が滞在していた直江津界隈は朝から雨で、夜になっても降り止まなかったらしいから、芭蕉は天の川を見ていない。とすればそれより以前に作ったものをこの夜発表したということであろう。 <出雲崎・越後・新潟>
ふすまを隔てた南側の部屋で、若い女二人ほどの話す声が聞こえる。年老いた男の声も混じって、彼らが話すのを聞けば、女たちは越後の国新潟の遊女らしい。伊勢神宮に参詣するために、この関所まで男が送ってきて、それが明日新潟へ戻るので、持たせてやる手紙を認めたり、とりとめもない言伝などをしているところらしい。
「白なみのよする汀に世をすぐすあまの子なれば宿もさだめず」と詠まれた定めなき契り、前世の業因、そのなんと拙いものかと嘆き悲しんでいるのを、聞くともなく聞きながらいつしか眠りについた。
<市振の宿・桔梗屋・越後の国・新潟>
⑯ 「早稲の香や分け入る右は有磯海」
有磯海は富山湾。旧暦7月中旬ともなれば既にここ早場米地帯の米は穂が出て豊作を報せていたはず。
⑰ 「あかあかと日はつれなくも秋の風」 (典文小学校前)
一句は忍び寄る秋を「目にはさやかに見えねども」感じ取っている季節の変わり目を描く。背後に「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」『古今集』(藤原敏行)がある。「つれなくも」は、さりげなくとかそ知らぬさまの意。
⑱ 「しほらしき名や小松吹萩すすき」
かわいい名前だ、小松とは。その浜辺の小松にいまは秋の風が吹いて萩やススキの穂波をなびかせていることだ。<小松・福井>
⑲ 「石山の石より白し秋の風」
那谷の秋は、ここ白山の白い石よりもっと澄明な秋だ。風水から、秋の色彩は白と決まっている。
<那谷寺・小松・石川>
⑳ 「庭掃いて出でばや寺に散る柳」
秋風を聞きながら、全昌寺の宿寮に泊まる。夜明けちかく澄んだ読経の声を聞く。やがて鐘板が鳴ったので食堂に入る。今日は越前の国へ行くのだとあわただしく食堂を出ると、若い僧たちが紙や硯をもって、階段の下まで追ってきた。丁度そのとき庭の柳の葉の落ちるのが見えたので、とっさの即興吟として、草鞋を履いたまま走り書きした。旅人が寺に止めてもらった翌日は山内の清掃をして出て行くのがならわしである。
<全昌寺・加賀・石川>
㉑ 「名月や北国日和定めなき」
福井は年間降雨量が2,700ミリ以上という多雨地域(ちなみに少雨地域の兵庫県は年間降雨量700ミリ以下)である。加えて、仲秋の名月 の頃といえば、秋雨前線の発達する時期。この頃ともなると北陸越前では主人に聞かずとも、いたって変わり易い天候になるのだ。 <敦賀・福井>
㉒ 「寂しさや須磨に勝ちたる浜の秋」
㉓ <住吉橋> (朱橋)
伊勢へ向かった芭蕉が舟立ちした住吉橋 (水門川) 江戸後期の住吉燈台(水門川)
2017年5月17日06時53分 わたしの奥の細道・恐れながらわたしも一句紀行・大垣着
㉕ 「蛤のふたみにわかれ行秋ぞ」
㉖ <日本最古の翁塚がある正覚寺>
戸を開けば西に山あり、伊吹といふ。花にもよらず、雪にもよらず、 ただこれ孤山の徳あり とある。
<大垣・岐阜>
むすびの泉で口をすすぎ「むすびの地」 無事到着を祝う。
奥の細道むすびの地記念館にある「むすびの泉」で完走を祝う
奥の細道むすびの地 大垣を自転車で走る―Ⅲ
へつづく