1.日光⇒黒羽⇒芦野⇒白河 <奥の細道紀行1>
③ 黒羽(くろばね)-3
■⑦黒羽・明王寺境内右手 地図5
余瀬で催された歌仙の中の句で、「石の上に立って今日も朝日を拝む行者の姿」を詠んだもの
<解説版より>
「芭蕉は元禄2年(1689)4月3日より黒羽を訪れ14日間滞在、その間に河川の興行があった。
秣(まぐさ)おふ 人を枝折の 夏野哉 芭蕉
を発句とした36句の中から、明王寺の境内に最も相応しい句として、
今日も又 朝日を拝む 石の上 芭蕉
を選び石に刻んだ。 昭和63年2月14日 蓮実 記す。」
實久「白き花 おのれ隠さじ 山法師」 (しろきはな おのれをかくさじ やまぼうし)
わたしも一句「白き花 おのれ隠さじ 山法師」、境内を散策しながらの句作もこころ弾むひと時である。
この白き花は、わたしを出迎えてくれた明王寺境内に咲く白い山法師たちの歓び溢れた笑顔を詠ん
だものである。
明王寺をでて常念寺にもどり、西に延びるのどかな田園風景を愛でながら1kmほど走ると、右手の
路傍に「修験光明寺跡」をしめす一本の柱(標識)が立つ。
道にある標識から土手をのぼると、木陰に隠れた竹林にひっそりと芭蕉句碑「夏山に」がたたずん
でいる。
路傍に一本の標識「修験光明寺跡」がある、見落としに注意
■⑧黒羽・修験光明寺 地図2
光明寺には役(えん)の行者のものと伝えられる下駄が安置されている。その下駄を拝むことで遥かな
奥州への旅の無事をも祈っている。ここ那須野を過ぎればいよいよみちのくに入る
實久 「峰々の 行者行き交ふ 夏の役」 (みねみねの ぎょうじゃゆきかふ なつのえん)
「芭蕉の里・解説板」があるので一部抜粋しておく
(午後9時過)迄で浄法寺図書宅へ帰った。
<夏山に 足駄を拝む 首途哉> とある。
を祈り、その健脚にあやかろうとして詠んだものであろう。」
「時」の流れに、儚(はかなさ)を感じる。
つかった草履(足駄)を拝みに立寄ってから328年後のいま、そこには芭蕉の句碑だけがひっそりと
わたしを迎えてくれている。
しかし、頭の中には当時の修験にはげむ役行者の行き交う姿が浮かんでは消えていくではないか。
「峰々の行者行き交ふ 夏の役」 と詠んでみた。
「夏山に 足駄を拝む 首途哉」
さらに自転車を先に走らせ、最初の交差点を右にとり500mほど先の左手に野寺の趣のある「西教寺」
がある。
山門もない境内のひろがりから、曽良句碑「かさねとは」が目に飛び込んでくる。
■⑨ 西教寺境内 地図3
子供たちが、二人の乗る馬を追ってきた。ひとりは女の子で「かさね」という、かわいい名前なので
心に止めおきたい
<奥の細道> 那須の黒ばね*と云所に知人あれば、是より野越にかゝりて、直道をゆかんとす。遥に一村を見かけて行に、雨降日暮る。農夫の家に一夜をかりて、明れば又野中を行。そこに野飼の馬あり。草刈おのこになげきよれば、野夫といへども、さすがに情しらぬには非ず。「いかヾすべきや。されども此野は縦横にわかれて、うゐうゐ敷旅人の道ふみたがえん、あやしう侍れば、此馬のとヾまる所にて馬を返し給へ」とかし侍ぬ。ちいさき者ふたり、馬の跡したひてはしる。独は小姫にて、名を「かさね」と云。聞なれぬ名のやさしかりければ、かさねとは八重撫子の名成べし 曾良、 頓て人里に至れば、あたひを鞍つぼに結付て馬を返しぬ。
<現代語訳> 那須の黒羽というところに知人がいるので、ここから「道多きなすの御狩の矢さけびにのがれぬ鹿のこゑぞ聞ゆる」の歌で知られた那須野を横切って、近道を行こうとした。遥か前方の一村を目ざして行くに、雨が降ってきて、日も暮れてきた。農夫の家に一晩泊めてもらい、朝になってまた野中を行く。そこに馬が一頭草を食んでいた。草刈の農夫に事情を話すと、田舎者だが情け知らずではない。「どうすっぺぇか? この野原は道があっちこっちに分かれてて、他所者には迷うだんべ。わしも心配だから、この馬に乗ってって、この馬が止まるとこでこれを返してくんなんしょ」と言って馬を貸してくれた。
子供たちが二人、馬の後を追ってきた。一人は少女で、その名を「かさね」という。聞きなれない
ものの、かわいい名前なので、かさねとは八重撫子の名成べし 曾良 まもなく人里に着いたので、
謝礼を鞍壺に結わえて馬を返した。
西教寺より翠桃邸を経て、野道を風に押されて自転車は玉藻稲荷神社に向かう。
西教寺から玉藻稲荷まで15kmほどある。サドルにまたがり1時間ほどのんびりと田植風景に遊んだ。
駐車場に自転車をとめ、玉藻稲荷神社の立派な参道を本殿にむかう。
■⑩ (玉藻稲荷神社) 地図4
この広い那須野では道が分からない。あの秣(まぐさ・馬草)を背負って歩いている男を道標に
して歩いていけば大丈夫
實久 「山桜 風吹き去るも 物見かな」 (やまざくら かぜふきさるも ものみかな)
玉藻稲荷神社にある芭蕉句碑「まぐさおふ」と スタンプ
玉藻稲荷神社は、昔、狐の化身でありながらその姿の美しさから帝に寵愛された「玉藻の前」という
美女がいた。
しかし帝の病気の折の祈祷でその正体を現した9尾の狐は、この地に逃げ込み、蝉に身を変え桜の
木の陰に隠れていたが、池「鏡が池」に映った本当の姿を見付けられ討たれてしまった、という悲しい
伝説の地である。
の郷」への帰路につく。
日光⇒黒羽⇒芦野⇒白河 <奥の細道紀行1>
③ 黒羽(くろばね)-4 につづく