⑤白河の関を自転車で走る-2
恐れながらわたしも一句
實久 「関越えの 東夷や 擬宝珠花」 (せきごえの あずまえびすや ぎぼしばな)
国道294(旧奥羽街道)をJR白河駅方面に車を走らせ、国道289との交差を右折、南湖を過ぎて左折、約1km先棚倉街道と鹿島街道の分岐点に「宗祇戻し」がある。
「宗祇戻しの碑」解説板には次のように紹介されている。
<室町時代を代表する連歌師・飯尾宗祇は、文明13年(1481)、鹿嶋神社で催された連歌興行に参加するため白河を訪れました。
このとき通りかかった婦人に連歌興行のことを尋ねると既に終わったと知らされました。婦人が綿を背負っていたので、戯れに
「その綿は売るか」
とたずねると、婦人
「阿武隈の 川瀬にすめる 鮎にこそ うるかといへる わたはありけれ」
と和歌でこたえたため、宗祇は陸奥の風流を感じ、ここから京へ引き返したと伝えられています。>
芭蕉句碑 「早苗にも」 宗祇戻しの碑
宿泊を予定していた須賀川グランドホテルに着くが、全館暗闇の中にある。
時間も遅く、疲れもあり仮眠の場所をさがし、ホテルの斜め向かいにある翠ヶ丘公園駐車所に車を止めた。
しかし深夜、パトロール中の警官に声をかけられ、尋問されるハプニングに出会った。
以降の旅行中の車中泊は、道の駅等のオープンスペースでお世話になることとなった。
須賀川でのサイクリング拠点「翠ヶ丘公園駐車場」
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自転車を走らすと、当時をしのぶことのできる、大きな土蔵や格子造りの家に出会う。
(現在のNTT)を訪ね29日まで逗留している。
この句を発句として、曽良と三人で歌仙をもったり、等躬宅の裏にある僧・可伸の住む可伸庵を訪れ、
一緒に蕎麦を食している。
青春時代の淡い恋の味に満たされた。
万葉の花・三枝(さきくさ)
(はるされば まづさきくさの さきあらば のちにもあはむ なこひそわぎも)
意味 :春になると咲く三枝(さきくさ)の花のように幸せならば、そんなに恋を焦らずに、後で会っても良いでしょう。ね、君。
◎須賀川サイクルリング・ルートマップ
◎恐れながらわたしも一句
⑥須賀川 | ||
「五月雨の 滝降うづむ 水かさ哉 」 | 乙字ケ滝・ | 「五月雨の 降らむ乙字も 滝姿」 |
さみだれの たきおりうづむ みかさかな | お堂正面左手 | さみだれの ふらむおつじも たきすがた |
「世の人の 見付けぬ花や 軒の栗 」 | 可伸庵跡 | 「時経るや ひとも去らしむ 栗の庵」 |
よのひとの みつけぬはなや のきのくり | (ときへるや ひともさらしむ くりのあん) | |
「風流の 初めや奥の 田植うた」 | 十念寺 | 「老いてなほ 枝垂桜の 十念寺」 |
ふうりゆうの はじめやおくの たうえうた | おいてなほ しだれざくらの じゅうねんじ | |
「五月雨 耳飛泉婦梨う津む水可佐哉」 | 翠ケ丘公園・ | 「翠なる 桜も遅し 隠れ須賀」 |
さつきあめにたきふりうづむ みずかさや | 博物館前庭 | みどりなる さくらもおそし かくれすが |
今日は、乙字ケ滝まで足をのばす約17kmのロングランになりそうである。
朝6時、水と食料を自転車に積み込み歴史民俗博物館にある芭蕉句碑「五月雨に・・」向けてスタートを切る。
立寄った博物館の駐車場向かって右手奥に巨石の芭蕉句碑がある。
芭蕉句碑「五月雨 耳飛泉婦梨う津む」
芭蕉 「五月雨 耳飛泉婦梨う津む 水可佐哉」 (さつきあめ にたきふりうづむ みずかさや)
意味 : 1805年(文化2年)一之坊によって乙字の滝畔に建立されたが、洪水で流されたあと須賀川市内を
転々として、ようやくこの地に安住することとなったことよ
恐れながらわたしも一句
實久 「翠なる 桜も遅し 隠れ須賀」 (みどりなる さくらもおそし かくれすが)
芭蕉句碑は山門を入ってすぐ右側の老松の下にある。
山門入って右に芭蕉句碑、正面に枝垂桜と本堂
恐れながらわたしも一句
芭蕉が参拝した八幡社を合祀している神炊館神社 等躬の句碑と墓がある長松院
⑥須賀川を自転車で走る-2 につづく