shiganosato-gotoの日記

星の巡礼者としてここ地球星での出会いを紹介しています。

2017『星の巡礼・奥の細道紀行-句碑の前でわたしも一句』 17

2017『星の巡礼奥の細道紀行-句碑の前でわたしも一句』

2‐1  白河の関須賀川飯坂温泉奥の細道紀行 2>
白河の関を自転車で走る-2     

 
5月下旬に咲く芭蕉も愛でた卯の花は、残念だが見ることが叶わなかった。
自転車を押しながら、白河の関跡に隣接する「白河関の森公園」を散策していると、芭蕉曽良の像に出会った。
その台座に芭蕉曽良の二句が刻まれている。

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             白河関の森公園」にある芭蕉曽良の像                 
                                             台座正面に芭蕉曽良の二句がみられる

 
芭蕉    「風流の 初めや奥の 田植え歌」    (ふうりゅうの はじめやおくの たうえうた)


曽良    卯の花をかざしに関の晴着かな」    (うのはなを かざしにせきの はれぎかな)


恐れながらわたしも一句   
實久  「関越えの 東夷や 擬宝珠花」   (せきごえの あずまえびすや ぎぼしばな)


 
白河の関跡を後にして、往路と同じ道「卯の花街道」の山道のカービングを楽しみながら「境の明神」駐車場に帰着。
須賀川に向かう途中、芭蕉の句碑がある「宗祇戻し」(そうぎもどし)に立寄る。
国道294(旧奥羽街道)をJR白河駅方面に車を走らせ、国道289との交差を右折、南湖を過ぎて左折、約1km先棚倉街道と鹿島街道の分岐点に「宗祇戻し」がある。
室町時代連歌師歌人)宗祇がある婦人に声をかけたところ、見事な和歌で返され、大いに恥じて都へ帰ったと伝わる有名な場所である。


白河市旭町の一角の小公園に、曽良旅日記・俳諧書留にでてくる「早苗にも」が刻まれた芭蕉句碑が立ち、その横に「宗祇戻しの碑」が建つ。
芭蕉一行は須賀川の相楽等躬から「宗祇戻し」の話を聞いて、立寄ったようである。
 
「宗祇戻しの碑」解説板には次のように紹介されている。

室町時代を代表する連歌師飯尾宗祇は、文明13(1481)、鹿嶋神社で催された連歌興行に参加するため白河を訪れました。
このとき通りかかった婦人に連歌興行のことを尋ねると既に終わったと知らされました。婦人が綿を背負っていたので、戯れに
「その綿は売るか」
とたずねると、婦人
阿武隈の 川瀬にすめる 鮎にこそ うるかといへる わたはありけれ」
と和歌でこたえたため、宗祇は陸奥の風流を感じ、ここから京へ引き返したと伝えられています。>



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 芭蕉句碑 「早苗にも」                                        宗祇戻しの碑

 
いよいよ江戸時代、奥州街道屈指の宿場町として栄えた須賀川宿に入る。
宿泊を予定していた須賀川グランドホテルに着くが、全館暗闇の中にある。
時間も遅く、疲れもあり仮眠の場所をさがし、ホテルの斜め向かいにある翠ヶ丘公園駐車所に車を止めた。
しかし深夜、パトロール中の警官に声をかけられ、尋問されるハプニングに出会った。
奥の細道を句作旅行中であること、今夜の宿の閉館の事を告げると、須賀川グランドホテルはホテルの役目を終え、エキシビジョンホールに転業したとの説明を受けることとなった。


以降の旅行中の車中泊は、道の駅等のオープンスペースでお世話になることとなった。

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須賀川でのサイクリング拠点「翠ヶ丘公園駐車場」


 
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-  白河の関須賀川飯坂温泉奥の細道紀行 2>


須賀川を自転車で走る-1     201758日>


 


須賀川は江戸時代において、奥州街道屈指の宿場町として多くの旅人を魅了した。
自転車を走らすと、当時をしのぶことのできる、大きな土蔵や格子造りの家に出会う。


白河の関を越え、宗祇戻しをへて須賀川には5月22日に着き、奥州俳壇の第一人者・相良等躬宅
(現在のNTT)を訪ね29日まで逗留している。


等躬に白河の関越えはどうだったかと尋ねられ、芭蕉は「風流の 初やおくの 田植歌」と応えている。
この句を発句として、曽良と三人で歌仙をもったり、等躬宅の裏にある僧・可伸の住む可伸庵を訪れ、
一緒に蕎麦を食している。


 
芭蕉曽良が長逗留した三枝(さきくさ)の花咲く須賀川の翠ヶ丘公園駐車場で目が覚めた。


黄色い三枝の花に札が吊るされており、柿本人麻呂が詠った和歌(万葉集)が添えられている。
青春時代の淡い恋の味に満たされた。

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万葉の花・三枝(さきくさ)
 
 
柿本人麻呂   「春されば まづ三枝の幸あらば 後にも逢はむ、な恋ひそ我妹」
                      (はるされば まづさきくさの さきあらば のちにもあはむ なこひそわぎも)


意味 :春になると咲く三枝(さきくさ)の花のように幸せならば、そんなに恋を焦らずに、後で会っても良いでしょう。ね、君。


須賀川サイクルリング・ルートマップ

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◎恐れながらわたしも一句
 
須賀川    
「五月雨の 滝降うづむ 水かさ哉 」 乙字ケ滝・ 「五月雨の 降らむ乙字も 滝姿」
さみだれの たきおりうづむ みかさかな お堂正面左手 さみだれの ふらむおつじも たきすがた
「世の人の 見付けぬ花や 軒の栗 」 可伸庵跡 「時経るや ひとも去らしむ 栗の庵」
よのひとの みつけぬはなや のきのくり   (ときへるや ひともさらしむ くりのあん)
「風流の  初めや奥の 田植うた」 十念寺 「老いてなほ 枝垂桜の 十念寺
ふうりゆうの はじめやおくの たうえうた   おいてなほ しだれざくらの じゅうねんじ
「五月雨 耳飛泉婦梨う津む水可佐哉」 翠ケ丘公園・ 「翠なる 桜も遅し 隠れ須賀」
さつきあめにたきふりうづむ みずかさや 博物館前庭 みどりなる さくらもおそし かくれすが


 
今日は、乙字ケ滝まで足をのばす約17kmのロングランになりそうである。
朝6時、水と食料を自転車に積み込み歴史民俗博物館にある芭蕉句碑「五月雨に・・」向けてスタートを切る。
 
立寄った博物館の駐車場向かって右手奥に巨石の芭蕉句碑がある。

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芭蕉句碑「五月雨 耳飛泉婦梨う津む」

芭蕉   「五月雨 耳飛泉婦梨う津む 水可佐哉」  (さつきあめ にたきふりうづむ みずかさや)
意味 :  1805年(文化2年)一之坊によって乙字の滝畔に建立されたが、洪水で流されたあと須賀川市内を
            転々として、ようやくこの地に安住することとなったことよ

恐れながらわたしも一句
實久   「翠なる 桜も遅し 隠れ須賀」   (みどりなる さくらもおそし かくれすが)

幕末の女流俳人、市原多代(須賀川出身)が建てた芭蕉句碑が待つ、次なる十念寺に向かう。
この墓地の片隅に東京オリンピック・マラソン銅メダリスト、円谷幸吉の墓がある。

芭蕉句碑は山門を入ってすぐ右側の老松の下にある。

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 山門入って右に芭蕉句碑、正面に枝垂桜と本堂

芭蕉   「風流の  初めや奥の 田植うた」   (ふうりゆうの はじめやおくの たうえうた)


恐れながらわたしも一句
實久   「老いてなほ 枝垂桜の 十念寺   (おいてなほ しだれざくらの じゅうねんじ)


 十念寺をでて、芭蕉が参拝した八幡社を合祀している神炊館(じんすいかん)神社、等躬の句碑と墓がある長松院を経て、芭蕉記念館に近く、NTT裏手にある「可伸庵跡」に向かう。

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芭蕉が参拝した八幡社を合祀している神炊館神社            等躬の句碑と墓がある長松院

    
 
   白河の関須賀川飯坂温泉奥の細道紀行 2>
                    須賀川を自転車で走る-2 につづく