2020『星の巡礼 淡路島一周サイクリング老人の旅』②
《第二日目 由良生石⇒明神の浜》
■ 2日目 <2月19日> 快晴
<由良生石(おいし)―相川―畑田―土生―阿万―福良―大鳴門橋―阿那賀―
津井―松帆―五色―都志―明神の浜>
<由良生石(県道76/淡路水仙ライン)-阿万(県道25)-福良(県道25)-
道の駅うずしお(県道25)―松帆(県道31)-都志―明神の砂浜>
走行距離 87KM : 走行休憩時間 13H
△2日目露営地 : 山田漁港先 明神の砂浜
凍でつく寒さのなか5時起床、さっそくガスコンロに火をつけ、体を温めるためにインスタントラーメンを作り流し込む。残り湯でコーヒーを沸かして一服。
テント内の湿気を乾かすために張りおいて、紀伊水道の防人である<生石鼻灯台>へ散策に出かける。
生石公園の紅白の梅の花が咲き誇り、梅香るなかで紀伊水道に浮かぶ友ケ島を遠望。
散策より戻り、撤収作業、感謝の祈りを捧げて一気にかけ下り、淡路水仙ラインである県道76の分岐に向かった。
途中、生石公園第一駐車場にあるWCに立寄り、用を足し、洗顔し、水を補給した。(雨水なので煮沸使用)
紀淡海峡から朝日が昇る 出発準備のためのパッキング
友ケ島は江戸幕府のころから大阪湾に出入りする船舶を監視する上で重要な位置であることから、紀州藩が加太に友ケ島奉行を置き藩士を常住させていたほか、明治21年には陸軍の軍用地として友ケ島一帯は由良要塞となり、第2次大戦が終わるまで一般人は近づくことも禁止されていた。
<南淡路水仙ラインー県道76を走る>
岩屋よりスタートしたアワイチ(淡路島一周サイクルロード)は、ここ由良生石(標高2.6m)より第一の峠(標高138m)への急登から始まる<南淡路水仙ライン>に入って行く。
県道76号線の一部である<南淡路水仙ライン>は、ここ由良生石より阿万(県道25との分岐)までの約20㎞の区間を呼ぶことにする。
<南淡路水仙ライン>の起点<生石公園>分岐 県道76の分岐に戻り、急登を駆け上がる
水仙ラインは1.6㎞に渡り急勾配8%の表示 サイクルロード標識(岩屋より45㎞地点)
峠にある<立川水仙郷>
<南淡路水仙ライン> (県道76号線)
第一難関の峠(標高166m)を越えると、沼島を浮かべている大海原が目に飛び込んでくる。
峠を下ると素晴らしい海岸沿いの弾丸サイクルライン<南淡路水仙ライン>である。
<南淡路水仙ライン>は、峠に始まり峠に終わるが、その間の海岸弾丸道路はサイクリストの桃源郷である。
多くのサイクルグループがスピードを競って、弾丸のように一列になって風を切って走り去る姿は、つむじ風のようである。
<南淡路水仙ライン>の快走路 (背後の島は沼島)
アワイチの醍醐味は、多くのサイクリストを魅了する条件の一つであるタイム・チャレンジができることであろう。タイムレースに挑戦できることである。
ここ<南淡路水仙ライン>は、サイクル条件である車の量、大型車からの風圧やアップ&ダウンそして難路が少なく、タイムアップできる数少ない平坦地のつづく区間であるといえる。
10・8・6時間切りを目標にするタイムレース中のサイクリストにとって、ここは時間短縮をはかれるサイクル区間であるといって言い。
そのタイムレースの中に紛れ込んで、古風なサイクリングを楽しんでいる2泊3日の老サイクリストもいるのである。
タイムレースもいいが、風に遊び、雲に導かれ、海と語り、テントから天の川に紛れ込み、俳句を作り、詩吟を吟じる。そして火をおこし、熱いコーヒーを流し込む。
なんとロマンチックなサイクルの旅ではないか。
風に吹かれてさまようサイクリングも又いい。
<南淡路水仙ラインを沼島目指して快走>
南淡路水仙ラインでは、<立川水仙郷>・<淡路島モンキーセンター>・<灘黒岩水仙郷>に立寄ることが出来る。
お猿さんが潮塩をなめる姿に出会う 海鵜たちもサイクリストに声援を送ってくれる
サイクリストのパラダイス<水仙ライン>
<神話の沼島 と 沼島水軍>
ここ土生(はぶ)港より、神話の島<沼島>への連絡船が出ている。自転車は土生港に駐輪。
先にも述べたが、沼島は古事記にでてくる神話<国生み>の島の一つである。
島には、港の右手丘にある自凝神社(オノコロじんじゃ)、港より島を横断し約20分で行ける東岸に突き立つ「上神立岩」や、 港の観光案内所の近くにある神宮寺に梶原景時の墓がある。
自凝神社(オノコロじんじゃ)は、国生みの神話に出てくるイザナギ・イザナミの二神が祀られ、結ばれて生まれたのがここ沼島といわれる。
上神立岩は、高さ30mで、国生み神話の「天の御柱」といわれ、竜宮城伝説の表門ともいわれている。
ここ淡路島土生と沼島の間には、沼島汽船が運航している。 天候により出航決定は、定時の20分までに船長によってなされる。
便数は6時より18時までの、10・12・16時を除いた10便である。 所要時間は10分。
運賃は480円である。 出航の確認は、沼島汽船土生営業所:0799-56-9644にて確認のこと。
鎌倉時代、武家の棟梁源頼朝の側近であった梶原景時は、頼朝の死(1199‐建久10年)と同時に頼朝の妻・政子の実家である北条氏をはじめ有力な御家人たちにより鎌倉から追放され、静岡あたりで首を討ちとられる。
逃げのびた一族は、源平の合戦以来、配下にあった沼島水軍の本拠地であった沼島に居を構え、梶原景時の霊を祭ったという。
沼島汽船<しまちどり 土生⇔沼島> 沼島港マップ
自凝神社(オノコロじんじゃ) <沼島> 上神立岩
<淡路島と承久の乱>
源氏が滅んだあと(1218―建保6年)、朝廷(京都)が政権奪取のため挙兵した「承久の乱」(1221)において、淡路国の守護と武士たちは朝廷に味方した。しかし北条氏の率いる大軍の前に敗北し、領地を没収され追放されるという運命をたどる。
<福良へ向かう> 阿万で県道25に入る
灘・土生(はぶ)港先より県道76は、第二の峠(標高93m)を越え、地点標識「岩屋から65㎞」を見ながら阿万(南あわじ市)に入って行く。水仙ラインは、阿万で県道76と別れ県道25に入って、福良へ下っていく。
地点標識「岩屋から65㎞」通過(南あわじ市阿万) 峠への途中、初めて出会ったソロサイクリスト
淡路島特産の見渡す限りの玉ねぎ畑(東阿万) 淡路玉葱
<特産 淡路島産玉ねぎ>
阿万を走っていると玉ねぎ畑が延々と続く風景に出会う。
瀬戸内海特有の温暖な気候と風土で育つ淡路島産玉ねぎは、雑味のない美味しさと深い甘みをもち、「甘い・やわらかい・みずみずしい」と全国的にその名が知られている。
鳴門海峡を吹き抜ける自然の風や、淡路島の日照時間が長いことが、また標高50mの台地が甘味たっぷりの玉ねぎを作り上げている。
阿万の玉ねぎ畑に見送られながら峠(標高53m)を越えると、さわやかな風を受け、鳴門の海を見ながら福良の港に向かって急な坂を転がり下っていく。 スピードに注意!
阿万より福良への峠越えにサービスポイントがある 福良港を眺めながら坂を走り下る
<福良>
福良は陽光がさんさんと降り注ぎ、南国の風吹く、解放感に溢れた港町である。
福良湾には「煙島」、その背後に建つ白亜の「休暇村南淡路」が目に飛び込んでくる。
港には鳴門海峡うず潮観賞のクルーズ船<咸臨丸>がその雄姿を停泊させていた。
<福良港と太平記>
鳴門海峡を望む福良港は、平家の都落ち(1185-文治元年)の際に敗走経路となったようで、「太平記」には越水の合戦(西宮)の合戦で敗れた将兵が、阿波へ逃れるために当地にやってきて、潮の状況を見て鳴門海峡を渡った、と記されている。また、古くから福良港は、明石の瀬戸に始まり阿波にいたる阿波路の要所として知られ、阿波への渡り口として「福良の渡」と呼ばれた。
<阿波への交通の要衝―福良>
福良港は、袋(ふくろ)の形状をなした福良湾の奥部にあり、平家秘話伝説を持つ煙島や洲崎の2つの小島などによって外海からの風浪が防がれ、波の穏やかな天然の良港となった。そして、港外は、天下の難剣と呼ばれる鳴門海峡に面しているため、難を避ける船舶の避難港(風待ち・潮待ち)港として古くから利用された。
<淡路島と天皇―南あわじ市賀集>
淳仁天皇陵は、ここ福良から国道28号線を東へ向かった賀集(南あわじ市)にある。
淳仁天皇な、758年に第47代天皇に即位したが、仲麻呂の乱が起こり皇位を奪われ淡路島に幽閉された。
僧の道鏡と 藤原仲麻呂(恵美押勝)らの権力争いに巻き込まれ、わずか5年で天皇の位を奪われて、母親とともにここ淡路島に流されている。
<鳴門海峡渦潮観光基地 福良>
<道の駅 福良>に 鳴門渦巻観光船乗船場がある。
うずしおクルーズ船<咸臨丸>の乗船地である。
咸臨丸は、渦潮観賞時間に合わせて出航する。満潮と干潮により日々スケジュールが変わるので前もって問い合わせるか、出航スケジュール表を手に入れておいた方がよい。
約60分コースで、料金は大人2000円である。
間近で見るうずしおは、想像をはるかにこえる大迫力である。
<道の駅 福良> 鳴門渦潮観光船乗船場 鳴門渦潮 乗船券自販機
渦潮クルーズ船<咸臨丸> 咸臨丸より観賞する鳴門渦潮
<源平合戦ゆかりの地 福良>
鳴門大橋を後にして、県道25に入る手前の坂道をのぼり、平安時代の終わりに繰り広げられた源平の合戦の語りが残っている福良鶴島城跡<国民休暇村南淡路>に立寄った。 そして平の敦盛の首塚があるといわれる福良湾に浮かぶ煙島を探してみた。
《 月よ出よ むかし平家の落ちびとの 浪まくらあと 福良の湾に 》 中村憲吉
福良の港に竹島という周囲四町ばかりの小島<煙島>があり、 寿永の春 平家一門が<一ノ谷>より落ちてしばらく身を寄せた。
煙島には安徳幼帝の行在所跡や、平の敦盛の首塚などがあるという。
国民休暇村への坂より眼前に煙島を望む 中村憲吉歌碑「平家の落ちびとの」
福良鶴島城跡にある国民休暇村<南淡路>
福良へ戻り、県道25を走って「道の駅 うずしお」へ向かった。
県道25をそれて左折すると、鳴門海峡を見下ろす立派な道路が「道の駅 うずしお」へ向かって下っていく。
鳴門海峡、讃岐の峰々を眺めながら「道の駅 うずしお」へ下っていく
「道の駅 うずしお」にある巨大玉ねぎ <大鳴門橋> 演歌<鳴門海峡>歌碑
<鳴門海峡> 作詞 吉岡 治 作曲 水森英雄
髪が乱れる 裳裾が濡れる 潮が渦巻く 心が痩せる
風に鴎が ちぎれ飛ぶ 頬の涙が 人を恋う
辛すぎる 辛すぎる 恋だから 紅の 紅の 寒椿
夢の中でも 泣く汽笛 夢の中でも 散りいそぐ
鳴門海峡 船が逝く 鳴門海峡 海が鳴る
<南淡西淡線―県道25-のどかなサイクルロードを走る>
「道の駅 うずしお」を後にすると、南淡西淡線である県道25に入り、阿那賀の海岸線ののどかなサイクルロードを走る。
丸山港近くには活魚料理を食べられる「うずしお温泉」があるという。
立寄りたいが、老人には長すぎる今日のラン(RUN)、走行距離87㎞を考えて、できるだけ今夜の露営地に近いところで温泉に入ることにする。
阿那賀の海岸から大鳴門橋が小さく見える 丸山漁港近くには<うずしお温泉>がある
<漁港の走り方>
淡路島の西海岸には沢山の大小の漁港があり、その地域の生活の中心的存在として立地している。
ゆっくりと淡路島一周サイクリングを楽しむ仲間には、どうかバイパスを走行して漁港をスルーするのではなく、各漁港の古き良き村の魚の匂いや、時間を忘れさせてくれる街並みに触れてみてほしい。
そこには長閑な漁村の営みに触れ、人情に出会うことが出来る。
丸山漁港先に延びる海岸道路ー県道25 <サンセットライン> 地点標識「岩屋から95㎞」
<国民宿舎 慶野松原荘の日帰り湯に立寄る>
南あわじ市松帆古津路970-67 入浴料500円
阿那賀西路の海岸道路(県道25)を通り抜け、津井の漁港経由で湊の街に入る。
湊を流れる三原川の御原橋を渡ると信号があり、洲本へ向かう県道125とアワイチの県道31との分岐に出る。
自転車を県道31<サンセットライン>に走らせると慶野松原海岸にある「国民宿舎 慶野松原荘」の看板が目に入る。
立寄って日帰り湯をお願いしたら大丈夫だという、一日の潮風と汗を洗い流すため温泉につかることにした。
ただ一人の貸切湯である。
松風の舞う露天風呂がいい、炭酸を含んだ弱アルカリ性の温泉がぬるぬると体に絡みつき心地よい。
三原川の御原橋を渡り湊(松帆)の街に入る <アワイチ・サンセットライン>は橋を渡り直進
(ここは県道25ー31ー26の重要分岐点である)
<国民宿舎 慶野松原荘>
温泉につかり火照った体を松林に吹き来る海風にさらしながら、浜に建つ句碑 柿本人麻呂の和歌を口ずさんで旅の情緒を味わった。
柿本人麻呂の歌碑(慶野松原浜)
《 飼飯の海乃 庭好くあらし 刈薦の 乱れ出ず見ゆ 海人のつり舟 》柿本人麻呂(万葉集)
―けひのうみの にはよくあらし かりこもの みだれいずみゆ あまのつりぶねー
<飼飯の海の海上も穏やからしい、刈り取った薦のようにあちらこちらから海人たちの釣り船が出て来るのが見えるよ>と詠っている。
他界との境をさまようような不安な舟旅から無事明石の海峡へ戻って来た人麿たちであったが、陸地近くへ戻って来た安堵感が遠くに見える海人たちの釣り船を詠うことによって表現されているという。
<淡路島と高麗陣討死衆供養碑>
ここ南あわじ市の松帆江尻の江善寺に「高麗陣討死衆供養碑」がある。
豊臣秀吉が朝鮮出兵(1592文禄の役)をおこなったとき、淡路島の秀吉の部下である脇坂安治や加藤嘉明たちも多くの水軍を率いて従軍した。
しかし秀吉の水軍は李舜臣(りしゅんし)の率いる朝鮮水軍と戦った際、多くの戦死者を出したといわれる。
その供養碑がここ江善寺にあり、英霊が祀られている。
江善寺にある「高麗陣討死衆供養碑」
<細川氏の養宜館跡>
湊にある三原川にかかる御原橋の信号を県道126に入り、東へ向かうと国道28との分岐信号「養宜上」近くに淡路国守護の居館であった細川氏の養宜館がある。
1333 (元弘3) 年、鎌倉幕府が滅び、南北朝の争いが始まる。
ここ淡路島の武士の多くは、後醍醐天皇の南朝側に組みする。一方の足利尊氏は、 有力な武将である細川氏を淡路島へ攻め込ませる。 細川氏は、ここ南あわじ市八木の「養宜館」を本拠にして淡路全島を支配した。
現在、北側の一部の土塁以外、城内は水田化してその跡を見ることはできず、石柱<養宜館跡>のみが迎えてくれる。
細川氏の淡路支配の拠点<養宜館跡>
<淡路サンセットラインの夕日観賞>
入湯のあと播磨灘の涼しい風に吹かれ、サンセットラインに沈む夕日を観賞しながら今夜の露営地である山田漁港先の<明神の浜>に急いだ。
夕日にそまるサンセットライン(県道31) 播磨灘に沈みゆく太陽
サンセットラインが一段と赤く染まりだす 夕日に自転車のシルエットが浮かぶ
天地創造―サンセットラインの日没
天地創造―サンセットラインの夕焼け
▲ 2日目露営地―山田漁港先 明神の砂浜
サンセットラインの夕陽に魅せられて、今夜の露営地である山田漁港につづく明神浜に着いたときはすでに日は沈み、ヘッドライトを頼りに暗闇での設営となった。
とっては返す小波の打ち寄せる音と、襲い来る心地よい疲れからくる睡魔に誘われて、寝袋に潜り込んだ。
実は、このときまだここが山田漁港の先に連なる明神の砂浜であることに気づいていなかったのである。
『星の巡礼 淡路島一周サイクリング老人の旅』③
《第三日目 明神の浜 ⇒ 岩屋ゴール「道の駅あわじ」》
につづく