shiganosato-gotoの日記

星の巡礼者としてここ地球星での出会いを紹介しています。

2008『星の巡礼 インドシナ半島紀行』Ⅱ

           『星の巡礼 インドシナ半島紀行』Ⅱ

        ―メコン川流域の風景  カンボジアベトナムラオス・タイを巡る―

 

                 詩・挿絵・スケッチ 後藤實久 

 

                                 ラオス~タイ編

   

 

 

             メコン川をスピードボートで遡上する

 

               

                 <メコン川流域の風景ルート図>

 

 

■3月16日 (15日目) 首都ハノイ/ベトナムビエンチャン/ラオス移動

 

ハノイからビエンチャンへの陸路(バス・ルート)は、まずドンハに南下し、ビエンチャン

向かってAH16号線を西進、ベトナム/ラオス国境にある<ラオバオ/デーンサワン国境検問所>を通過して、

ラオス首都ビエンチャンハノイを出て23時間後に到着する。

 

 

   国際バス<ハノイビエンチャン>行          ラオス民共和国 国旗

 

 

 ベトナム/ラオス国境を南北に走るアンナン山脈       国境に向かうベトナム側道路

 

ラオスへは、インドシナ半島を南北に走るアンナン山脈を越えて行くと、ベトナム/ラオス国境の入国管理

事務所(イミグレーション)で入国審査を受けて入ることになる。

入国審査にあたっては、ビザ(査証)が必要である。

ただし、15日間滞在許可の観光ビザであれば、国境で取得できる。

一般的には、ビザ取得時に、6ケ月以上の残存有効期間と、2ページ以上の余白、写真1枚、査証代の現金が

必要なので、必ず準備しておくこと。

旅行プラン(スケジュール)が決まっている場合は、出発前にラオス大使館で取得しておくことを

お勧めする。

バックパッカーの国境越えの場合は、どんなアクシデントが起こるかわからないことを肝に銘じて

おくべきであり、それなりの覚悟と準備が必要である。

ベトナム国道16号線(AH16)は、アンナン山脈の山岳地帯に入り、幾つもの峠を越えてラオス国境に

向かっている。

この山岳地帯は、ベトナム戦争時、無数の地下道や、トンネルが掘られ、南ベトナムのゲリラ<ベトコン>

ラオス経由で軍需物資が届けられたが、今は平和な姿を見せている。

地図を見たらわかるが、ベトナム中部の海岸線との幅が一番狭まった地形で、ラオスからの浸入が最も

容易な(連合軍側の防備がしにくい)地形であることがわかる。

その中心にあったダナンは、前編でも述べたが、両軍の激突・激戦区で、いつも大きな被害を受けていた。

 

 

            

                ラオバオ・ベトナム側 国境ゲート

 

 

    デーンサワン・ラオス側入国管理事務所        デーンサワン・ラオス側 国境ゲート

 

          

           ラオス側の入国審査を終え、小型車で待機する国際バスへ移動

 

陸路でのラオスへの国境越え、整列して待つことを知らないベトナムラオスの人々で大混乱、混雑である。

査証(ビザ)に出入国スタンプをもらいたいという群集心理なのか、1列に並べば、わずかの時間に済む

のだが、一向にパニックはおさまることはなかった。

ビエンチャン行国際バス路線は、ベトナム側のバス会社<Hanh Café’>が運用しているバスから、ラオス

国境からのラオス側の国際バスへ乗り移ったが、その質やサービスに大きな差があって、驚いたものである。

ラオス国境からの国際バスは、急に田舎バス(Seat Bus)に変わった。

こちらは、ハノイからビエンチャンまで通しで同じ国際バス(Sleeping Bus)で走破するものと思って

いたが、国境で乗換えたのには何か事情があるのか、アクシデントがあったのであろうか。

ラオスに入ってからは、トイレも道端でやらされることになり、ご婦人はほとんどが羞恥心をかなぐり

捨てての行為となる。

理解できないが、運転手もトイレのある所で止まればと思うのだが、ラオスという国では、国情に合った

バスの走らせ方をしているようだ。 

だいたい、バス路線にトイレすら設置されていないということである。

 

ラオス側の運用バスは、寝台バスから座席バスに代わって、値引きはしてくれたが、それもローカルバスに

代わったおかげで、途中、定員に関係なくどんどん乗せていくのでたいへんな混雑である。

さらに荷物まで積みだしたから大変である。

どこでどのように間違ったのかわからないが、<ハノイビエンチャン>行直通国際バスに乗ったのだが、

ラオス国境からローカルバスに代わったのは何故なのか、最後まで分からないままで終わった。 

結果的には、ビエンチャンに無事に着いたのであるが、不可解な国境越えバス旅行となってしまった。

今後、<ハノイビエンチャン>行直通国際バスを利用する計画がある場合は、すでに是正されている

かもしれないが、念のため確認していただければと思う。

しかし、これもまたバックパッカーの変化を楽しむ旅、先のことが分からない旅という点では、旅を豊かに

するシチューエーションでもある。

 

満員の乗客のなか、荷物に押されながらも、この難局を切り抜けようとポーランド・フランス・

フィンランド・マレーシア・韓国・日本2からのバックパッカー7人が固まり助け合った。

 

<天空の白き舞>

ただ、自然の演出する幻想的な峰々や、メコン川(国境)越えに、素晴らしい景色を堪能した。

アンナン山脈の山嶺にたなびく白き雲海に、神々しい輝きをみたのである。

人の営みの汚さにくらべ、いつも変わらない大自然の美しさに魅入った。

 

《雲海に 幽玄満ちる ラオの峰》 實久

 

 

                                                             <天空の白き舞>

                 白霧に幽玄かもすアンナン山脈の峰

               ベトナムラオス国境に向かうバスの車窓より

                                                               Sketched by Sanehisa Goto

 

 

ラオス内陸国であり、実に暑い。

バスの中は、蒸しあがっている。

雨も少ないのであろう、水田が干上がり、ひびが入っている。

しかし、トウモロコシや、グアバの葉は青々と茂り、ほっとさせられる。

乾燥した土の上で、土ほこりを立てながら犬や、ニワトリが走り回っている。

もちろん、涼を取るために家屋は高床式である。

ベトナムの、地平にまで延びる整然とした水田、組織的に動員された農民、雨に恵まれた土地に

くらべて・・・ラオスの人民はこの暑さに、喘いで生きている様に見える。

 

ラオスに入って、目につきだした井戸。

井戸水は、ラオスの人々の命の水に見える。

鶏が、胸を張って歩く姿は、井戸水をくむみすぼらしい婦人にくらべて、着飾った貴族子然としていて

滑稽に見え、ユーモアを感じた。

 

 

     井戸で水汲みをするラオスの婦人         タキシードを着こみ貴公子然とした鶏

 

 

           <ラオス通貨・両替>  2008年3月現在

              1US$=約800Kips/ラオス・キプス=約15000D/ベトナム・ドン=約100円

 

             

            ポムウィハーン ラオス人民革命党書記長を配した10000Kips紙幣

 


まずは、世界遺産のあるルアンババーン行のバス手配を終えた。

今夜も暑そうなのでエアコン付きのドミトリー、<RD Guest House>に泊まることにした。

メコン川の朝日が窓から見られるという、楽しみである。

 

ハノイより同じバスだったK君(自治医科大・陸上部・ワンゲル部)と、ビエンチャンに無事到着したこと

を祝うとともに、ラオス料理を囲んで青春談義に花を咲かせ、乾杯した。

青年が一人で、リュックを担ぎ、辺境の地を歩き、学びの好奇心を満たしている姿に出会う度に、嬉しく

なるのである。

今から60年前、大学を出てブラジルに渡った時、アマゾン流域のジャングルに入っていくアメリカの青年

たちに出会って、羨ましく思ったものである。

彼らはリュックにフランスパンと水と磁石を詰込み、鉱脈を発見するのだと目を輝かせて、見果てない夢を

求めていた姿にである。

若者は、旅を通して世界を知り、各地の民族を知り、困難を克服し、共通のテーマである平和と繁栄に

ついて語りあい、理解し合うことが大切である。

旅は、戦い無き世を創りあげるために必要であると思うからである。

K君と共に、旅が続けられるこの世に感謝したものである。

 

         ▲<RD Guest House>  6US$  エアコン付ドミトリー

        037/1 Rd. Nokeo Koummane, Vientiane Laos

 

    

    <RD Guest House> ビエンチャンラオス

 

 

 

■ 3月17日 (17日目) 世界遺産ルアンパバーン>へ移動

  ビエンチャン/Bientian ➡ ルアンパバーン/Luang Prabang (VIP BUS 20US$)

   08:00発         18:00着            (所要時間 10H)

 

今朝、長距離バスでビエンチャンを経由し、世界遺産のあるルアンパバーンへ向かう。

ビエンチャンは、ルアンパバーンへの乗継ぎとして立寄るだけにとどめた。

 

              ビエンチャン南を流れるメコン川に昇る朝陽

 

 

                                                   メコン川に昇る朝日

                 Sunrising-Mecon River, Vientiane Laos

                      Sketched by Sanehisa Got

 

 

ビエンチャンの早朝、綺麗に掃き清められた街を散策、仏教寺院もまだ眠りの中にあるようだ。

バスの出発時間まで、ゴミを回収するトラックを眺めながらラオス人の働きぶりをも見せてもらった。

 

 

                                                     きれいに掃き清められたビエンチャンの街

 

 

                          お寺さんもまだ眠りの中にあるようだ           ビエンチャンのゴミ収集車

 

バスに乗る前に、屋台でフランスパンに具を詰めてもらい、半分に切って、朝食用とバスの中でいただく

ランチ用にあてた。 ただ、バスに乗車してみてランチがついていたのでこの分は非常用にリュックに

しまうことになった。

 

         

               バス持込用サンドイッチを作ってもらう                  ルアンパバーン行<VIPバス>18US$

 

ラオスの物価高に驚く。

<DR Guest House>6US$と、ベトナムの<Hanoi Spirit House>3US$のドミトリーの宿泊代をくらべて

みても、倍の値段である。

焼き飯では、15000ラオスKipsに対し18000ベトナムDだから、約1.8倍である。

 

 

大東亜戦争

ルアンパバーンまで一緒する大学生K君に、バスの中で日本が戦争へ突き進んだ経緯と、東南アジアの関係に

ついて話しかけていた。

 

70数年前、このラオスの素朴で、平和な田園風景とそっくりな田舎が、日本中にあった。

第二次大戦に参戦する前の日本は、多くの貧しい農民を移民政策のもと、満州はじめ、南米やアメリカ・

ハワイに送り出していた。

しかし、日本の中国大陸やインドシナ半島への進出を快く思わないアメリカは、経済制裁に乗り出し、

移民の排斥・石油や資源の禁輸と次々と日本包囲網を狭め、日本の首を締めあげていった。

日本は、生存権を守るためにと、勝利無き日米決戦<太平洋戦争>へと突き進んでいった。

真珠湾攻撃の5か月前、日本軍は、ここインドシナ半島の天然資源である<石油・ゴム・タングステン

錫などの鉱物資源>を確保するために仏印すなわちフランス植民地であったベトナム南部はじめカンボジア

ラオスにすでに進出していた。

この南部仏印進出が、日米関係の決定的決裂を招き、戦争勃発をもたらした。

太平洋戦争は、日本としての戦争の大義名分である<アジア解放のための大東亜戦争>ともいわれた。

しかし、侵略・進出の名目であったかも知れないが、日本敗戦後、一部の元日本軍人は現地の独立派の

人々を助け、独立に加担し、独立を勝ち取ったという事実も伝わっている。

また、この第二次大戦の終結・契機に、アジアの多くの国が次々と独立を勝ち取って行ったことも確か

である。

アジアを旅していて、終戦後、日本の旧兵士が現地にとどまって、宗主国と対峙する独立派に組して戦って

くれたことへの感謝の言葉を聞いたことが幾度かある。

ここラオスも、日本軍と対峙していた中国の蔣介石軍を軍事支援するための<援蔣ルート>が通っていて、

日本軍はそのルートの閉鎖を、ラオスを植民地化していたフランスに要求していたが、無視されていた。

ドイツのフランス占領により、フランス支配が弱まったラオスにある<援蔣ルート>閉鎖要求を再度迫り、

拒否されたので武力占拠となった経緯があった事実をも、K君に聞いてもらった。

 

 

人も荷物もなんでもどんどん乗せてしまうオープン型小型トラックが住民の足として走り回っている。

乗客に混じって、トラックの天井に設けた荷台にニワトリの入った竹籠や、オートバイ、豚を縛り付けて

乗せてしまうのだから驚きである。

また、竹林があり、どこか日本にいるような風景にも出会う。

田園でのんびり過ごす牛達、風に乗って流れゆく赤トンボを見ていると、ラオスの素朴さに、自然そのままの

美しさを感じる。

 

 

        詰め込んだ乗合小型トラック            ラオスの田舎に広がる風景

日本はODA(政府開発援助)を通して、ラオスに対する無償資金援助を行っている。

予防接種普及・病院改善・橋建設・人材育成・食料援助・保健サービスネットワークなどへの援助である。

それ以前には、灌漑用水路開拓・貯水湖づくり・文化遺産の修復・教育と幅広い支援をしている。

 

 

               

                     ラオスの昼定食

 

ビエンチャンより、ルアンパバーンへは山越えで、カーブ続きである。

バスは喘ぎながら、ゆっくりとアップダウンを繰り返すが、車窓からの夕焼けを楽しんだ。

朝08:00ビエンチャンを立って、10時間近くのバスの旅、予定の18:00、もうすぐ終点

ルアンパバーンに着きそうだ。 

昨日に続いての長距離バスの旅、少し疲れ気味なのでここ世界遺産ルアンパバーンでゆっくり過ごし、

多くの寺院を巡るつもりでいる。

太陽も西に傾き、静かに沈んでいった。

 

 

                         ルアンパバーン郊外で夕暮れを迎えた

 

     ▲<ピラデサ・ゲストハウス連泊> ルアンパバーンラオス  (ドミトリー 3US$)

         家族経営で、安全なゲストハウスである。

   タイへの国境越えスピードボートの手配も扱っている。

 

 

 

■3月19日 (18日目) 世界遺産ルアンパバーン> ラオス

 

ここルアンパバーンは、世界遺産を抱える観光地としてラオスの中では突出した景観を呈し、

メコン川に接した景勝地に、世界中の観顧客が集まってきている。

 

朝一番、ゲストハウスで紹介された旅行社でメコン川を遡上し、タイ国境に向かう、スピードボートの

予約をおこなった。

ルアンパバーン / Luang Prabang08:30発、タイのフエイサイ / Huay Xay行

メコン川(遡上)経由の<スピードボート>の予約をとった。 (所要時間 約6~8H)

 

   ■Luang Prabang ➡  Huay Xay(ラオス/タイ国境) メコン川経由(Mecon River)

    < ルアンバパーン ➡ ファイサーイ>

 

   A. スピードボート (所要時間6H)         (340000Kips=44US$)

   B.    スローボート  (2日間―バークベン宿泊) (170000Kips =22US$)

 

 

メインストリートのサワンウオン通りは、歩行者天国となり、屋台や露天が立ちにぎやかである。

 

         

                           メインストリートのサワンウオン通りは、歩行者天国  (ルアンパバー・ラオス
 

散策途中、何と凄まじいラオスのスコールであろう。

バケツをひっくり返したように、ダダーッと落ちてきて、ザーザーと流れ、そして1時間ほどで晴れ間を

見せ、回復した。

 

 

       

                   スコールの後を歩く少年僧

 

メコン川沿いを歩いて世界遺産<古都ルアンパバー>をウオーキング

雨に洗われた寺院、雨に煙るメコン川や、山並みには古代からの時間の流れが漂っている。

朱色の僧衣をまとった若き僧が、メコン川の流れを聴きながらたたずんでいる風景を楽しんだ。

 

       

                    雨上がりのメコン川

 

 

                   <ラオス メコンに遊びて>

                    詩   後藤實久

 

                 『サバディ』と 挨拶交わすや

                   仏の国 ゆっくりと 広がりて

                                                                遠き山 雨上がりに 霞立ち

                                                                小鳥のさえずり 極楽創りし

 

                                                                青草に宿る雨粒 ひかり帯び

                                                                この宇宙 すべて映しおりて

                                                                薄雲に 顔出す太陽輝かせ

                                                                幸せな人々を包みて祝せし

 

                                                                行き交う感謝の気持ち満ち

                                                                濁りしメコン優しく流るるに

                                                                我こころ また溶け流れてや

                                                                ああわれいまメコンに遊びし

 

             

       

                                                                増水のメコン川に見入る若き僧


                 

                       

                                                               メコン川の瀬、泥水に咲く蓮の花

 

散策の時間を見つけて、ここルアンパバーンで子供のためのお絵描き教室を持った。

ラオスの5~6歳の子供達であったが、その内の一人IAM君の素晴らしい才能に目を見張った。

目を輝かせながら集中する姿にも少年の夢をみたのである。

また、街を散策していて垢ぬけたポスターにも、ここがラオスかと目を疑うほど洗練されたCAFÉ‘やART展

のポスターに出会った。

 

 

                                                               お絵かきに熱中するIAM君と作品

 

 

                         ルアンパバーンの街で出会ったポスター類

 

ルアンパバーンの街を歩いていると、路地裏の広場に多くの大小なる仏塔を目にすることが出来て、

昔懐かしい日本の地蔵尊が思い出された。

 

                    ルアンパバーンの路地裏の広場に見られる仏塔 

 

 

                                                            < 世界遺産ルアンパバーンの街マップ>


   

 

A.世界遺産<ワット ビスンナラート>   ルアンパバーン

    ―Wat Visunnalat―

 1512年、ビスンナラート王の治世に建立されたが、1887年、中国・雲南のホー族の侵入で破壊され、

1898年、サッカリン王の手で再建されたという。



 

         苔むした仏塔門              菩提樹の下で瞑想する仏陀

 

 

       仏塔タート・パトゥム              ワット ・ビスンナラート

 

 

   ワット ・ビスンナラート本堂のブッタ像        ブッタ像を囲む多くの仏さまたち

 

   <ワット ビスンナラート>にて、 ランチを取りながら<仏塔タート・パトゥム>を描き上げる 

 

                                           

                                                             苔むした仏塔門をスケッチ

                                                              ワット ビスンナラート

 

B.<ワット・シェントーン>

1560年の建立で、複数の屋根が重なって大きく湾曲している「ルアンパバーン様式」の典型的なお寺。 

本堂の円柱に見られる繊細な細密文様の美しさには目を見張った。

 

 

                                                            ワット・シェントーン 本堂と仏様

 

 

          ワット・シェントーンのレリーフ        ワット・シェントーン 黄金の扉の前で

 

 

C.<ワット・センスッカラム> 

1714年に建造されたルアンパバーン様式である多重屋根を持つ典型的なお寺。

 

 

                               ワット・センスッカラム

 

D.<ワット・ハウパバーン> 旧王宮敷地内

国立博物館開館時のみ敷地内にはいって見ることができるが、外観のみでお堂には入れなかった。

 

 

                    ワット・ハウパバーン

 

E.<ワット・マイ / Wat Mai>

寺院の屋根は典型的な木造建築様式で、その美しいカービング(曲線)に息をのんだ。

さっそく、スケッチにとりかかる。

正式な名前は、ワット・マイ・スワナプーマハムという。

美しく装飾された木製の柱と豪華な金色の浮き彫りの壁は、先に見てきた中でもひときわ際立って見えた。

インドの叙事詩ラーマーヤナ」に従って施されたレリーフは、石に刻まれたアンコールワットの壮大な

レリーフを連想させられた。

 

   

                            ワット・マイ・スワナプーマハム

 

     

           アンコールワットと同じくインドの叙事詩ラーマーヤナ」を語る黄金のレリーフ

          <ワット・マイ・スワナプーマハム>ルアンパバーンラオス

 

 

                 ワット・マイ・スワナプーマハム

                 世界遺産ルアンパバーンラオス

                                        Sketched by Sanehisa Goto


 

 

今朝6時より、世界遺産ルアンパバーンの歴史地区にあるいくつかのお寺を巡り、子供たちとお絵描きに興

じ、メコン川の流れを愛で、昼頃にゲストハウスにもどってきた。

ルアンパバーンの街は、世界遺産ということで、観光客で賑わいも大変だと覚悟していたが、車も歩いて

いる人も少ない静寂の中を、寺院巡りが出来た。

時間も、今朝の雨で土色に濁っているメコン川と同じくゆったりと流れ、対岸の森から聞こえる蝉の声を

乗せて、こころを和ませてくれた。

人間にくらべて、自然はどんな状態でもすべてが美しい。

 

ラオスのサウナ風呂>

長旅の疲れをとるためサウナ風呂に出かけた。

入り口で10000Kipsを支払い、靴を脱ぎ、素足で板間にあがる。

受付のおばさんから腰巻布とタオルを受取り、脱衣室で腰巻布をつけ、衣類をロッカーに入れ、カギを

腕につけて、サウナ室に入る。

サウナは蒸気で何も見えず、異常なほどの高温に悲鳴を上げた。

タタミ一畳ほどの狭い真っ暗なサウナに10人も詰め込んでいるから、大変である。

パイプからの蒸気が、ハーブと汗のミックス臭(匂い)を拡散するのである。

真っ暗なサウナにも慣れ、ハーブの効能が毛穴を通して効いてくると、満員のサウナも心地よい空間に

変わってくるのだから不思議である。

 

 

 

■3月19日 18日目) メコン川遡行

    <Luang Prabang/ラオス ➡ Huay Xay/タイ国境>

 

昨夜の豪雨に、ここラオスのすべてがしっとりと濡れている。

寺の境内を貴公子然として歩く数羽のニワトリが、聴こえるお経に合わせてきゅうに抜き足差し足のリズム

に変え、愛くるしい目をさらに大きく見開いて胸を張った。

 

堂内では、朱色の袈裟をまとった若き僧侶が般若心経を唱えている。

土の底では虫共が、お経に合わせて鳴き叫んでいる。

 

スピードボートの出発時間8時15分に合わせて、屋台でサンドイッチを作ってもらい、近くのメコン川

堤防で、昇る太陽が映る、流れゆく土色のメコンの水を眺めながら朝食をとった。

 

 

        朝食はサンドイッチ              メコン川に昇る太陽

7時45分、迎えの軽トラックの荷台に乗せられ、約10分走って、メコン川にあるスピードボート

乗り場に着いた。

スピードボート乗船場にはすでに、バックパックを背負った青年たち初め16名ほどの乗舟客が

集まっていた。

 

      

                メコン川岸にあるスピードボート乗り場に集う乗船者

 

1艇に6人、3艇でのスタートであるらしい。

しかし、定員の18名のうち、2名が到着せず、全員乗船まで出発を後らせるとのことである。

さてどれだけ待つことか、今日は取りやめになるかもしれず、心配である。

 

 

    スピードボート1艇に6~8人、3艇でのスタート         操縦者1名含定員9名

 

 

               <メコン川遡行 スピードボート・ルート>

 

   

         安全航行のため3艇でコンボイ(梯団)を組みメコン川を遡上する

 

 

  高速エンジンにより艇首を跳ね上げながら進むため、  転覆に備え全員ヘルメット・ライフジャケット着用

 

遅れてきたスイスの青年2名を乗せ、ようやく出発である。

スピードボートだけに、転覆の恐れもあり、互いに助け合うためにコンボ(3艇で1梯団)を組みメコン川

遡上する(上る)。

 

細長い舟体にペア席4と、操縦者の定員計9名が乗船するのだが、舟には不釣り合いな自動車のエンジン大を

積み、そのパワーときたら何馬力だろうか、ものすごいスピードである。

もちろん全員フェイスガード付きのヘルメットと、救命胴衣を着けての乗船である。

そのスピードと、振動は圧巻である。

周囲の景色が、一瞬のうちに後方に飛び去っていくのである。

もうインディージョーンズの世界である。

 

 

           パワーエンジンにより艇の前半分を持ち上げて翔走する姿は壮観である

 

途中、メコン川に設けられた休憩船に横付けし、軽食や果物、ソフトドリンクを取ることが出来きる。

特に、トイレ休憩としても大切なスポットである。

休憩船以外に、緊急または避難用として上陸地点がいくつか設けられている。

川幅は、カヌーで下ったカナダのユーコン川よりも広く、大自然も少なく、すでに人間によって開拓が

進んでいる。

どちらかと言えば、アマゾンのように川沿いに村々が点在し、牛が飼われ、人家が続いていた。

メコン川の水は、赤土を飲みこみ、濁っていた。

 

近年、メコン川には各国による多くのダムが造られ、水量が年々減少しているという。 特に中国に

造られている巨大なダムは、メコン川の水量権を握ることとなり、政治問題として取り上げられている。

メコン川上流の中国側には、すでに計画・建設途上のものを含め8か所もある。

もちろん、このスピードボートのルート上には、ダムはないが、この前(ルアンブラバパン)と、

後(バクベン)にダムがあることに変わりはない。

 

いつかはメコン川カヤックで下る夢を描いていたが、途中のダムの多さに残念ながら断念せざるを得ない

ようだ。

 

 

              メコン川遡上ピースボートの途中にある休憩船

 

           

              流域の自然に影響が懸念されるメコン川のダム建設

              (natureダイジェスト提供)

 

 

    メコン川遡上ボート休憩・避難用上陸地点        上陸休憩地点に立寄ったボート

 

 

                 メコン川を遡上するスピードボート

       ルアンパバーン/Luang Prabang/ ラオス ➡ タイ国境のフエイサイ/Huay Xay

                     Sketched by Sanehisa Goto

 

 

 

 

                縦長の木の葉型高速ボートの転覆は危険である

                ヘルメット・ライフジャケット着用は必須である

 

 

メコン川を遡上し、ラオス/タイ国境へ向かうスピードボートから見る夕陽は、川面に映り、とても美しい

メコン川を演出していた。

 

 

 

<フェイサ/ラオス➡チャンコイ/タイ 国境越え>

 

ビエンチャン郊外のスピードボート乗船場(Luang Prabang)を遅れてスタートしたボートは、

ラオス/タイ国境の村フェイサイに夕日が沈む夕方6時頃に到着した。

 ここからはラオスの出国証明を受けたあと、国境であるメコン川を小舟で渡り、タイ側の入管に向かう。

 

 

    

             ラオスより対岸タイへ 国境のメコン川を渡る小舟

 

 

        

    フェイサイ(ラオス)からチャンコン(タイ)側に沈む夕陽を見る (メコン川が国境)

          Huay Xay(Laos)➡ Chang Chong(Thai)国境越え渡し船より

 

 

ラオス側でチェンマイ(タイ)までのバス切符を購入したので、バス会社がラオス/タイ国境越えの

すべての手配をしてくれると聞いていたが、結局自分のことは自分で手続する一般の国境越えと何も

変わらずじまいであった。

まず、ラオス側で出国手続きをしたが、この時すでに、出国手続き終了の午後4時を過ぎていたので、

Over Time Charge(時間外割増)として4000kipsを徴収された以外問題なく、パスポートに

出国印をもらった。

 その後, 国境渡船用小舟で美しい夕陽を見ながら国境であるメコン川を渡り、タイの土を踏んだ。

 

    

               小舟で美しい夕陽を見ながらメコン川を渡る

 

タイ側でも問題なく、入国税1US$を納めて無事タイへの入国を完了した。

 

    

                    タイ側入出国ゲート

                     Chang Chong(Thai)

 

 

            

                 

                       タイ国旗


 

ミニトラックで、バス乗場に移動し、まずチェンライ行バスに乗込んだ。

チェンライでバスを乗り換え、今夜の宿泊を予定しているチェンマイに向かうことにした。

 

ここでも<国際バス>の定義は、ラオス国内だけの宣伝文句で、国境を越えたら<国際バス>は

地元の運営会社に任されるから、バンであったり、ジープであったり、路線バスになってしまうのである。

ただ一括で目的地まで支払っている運賃のみは、引継がれていることに安堵したものである。

 

タイ国境の街チャンチョン/Chang Chongを19:00に出たミニバスは、チェンライに立寄りバスを

乗り換え、チェンマイのバスターミナルに夜遅く23:30に着いた。 

所要時間は約4時間半である。

途中、トイレ休憩を兼ねて夕食のため、コンビニ・セブンイレブンに立寄った。

 

ゲストハウスに入る前に、すきっ腹に屋台の肉団子ウドンを流し込み、ビールで無事のタイ到着を祝った。

 

ここタイに入って、ようやくATMで、チェンマイ滞在費として5000B(タイ・バーツ)を引き出すこと

が出来た。

 

   ▲バナナ・ゲストハウス /  Banana Guest House 連泊  (ドミトリー @100B=3US$)

       4/9 Ratchapakinai Rd.    Tel:053-206285  

 

 

               

                                       BANANA GUEST HOUSE     Chiang Mai / Thailand

                                       バナナ・ゲストハウス  チェンマイ/ タイ

 

 

 

チェンマイの朝には、タイらしい風があり、味がある。

屋台での朝食に、お粥をいただき、生卵を割ってもらった。

カンボジアベトナムラオスを回っている間は、少し緊張していたのだろうか、チェンマイでの

このお粥との出会いで、こころも緩み、ほっとさせられた。

 

ここチェンマイでは、<山岳少数民族集落ツアー・トレッキング2泊3日>に参加することにしていたので、

さっそく旅行社に出向いてプランを立ててもらった。

 

 

        BANANA TOURでのプランニング&申込                  山岳民族カレン村トレッキングツアー・マップ

 

 

午前中、チェンマイの旧市街や、繁華街を散策、途中散髪屋に立寄る。

その後、メールのチェックのためネットカフェ―にこもる。

シャワーを浴び、長旅の疲れをとるためと、暑さを避けて昼寝、明日からのトレッキングに備えた。

夕食後は、トレッキングの準備と、たまったスケッチに色付けをした。

 

 

                久しぶりのチェンマイ、懐かしい風景に心休まる

 

     

                    チェンマイの散髪屋で

 

    

  《 タイ山岳少数民族集落トレッキング・ツアー 2 泊3日  》

    ツアー費用1700B (55US$)、 ドイ・インタノーン(山岳南部地域)方面トレッキング

    携行品は◎で示しておいた。

               ほか、サングラス・帽子・行動食(飴・チョコ・ビスケットなど)・痒み止めムヒ。

 

   ◎1日目 09:00集合<モン族・カレン族集落訪問>

    ・荷物・貴重品預かり

    ・帰った日の宿泊先の予約

    ・マーケットで、この日の昼食や飴・水・ビスケット等個人用行動食の購入

    ・滝での水遊び (◎タオル・水中眼鏡・水着) ミニバスで移動➡(90分)

    ・モン族村訪問

    ・トレッキング開始(◎ストック) 徒歩と、象による川歩き(60分)➡

    ・トレッキング(30分)➡

    ・バンガロー着 ・ ガイド手料理の夕食 (◎レインウエアー・スリッパ) 

    ・宿泊<バーン・ポン・ノイ・マイ村>

 

   ◎2日目 

    ・朝食後 トレッキング(50分)➡

    ・エレファント・キャンプ見学 象体験(60分)➡

    ・トレッキング(120分)➡ランチ➡トレッキング(120分)➡

    ・到着 17:00着 夕食  キャンプファイアー

         ・宿泊 <バーン・クン・プイ村>

 

   ◎3日目

    ・朝食 (タイ風お粥)

    ・バナナ・プロジェクト見学 ➡ トレッキング(120分) ➡

    ・滝<メーサ・ポーク>水遊び

    ・昼食(カレン族村立寄り) ➡ 筏下り 

    ・トレッキング終了 

    ・送迎バスでチェンマイ帰着  17:00解散

 

 

     

                  トレッキング・エリア・マップ


 
    ▲Banana Guest House 連泊  (ドミトリー @100B=3US$)

     4/9 Ratchapakinai Rd.   Tel:053-206285

 

 

 

■3月21日(20日目) タイ山岳少数民族集落ツアー(2泊3日)

             <モン族・山岳カレン族村訪問>

 

カンボジアからずっと南京虫やダニに噛まれ、血を吸われ続けてきた体に、ここチェンマイでも同じく

襲撃を受ける。 バックパッカーのたどる宿命であり、ダニに噛まれた赤い斑点は勲章ともいえるが、

痒いこと痒いこと・・・

赤い斑点は、大小あり、古いものから新しいものまで、この旅の思い出となって皮膚に沁みついている。

薬局で手に入れたオイントメント(軟膏)を塗るが、塗ったところで痒いということは効いていないと

云えるのだが、塗らずにはおれないほどに痒いのだから、たまったものではない。

次回の旅には、ダニの痒みに効くムヒ(軟膏)等を日本から持参することにしたい。

ダニの他に、ブヨや蚊についても苦言をきいていたが、この目で確かめられてはいない。

 

昼間の暑さからくるカンボジアベトナムラオスでの気怠さはどこへ行ってしまったのか、朝のひんやり

した心地よさに目覚めもいい。

シャワーを浴び、小鳥たちのさえずりを聴いていると、チェンマイの地がパラダイスに見えてきた。 

 

<トレッキング・ツアーに参加する>

東にラオス、西にミヤンマー(旧ビルマ)に囲まれたタイ北部は、山岳少数民族が多く住んでいるエリアで

ある。

チェンマイは、山岳少数民族村を訪ね歩くトレッキング・ツアーの基地でもある。

参加したトレッキング・ツアーには、参加者9名とガイド2名の計11名のチームで行動。

山岳にある少数民族の村2ヶ所に立寄り、宿泊を中心に、像に乗っての川歩き、筏による川下りをしながら、

山道を歩くトレッキング・ツアーである。

宿泊の村では、電気・水道・ガスもない質素な生活を体験する。

携行品としては、リュック・懐中電灯・帽子・スイミングパンツ・洗顔セット・虫よけクリーム・あれば

ストック&寝袋・サングラス・行動食(飴・ビスケット・チョコ等)・夜冷えるのでフリース・長ズボン

などを携行した。

 

チェンマイのツアー代理店<BANANA TOUR>前から、小型ツアーバスで、モン族の村に運ばれ、

この村からトレッキングが始まる。

トレッキングのほとんどをカレン族の住する山岳エリアを歩くので、カレン族について紹介しておく。

 

      

              ツアー会社の送迎バス<BANANA TOUR>


 

<カレン/Karen族>

タイ北部からミヤンマー、ラオスにかけての山岳地帯に定住する少数民族である。

山岳民族の中で唯一象を調教できる。 

このトレッキングでも像に乗って川を遡行する。

村に入ると棚田が目に入る様に、焼き畑農法や水田耕作を生活基盤に据え、森を大切にし、定住を守っ

ている。

 

    

                         <カレン族の像による川上りツアー>

      

 

    

                カレン族女性による機織作品は人気がある



                 《ああわれいまイースターを迎え》

                   タイ山岳民族 カレン村にて

                     詩  後藤實久

 

                  月光あまねく 闇夜を照らして

                  カレン族の森 喜びの声上げる

 

                  古の聖なる心 満月の魂に預け

                  打ち響きたる 血の渇き覚ゆる

 

                  復活祭迎えし カレンの集落に

                  ともし火燃え 罪の赦し喜ぶ

 

                  ああわれいま 焚火を見つめ

                  素朴なる小屋に 身を沈めし

 

 

                   タイ山岳民族 Kalen Village 高床式住居と

                    Maewang Waterfall

                   Sketched by Sanehisa Goto

 

 

                                     

                                                        暗闇での焚火・営火も楽しい

 

 

                                                              《ああわれ カレンの民なりしや》

                                                               詩  後藤實久

 

                                                                精霊宿りし 大滝の呪文を聴き

                                                                魂の浄化あるを 独り楽しみて

                                                                ああわれ カレンの満月に遊ぶ

 

                                                                月光のもと 坐して瞑目するに

                                                                命あるを喜び 愛語を聴きしや

                                                                肝に銘じ 魂に銘ずるを悟りし

 

                                                                深け往く山嶺 焚火囲みおりし

                                                                神々と踊りて 我を迎えて喜ぶ

                                                                ああわれ カレンの民なりしや

 

 

 

        標高650mのカレン族の村をトレッキング中            出会った民族衣装のカレン族の母子

 

 

                                                      トレッキング中、見事な滝での水遊び休憩

 

         

                           1日目の宿泊所     <カレン族高床敷家屋> もちろん電気ガス水道無し


            

 

■3月22日 (21日目) 少数民族カレン村 (2日目)

 

 

 

      東のラオス・アンナン山脈方面より昇る朝日         板の間での雑魚寝も素晴らしい

       (日の出 06:37)

 

 

 

                                                                       《カレン村の温もり》

                                                                          詩  後藤實久

 

                                                                       川の流れ あくまで清く

                                                                       その流れ 心を洗いて

 

                                                                       小鳥達の さえずり澄み

                                                                       その囀り 魂を洗いし

 

                                                                       踏みし赤土 温かさ感じ

                                                                       心通わせ 温もりに酔う

 

                                                                      その風 あくまで涼しく

                                                                      心に沁みて 昂揚鎮めし

 

                                                                      落葉踏みし 天使の囁き

                                                                      足音軽く カレンに遊ぶ

 

 

                朝陽を迎えるカレン村の棚田
                              Sketched by Sanehisa Goto

 

 

 

                           2日目朝食コーヒー・トースト2・ゆで卵・バター・ジャム と 朝食風景

 

         

               タイ・ミヤンマー・ラオスのトライアングル地帯の密林を見下ろしながらトレックは続く

 

 

                              休憩中のトレッカー                 バナナの葉に包まれたランチの焼きそば

 

 

                   2日目もシャワー代わりに滝で村の住民と水浴         2日目夕食 野菜煮と南瓜スープ

 

   

             2日目夕食風景 と トレッキング仲間

 

     ▲タイ山岳民族 カレン村<Banana Camp Ground>

 

 

                   《焚火に命見る》

                  詩  後藤實久

 

                     薪寄り合い 互いに燃やし

                                                                       暖かき炎 踊りて燃え立つ

 

                                                                       燃え尽きて 灰に帰するを

                                                                       教わりて 寿命を悟りしや

 

                                                                      村の長老と 老いを語りて

                                                                      星を眺め 青春を懐かしむ

 

                                                                      弾ける炎に われを重ねて

                                                                      今あるを 黙してや感謝す

 

 

 

                                         タイ山岳少数民族カレン族村でのキャンプファイアー(営火)

                   満月とオリオン座の位置(21:35)

                    Sketched by Sanehisa Goto

 

 

 

     囲炉裏でカレン族長老に学ぶ      カトリック信者の多いカレン村を紹介する扇子

 

 

                                                                   《イースターを祝う》

                                                                          詩 後藤實久 

                                                              満月西に傾き、鶏時を告げる

                                                              朝の5時、イエス・キリスト

                                                              神によって再生復活 蘇りて

                                                              カレン村のすべての生き物

                                                              村人、水牛、豚、犬、鶏が祝う

                                                              人 原罪を背負い生きおりて

                                                              神に許しを請い、悔い改めて

                                                              新しいいのちを得て再生す

                                                              ああわれ今、カレンの村にて

                                                              イースターを祝いてや 嬉し

 

 

 

                                              タイ山岳民族特有の乾燥バナナの葉繊維で作られた住居

 

 

                                                             タイ山岳少数民族 カレン村の風景
                 Sketched by Sanehisa Goto


                       

                                          焚火後の温もりを楽しむ村の犬たち

 

ここ山岳少数民族村 カレンの早朝は、にぎやかである。

焚火後の温もりに暖を取って寝ていた犬たちが走り回りはじめ、親鳥がヒヨコたちの世話に忙しく、

卵を産んだと大声をあげる鶏たちと、ジャングルは賑やかな朝を迎えた。

最終日のトレッカー達もまたパッキングに忙しい。

長老の祈りでイースターを祝い、全員そろっての朝食をいただく。

朝食は、トーストにミルクティースクランブルエッグ、ピーナツバターにパイナップルの輪切り。

 

3日目のトレッキングの最後は、筏でゴール地点に向かい、迎えの車にすし詰めに乗せられチェンマイ

到着。

タイ山岳民族村を巡るトレッキングを終えた。

 

 

             3日目カレン村での朝食風景 (09:00)             カレン村を09:30出発

 

 

            沢登りの途中で休憩(標高900m)                                ランチの野菜炒めビーフ

 

 

      竹筏で終着地へ向かう            出迎えの車でチェンマイに戻る

 

 

      ▲バナナ・ゲストハウス/Banana Guest Hous

         4/9 Ratchapakinai Rd. Chiang Mai, Thai  053-206285

  

 

 

■3月24日 (23日目) チエンマイ➔スコータイ移動  (スモッグ・晴)

 

朝一番パッキングを終え、スモッグに煙るチエンマイ旧市街を散策。

屋台で、朝粥に肉団子・ゆで卵・セリ・生姜・香辛料を混ぜていただく、絶品である。

 

         

                          絶品のトッピングをおいたチェンマイ風朝粥


チェンマイでの滞在先<バナナ・ゲストハウス>の精算を済ませ、三輪タクシー<トゥクトゥク>で

チェンマイ郊外にある遠距離バスターミナル<アーケード>に向かう。

 

どの国でもトゥクトゥクとの値段交渉は楽しい。

チェンマイでも、バスターミナルまでは40Bと聞いていたが、ドライバーは75Bという。

まず75Bから始まり、60B、50Bと値切っていくが、どうしても40Bにはしてくれない。

40Bは地元住民の相場であって、観光客にはどうしても下げてくれそうにない。

それが一転するのだから、ネゴは必要である。

100B紙幣しかなかったので、それを見たとたん釣りがないと言って39Bになったのだから

値段があってないのが常である。 日本のメーター制が懐かしい。

あまりにも楽しいドライブだったので、結局チップをはずんで元の言い値に落ちついたのだから、

人生模様そのもののような気がした。

 

                  

                       チェンマイトゥクトゥク

            

                                           

                       チェンマイ長距離バスターミナル<アーケード>

             チェンマイ 09:15発➡スコータイ 14:15着 (所要時間:5H)

 

タイの長距離バスは、乗客の他に貨物輸送の役割も担っているので、配送品の積込みに忙しい。

 

     ▲スコタイ宿泊先  <VITOON Guesut House>連泊 ( 扇風機付きドミトリ 300B)

 

                                         

                                                                      VITOON Guesut House



 

世界遺産 スコータイ/Sukhothai>  (タイ)

 今夜の宿泊先である<VITOON Guest House>に立寄って、荷物を預け、自転車を借りて<世界遺産スコー

タイ>に出かけた。

チェンマイから約225km南にあり、タイ族最初の独立国家スコータイ王朝の都であったここ古代遺跡

スコータイは、実に暑い。

旧市街は、水を張った二重の土塁で守られている。

この広大な遺跡は、1960年代までジャングルに覆われていたという。

その後、ユネスコ世界遺産に登録され、今も発掘が続き、300か所ほどが明らかになっている。

その規模は、45k㎡に渡って点在している。

 

 

<スコータイ旧市街の風景>

オレンジ色の衣をまとった坊主頭の少年僧が、一列になって修行である托鉢にでかけるのであろう。

裸足に托鉢椀を手にした彼らには、清々しさと、神々しさが満ちている。

貧しい家庭に生まれ、教育を受けられない彼らには、仏の慈悲にすがり、おのれを律することを学び、

ひとのため尽くすことを学ぶのである。

スコータイ王朝時代にも同じ少年僧の托鉢姿があったであろうと思いながら、その汚れ無き仏の道を究める

姿に清さを感じた。

 

         

                  托鉢に出かけるスコータイの少年僧

 

ゲストハウスのある旧市街から、<スコータイ歴史公園>への行き方は、トゥクトゥクだと180B、

路線バスだと20B(外国人、住民は5B)で行ける。

 

 

   世界遺産スコータイ歴史公園>入口        スコータイ旧市街よりの路線バス

 

           

                      世界遺産スコータイ歴史公園

 

               世界遺産スコータイ歴史公園>案内図

 

 

<ワット・マハタート>

この寺院はスコータイ最初の王シーインタラーティットにより、スコータイ王朝の設立と同時に王都の

中心寺院として創設された。 ラームカムヘーン大王碑文に言及されていることから13世紀末はすでに

存在したと考えられる。

寺院は14世紀中頃の改修の後、数世紀にわたり構造物が追加された。

 

ちなみに、ワットは寺のこと。

マハタートとは、仏陀の遺骨・遺灰のこと。

ワット・マハタートは、アユタヤ―やバンコックにもある。

 

    

                 ワット・マハタート(Wat Mahathat)

 

ワット・マハタートをはじめ、周りの遺跡は、赤い日干し煉瓦が実に丁寧に積み上げられている。

精巧なまでの形を造りあげ、多くのレリーフを刻み込み、仏像を東西南北に座らせているところは

宗教都市の観を呈している。

これらのレリーフから小乗仏教の影響、そしてストウパー(仏塔)からスリランカからの影響が見てとれる。

ワット・マハタートの周りを散策していると、小乗仏教の影響を受けているインドネシア世界遺産

ボロブドゥール寺院遺跡や、ミヤンマー(旧ビルマ)のバガン遺跡、またカンボジアのアンコール遺跡の

雰囲気に似ているのに気づかされた。

 

         

         

               ワット・シ・チャム/Wat Si Chum

                                            スコタイ・タイ

                 Sketched by Sanehisa Goto

 

                                

                               

                                                   ワット・シ・チャム/Wat Si Chum

 

 

 

                                                  スコータイ王朝の王室寺院<ワット・マハタート>

 

                      

                                                                 ワット・マハタート


                      

                                                                        ワット・シーチューム      

                      <アチャナ仏>



                      ワット・マハタート/ Wat Mahathat

                                                                       スコータイ/Sukhotahi

                                                                  Sketched by Sanehisa Goto

 

 

 

<ワット・シーサワイ>  Wat Sri Sawai

ヒンズー教寺院として建てられたあと、仏教寺院として改装された。

スコータイで、ワット・マハタートの次に重要な寺院とされているのが、スコータイで最も古いワット・

プラ・パイ・ルアンである。

クメール王朝支配下で造られたため、スコータイを代表するクメール様式の寺院遺跡となっている。

 

 

                                                  ワット・シーサワイ(三つのクメール様式仏塔)

 

                                             

                                                                 Wat Si Sawai 仏塔

                     スコータイ/Sukhotahi

 

ほとんどの仏塔が未修復で、発掘当時のままの姿である。

多くの遺跡に接してきたが、いつも遺跡に立ち考えることは同じである。

この素晴らしい人間業ではないような壮大な構造物が、計算された緻密さと、膨大な労力と、見果てない

宇宙との調和の上に築かれているという驚きである。

また、このような高度な技術とロマンを持った作品を、いとも簡単に捨て去った当時の為政者の悲しみの

物語が隠されているようで、哀れみさえ誘うのである。

黙して語らない遺跡を見ていると、彼らの悲哀を受け止めては、おのれを遺跡に埋没させているのに気づか

されるのである。

 

また謎多き文明史もまと、人類史なのかもしれない。

 

午後3時ごろより、ゲストハウスの貸自転車で世界遺産スコータイの中心部を見て回り、閉館の午後6時

からは、郊外を見て回った。

 

                             

               スコータイ歴史公園と郊外を貸自転車で回る

 

スコータイ王朝は、12世紀頃中国雲南からやって来たタイ族が、1238年にクメール族のアンコール族を

破り、打ち建てた国である。

3代目のラームカムヘン王は領土を拡張するとともに、タイ文字を確立し、石碑に刻みこませ、国家として

の機能を持たせていたが、1350年にアユタヤ王朝が興るとともに衰退し、支配下に置かれた。

 

           ▲スコタイ宿泊先  <VITOON Guesut House> 連泊

 

 

 

■3月26日  <スコータイ➔アユタヤー 移動>

 

スコータイのローカル・バスステーションより、アユタヤー経由バンコック行のバスに乗る。 アユタヤーへ

はここスコータイより約6時間の所要時間である。

満員のバスには、バックパッカーのフランス人夫婦とこちらだけ。 さすが生活路線だけに観光地アユタヤー

には立寄らず、アユタヤー近くの国道1号線でこの3人を降ろして、さっさと立ち去ってしまった。

旧市街に行くためにトゥクトゥクと交渉するが1人100Bという、高すぎるので近くのミニバス(@7B)に

フランス人夫婦と共に乗ることにした。

 

一人旅であるバックパッカーの場合のサバイバルとして、交通機関であるバスや列車に乗った場合、目的地や

下車場所をドライバーや車掌に伝えておくことはもちろんだが、車内でまず英語の通じるバックパッカーや観

光客を見つけておき、挨拶を交わしてことを勧める。

その際も、こちらの次なる目的地などを伝えておくことである。



 

                       

               世界遺産アユタヤー遺跡入場券

 

 

世界遺産 アユタヤー>   遺跡入場料30B

 

アユタヤーは、バンコックから北へ80㎞程のところにある。

1350年からスコータイ王朝に代わってアユタヤー王朝の都として、国際貿易を通じて417年ものあいだ栄華を極めた。

 

                               世界遺産アユタヤー遺跡

 

アユタヤーは、オランダをはじめ、フランス、イギリス、中国や日本などとの国際貿易港として栄えた。

アユタヤーは、周囲を川に囲まれ、いくつかの砦で守られ、中州に栄えた街である。

街は水路が張り巡らされ水上交通も盛んである。

タイ湾にそそぐチャオプラヤー川を遡行した船が、ここアユタヤーに出入りし、一大貿易センターとしての地

を保っていた。

川沿いには、日本人町の跡や、ポルトガル人街の跡が残されている。

 

しかし、王朝文化の栄華を極めたアユタヤーは、1767年ビルマ(現ミヤンマー)によって陥落した。

その際に壊されたアユタヤーの建造物は、栄華を極めた当時の面影を残しておらず、無残な姿を

さらしている。

 

 

<ワット・プラ・シー・サンペット>

ワット・プラ・シー・サンペットは王宮付属寺院であり、1500年に黄金171㎏で建立した高さ16mのブッタ

の立像があったが、ビルマ軍によって破壊、略奪された。

現在残っているセイロン様式のチェディ(仏塔)は、アユタヤー中期に造られ、王の遺骨が納められている。

 

          

                  ワット・プラ・シー・サンペット

 

          

                    Wat Maha That 仏塔 

                     アユタヤー ・タイ

                    Sketched by Sanehisa Goto 

 

 

<ワット・プラ・マハタート> 

ワット・プラ・マハタートは、アユタヤー王朝初期の建築物で、高さ44mの仏像がおさめられていた

という。

建物であるチェディは、レンガを積み上げて造られているが、荒れに荒れている。

菩提樹の根に取りこまれた神秘的な仏頭があり、微笑みをたたえている姿に、知らずに手を合わせていた。

中心にあった仏塔は崩れ、その地下から見つかった仏像や宝飾品は、チャオ・サン・プラヤー国立博物館

収蔵されているという。

 

         

           神秘的な仏像の頭  有名な<ワット・プラ・マハタート>

 

 

                                                         菩提樹の根に取りこまれた神秘的な仏頭

 

タイ人の間では<奇跡の仏頭>として崇められ、タイ人の聖地である。 写真を撮る時は仏頭の目線にかがん

で撮る心がけが必要だと教えられた。

ビルマ軍の侵攻時に切り落とされた仏頭は、長年の歳月により成長した菩提樹に持ち上げられ現在の位置に

あるそうで、その仏頭の真正面を見据え、微笑みを浮かべておられるお顔に、その神秘性を見る思いである。

 

 

 

                  

                                                                  <ワット・プラ・マハタート>

                                                      アユタヤー・タイ

                   Sketched by Sanehisa Goto

 

 

            世界遺産アユタヤー遺跡<ワット・チャイワッタナラーム>

 

 

<ワット・プラ・マハートにある斜仏塔>

このアユタヤーという古都に、イタリアのピサの斜塔を思い起こさせる斜めに傾いたスツーパ(仏塔)が

ある。

約600年の間、傾いた仏塔は、懸命に己を支えながら何を考えてきたのだろうと思ってしまった。

傾きは年々、徐々にだが増しているという。

「存在は現実にあり、われまたこの一瞬を生きるなり」と、踏ん張っているように見える。

遠くの緑の森からは、はかない蝉の鳴き声が、この一瞬を生きる証を見せてくれている。

この世に生きるすべての物が、この一瞬に生きる意味を本能的に知っているような気がした。

「生きるとは、熱き消滅である」と、傾き仏塔がつぶやいたように見えた。

 

ちなみに、「ピサの斜塔はなぜ今まで倒れなかったかという理由だが、研究チームは地震学、地質学、

建物の構造などの研究の結果、塔の建っている地盤の柔らかさと塔の高さ・剛性の絶妙の組み

合わせが、塔が地震動と共振することを防ぎ、倒壊を免れたと結論づけた」 と発表している。

 

        

                                                               Wat Phra Maha Thatにある 斜仏塔

                        アユタヤー・タイ

 

 

<昆虫食>

傾き仏塔<Wat Phar Maha That>と熱き語らいをしていて、蟻の大軍に襲われていることに気づいて

いなかった。

膝にまで襲ってきた無数の赤色で透明な大型蟻<ツムギアリ>に悲鳴を上げた。

その大きさは米粒の4倍はあろうか、すでに膝から急所目かけて走り上っているではないか。

まるで、ガリバーに襲いかかる小人たちに見えた。

ただただ懸命に振り払い、飛び上がっては振り払った。

 

後でわかったのだが、何でもが食材になるタイの食文化として、赤い蟻の卵を佃煮にしてバンコックの

屋台で売られていたことを思いだした。

胴体が赤いアリが産む、ツヤツヤした真珠のような卵は、大豆くらいの大きさもある。

タイでは、赤アリの卵「カイモッデーン」は、高級食材として取り扱われているのである。

 

タイでは、昆虫食としてバッタや、ゴキブリはもちろん、サナギや幼虫、昆虫の卵を油で素揚げしたものを

屋台に並べている光景によく出会うことがある。 それも裸電球の灯りに照らされて、今にもうごめきそう

なそのリアルさに、最初はむずがゆくなったものである。

 

 

         昆虫食  赤アリの卵「カイモッデーン」      赤アリ/ツムギアリ (ありんこ日記より)

 

 

                                                                                    ブッダー 

                                            アユタヤー・タイ

                                           Sketched by Sanehisa Goto


 

 

                世界遺産アユタヤー遺跡のライトアップ

 

 

      ▲アユタヤー宿泊 <Tony’s Place>連泊  @200B

                12/8 Soi8 Nareasuan Rd. Ayutthaya  035-252578

 

 

 

 

■3月26日 (25日目)   アユタヤー/ Ayutthaya

 

昨日自転車で巡ったアユタヤー遺跡は、どこがどことどう違うのかという違いを見つけるのに困ったもの

である。 どこを回っても同じ遺跡に見えてきたものだ。 

まだまだこれから修復されることによって、各遺跡の相違がわかってくることを期待したい。

 

朝一番、幻想的な朝焼けを見ながら、貸自転車で街の南にある山田長政で知られる旧日本人村を訪れた。

 

            

                      アユタヤーの朝

 

 

    屋台で朝食の焼き飯<カオパット> (パクチー・ナンプラ・キュウリ・玉ねぎ) 25B

 

 

<アユタヤーの日本人町跡>  入村料40B

中学校の社会科で、山田長政について次のように習った記憶がある。

「1612年頃シャム国に渡り、ここアユタヤーで3000人規模の日本人街の頭領としてまとめ上げ、

700人規模の雇兵の隊長として日本人街を守り、欧米の侵略を2度にわたりくい止め、日本国とシャム国との

親善に尽力し、両国間の貿易に寄与、アユタヤー王朝の大臣に引きたてられ、最終的にシャム国の一地方

であるリゴール国の王位をえて治めた」 と。

シャム国は、山田長政らの活躍により、西欧の侵略国からの防衛に成功した経験は、第二次世界大戦前後、

東南アジア諸国の中、唯一つシャム国を引き継いだタイ王国だけが、列強の植民地になることもなく、

独立国として貫き通している。

 

                     

                           山田長政の活躍したアユタヤー日本人村・日本人町

 

それにしてもアユタヤーはさらに暑い。

あまりの暑さに、ランニングシャツを川の水につけて濡らし、絞って着こんで体温を落すことにした。

それもすぐに乾いてしまうのであるから大変である。

それもそのはず、多くの店が暑さのため閉めてしまっているため、出歩く人も少ない。

 

           

                   チャオプラヤー川に面した日本人町跡         
 

 

<アユタヤー博物館 と 山田長政>   

日本人の多くは、アユタヤーの傭兵としてビルマ軍との戦いにも参戦した。

当時の日本人町の頭であった山田長政は、王から官位を与えられるほど大活躍したが、長政の勢力拡大を

恐れたことと、次期君主の即位反対を唱えたため、1630年に志半ば、約40歳の若さで暗殺された。

その後、日本の鎖国で18世紀初めにはここ<アユタヤー日本人町>も消滅した。

 

 

             山田長政が使用した南蛮船の模型  と  山田長政の立像

                    (アユタヤー博物館)

 

 

 

            文献に出てくる御朱印船(南蛮船)と  山田長政の肖像

 

       『日本人義勇軍行進図』ワット・ヨム寺院に描かれたものの模写  (wikipedia

 

 

           南蛮貿易の拠点であったアヤタヤー日本人町跡付近のチャオプラヤー川岸風景

 

          ▲アユタヤー宿泊 <Tony’s Place>連泊  @200B

        12/8 Soi8 Nareasuan Rd. Ayutthaya  035-252578

 

 

 

 ■3月27日 (26日目) アユタヤー➡バンコク移動 & バンコク散策

 

アユタヤーよりバンコックへは、バスや車で約2時間、約80㎞である。

ゲストハウスの集まる通りと、Naresuan Rd.との北西角に、バンコック行のバンがいつも待機し、

客を集めている。 外国人は65B(タイ人は50B)、とにかく高速道路をぶっ飛ばし、バンコックの

独立記念塔まで運んでくれる。

列車での移動であれば、渡し船(2B)で対岸に渡り、徒歩5分でアユタヤ駅に着く。

バンコクのホアランボーン駅まで約2時間、2等列車40Bである。

列車の普通車両にはエアコンがないので、暑さをしのぐためエアコン付きの高速バスでバンコク

向かうことにした。

 

     

                 アユタヤ列車駅にも立寄ってみた

 

この旅でも、旅行中の思いがけないアクシデントや、病気、遅延などを考えて3日の予備及び休養日を

加えておいた。

しかし、予定通りのスケジュールで終えられたので、帰国便であるバンコック発のフライトまでの3日間を

バンコクで過ごすこととなった。

のんびりとバンコクを散策し、スケッチを楽しむことにした。

 

ここバンコクのゲストハウス<マルコポーロ・ゲストハウス>は、今回のインドシナ半島紀行のスタート&

ゴール地点となった。

 

      

                                        インドシナ半島紀行の基地<MARCOPOLO Hostel> 

                                                                   カオサン通りバンコク・タイ

 

 

      

                       

                    インドシナ半島紀行 発着地点 バンコク

 

 

とにかくこの時期、バンコクは暑いのでゲストハウス<マルコポーロ>のエアコン付きの部屋

(@300B)に投宿することにして、荷物を置いてまず街に飛び出した。

 

       

                    <バンコク散策ルート略図>


 

<国立博物館 ・ タマサート総合国立大学>                  

カオサン通りにあるゲストハウス<マルコポーロ・ホステル>を西に250m程歩くと、アユタヤーへ

向かう船が航行するチャオプラヤー川の東岸に出る。

このチャオプラヤー川には、今から約400年前の1608年ごろ、山田長政率いる南蛮船が行き交っていたと

想像するだけで、日本人の海外飛躍を見る思いである。

 

この川岸に面した緑地に国立博物館はじめ、タマサート総合国立大学がある。

朝からの暑さに涼をも求めて、冷房の効いている大学のカフェテリアに飛び込み、学生料金でパフェ―を

いただきながら、スケッチに色付けをした。

 

 

       バンコク国立博物館               タマサート総合国立大学  

 

                  

 

               

                                                                      バンコク国立博物館<象>

                                                                    Sketched by Sanehisa Goto 

 

 

<ワット・プラケオ / エメラルド寺院>

タマサート大学の南側に、王室専用の国家的儀式を行う寺院があり、本堂の仏像の色彩により

エメラルド寺院と呼ばれる<ワット・プラケオ>が、黄金の塔(スリランカ様式の塔プラ・ショー・

ラタナー・チュディ)を輝かせている。

 

 

                                                 王室の守護寺ワット・プラケオ <エメラルド寺院>

 

ワット・プラケオ <エメラルド寺院>を出ると、立派なタイ式建物にストウパー(仏塔)を乗せた白壁を

持つ清楚な王宮にでる。

まず、中央に高貴な姿を見せる王宮<チャクリー・マハー・プラーサート宮殿>が目に飛び込んでくる。

その東西に<ボロマビマン宮殿>と<ドウシット・マハ・プラサート宮殿>を配し、歴代王族の生活の場に

あてられ、王族の葬儀などが行われている。

 

                       

                                     王宮<チャクリー・マハー・プラーサート宮殿>

 

 

 <ワット・ポー>

宮殿を離れ、川沿いに歩くと、1788年、ラーマ1世によって建てられた<ワット・ポー>が美しい三重の

屋根を見せている。 

本堂の中には巨大な寝釈迦像(全長49m・高さ12m)があり、涅槃の境地である悟りを開かれたお姿を

横たえられている。

 

 

               <ワット・ポー> と <大寝釈迦仏>

 

 

<ワット・アルン / 暁の寺

ワット・ポーの前のチャオプラヤー川渡船場からは、対岸の<ワット・アルン>への渡し船が出ている。 

<ワット・アルン>は、アルン(暁)という名前とおり「暁の寺」として有名であり、チャオプラヤー

西岸より見るワット(寺院)の暁に染まる姿は実に神々しい。

三島由紀夫の小説で「暁の寺」として描かれ、日本人にはなじみ深い寺でもある。

 

 

チャオプラヤー川を見下ろす<ワット・アルン/ 暁の寺>     チャオプラヤー川渡船場

 

                                             

                                      ワット・アルン/暁の寺

                                                        バンコック・タイ

                                                                  Sketched by Sanehisa Goto

 

                                               

                                                             暁に輝 Wat Arun 仏塔

 

ワット・アルンを出て、チャオプラヤー川沿いに歩き、川にかかるプラ・ブッタ・ヨートファー橋を渡って、

チャイナ―タウン近くにある<ワット・トライミット>に向かった。

 

ワット・トライミット

ここには、純度60%の金の仏像<黄金仏>が安置され、高さ3m、重さ55トンというから時価120億円を

超えると言われている。

 

 

               <ワット・トライミット>本堂 と 黄金仏

 

 

アユタヤーを早朝に出発し、バンコクを歩き回ったおかげで、疲れ果てた足を引きずりながら、

バンコク1日目の散策を終えて、ゲストハウス<マルコポーロ・ホステル>にもどる。

 

      ▲ゲストハウス<マルコポーロ・ホステル> 連泊 エアコン付き300B

 

 

<夜の狂騒曲>

夜も更けてくると、<マルコポーロ・ホステル>は、付近や階下のボリュームいっぱいのディスコ曲に

合わせて、床や、天井などが踊りだすのである。 

そのリズムは、ズーズードンドンズーと果てしなく続く。 ゲストハウスは、夜の街である繁華街

カオサン通りにあるのだ。

バックパッカーの利用する格安のゲストハウスでは、カオサン通りのようなディスコ曲だけではななく、

体は南京虫や蚊の襲撃にもさらされる。

 

路上では、多くの若者が夕涼みを兼ね、この自由な世界に身を置く瞬間の、お祭り騒ぎを楽しむ姿が

みられる。

 寝るにねられず、少し本を読むことにして「宇宙はささやく」に目を通すことにした。

ちょうど、この騒音にぴったりなタイトルだと喜んでいると、外のディスコ騒音も、内なる南京虫攻撃も

最高潮に達した。

宇宙のささやきところではなくなった。

 

 

 

■3月28日 (27日目) バンコック散策 2日目

 

朝早く、近くの公園からか、エアロビックスの音楽がボリューム一杯に響き渡って来た。

その響きに合わせて、たくさんの老若男女が集まって奇声をあげている。

托鉢を終えた僧たちが、その騒音をよそに、静かに食事をし、瞑想に耽っているではないか。

その動と静のアンバランスに、どこかタイの生活に根差した小乗仏教の風景を見たような気がした。

 

<朝食 タイ風豆乳粥>  7B

チャオプラヤー川沿いの屋台で、東岸に昇る朝日を体に受けながら朝食<豆乳粥>をいただく。

暖めた豆乳に、寒天・大麦又は米・卵・ネギを入れていただく。 塩や砂糖など一切の調味料を加えない

ヘルシーな食事である。

2008年3月当時、この国の人たちの国民を大切にするプミポン国王(2016年没)に対する尊敬の念は

素晴らしいものがあった。

国王は、微妙な勢力バランスをとりながら、安定した国情を保ってきたからである。

国王夫妻の写真が、街の至る所で見られる。

この屋台にも若き国王時代のボーイスカウト・タイ連盟総裁の写真が飾られていた。

 

 

     チャオプラヤー川東岸より昇る朝日             タイ風豆乳粥  

 

         

               タイ・ボーイスカウト総裁時代の若きプミポン国王夫妻

 

バンコク中央駅―通称ホワランポーン駅>

バンコク2日目、街の雰囲気にも慣れ、街並みを楽しみながら、バンコク中央駅<通称ホワランポーン駅>

に、駅舎と列車を見に出かけた。

 ドイツのフランクフルト駅をモデルに造られたという、アーチ型のドーム屋根を持つ駅舎は約100年の年齢

を重ね、タイ首都バンコクの中央駅にふさわしい風格とノスタルディックな雰囲気を漂わせている。

 バンコク中央駅の待合室は、冷房がよく効いていて、有難いことに火照った体を冷やしてくれた。

また、プラットホームに停車しているフランス製ALS型機関車も写すことが出来た。

 客車にも入ってみたが、日本でいう三等車とも見える衝立型背もたれに、上げ下げの窓、首振り天井扇と、

懐かしい車内に昭和をみた。 確認できなかったが、おそらく大阪の環状線などで走っていた昭和の客車

ではないかと推察した。

 

 

              バンコク中央駅<通称ホワランポーン駅>

 

 

                客車を牽引するフランス製ALS型機関車

 

       

                   昭和の雰囲気を持った客車

 

 

<チャイナタウン>

バンコク中央駅―通称ホワランポーン駅の西側に広がるチャイナ―タウンにも足をのばした。

世界どこにでもあるチャイナ―タウン、そこには熱気と、活気と喧騒に満ちた独特な雰囲気を持つ街が

広がっている。 ここバンコクでは、<ヤワラ―>(別名チャイナ―タウン)と呼ばれ、人々に親しまれて

いる。

 ロスやニューヨークと同じように、ここバンコクの中華街も、薄汚れた街や商店がよく似合っている。

雑然と並ぶ建物はコンクリート製で、耐用年数を超えた時代ものである。

その中で朝日に輝く金ぴかな建物は、極彩色を施したお寺である。

その傍らを、スプレーガンで塗りたくったサイケなトゥクトゥクが駆け抜けていくのだから、同じ仏教国で

ある日本とは対照的な風景を見せている。

この風景もまた小乗仏教の日常的風景と言える。


 

 

    バンコクのチャイナ―タウン<ヤワラー>         昼食 ― タイ風春巻

 

<ワット・スタット>

チャイナタウンの西端にラーマ1世によって建てられたワット・スタットがある。

ここに安置されている黄金に輝く仏像は、スコータイのワット・マハタートから移されたとき、

その大きさから礼拝堂の有名な、美しい壁画と繊細な木彫りの扉を壊さなければ運び込むことが

出来なかったというエピソードが残っている。

結跏趺坐の仏さまは、スマートな体を金箔で飾り、遠く苦しみのない仏国土を見つめておられる。

 

 

        <ワット・スタット>          黄金に輝く<シーサーカヤームニー仏>

 

▲ゲストハウス<マルコポーロ・ホステル> 連泊 エアコン付き300B

 

 

<再び深夜のディスコ騒動>

夜、10時ごろから階下にある深夜族のディスコ騒動の始まりである。

大音響に共鳴して窓枠がうなりを上げ、部屋がサラウンド高性能スピーカーよろしくボリュームを上げる。

振動も凄い、踊るそのすべての騒音がこの部屋に蓄えられ、天を突くエネルギーに変換するのである。 最初、こちらも階下の音楽と騒音を楽しむようにしていたが、深夜を過ぎるころには老体もギブアップである。

大体、格安のゲストハウス泊りのバックパッカーの集まる場所は、世界中似たり寄ったりで、青年たちのエネルギー発散の場にあることが多い。

ひとは、日常を離れると、ここまで自由になれるということに感心しつつ、目を閉じたが・・・

 

 

■3月29日 (28日目) バンコック散策  3日目

 

南京虫の襲撃>

今夜もまた、南京虫の襲撃を受けた。

真夜中、あまりの痒さに目を覚ました。

この部屋の主人である、足にかみついて血を吸った南京虫がのっそりとベッドの上を歩いていた。

これまで痒さの相手は、目に見えにくいダニだとばかり思っていたのだが、以外にも図体の多きい南京虫トコジラミ・写真参考)であることに驚いた。

昭和の前半に生まれた者にとっては、半透明の白いシラミ(虱)との共存は長い間の友人でもあった。

あまりにも懐かしい出会いに、当時の植民地での生活や、戦時下での少年時代を思い出した。

たぶん風呂にも入れず、着替えも出来ず、洗濯も出来なかったのであろう、少年の下着の縫い代に隙間なく並ぶ虱(シラミ)たち。

少年は、血で太ったノミを左右の親爪に挟んで、無心につぶしたものである。

 今の時代に、シラミやノミと戦うおのれの平和な姿に、笑いが込み上げてきた。

現代においても、シラミやノミとの戦いは、バックパッカーにとっての宿命でもある。

 

 襲われた南京虫トコジラミ)を標本にしてみた。

 

 

 

    マルコポーロ・ホステルのある早朝のカオサン通り          屋台で朝食

 

 

<民主記念塔>

 カオサン通りの屋台で朝食を取り、ラン・ルアン通りに向かうと、1932年、シャム王国時代の絶対王政から

立憲君主制に導いたシャム・クーデターを記念して建てられ、バンコクのランドマークとして知られている

<民主記念塔>に出る。

 

      

                 バンコクのランドマーク<民主記念塔> 

 

民主記念塔よりサムセン通りに出て、北へ向かうと右手に高さ32mもある大仏立像<ワット・

インタラウイーハン>が目に入る。

その先のシー・アユタヤ通りを右折して進み、黄金仏で有名なワット・ベンチャマ・ポピット

<大理石寺院>に立寄る。 その後、改革などを通してタイを近代化させた名君<ラーマ5世騎馬像>の

前を通って、旧国会議事堂に向かった。

 

 

高さ32mのワット・インタラウイーハン(大仏立像)         ラーマ5世騎馬像

 

 

  ワット・ベンチャマ・ポピット<大理石寺院>   安置されている黄金仏プラ・ブッタ・チラナート

     伝統的なタイ建築物として有名          スコータイ時代作のタイで一番美しい仏像

 

 

 

        旧国会議事堂前で                 衛兵の交代式

 

▲ゲストハウス<マルコポーロ・ホステル> 連泊 エアコン付き300B

 

 

明日は、いよいよ1ケ月に渡る<星の巡礼 インドシナ半島紀行>を終え帰国する。

早めに屋台で夕食を済ませ、マルコポーロ・ホステルにもどった。

深夜のディスコ騒音と南京虫の襲撃を避けるために、まだ明るいうちにベッドに潜り込んだ。

 

 

 

 ■3月30日 (29日目) バンコック/タイ 帰国日

 

<オカマの女将さん>

バンコクに来てから気になっていた屋台に朝飯を食べに出かけた。

しなやかな柳腰で注文を取り、色っぽい仕草で注文のお粥<ジョーク>を出してくれた。

有名なタイのゲイボーイなのだろう、いかつい体形に徹底した女装、声は男、笑顔は女性より女っぽい。

タイは、こころと体が一致しない人、LBGTの先進国だというが、どうも仏教国としての性に対する寛容性

というより、人のこころそのものに両性が備わり、その表現の仕方にはこだわっていないように見受け

られる。

そもそもタイは性に対しておおらかな国であり、LGBTを認める風土が備わっているようだ。

帰りには、オカマの女将さんの大仰なウインクをもらい、今回のインドシナ半島紀行を締めくくった。

 

 

インドシナ半島を巡って>

今夜10時10分発帰国便、シンガポール航空関空に向かう。

荷物のパッキングを終え、帰国前に再度、渡し船に乗ってチャオプラヤー川東岸にある<暁の寺/ワット・

アルン>に出向き、今回の旅を振りかえってきた。

 今回のインドシナ半島の4か国、カンボジアベトナムラオス・タイを巡って感じたことを帰国に

あたってまとめておきたい。

 

わたしから見て、日本や、日本人が、同じ東南アジア人の顔をしながら、その振る舞いや、現地の人々への

接し方、文明度に対する見方に、どちらかというと西欧白人的であることに、心なしか将来への心配事

として残った。

 

西欧白人は、自分たちの優越的文明史観や、キリスト教的倫理観をここインドシナ半島を植民地化のもと

押し付けてきた。

もちろんそこには第二次大戦終結後の独立を勝ち取るまで、支配と被支配による差別を醸成し、

人種差別的支配が確立していた。

 

独立後、各国は、その搾取による荒廃した国土を懸命に汗水たらして回復に努めてきて、

ようやく安定への軌道に乗せたといえる。

まだまだ生活水準も低く、インフラも整備途中であるといっていい。

今後は、教育水準を上げ、その豊富な人的資源を生かして国力を上げていく国々である。

日本は、インドシナ半島の各国の若き人材を教育機関や会社組織が引き受け、技術を伝え、現地での

指導者育成を計画し、現地生産体制の組織づくりに手を染めだす時であるといえる。

 

そのためには、西欧白人的なものの見方ではなく、礼節と勤勉を重んじる東洋的寛容性で現地の人びとと

接し、各国の立場を理解した政策を取り入れることが大切であろう。

あくまで日本は、各国との友情を大切にし、各国の国益に沿った問題解決に心を配っていくべきである。

 

ここインドシナ半島は、地政学的にも東西の交易、安全保障、労働力の往来の中心として、必ず将来な

十字路になると思われる。

 

第2次大戦前までインドシナ半島は、西欧各国の資源確保のための係争地として注目されてきたが、

今後は成熟した労働力を提供する工業生産地として、また革新的製造拠点として注目されることだろう。

そこには他では見られない、良質な人材(労働資源)が眠っているからである。

 

 

<仮称「インドシナ合衆国」の建国提案>

インドシナ半島が、国境を廃止し、一大コミュニティ統一国家インドシナ合衆国>を成立させたらと、

夢物語を考えてみた。

インドシナ半島には、言語の違いは多少あっても、国境をまたぐ民族が多数存在していることに驚かされる

のである。

そこには、国境の存在感が薄く、国境を越えて自由に往来しているのが現状である。 

彼らのものの考え方と行動を拡大解釈すると、市場の拡大、適地適材生産、民族の融和、資源の共同総合

開発などプロジェクトが一元化されるメリットがある。

ここでは、今回の訪問国カンボジアベトナムラオス・タイに、ミヤンマー・マレーシア・シンガポール

加えての夢の「インドシナ合衆国」建国の提唱である。

 

すでに、ASEANが存在するが、国の枠を取り払っての結びつきを模索する時期が近付いていると云える。

 

将来、いや近いうちに多くの企業が進出し、メコン川流域を中心としたインドシナ半島は様変わりする

と思われる。

 

 

星の巡礼』を続けていると、必ず大河に出会い、流域文明に導かれる。

メコン川も、仏教・ヒンズー教イスラム教を取り入れた混合文明、寛容と従順の文明の中にも時として激しい革命・改革・戦いの血を見てきた。

またの機会に、訪れた五大陸の多くの大河について触れてみたい。

 

感謝合掌

 

 

 

 

           『星の巡礼 インドシナ半島紀行』

       ―メコン川流域の風景  タイ・カンボジア・ベトナムラオスを巡る―

 

 

                       


 



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<関連ブログ>

2022『星の巡礼・メコン川流域の風景 スケッチ展』

shiganosato-goto.hatenablog.com