■2013年9月8日 ≪殺生ヒュッテ2800m⇒大天井ヒュッテ2665m≫ 所要時間:7:35H
昨日は強風と大雨のため宿泊予定の『ヒュッテ大槍』をより近い『殺生ヒュッテ』に変更した。
残念ながらヒュッテ大槍の名物イタリアンは次回に持ち越しとなった。
低体温症を心配したが山小屋のストーブに助けられた。次々と避難してくる登山客にヒュッテは超満員、ずぶ濡れの衣服の乾燥と暖を取るために土間は身動きできないほどであった。出番のなかった緊急用のホッカホッカカイロが役に立ったことはいうまでもない。
出発前の自炊組 殺生ヒュッテにて
東鎌尾根をゆく
6:30am あたたかい朝食をいただいて遅めの出発となった。振り返るとヒュッテは霧雨とガスにまかれ見えない。滑落・転倒に要注意の天候だ。昨日下りてきた岩場をたどり稜線である東鎌尾根へでる。すこし曇り空が明るくなってきた。たしか天気予報は曇りのち晴れ、気温28/20℃、降水確率60%と報じていた。
7:00am 宿泊予定であった『ヒュッテ大槍』前を通過。昨日の大雨・強風の中でのこの30分という距離の違いに、山小屋変更の決定の正しさを痛感した。たぶんあの荒天侯の中では到着に数時間を要し、低体温症の可能性は十分考えられたであろうからだ。
9:00am 水俣乗越2550mは上高地へのコース変更の最終分岐点でもある。この槍沢への分岐をすぎると喜作新道をへて表銀座縦走コースへと続く。ここから落石に備えてヘルメット着用、ハシゴとクサリを使い▲西岳2758mにむかう。
喜作新道はハシゴの連続、新道開拓に尽力された喜作さんには感謝である
10:40am またまたの大雨、『ヒュッテ西岳』に避難し登山記念バッジ600円とカップラーメン400円を購入、昼食立ち食い。暖をとる。
喜作新道はアップ&ダウンの激しいクサリとハシゴの連続である。途中、行方不明者の捜索・遭難ポスターに何枚もであう。胸が痛む。喜作新道からの北鎌尾根ルートの入口があるからかもしれない。アルピニストとしての北鎌尾根への挑戦は血を騒がすロマンを秘めているのである。若ければ足を踏み入れて胸を躍らせていたことだろう。
東鎌尾根、喜作新道には行方不明者捜索の張り紙がみられ、胸が痛む
ひとりの青年が北鎌尾根登山口を入って行った。『グッドラック!&エンジョイ!』と青年に声をかけた。 無事を祈りたい。
霧雨にかすむ大天井岳2922m
喜作新道をゆく
新田次郎著「孤高の人」は、昭和11年1月槍ヶ岳の北鎌尾根で行方不明になった加藤文太郎(1905~1936)の生涯を綴った小説で槍ヶ岳の北鎌尾根での遭難死をもってしめくくっていたことを思いだしていた。山男の青春は死を見ることによってしか花を咲かせることは出来ないのであろうか。
14:05pm いまだ降りやまない大雨のなか『大天井ヒュッテ』に着いた。▲赤岩岳2768mよりビックリ平2549mへ下り、急登すると山小屋がある。二日続けてのずぶ濡れだ。まずは体を温めるためポケットウイスキー1100円を腑臓に流し込んだ。
到着したとき一組の夫婦がテレビの天気予報を観ていた。たぶん雨が止んでからの遅くの出発なんだろうと思っていたら夕食でも一緒になった。
雨だからもう一泊して明日出発するとのこと、賢明な選択である。今晩はわれら二組のヒュッテ独占である。ご夫婦は「ポン&リヨッピー」と自己紹介され、青年歯科医。
ポンさんは本名・巻機真誼(まきはた まさよし)氏、『大好き日本 お助け歯隊』の隊長であり代表である。
夫婦漫才と見まがう愉快・爽快・奇想天外なお二人であった。大天井から燕山荘まで同じルートをたどるとのこと、一つの安心をえた。
明日の天気予報は、晴れるようだが一時雨らしい。気温29/20℃、朝がた最低9℃になるそうだ。水補給、携帯電話とデジカメバッテリーの充電完了。
衣服の乾燥終了。床にもぐりこむ。 夢はいまだアルプスにあり、幸せなり。