徒歩巡礼 8月24日 中辺路最終日
熊野の神域の入口とされる「発心門王子(ほっしんもんおうじ)」から熊野本宮大社へ魂や心の準備をしながら古道を歩いたのであろう。
当時は、「前世と現世に心身に積もった穢れを祓い清め、日本第一の霊験をもって知られる熊野三所権現の神威にすがって、祈願し、生命力を蘇らせることを目的」 として熊野参詣が行われていた。
発心門王子で参詣の初心にかえり魂やこころを清め、水呑王子で手や口を清め、 伏拝王子で大斎原の森を拝しひれ伏し、祓戸王子で最後の禊ぎや祓いをおこなって熊野本宮大社に参詣したのである。
熊野本宮大社の裏鳥居が大きな手をひろげて待ってくれている。
古(いにしえ)の参詣者も、現在の巡礼者もそれぞれの人生を背負ってこの裏鳥居をくぐることになる。
その一歩は、人生のたしかな一歩なのである。
熊野のたくさんの神霊たちが出迎えているではないか。
ツクツクボウシの大合唱が、ベートベンの運命を奏でている。
こころは天使の階段をかろやかなステップを踏みながら下っていく。
時代を越え、どの参詣者もおなじ精神的昂揚を抑えきれなかったであろう。
熊野本宮大社裏鳥居にゴールした 本宮裏の古道の石階段を下る
さきにも口ずさんだ俳句をあらためて口ずさんだ。
《 八咫烏 おいて熊野路 蝉時雨》 實久
<やたがらす 老いて(追いて)くまのじ せみしぐれ>
感謝合掌である
この巡礼でも床に臥す多くの友人と祈りの交換をし、励ましあった。
「ひとはなんのために生き、なんのために生かされているのであろうか」
おたがい静かに、深く考えていきたい。
そして生き、生かされている愛に応えていきたい。
Bルート : 熊野街道中辺路を歩く
完
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《熊野古道中辺路の歴史的背景》
熊野への参詣者が最も多く歩いたとされるのが熊野参詣道・中辺路である。 当時、京都を起点としてその難行苦行の道のり約300kmの徒歩巡礼を終え、最初にたどり着いたのがここ熊野本宮大社である。 往復約600km、約1ヶ月の旅程を歩くのが熊野詣であった。
熊野詣のために通った道が現在の「熊野古道」と呼ばれる参詣道である。
参詣者は、当時の京(京都)を起点に伏見三栖より淀川を船で大阪へ下り、天王寺-堺-和歌山-御坊の海岸沿いを歩き、熊野の玄関口、すなわち口熊野と呼ばれた田辺までくだったあと、
現在「中辺路」と呼ばれている道を通って、熊野本宮大社に参詣したとある。
王子跡とは、熊野詣の修験者によって組織された一郡の神社があったとされる場所である。一方、熊野古道の近隣住民が在来の神を祀っていた社を「王子」とし、熊野詣の途中で儀礼を行う場所としたともいわれている。
熊野三山の名前からもわかる通り仏教的要素が強い。熊野と浄土信仰の繋がりが強くなると、大勢の僧侶が押し寄せると共に、次第に民衆も熊野に頻繁に参詣するようになり、俗に「蟻の熊野詣で」と呼ばれるほどに盛んになったとある。
明治より世界遺産に登録されるまでの約100年近いあいだ、おおくの日本人のこころより忘れ去られていたともいえる。
大斎原(熊野本宮大社旧社地) 大斎原の日本一の大鳥居
熊野本宮大社社殿
熊野本宮 山門
《熊野古道中辺路の歴史的背景》 完
次回 ≪Cルート 熊野古道中辺路派生ルート 赤木越 と C-2大日越 を歩く≫