東行すなわち日本橋方面へは、国道1号線と合流する先で太田川を渡る。
元亀三年(1572)十月上落を始めた武田信玄軍勢約三万は、天竜川沿いに家康配下にあった遠江国内へなだれこんだ。本隊は、破竹の勢で進撃し久野城に迫った。徳川家康は、見付を越え三ヶ野の城に兵を進め、信玄軍を迎えた。信玄は久野城での直接対決をさけ、ここ木原に布陣した。太田川を挟んで家康と信玄がここ木原畷で衝突したのである。この戦いが「木原綴」の戦と呼ばれ、家康は信玄にやぶれ、西へ兵を引き返したとある。
「古戦場・木原畷」石碑そばにある石は、家康が関ヶ原の合戦に先立ち戦勝祈願をするため訪れたとき腰かけたとするものである。
「古戦場・木原畷」石碑
信玄は暗殺を恐れ、自らの影武者に実弟の信廉を起用したり、情報収集のため「三ツ者(身寄りのない少女を隠密として教育し)という「歩き巫女」を全国に放って隠密組織により全国の情報を集めていたという。
これまた有名な風林火山は、信玄の旗指物(軍旗)に記されたとされている「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」<疾(はや)きこと風の如く、徐(しず)かなること林の如く、侵掠(しんりゃく)すること火の如く、動かざること山の如し>の通称であることは有名である。出典は『孫子』軍争篇第七の一部からだと言われている。
木原畷古戦場を案内する解説版
「木原一里塚跡」をしめす木柱は復元塚より東方向に約60mのところにある。
復元された「木原一里塚跡」(植樹は榎)
「どまん中袋井宿」宿場案内板
「どまん中東小学校」 「どまん中の松並木」
「旅行用心集」は、八隅芦庵(やすみろあん)が書き残した江戸時代の旅行手引書に書かれている当時の「旅への心構え」を数回に分けて紹介していきたい。現在でも十分通じる旅の心得である。 簡潔にまとめておくので、詳細は八隅芦庵「旅行用心集」で検索願いたい。
■ 江戸時代の <旅行用心61カ条>Ⅱ(⑪~㉚)
③長湯をしてはいけない ほか
12.風呂の順番で喧嘩するな (宿の案内に従え、不明の時は身分の高い者に譲るべし)
13.疲れをとるには熱い風呂、長めにはいること(のぼせに注意すること) ほか
14.夜は決して歩かないこと ほか
15.旅行中の色欲は、慎しむこと (娼婦は、性病を持っているので注意) ほか
16.夏の旅行中はきれいな水を選んで飲むこと(流れていない水をやたらに飲むな) ほか
17.夏の野原には毒虫がたくさんいるので注意すること ほか
18.食後は急いで歩かないこと ほか
19.馬や駕籠に乗る前に必ず用を足しておくこと ほか
20.人足や馬の手配は、二、三日前に出しておくことほか
21.混雑する問屋場での到着時のマナーとして物静かに対処せよ ほか
22.商用で旅するときは、我慢・堪忍が第一である ほか
23.道中の馬替えによる荷替えには、荷物の数の確認をすること ほか
24.川越えでは荷物の防水に用心すること ほか
25.川越えの時は、直接自分で人足と掛け合うな (宿場役人に相談せよ) ほか
26.女連れの時、川越え・渡船・山道などでは事前に心づもりを伝えておくこと ほか
27.川越え・渡船では懐中物に気をつけて乗ること ほか
28.馬を乗せる船には、人は後から乗ること (老人や女性は乗るな) ほか
29.急ぐときは、船路ではなく陸路を行け (異変、後悔先に立たず) ほか
30.大水の出た川は、小さい川でも不用意に渡るな ほか