shiganosato-gotoの日記

星の巡礼者としてここ地球星での出会いを紹介しています。

2016『星の巡礼・東海道53次自転車ぶらぶら旅500km』39

星の巡礼東海道53次自転車ぶらぶら旅500km』 
   東海道53次の一里塚跡をたどりながら日本橋に向かう> 39

■5・戸塚宿
           相模国・神奈川県>               京より451.1km / 日本橋より41.0km
 
戸塚宿は、東海道535番目の宿場である、東海道では相模国最東端の宿場町である。
日本橋から一泊目にあたり、大山道鎌倉街道厚木街道などと交差する要衝であったことからも賑やかな宿場であった。旅籠数が53次中、小田原宿に次ぐ規模であった。

戸塚宿の規模は、本陣2軒、脇本陣3軒、旅籠75軒、戸数613戸、人口2906人であった。

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藤沢バイパス(旧街道並走)を北にむかって3kmほど進むと右側に「道祖神 馬頭観音」があり、さらに1km先左に「浅間神社」、斜め向かいに日本橋より11里の「原宿一里塚跡」がある。

 
11・原宿一里塚跡   (神奈川県横浜市戸塚区原宿二丁目) 
              京より114里・444.6km/日本橋より11里・42.9km

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11・原宿一里塚跡

この先で国道1号を離れ、旧街道を右斜めに500mほど入って行くと右手に「お軽勘平道行の碑」がある。
そこから更に約2kmのところに京からの西口である「上方見付跡」にでる。いよいよ戸塚宿に入って行く。
旧街道をすすむと左側に「冨塚八幡宮」、「八坂神社」そして「沢辺本陣跡」とつづき、同じく左に「清源寺」を過ぎたらJR東海道線戸塚駅」の北側にあるガードをくぐり、まもなく柏尾川にかかる吉田大橋をわたる。
 
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戸塚宿 澤邉本陣跡


この吉田大橋からおおよそ100m先の右側に日本橋から10里「戸塚一里塚跡」がある。
そのさき150m左の「江戸方見付跡」より戸塚宿をでて、保土ヶ谷宿へ向かうことになる。

 10戸塚一里塚跡         (神奈川県横浜市戸塚区吉田町付近)              
                                         京より115里・448.5km/日本橋より10里・39.0km

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10 戸塚一里塚跡案内板                 大山道入口標柱

途中、左に「大山道標」を確かめながら、自転車を今夜世話になる町田市の姉の家にむかう。
 
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10日目の舎営は姉宅に立寄り疲れをとることにした

 
10日目の舎営は、疲れをとるため保土ヶ谷宿に近い町田市の姉の家に世話になることにした。二日後の日本橋ゴールに備えて体調を整えておきたい。中一日の休息をとり、栄養を補給し、体調を整え、自転車解体のための輪行袋などの点検にあてた。

 


《 10日目 : 2016年5月31日 午後7時45分着町田市姉宅にて舎営 》

      < 10日目  所要時間:  約12時間     走行距離:自転車61km  + 徒歩4805歩 

         8:00am  箱根宿・湯本温泉旅館「ふるさと」をスタート   7:45pm 町田市に到着>


 《 11日目:2016年6月1日 町田市姉宅で休息日をとる》


 《 12日目: 201662  午前7時45分  町田市を出発し、保土ヶ谷宿にもどり

        最終ゴール地点・日本橋に向かう 》

 
 


今回の「自転車による東海道ぶらぶら旅」は、人生の大半を世界にばかり目を向けてきたためにも、ぜひ時間をかけて日本の歴史の道を自分の力で走ってみたかったことにある。自分への挑戦であり、老化する旅スタイルへの変革でもあった。


ようやくわたしの「星の巡礼」も、故郷である日本の「ふるさと」にもどってきたことに安らぎを感じている。

さあ、最終ゴールである日本橋まであとわずか、ペダルをこぐ毎に力がみなぎってくる。

感謝の気持ちを載せて、自転車は「星の巡礼路である東海道」を江戸にむかった。


又いつの日か、ペダリング、サイクリングした海外の素晴らしさも紹介してみたい。
 


    武蔵国・神奈川県>                日本橋より459.9km/ 日本橋より32.2km


いよいよこの自転車による京・三条大橋をでて、江戸・日本橋500kmを走り終える日を迎えた。


星の巡礼東海道53次自転車ぶらぶら旅500km』

<一里塚をたどる東海道53次の自転車旅>の江戸・日本橋に立つ最終日である。


さあ、最後の一日、江戸時代の残りの街道を駈け、宿場「保土ヶ谷・神奈川・川崎・品川」を訪ね、無事に日本橋に立ちたい。

201662日快晴の最終日、朝745分町田市の舎営地を自転車で出発した。

 
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最終日、町田市の舎営地を自転車で日本橋に向けて出発

 
保土ヶ谷宿程ヶ谷宿とも書く)は、東海道534番目の宿場であり、東海道では武蔵国最西端の宿場町である。江戸を出て最初の難所だった権太坂をこえる前には、ちょうどいい休息の場だったことと、東海道のほかに金沢鎌倉道、八王子道、大山道(相州道)の街道の分岐に位置し、賑やかな宿場であったとある。

保土ヶ谷宿の規模は、戸数558戸、本陣1軒、脇本陣3軒、旅籠67軒、人口2928人であった。



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参勤交代の一行が現在の横浜・保土ヶ谷宿に到着し、帷子橋をわたっている。なんと長閑な
風景か。日本にも良き時代があったんだと感慨深い。広重はテーマの設定の仕方と、構図がいい。
現代人にノスタルジーをあたえる、広重の表現力に見入ってしまう。
わたしは東海道53次を江戸に向かっているので、保土ヶ谷宿をあとにするとき、この帷子橋を渡ることになる。
まず、531日(10日目)最終地点である保土ヶ谷宿・品濃一里塚跡に戻ることにする。


戸塚宿を離れ、旧街道をすすむと柏尾川と国道1号をわたり、「品濃坂」を上って行くと街道両側にある「品濃一里塚跡」にでる。


 

9・品濃一里塚跡        (神奈川県横浜市戸塚区平戸四丁目) 

                                           京より116里・452.4km/日本橋より9里・35.1km

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9 品濃一里塚跡案内板


品濃一里塚跡より東北へ200mほどの右手にある「荻原代官屋敷・道場跡」をすぎて、街道をすすむと角に「投込塚の碑」がある。


その先、横浜横須賀道路を横切り、JR東海道線の南側をすすむと「樹源寺」先200mほどで国道1号に合流する。

合流地点より1きm先右手、用水路をはさんで日本橋より8里「保土ヶ谷一里塚跡」と「外川神社」がある。


この辺りは旧街道といえ、その面影はない。自動車2台が行き違う時には、自転車を下りないと危険である。ましてや遺跡・遺構・道標・案内板では、そのたびに自転車をとめなければならず、みなさんに迷惑をかけながらの走りとなった。安全運転に気をつけながら日本橋にむかう。

 

8 保土ヶ谷一里塚跡           横浜市保土ケ谷区保土ヶ谷二丁目) 

             京より117里・456.3km/日本橋より8里・31.2km


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「8 保土ヶ谷一里塚跡・上方見附跡」案内板

そこから500m地点で街道は左折するが、わずかな間に「藤屋脇本陣跡」・「旅籠・本金子屋跡」・「水屋脇本陣跡」と続き、保土ヶ谷宿の中心を歩く。

そのさきの角の南側に「本陣跡」がある。

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藤屋脇本陣跡木柱と案内板                 < 保土ヶ谷 宿>                           本陣跡

高札場跡をあとにして、JR高架をくぐり右手に「保土ヶ谷駅」をみながらすすむと、左側に「旧帷子橋跡」の標識のある相模鉄道天王町駅」の線路をわたり、街道と国道16号と交差する信号「洪福寺」を越えて、神奈川宿に入って行く。

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保土ヶ谷宿・立場跡
 
 
 
 
 
 
 <東海道53次の一里塚跡をたどりながら日本橋に向かう> 40
     ■日本橋より3番目の宿場・神奈川宿 につづく