shiganosato-gotoの日記

星の巡礼者としてここ地球星での出会いを紹介しています。

2016『星の巡礼・東海道53次自転車ぶらぶら旅500km』31

星の巡礼東海道53次自転車ぶらぶら旅500km』

  東海道53次の一里塚跡をたどりながら日本橋に向かう> 31


■12・沼津宿
           駿河国静岡県           京より374.1km /日本橋より118.0km
 
 
沼津宿は、東海道5312番目の宿場であり、現在の静岡県沼津市大手町付近に位置する。
規模は、戸数1234戸、本陣3軒、脇本陣1軒、旅篭屋55軒であった。

沼津宿は、天正10年(1582)武田氏が三枚城を築城してから城下町となって、幕末まで5万石の城下町として宿場として栄えた。

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歌川広重東海道五拾三次 沼津」黄昏図 (たそがれず)


原宿にある白隠禅師が住職だった松蔭寺をでて、1km走るとJR東海道線をくぐる。なお直進、1.5km先の左に日本橋より31里の「大諏訪一里塚跡」がある。「松長一里塚跡」ともいう。


31大諏訪(松長)一里塚跡    静岡県沼津市大諏訪付近) 
         京より94里・366.6km/日本橋より31里・120.9km

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大諏訪(松長)一里塚跡石柱



大諏訪一里塚跡をあとにして街道を突き当たると狩野川にかかる永代橋に突き当たる。

永代橋の手前250mに「乗運寺」があり、境内に歌人若山牧水の墓がある。


若山牧水の歌碑 《 幾山河越え さりゆかば寂しさのはたなむ 国ぞけふも旅ゆく 》


永代橋から西へ向かうと千本松原があるので立寄る。


 

<千本松原>

増誉上人はこ浜にお経を唱えながら松を植え「千本松原」をやどらせたという。

「1本植えてはなむあみだ、2本植えてはなむあみだ」と唱えながら植松したとある。

沼津城を築いた武田勝頼が北条との「千本松原の戦」の時、作戦上、松を残らず切り倒してしまった。
そのため、苦しんだ農民を見て上人が再生させたという。

田子の浦より続いているのだろうか、見事な松林である。


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増誉上人手植えの千本松原- 松林遊歩道

 

千本松原より永代橋方面にもどり、左へと旧街道へ入って行くと狩野川の西岸を浅間神社、沼津城本丸跡(現在は中央公園)、沼津兵学校とつづく、ちょうどこのあたりが宿場街であった。宿場街を左に見ながらすすむと三園橋より500m先の右手に日本橋から30里の「日枝一里塚跡」がある。

 

三園橋を北へ向かうとJR沼津駅である。

 

30日枝一里塚跡       静岡県沼津市平町付近) 
         京より95里・370.5km/日本橋より30里・117.0km

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小公園に日枝「一里塚跡」の標示のある案内標識(道標)
一里塚跡らしき石碑・石柱・復元塚らしきもの見当たらず。

日枝一里塚跡の標示を後にして、右手に狩野川を従えて1kmほど行くと旧国道1号をはなれ、街道は右斜めに入って行く。その分岐に「潮音寺」がある。曽我兄弟の討ち入りの夜、工藤祐経と一緒にいた白拍子・亀鶴ゆかりの寺である。


その先、「黄瀬川橋」(きせがわばし)をわたると「間の宿・長沢」、「 中内村の常夜灯」とつづき、三島の宿場街へと入って行く。


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中内村の常夜灯

狩野川の支流、黄瀬川に架かる「黄瀬川橋」を渡ると、いよいよ日本橋より11番目の宿場「三島宿」である。

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黄瀬川橋より黄瀬川の上流をみる (2016/5/30/13:41通過)


 


■11・三島宿

               伊豆国静岡県            京より379.9km/ 日本橋より112.2km


三島宿は、東海道5311番目の宿場であり、 現在の静岡県三島市に位置する。

規模は、本陣2軒、旅籠74軒であり、江戸幕府天領であった。


沼津宿より、間の宿・長沢、新宿、中内をへて国道1号を横断したら、この東海道53次自転車ぶらぶら旅の中で最も立派に維持され、対をなしている一里塚が残っている、日本橋より29里目の「伏見一里塚」が目に飛び込んでくる。


対をなしている一里塚は、街道の南側すなわち日本橋にむかって右側に「宝池寺一里塚」と、街道の北側すなわち左側に「玉井寺一里塚跡」がある。この対の一里塚をもって総称「伏見一里塚」とよぶ。


 29伏見一里塚静岡県駿東郡清水町伏見)  

        京より96 377.0km /日本橋より29里・113.1km


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29 伏見一里塚跡(宝池寺・南側)                      29宝池寺一里塚・南塚の案内板


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29伏見一里塚跡(玉井寺一里塚・北塚

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歌川広重東海道五十三次 三島』  朝霧
 
源頼朝が源氏の再興を願った三嶋大社を中心に開けた門前町であり、箱根越えを控えて多くの旅人が逗留した賑やかな宿場であった。
 
わたしも箱根峠越えを前にここ三島宿で露営することにした。
 
 
立派な伏見一里塚跡をあとにして500m先右に「西見付跡」があり、その向かいに道と並行して走る水路・「千貫樋」(せんがんとい)がある。
 その先の伊豆箱根鉄道を越えたところにある三石神社の境内に時の鐘があり、朝夕宿場に時をしらせたとある。
 街道の右に「樋口本陣跡」、左に「世古本陣跡」、その先左に「問屋場跡」がつづく。
 
そのさきに、先ほど述べた「三嶋大社」が左側にある

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三島宿・世古本陣跡と街並み                    樋口本陣跡石柱

 

いよいよ明日から東の天下の剣・箱根越えが始まる。今日は走りを早く切り上げ、明日に備えて体を休めることにした。

まず露営地である三島市三好町(国道1号線の北側)の「愛鷹神社」近くにある天然温泉「極楽湯」につかって疲れをとり、かつ丼で栄養をとって、はやめにテントに潜り込む。


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三島市三好町にある極楽湯で今日の汗と疲れをとる

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 9日目露営地・三島「愛鷹神社」                     「愛鷹神社」境内裏に露営


《8日目:2016年5月30日 午後3時 三島宿「愛鷹神社」境内裏にて露営》

  8日目所要時間:13時間  走行距離:自転車58km  / 歩き23160歩 

   5:00am 興津宿スタートし、3:00pm 三島宿「愛鷹神社」に到着 


 

《9日目:2016年5月31日 午前4時30分 三島宿露営地-「愛鷹神社」を出発》

 
三嶋大社より約400mのところ左に「東見付跡」、さらにJR東海道線、新幹線をまたぎ東へ進むと日本橋より28里より「錦田一里塚跡」に出会う。


このさき、いよいよ東の天下の剣・箱根峠の三島宿側の「箱根路」の入口である。
 
 
 
 
東海道53次の一里塚跡をたどりながら日本橋に向かう> 32
 ■ 日本橋から10番目の宿場・ 箱根宿 につづく