■10・箱根宿
昨日は、ながい雨の一日であった。
富士山にもそっぽを向かれ、ただただ濡れた大地をにらんでのラン(サイクリング)となった。
箱根越えに備え、早寝早起きのスケジュール、いまだ闇の中撤収を始める。
4時30分には自転車を東へ、箱根路へとハンドルを切った。
箱根の山は天下の剣といわれるが、京よりの箱根西坂は急峻な東坂にくらべてゆっくりと上って行く。
といっても、旧道の箱根路西坂は自転車に乗って上りきるには体力の限界がある。ゆっくりと箱根峠標高846mまで自転車を押して、歩いて登った。
三島宿より、今井坂、愛宕坂をのぼり、初音ケ原の松並木を行く。「箱根八里は・・・」の今昔の歌碑を見ながらさらに進むと、錦田一里塚跡にでる。曇る富士山を振り返りながら坂を上って行くと「箱根路の碑」、旧東海道をを離れ左に入ると塚原新田の村落を通って臼転坂を上って行く。
朝一番、三島より箱根坂をのぼりだす
旧街道松並木・石畳み「箱根路西坂」はこの自動車道(旧国道1号)のバス停「愛宕町」を左手に入って行く。
旧街道・箱根路と国道との分岐 箱根旧街道「西坂」石畳み
京より97里 378.3km /日本橋より28里・109.2km
復元されている「28錦田一里塚 」
石碑を左へ箱根路にはいる。
「箱根路」石碑を左にのぼっていく(右・国道)
「塚原新田」村より「臼転坂」に入る。
箱根・臼転坂にある村・塚原新田を通過 旧箱根街道「臼転坂」をのぼっていく。
箱根路・臼転坂にある「馬頭観世音」に安全を祈り、 「臼転坂の石畳」をのぼると次の村を通過
次の村・「市の山新田」に着く
<馬頭観世音>
観音菩薩の変化身(へんげしん)の1つであり、街道ができてから馬が移動や荷運びの手段として使われることが多くなった。これに伴い馬が急死した路傍などに馬頭観音が多くまつられ、動物への供養塔となっていった。
馬が濁水を飲み尽くし,雑草を食い尽くすように,衆生の煩悩を断尽する尊であるともいわれている。
大時雨坂につづき、小時雨坂を上って行くと、「三つ谷新田」村を通過、左に松雲寺を見ながら下長坂へ入って行く。
松雲寺の山門前に「虚子の句」がかかっていた。
《 森惜しむ 命惜しむに 異ならず 》 虚子
「三つ谷新田」村にある松雲寺の山門 松雲寺山門前の「虚子の句」
つづいて「下長坂」をあがると、途中に「笹原新田・箱根旧街道通行止及び迂回路」(2016年5月30日現在)の看板に出会う。
この工事区間は、旧街道である箱根路西坂を迂回することになる。
迂回区間は、写真を拡大して確認願いたい。
「下長坂」をあがる 「笹原新田・箱根旧街道通行止及び迂回路」(2016現在)
27笹原一里塚跡への道標
「こわめし坂」の角に「笹原新田」の道標がある。
旧東海道は、 「こわめし坂」をまっすぐ上がって行く(左手へ)
ここ「こわめし坂」の角にある空き地で休んでいると、老婆から差入れをいただいた。
その真赤なトマトの色にこの世のものとは思えない奥深い美しさを感じた。
感謝の一瞬である。
この自転車旅でも、たくさんの方に心のこもった差し入れをいただいた。
「お礼を申しあげます。有難うございました。おかげさまで無事自転車旅を終えました。」と
報告したい。
差入れのトマトを有難くいただきながら、坂を上って行くと右側に日本橋より27里の「笹原一里塚跡」がある。
箱根八里「笹原一里塚跡」の道標 「一里塚」石碑と塚跡
笹原一里塚跡より上長坂の石畳坂をのぼっていくと、 坂の右、富士見平に「芭蕉句碑」を左に見ながら、 「山中新田」村を通過する。
上長坂の石畳坂 「芭蕉句碑」
芭蕉句碑 《 霧しぐれ 富士を見ぬ日ぞ 面白き 》
この2日間の、富士の見えない雨曇りの日々を面白がっているような句に出会って、このような心境を詠える芭蕉に拍手を送ったものだ。
その入り口に「山中城址」の石碑が建っている。
「山中城址」の石碑
このあと、「小枯木坂」をのぼり、「兜石」(甲石)、「山中新田一里塚跡」、「接待茶屋跡」をたどり
箱根峠へ向かうことになる。
箱根路西坂の真ん中あたりにさしかかっているようである。箱根峠までもうひと踏ん張りである。
■10箱根宿ー ② につづく