大磯宿の化粧坂をすすみ、花水橋(花水川)を渡ると200mほどで国道1号線と別れ右に入る。
相模川(馬入川)にかかる馬入橋を渡ったところに「馬入一里塚跡」の石碑が置かれている。さらに国道1号(旧街道)を東へ進み、「新湘南バイパス」と小出川を渡る。ここから800m先の千ノ川の「鳥井戸橋」でてさらに進むと、JR茅ヶ崎駅前の国道1号の右側に「茅ヶ崎一里塚跡」がある。
京より110里・429.0km/日本橋より110里・42.9km
15馬入一里塚跡
京より111里 435.9km/日本橋より14里・54.6km
■6・藤沢宿
<相模国・神奈川県>
藤沢宿の賑わい
日本全国の旧街道を歩いていると「庚申供養塔や庚申塚」が多くみられる。旅人にとって気になる供養塔であるので、すこし案内解説板を見ておく。ここ庚申供養塔に関して藤沢市教育委員会は以下のように解説している。
庚申供養塔
<庚申供養塔について>
《庚申信仰は十干・十二支の組み合わせによって、60日に一度めぐってくる「庚申の日」に、その夜を眠らずに過ごして無病・息災・長寿を願う信仰である。
この源流は「人の胎内にいる三尸虫(さんしちゅう)が、庚申の夜、天にのぼってその人の罪過を天帝に告げるため生命を縮められる」とする中国の道教の教えに由来している。
江戸時代、万治・寛文(1658-1672)には、仏教を背景に広く庶民に伝わり、「庚申講」が結ばれて庚申の夜は、講中の人々が当番の家に集まり、徹夜で酒食歓談して過ごす庚申待の行事や、供養塔の造立が盛んになった。》とある。
わずか100数十年前まで、中国の道教が日本全国の庶民の信仰として浸透していた様子が見て取れる。その庚申塔や庚申塚を旧街道で日常的に見られるということは、その信心から来る庶民の祈りや願いが聴こえてくるようである。
また庚申の教えは仏教や神道にもおおくの影響を与えているという。いまなお現在の日常にも引き継がれているといえる。
当時の旅人には、村の境界や道標として村名や里程が彫られている庚申塔や塚は「街道一里塚」と同じく貴重な道案内であったことがわかる。
すでにみた「庚申供養塔」は、ここ辻堂一里塚跡近くにある。
京より112里・436.8km/日本橋より13里・50.7km
13辻堂一里塚跡
松並木が終わるところに辻堂一里塚跡がある
「辻堂一里塚跡」先150mほどのところ左角に「大山道標識」がある。
大山道入口には、大山不動尊が祭られ、その奥には大鳥居が建っている。
ここより約150mで国道1号と別れ、右へ旧街道に入る。2km先で引地橋(引地川)渡り、藤沢宿に入って行く。
小田急電鉄の陸橋の手前100mほどの右手に「京見付跡」がある。
大山道入口 「京見付跡」 藤沢宿 庄屋(二階が土蔵になっている)
12遊行寺坂一里塚跡
遊行寺坂は道場坂とも呼ばれている。
この遊行寺坂を上りきったところで藤沢バイパス(国道1号)にでて、戸塚宿に向かう。
■日本橋より5番目の宿場 ・ 戸塚宿 につづく