shiganosato-gotoの日記

星の巡礼者としてここ地球星での出会いを紹介しています。

2016『星の巡礼・東海道53次自転車ぶらぶら旅500km』30

星の巡礼東海道53次自転車ぶらぶら旅500km』

  東海道53次の一里塚跡をたどりながら日本橋に向かう> 30


■13・原宿
   駿河宿・静岡県       京より368.2km / 日本橋より123.9km
 
吉原宿の川合橋を渡って街道を東へすすむと、約3kmほどで田子の浦に注いでいる昭和放水路の右角に日本橋より33里目の「沼田新田一里塚跡」がある。
 
原宿は、東海道5313番目の宿場であり、現在の静岡県沼津市に位置する。宿場以前は浮島原と呼ばれ、木曾義仲討伐のために上洛する源義経が大規模な馬揃えを行った場所である。

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33・沼田新田一里塚跡      静岡県富士市沼田新田付近) 
           京より92里・358.8km/日本橋より33里・128.7km

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昭和放水路角にある「沼田新田一里塚跡


この辺りの駿河湾の砂浜が有名な「田子の浦」である。
 
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田子の浦海岸はこの時、浚渫中                  


 

田子の浦


田子の浦  ゆうち出でて見れば  真白にそ  富士の高嶺に  雪はふりける 」  山部赤人


の句が自然と口にでてくる。

しかし、この時の田子の浦は浚渫中、それも雨のなかで富士も隠れていた。

 
沼田新田一里塚跡より250m先左に「望嶽碑」、富士山が素晴らしく見えるらしい。 そしてJR東海道「東田子の浦駅」とつづく。
さらに300m進んだところで、旧東海道1号線と別れ斜め左に街道は入って行く。

分岐から3km右手に日本橋より32里目の「一本松一里塚跡」石碑が人の家の前にたっている。


32一本松一里塚跡    静岡県沼津市原付近) 
                                 京より93里・362.7km/日本橋より32里・124.8km

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32一本松一里塚跡

 

さらに進むと地酒名酒「白隠正宗」の清酒醸造元 高嶋酒造の前を通る。

なおその先、高札場跡、本陣跡、問屋場跡と走ると左手に「白隠禅師誕生地石碑」がある。


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地酒名酒「白隠正宗」

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原宿 本陣跡                                                               原宿 問屋場
 
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白隠禅師誕生地石碑
 

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 原宿・白隠禅師誕生地銘板


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松蔭寺山門                                                      白隠筆「白隠達磨」
 
駿河には過ぎたるものが二つあり、富士のお山に原(宿)の白隠』と歌われ、臨済禅中興の祖と仰がれる白隠禅師は、1685年(貞享2)12月25日に生まれる。


15歳の時、松蔭寺の単嶺祖伝和尚を師として自ら望んで出家し仏門に入る。19才から32歳まで修行行脚で全国を巡り33才で松蔭寺住職となり84才で亡くなるまで松蔭寺を中心に全国各地で真の禅宗の教えを広めた。毛筆の書画に秀でて達磨図や観音菩薩絵は特に有名である。』    (解説板より一部抜粋)
 
若い時に、白隠禅師の豪放磊落な生き方に魅せれれて禅師の教えを学んだことがある。

なかでも禅師の教えの真髄といえる「白隠禅師坐禅和讃」は、いまでも一日一度は唱和する和讃である。

わたしの思考・行動の規範の根底に、静かに息づいているといえる。


 白隠禅師>


禅師は若い頃、禅修行のやり過ぎで禅病になり、空気のきれいな京都市左京区の瓜生山、その東側の峰に住んでいた、白幽という仙人より「内観の秘法」を授かって回復したのである。


また禅師は、ある時期わたしの身近におられた方でもある。瓜生山にある大学に勤務したことがあって、たびたび瓜生山東峰の霞みたつ禅師治療隠棲の地を訪れたものである。


駿河国原宿(現・静岡県沼津市原)にあった長沢家の三男として生まれた白隠は、15歳で出家して諸国をして修行を重ね、24歳の時に鐘の音を聞いて見性体験*するも増長して、信濃長野県飯山正受老人道鏡慧端)にあなぐら禅坊主と厳しい指弾され、その指導を受けて修行を続け、老婆に箒で叩き回されて次の階梯の悟りを得たといわれている。

更に修行を進め、42歳の時にコオロギの声を聴いて仏法の悟りを完成したと伝えられている。

白隠禅師は、松蔭寺の住職として臨済宗中興の役割をはたしている。
 
(*見性体験 : 禅語の言葉で、自己の本来の心性を見極めること)

現在も、臨済宗十四派は全て白隠中興としているため、彼の著した「坐禅和讃」を坐禅の折に読誦する。
 
余談だが、滞米中、教えを受けたニューヨーク禅堂・嶋野栄道老師(元金剛峰寺住職・キャッツキル)のおられた三島龍沢寺の住職・本玄峰老師(昭和の偉大なる禅僧山)が、ここ松蔭寺の住職を兼ねておられたことを知って驚いている。
 
ここに「白隠禅師坐禅和讃」全文を載せておく。

白隠禅師坐禅和讃>
 
衆生本来仏なり                      水と氷のごとくにて
水を離れて氷なく                   衆生の外に仏なし
衆生近きを不知(しらず)  して  遠く求むるはかなさよ
譬(たとへ)ば水の中に居て   渇を叫ぶがごとくなり
長者の家の子となりて              貧里に迷うに異ならず
六趣輪廻の因縁は                   己が愚痴の闇路なり
闇路にやみぢを踏そへて        いつか生死をはなるべき
夫れ摩訶衍の禅定は               称歎するに余りあり
布施や持戒の諸波羅蜜           念仏懺悔修行等
其品多き諸善行                      皆この中に帰するなり
一座の功をなす人も               積し無量の罪ほろぶ
悪趣いづくにありぬべき          浄土即ち遠からず
辱(かたじけな)くも此の法(のり)を  一たび耳にふるゝ時
さんたん随喜する人は              福を得る事限りなし
いはんや自ら回向して              直に自性を証すれば
自性即ち無性にて                  すでに戯論(げろん)を離れたり
因果一如の門ひらけ               無二無三の道直し
無相の相を相として                  行くも帰るも余所ならず
無念の念を念として                  謡うも舞ふも法の声
三昧無碍の空ひろく                  四智円明の月さえん
此時何をか求むべき                  寂滅現前するゆゑに
当所(とうじょ)即ち蓮華国    此身即ち仏なり


 
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■参考資料

 
<旅行用心集    35~61条>

 


35大勢で長旅をするな


36大酒飲み、癖のある人、癇癪もち、喘息持ち、大変な持病もちとは一緒に旅をするな


37軍資金は腹巻の財布にしまうこと、日銭は小出しに使うこと


38旅籠で寝るときは、刀剣類は床下に、槍・薙刀は床奥におくこと


39道中は火の用心に気を配ること  (野原でのたばこの吸い殻、渡船での着物や荷物)


40野焼きの飛び火に注意すること


41人の野菜、果物に手を出すな  (五穀や干し物を踏むな)


42山中や野道で出会うご婦人には挨拶だけで、余計な話はするな


43間の宿(宿場間の宿)での宿泊では荷物や戸締りに用心すること


44よその土地の風俗や言葉を笑ったりするのは間違いであり、口論のもとである


45道中、他人が口ずさむ小唄などに、一緒に口ずさむな 口論のもとである


46口論、ばくち、碁、将棋、村の踊り、村の相撲、変死人、殺しの場面などに関わるな


47、欲から問題を起こす空相場、賭碁や将棋は絶対にしてはならない


48湯治場は硫黄分がおおく刀身の錆に注意すること


49主人の用事で旅する時は、寄り道や近道をするな


50宿で火事にあったら、いち早く身支度し、状況を判断し身をまもれ、宿の者を頼るな


51相宿での事件にまきこまれれないために、相客をよく観察し、それなりに心がけておくこと


52相宿で酒盛りが始まれば、仲間内で誰かが寝ないでおくこと


53馬上のとき、馬が暴れ出したら驚いて飛び降りるな、怪我をするものだ


54春の陽気で急に駆け出し怪我をするので、春の馬は乗下馬に注意すること、


55夏、馬に乗るときは、虻(あぶ)にさされて馬が跳ねたりするので気をつけること


56宿で相客などに、妙薬などで安く売ると勧める者がいても、堅く断ること、薬屋で調合してもらうこと


57飛脚や荷物運びの監督人は、程度の軽重はあっても一般に大切な役目だと心得るべきである


58大小の刀は、軽くて短いのがよい、衣服など目立たない恰好であれば、災難にあうこともない


59旅行中の不慮の事故などについて家族や、書置きを身に着けておくこと


60道中で日食や月食にであったら、終わってから歩きだせ


61道中、社寺、公共物へrの落書きや御札を張ることは厳禁である


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富嶽三十六景』(ふがくさんじゅうろっけい)は、葛飾北斎の作成した代表的な風景画・ 浮世絵である。 北斎の代表作品二点を付け加えておきたい。


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東海道53次の一里塚跡をたどりながら日本橋に向かう> 31
    ■12沼津宿 につづく