shiganosato-gotoの日記

星の巡礼者としてここ地球星での出会いを紹介しています。

2016『星の巡礼・東海道53次自転車ぶらぶら旅500km』25

星の巡礼東海道53次自転車ぶらぶら旅500km』

  東海道53次の一里塚跡をたどりながら日本橋に向かう> 25


■21・岡部宿
  駿河国静岡県           京より304.4km  /  日本橋より187.7km

 藤枝宿より朝比奈川をわたり、藤枝バイパスをくぐったあたりで国道1号線と合流し松並木をみながら約1km進むと、岡部郵便局や町民センターおかべ、岡部町役場などがあり、岡部町の中心地になっている。
なお、1kmほど進むと、右に内野本陣跡、その先に見えて来るのが復元大旅籠・柏屋(かしばや・現案内所兼歴史資料館・国定登録有形文化財)である。
さらに東へ200mほど行くと左に「十石坂観音堂」、その先をすすむと「宇津ノ谷峠」へとのぼって行く。
 
岡部宿は、東海道5321番目の宿場で、 現在の静岡県藤枝市岡部町にあたる。
岡部宿の規模は総戸数487戸、本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠37軒、人口2322人とある。
 
現在、国道1号は「宇津ノ谷トンネル」を通る。わたしは旧東海道がある「宇津ノ谷峠」に掘られた「明治のトンネル」をヘッドライトをつけて走り抜けた。もちろん明治のトンネルには照明もある。思ったよりトンネルは長かった。案内板から「明治のトンネル」は我が国最初の有料トンネルであったことを知った。
正式には「明治宇津ノ谷隧道(登録有形文化財)」といわれる。
 
 
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歌川広重東海道五十三次・岡部』    宇津ノ谷峠


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松並木に導かれながら岡部宿に入って行く

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枡形跡                                                 旅籠「柏屋」(案内所・資料館を兼ねる)

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旧東海道・明治のトンネルへ至る分岐
 
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明治宇津ノ谷隧道(登録有形文化財                  宇津ノ谷峠にある 「明治のトンネル」

岡部宿と丸子宿の間に、「宇津ノ谷の里」がある。ここ「宇津ノ谷峠」を越えれば、丸子宿へ下って行く。「宇津ノ谷の里」は落ち武者の里というか、隠棲の里のように静寂の中に世の移り変わりをじっと見つめているような里である。自転車を押し下り、この山間の里の静けさを楽しみながらの散策となった。

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「宇津ノ谷峠」東側登り口                                   昔の面影残る「宇津ノ谷の里」

現在、JR東海道は海岸線を走っているが、明治初めの国鉄東海道線計画では掛川より静岡へぬける最短ルートを考えていた。しかし調査の結果、宇津ノ谷峠のトンネル掘削の困難さから計画を断念した経緯がある。
国道1号も宇津ノ谷トンネルをぬけるので、ここ「宇津ノ谷の里」を地下で素通りしている。この山里の静寂さは騒音から隔離されているからなのか、静かな里だ。素敵だ。


 
48・岡部一里塚跡       静岡県藤枝市岡部町岡部付近) 
                 京より77里・300.3km / 日本橋より48里・187.2km


現在、残念ながら一里塚跡は存在せず。どうも塚跡の位置を同定できないでいるらしい。
自転車の距離メーターで推定するに、「日本橋より49里・鬼島一里塚跡」より3.9km先は、「48里・岡部一里塚跡」になるはずである。
岡部川と旧東海道がならび「宇津ノ谷峠」へ向かう十石坂の観音堂のあたりになるのではないだろうか。


 
47宇津ノ谷一里塚跡  静岡県静岡市駿河区宇津ノ谷付近)
                京より78 306.3km/日本橋より47里・183.3km


「宇津ノ谷の里」を下ると、宇津ノ谷トンネルからの国道1号と再会する。国道を東へ下ると右手に「道の駅・宇津ノ谷峠下り線」がある。
この辺りに47宇津ノ谷一里塚跡」があるはずだが見つからない。

いつの日か、両一里塚跡が同定され、里塚跡が表示されることを期待する。今後も、この歴史的街道である東海道を愛する旅人が一里塚を頼りに京へ、江戸へとノスタルジーを旅するであろうから、なおさら一里塚跡の設置が望まれる。


さきに進み、丸子宿に向かって国道1号の坂を猛スピードで駈け下だる。自転車の凄味は坂で時速40kmもでるということである

前の軽トラに追いつきそうだ。
一瞬、「もしブレーキがきかなかったら」と、恐ろしい妄想にひるむ。老人になっても若き時代のスリル感が抜け去っていないようである。自重しなくちゃ。


坂をくだると、丸子川にかかる丸子橋を渡って丸子宿に入って行く。


 


 
■20・丸子宿
   <駿河国静岡県                京より312.2km/ 日本橋より179.9km


 
岡部宿より急坂の旧東海道をのぼると宇津ノ谷峠に出る。いまなお薄暗き細い草むす道である。歌舞伎でも「蔦紅葉宇都宮峠」の文弥殺しの場面になるほど山深い峠である。
明治になってようやく「明治のトンネル」(当時は有料であった)が峠下に貫通し、峠越えが安全になったという。


石段を宇津ノ谷の集落におりていく。もちろん車道が迂回しており自転車に乗って下りることもできる。


天正18年(1590小田原征伐東海道をくだった秀吉とその軍団もここ宇津ノ谷の集落に足を止めている。


「宇津ノ谷の里」より下り来て、宇津ノ谷トンネルよりの国道1号に合流し、一気に走り下ると丸子川にかかる丸子橋を越え丸子宿に入る。まず、峠を越えた旅人が、腹ごしらえに立寄ったであろう、とろろ汁茶屋「丁子屋」に出会う。


丸子宿は、東海道5320番目の宿場である。鞠子宿とも書く。現在の静岡県静岡市駿河区丸子にあたる。東海道中でもっとも小さい宿場であり、戸数は211戸、本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠屋24軒、人口は795であったという。

たどってきた岡部宿との間に宇津ノ谷には山間に昔の街並が残る。名物はとろろ汁で、広重が描いた「丁子屋」(ちょうじや・現在もとろろ汁茶屋)でも食することができる。

<丁子屋   ちょうじや>


丁子屋は、創業慶長元年(1597)、丸子宿で420年もとろろ汁を現在も提供し続けている有名な茶屋である。
歌川広重も、「東海道53次 浮世絵」の20番目の丸子宿のテーマとして丁子屋を描いている。

また、丁子屋を詠った芭蕉の句も店の前にある。

< 梅若葉 丸子の宿の とろろ汁>    (梅若菜―うめわかな)


そのほか、十返舎一九は「東海道中膝栗毛」で丸子宿・丁子屋のとろろ汁を作中に取り入れている。日本橋を出て6日目、弥次さん喜多さんは丸子宿のとろろ汁屋で夫婦喧嘩に巻き込まれ、とろろ汁を食べずに店を出てしまう場面がある。


けんくはする夫婦は口をとがらして鳶とろヽにすべりこそすれ >   (けんくは・喧嘩)


絵画の世界で有名なエピソードとして、広重の丸子宿の浮世絵「丁子屋」は、モネの連作「積みわらの構図やグラデーションの使い方などに影響を与えたといわれる。

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歌川広重東海道五十三次・丸子」 丁子屋             広重の影響を受けたといわれる
                            クロード・モネの「積みわら」

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現在のとろとろ汁茶屋 「丁子屋」


丁子屋の先、左に丸子宿本陣跡、なお進むと左手歩道に日本橋より46里・丸子一里塚跡がある。



               

東海道53次の一里塚跡をたどりながら日本橋に向かう> 26
 ■20丸子宿ー② につづく