2017『星の巡礼 モンゴル紀行 』 4
ウランバードル中心、スフバートル広場南にあるバス停より東行きのトローリバスに乗車し、東バスターミナル《 バヤンズルク・バスターミナル 》前で下車。バスからの降り方は難しい、「公共バスの乗り方」は先述したので参照願いたい。
バスターミナルにはすでに7台ほどの各地へ向かうバスが出発を待つ。狭い待合室には大きな荷物をもった乗客であふれかえっている。外国人はわたしひとりなのか、みな里帰りなのであろう、リラックスしている。モンゴルは広大な国、旅行者の大多数は飛行機を利用しているようである。
乗合バスでのんびりと旅をする、という旅スタイルはわたしにぴったりなのだ。現地の人達と日常に生活し、
現地の食べ物を口にし、その国の裏側をのぞき、現地の人達と語りあう、今日のいろいろな出会いが楽しみ
である。
さて、自分の乗るバスは自分で探さなければならない。行先はみなモンゴル文字である。
ここ数日で、モンゴル・アルファベットの読み方にも慣れてきたのであろうか、バスのフロントに掲げられている
行先「Даланзадгад」(ダランザドガド)を見つけることができた。
切符を見せ、予約指定席を確認し乗込む。最前列でバス乗車口に近く、モンゴル大草原をパノラマで見ること
ができそうである。
出発時間が近づくと、大型の荷物が車で持ち込まれ、ターミナルは大混雑である。アジア各地の
バスターミナルでよく見受けられる混雑風景であり、人間の生きる力を感じる時間でもある。
人混みをぬって売り子が煮卵、新聞、駄菓子、サトウキビ、向日葵種、なぜか爪切りを売り歩いているので、
ただでさえ満員のバス内は荷物を乗り越えて座席につかねばならない。
大幅な出発の遅れを覚悟していたが、わずか17分の遅れである。どのようにさばいたのであろうか、
ウランバードル・東バスターミナル・バヤンズルク 午前8:17 発
南ゴビ砂漠の街・ダランザドガド 午後5:45着 約550km・約10時間
られるのだからテンションがあがる。
ウランバードル郊外の高層アパート群を左手に南へ向かう
ウランバードル郊外に広がる大草原 ここから南ゴビ砂漠は始まっているといえる
出発して、45分ほどで緑の海・モンゴル大草原がひろがる。モンゴルの広大な大地の牧草地帯に真っ白な
円形の移動式テント・ゲルがぽつぽつと静かにたっている。
モンゴル大草原のゲル と 放牧されている馬たち
垂れ下がった白雲の下で馬や牛、羊たちが草を黙々と食べている情景は、本でみたモンゴルの風景であり、
憧れの絵画でもあった。その澄んだ青空、地平線近くに浮かぶいまにも落ちそうな入道雲、こころ豊かにして
くれる尽きない緑の絨毯、この素晴らしい景色が約550kmつづくのだ。日本だと大阪、東京間が大草原だと
いうことである。世界のどこにでもみられる景色ではない。
中古バスのエアコンもよく効き、隣の100kg超のご婦人が心地よき居眠りを始めるとともに、体重をまかせ
座席占有率を拡大してきた。また、後ろの子供と仲良くなり、飴玉の交換やスケッチを見せたりと長距離バス
での楽しい時間をもつこととなった。
走っている国道の入口で料金を払っているところを見ると、この道は二車線だが有料ハイウエーのようだ。
なだらかなカーブとゆるやかな丘を駆け抜けて南ゴビへとつづいている。
地平と天の接する国 モンゴル
何処までも続く緑の丘、緑の海が彼方に横たわる一本の地平線で、しずかに天空と溶け合っている。こ
の広大なモンゴル大草原を騎馬上のチンギス・ハーンと騎馬軍団の幻が東西南北に駆けまわっている姿が
目に浮かんできては消えていく。
夢想にふけっていると、バスが突然大草原の中へ突っ込んで止まった。子連れの親や、我慢していた男女が
飛び降りていく。
トイレタイムである。視界を気にしながら、大草原にしゃがみこんで用を足すのである。もちろん立ちションもいる。遠慮していたら修行僧のように終着まで苦痛に耐えなければならない。わたしもみなに並んで大草原を
すこし湿らした。
目の前の大草原に、仔馬の屍が半分白骨化して、大地に肥料として帰って行く姿があった。
モンゴル大草原で爽快な一瞬を味わう
オボー(標識・生贄を捧げる石塚)に捧げられた羊たち
タイプにわけられるように思えてならない。
あるファーストフード店では、コックさんも、ウエイターもみな朝青竜似のそっくりさんであったことに驚いたこと
がある。
3時間ほど走ると、丘陵もなくなり大平原に変わってきた。草も背丈のある針状の物がおおくなってきた。放牧もオートバイや四駆(自家用車)から馬にまたがるカーボーイスタイルに変わってきた。
やっと草原の人々の生活が匂う街にはいった。風を防ぐ木柵に囲まれた庭にゲルと煉瓦建平屋、自家用車とオートバイ、衛星放送用受信アンテナと太陽光パネルをもった家が並ぶ。家によっては井戸もある。ほとんどの家庭は、井戸水販売店で水を購入しているようである。
ゲル と 大草原で活躍する中国製オートバイ
道中、熟睡したようだが、いまだ大草原の景色は変わらない。ただ川もなく、山もなく、樹木もない。砂漠化が進んでいるのだろうか。すでにゴビ砂漠に入っているのであろう、恐竜の化石が出たとの看板がでていたり、二瘤ラクダの放牧に出会ったりする。土がすこし赤みを帯びてきた。
司馬遼太郎著の「モンゴルの記」に次のような記述がある。司馬夫妻も1970年代、モンゴル人民共和国時代(ソビエト連邦衛星国家)にここ南ゴビを訪れている。彼の夢は、陸路南ゴビ砂漠よりモンゴル大草原を縦断し、ウランバードルからイルクーツクに車にテント・水・食糧を積んで走破したいという計画をもっていたようである。ある日、ガイドに打ち明けたら、白骨化してもよければおやりなさいと言われ断念したと書いている。また、当時は共産政権下であり、指定された飛行機しか許可されない時代でもあったらしく、夢を成就できなかったと書いている。
冷戦時代の窮屈な、検閲された旅行しかできなかった時代でもあった。
いま、司馬さんが夢にまで見たルートをバスで移動していることをおもうと平和な時代の有り難さが身に染みるのである。
また、当時南ゴビからウランバードルにかけてラクダによる商隊の道しかなく、車道はあっても酷路であったらしい。2009年度版の「地球の歩き方」にもウランバードルから南ゴビへは約30時間かかると書かれているところを見ると、この有料ハイウエーは最近完成したことになる。いや今もまだ一部工事中のところもある。
工事区間は、ハイウエーをはずれ大草原のなか、砂塵を巻き上げて走ることになり、冒険的である。モンゴルで四駆の車が多いのは砂漠を走るためである。バスも窪地をさけバンピングしながら、かすかに残る轍を頼りに道なき大草原を突き進む。
ハイウエー上に現れる水の膜、追いかけても追いつかない。地平線上の蜃気楼は、海に浮かぶ幻想的な無数の島々を現出させては消えていく。
蜃気楼のつくりだすアートを楽しんでいると、ハイウエーの両側に背の高さ30cmほどの若木が植えられていることに気付いた。それらの木、一本一本にチューブがつながり、わずかな配水によって育てられている。目的地、南ゴビ砂漠の街ダランザドガドに近づいているのだ。
砂漠を緑化するという、涙ぐましい努力や挑戦が全世界で展開されている。数年前に訪れた砂漠の国と言ってもいいイスラエルで、1本の緑の木を育てるのに、まるで赤子のようにチューブ配水によって大切に育てられているのに接し、感銘を受けたことがある。
そこでは、日本でいう雑草(という草はないのだが)ですら生えないのである。
砂漠化は、地球上の4分の1に相当すると言われている。ここゴビ砂漠も今から数万年まえは緑豊かな、恐竜たちの天国であったという。
地球の温暖化は徐々に進んできていることがわかる。われわれの世代で、できることを各人が自覚して取り組むことの外に温暖化を遅らせる、いや防ぐ方法はなさそうである。不便な生活への回帰、豊かさを求めない生活態度、いちど立ち止まって考えてみようではないか。それも急ぐ必要がある。今日の目標を立てることから始めよう。
「通電しぱなしの便座をスイッチに切り替える」でもいい。やれることから始めるのがいい。小さい身近の事から、それもひとりひとりから・・・
あれこれと砂漠化を考えているうちに、目的地である南ゴビの中心都市・ダランザドガドに午後5:45 到着
した。
ウランバードルから、ここダランザドガドまでモンゴル大草原・ゴビ砂漠をバスで 約550km・約10時間かけて走ったことになる。
有料道路ができる数年前までは、30時間以上かかったということはすでに述べた。
植樹した一本一本にホースで水をやらないと育たない
2017『星の巡礼 モンゴル紀行 』 5 へつづく