2017『星の巡礼 モンゴル紀行 』 10
◎ 世界遺産「エルデニ・ゾー」
オルホン川での露営、トレッキングの前に、オルホン渓谷の文化的景観である世界遺産「エルデニ・ゾー」を観賞した。
ストウーパで囲まれた世界遺産「エルデニ・ゾー」
現在のハラホリンの街は、「エルデニ・ゾー」の南側からオルホン川にかけてゲル村を形成し、観光に頼る小さな地方都市である。
9世紀にウイグル帝国が現在のハラホリンの前進の町を造っている。 1235年、チンギス・ハーンの次男、モンゴル帝国第二代のオゴタイ・ハーンがここに都を建設し、壮麗な宮殿や寺院群が建設され、カラコルムと命名されたという。
第五代ハーン(皇帝)のフビライ・ハーンがカンバリク(現在の北京)に都を移し、帝国の首都の機能は失われたが、モンゴル地域の中心都市として栄えたとある。
しかし、15代トゴーントウムル・ハーンがタハイという城壁都市を造って移転したことにより、古都カラコルムは衰退を繰り返し、現在のハラホリンとして残った。
1917年にはストウーパに囲まれた「エルデニ・ゾー」の境内に62棟の寺院と500の建物があり、10000人を超す僧侶が居住していたといわれる。
1936~39年にかけて、モンゴルの共産革命後、ソビエト連邦の政治的弾圧によりモンゴル全土で17000人の僧侶が粛清、惨殺された。
1938年当時、「エルデニ・ゾー」は破壊され18棟に減り、僧侶の多くが殺され64人になったので、全員還俗し、閉鎖されたという。
現在は、国家保護を受けた唯一つのモンゴル建築物として公開されている。
世界遺産「エルデニ・ゾー」入口(東門)
「 ゴルバン・ゾー 」(三つの寺) 中国式木造建築物 (左より西寺・中央寺・東寺の伽藍が並ぶ)
ラブラン・ゾー (ラブラン寺)は、 僧堂として使われ、沢山の僧侶が修行に励んでいる
「エルデニ・ゾー」の西口から一歩外に出ると、旧帝都カラコルムの街が大草原の中に広がっていたという。
エルデニ・ゾーを囲むストウパー一つ一つに五体投地をしながら巡礼し、祈りを捧げている熱心な信者さんを
みかける。
ベルギー人夫妻に声をかけられる。
「亀石をぜひ見てらっしゃい」という。
西口から西南約500m先に遺跡発掘現場があり、その手前に立派な亀石がある。
現存する亀石の中でその姿を破損されることなく残っている一つだという
「エルデニ・ゾー」のストウパーの遠景が眺められる
ここは標高1470m、五位鷲が砂丘の湿地に静かに舞い降りる様は見事である。五位鷲を近くで観たい場合は、エルデニ・ゾーの入り口前で写真撮影用に飼われているので立ち寄ってみるとよい。
断雲から漏れ来る夏日に、汗がしたたり落ちる。
ひんやりした水シャワーが心地よい。
ゲルには、東京からの正(まさ)さんと、ニュージランド・クラストチャーチからの青年と同宿と相成った。
出合とは、不思議なものである。
交差した人生の跡「エルデニ・ゾー」の寺院内に白い花が咲いていた
「エルデニ・ゾー」内、ラブラン寺のスケッチ
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