shiganosato-gotoの日記

星の巡礼者としてここ地球星での出会いを紹介しています。

2017『星の巡礼 モンゴル紀行 』 11

2017『星の巡礼 モンゴル紀行 』 11
 

■ モンゴル帝国帝都カラコルム(現ハラホリン)、オルホン川畔にて露営 ③

◎ モンゴル帝国  夢の跡
     
   1. ル・バルガス遺跡    
   2. ホショ-ツアイダム遺跡  と ビルゲ・ハーン遺跡
   3.  オルホン川渓谷 でのトレッキングと露営

 
この広大なモンゴル大草原のほぼ中央に南北に流れるオルホン川がある。


オルホン渓谷にはモンゴル帝国の往時を偲ぶことができるハル・バルカス遺跡、ホショーツアイダム遺跡(別名キョルテギン遺跡) と ビルゲ・ハーン遺跡、そしてすでにみた世界遺産「エルデニ・ゾー」がいまも残る。


GAYA Guest Houseでスタッフ・マグマウ氏の運転する車に乗り、各遺跡をまわるとともに、トレッキングのスタート地点であるオルホン川畔で降ろしてもらった。(運転手の昼食込で約60US$・参加者が増えれば人数割り
となる)

1.ハル・バルガス遺跡

イメージ 1
モンゴル帝国 帝都カラコルムがあった大草原をル・バルガス遺跡へ車で向かう
 
イメージ 2
  草原ではモンゴル帝国将兵の騎馬となったモンゴル馬の子孫が迎えてくれる

イメージ 3
オルホン川渓谷の遺跡めぐりでお世話になったガイド兼ドライバー の マグマラ氏と
 
 
ル・バルガス遺跡は、オルホン橋を渡って川西の道を北上、約45kmホショ-ツアイダム遺跡のオルホン川をはさんだ西側に位置する。見渡す限りの大草原に草をはむモンゴル馬たちが迎えてくれる。車は道なき大草原の轍(わだち)を頼りに目的地である遺跡に向かう。ガイドや車なくして来られる遺跡ではない。


8~9世紀のウイグル帝国のブグ・ハーンの代に「宮殿の町」として造営された。


朽ちかけている土塁でできた長方形の城壁(高さ約8m)が宮殿跡を囲んでいる。その跡地には、中央北側に高さ12mほどの城郭跡(土塁)があり、城壁をとおして西側に当時広がっていた町の跡を見渡すことができる。
ちっぽけなひとりの人間が、この悠久につながる歴史の中に立っていることに感動を覚えるひとときであった。

 イメージ 4
       朽ち果てた土塁が長方形に宮殿を取り囲み、その宮殿跡の頂にオボの布が風に揺れていた
                                                       ハル・バルガス遺跡にて
 
イメージ 5
 モンゴル帝国の騎馬戦士も愛したであろう可憐なピンクの花に見送られてハル・バルガス遺跡を後にした


2. ホショ-ツアイダム遺跡 と ビルゲ・ハーン遺跡

ホショ-ツアイダム遺跡はオルホン川の東岸、ハラホリン(旧カラコルム)から北へ約45kmにあるチュルク帝国の英雄キョルテギンの墓とされる。塀で囲まれた広場の中央に漢字とチュルク文字(ウイグル語)で刻まれた石碑が建つ。(レプリカ、現物は博物館に展示)

日本のJAICAの援助で建てられたという博物館に、実物の巨大なキョルテギン石碑が展示されている。漢字とチュルク文字で英雄キョルテギンの業績とモンゴル帝国の歴史を書き記している。

黒髪、直毛、黒目のモンゴロイドと言われるが、その類似がオスマントルコ(現トルコ)においても見られるという。 バルカン半島をふくめ、シベリアからアナトリア半島までチュルク語が話されていたことを思えば、モンゴル帝国の広大さに目を見張る。

その後、南宋を征服し、元寇の襲来により日本をうかがうことになる。

それも世界征服の戦略として、海洋帝国となり海上シルクロードを抑えて成し遂げようとしていたのだから、モンゴル帝国によってすでにグローバル化がはじまっていたといえる。

イメージ 6
ホショ-ツアイダム遺跡博物館


イメージ 7


                                       イメージ 8
    
                                 有名なキョルテギン石碑―裏面の漢字 と 表面のチュルク文字による碑文


キョルテギン石碑は、突厥碑文(とっけつひぶん)として有名な石碑である。


1面に漢字で中国文、他の3面には68行の約1万のチュルク(突厥)文字が刻まれている。漢字の碑文は、第2チュルク帝国のビルゲ・ハーンの弟、キョルテギンの死にあたり、中国、唐の玄宗皇帝が自ら起草したもので、チュルク(突厥)が唐に臣族していたことを示す歴史的に重要な内容である。

イメージ 9
白い塀で囲まれたホショ-ツアイダム遺跡と碑(レプリカ)


ビルゲ・ハーン遺跡は、ここより南東方向に約800m先にあるビルゲ・ハーン(中央ユーラシアを支配したチュルク帝国のテレス・ハーンの息子)の祠の遺跡である。ビルゲ・ハーン碑もまたチュルク文字(表)と漢字(漢字)で彫られている。


漢字によると、中国唐代の玄宗皇帝がビルゲ・ハーンに送った讃辞であるという。

イメージ 10

ビルゲ・ハーン遺跡、正面奥にレプリカの碑が建つ


3.  オルホン川渓谷 でのトレッキングと露営


モンゴル帝国の夢の跡を散策したあと、ハル・バルガス遺跡の東に流れるオルホン川畔にトレッキングと
露営をするため車で送ってもらった。
ここからオルホン川西岸を南へ約28km、2日の予定でトレッキングに出かける。


青空に散らされた爽やかな白雲がオルホン川面に映り、流れは緩やかである。
昼間の厳しい熱さを避け、オルホン川畔にテントを張る。

イメージ 11
オルホン川トレッキングの雄姿を残す

イメージ 12
昼の暑さをしのぐためオルホン川畔にテントを張り、午睡をとる
 
イメージ 13
オルホン川の水を求めてやってきた羊の群れがテントに近づいてきた
 
熱射をさけテントに潜り込み音楽を聴き、詩吟を高らかに詠じ、俳句を詠み、騎馬軍団の来襲を空想する。
持参した非常用栄養ドリンク(ウイスキー5:強壮ドリンク剤5)にほろ酔い、
モンゴル大草原に至福な時間が流れる。

暑さが弱まる16時トレック開始、日が沈む21時までオルホン川西岸のモンゴル大草原を一気に南へ、ハラホリンにむかう。
持参した2日分の飲料水、いや命の水が肩にくいこむ。いざとなればゴビ砂漠と違って、オルホン川の水を煮沸して飲めばという安心感はあるが、携行水ほど重いものはない。

大草原のトレッキングは、山歩きと違って変化がなく、陰がない。真っ白なキャンバスの中にいるような錯覚に陥る。行けども地平線が逃げていく感覚に戸惑う。目を覚ませてくれるバッタたちの先導、名も知れない小さな花たちの語りかけ、生命力あふれるペンペン草達に助けられて今夜の露営地にたどり着いた。

イメージ 14
オルホン川岸に咲く、可憐な草原の花たちの励ましを受ける

大草原に暮れゆくすっかりおなじみになった夕焼けをみながらの設営、夕食、寝床の準備、エアーマットへの息の送り込み、蚊取り線香の煙の揺れ、暗黒の世界へのいざない、すべては終末への安らかな一歩である。

 
 
                     
                             2017『星の巡礼 モンゴル紀行 』 12 へつづく
 
          ―モンゴル帝国帝都カラコルム(現ハラホリン)、オルホン川畔にて露営 ④―