shiganosato-gotoの日記

星の巡礼者としてここ地球星での出会いを紹介しています。

『星の巡礼・ユーコン紀行』 <ユーコン・ カヌーの旅360km日記>

 


■「テスリン・ユーコン川 カヌーの旅360km日記」  ①


数年前の秋、『星の巡礼アメリカ一周』 に出かけた途次、ユーコン川をカヌーで360km漂流した。
星の巡礼ユーコン紀行』は、その時に書き留めたものである。
時は過ぎ去りつつあるが、そのときの興奮とこころに留めた風景は、いまだ新鮮に瞼に焼き付いている。

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  カヌー 「ワイルド・ユーコン号」


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122年前、1896年カナダ・ユーコン準州クロンダイク地方で金鉱が発見され、一獲千金を狙う人々がユーコン川を下ってやってきた。このゴールドラッシュでできたのがホワイトホースの街から830km離れたユーコン河畔にあるドーソンシ・ティである。
今回のユーコン川カヌーの旅は、ホワイトホースとドーソンの間にあるカーマクス・Carmacsまでの360kmを下る。
正確には、ユーコン河支流であるテスリン川・TeslinRiverのジョンソンズ・クロッシングJohnson'sCrossingをスタートし、途中ユーコン、テスリン両川の合流点フータリンカ・Hootalinquaを経由して、カーマックス・Carmachsにゴールした。


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       テスリン川&ユーコン川370㎞カヌーイング《ホワイトホース⇒カーマックス》

 
● 準備日  <9月15日>
 
バンクーバー22:15発、Canada Air #AC8449でホワイトホース00:15着。
予約してあったゲストハウス Hide On Jackell Guesthouse>(地図①) に入り、仮眠をとり
朝を迎えた。
夜遅くのチェックインにもかかわらず、こころよく出迎えて貰えたのがうれしい。多くの客はユーコン
大自然のなかで野営を、アウトドア―を楽しんでいるのだろうか、ずいぶん部屋は空いていた。


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 ホワイトホースでの基地Hide On Jackell Guesthouse>


今日は、ホストに紹介されたホワイトホースに点在する店をまわり、テスリン・ユーコン川下り7泊8日に
携行する品々を買い集める。
ゲストハウスは、ホワイトホースの一番南にあり、歩いて数分の所にユーコン川が北へ向かって流れている。
南北に走る、近くの4th Avenue(四番街)を北へ、標識に従って<Main St.>を右折、
MAC’S FIREWEED BOOKS ⑦>で「川地図・テスリン/ユーコン」(RiverMap & Guide Book)二冊を購入。
4th Avenue(四番街)にもどり、北端にあるアウトドア―雑貨店<CANADIANTIRE ②>で川下りに
必要な野営用具や備品を購入(詳細リストは別項参照)。
Chilkoot Wayから2ndAve.にでて、スーパマーケット<CANADIAN SUPER STORE③> で食料品
ほかを購入した。
そのあと、夜中に空港シャトルバスで降りた、ユーコン川沿いのFront St.にある<BUS TERMINAL>
向かった。
次なる目的地であるCanadian Rockyへのバス時刻表を確認するためCanadaGrayhound Bus カウンターに立寄った。
 

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ホワイトホース市街地図


ホワイトホースの街は、ユーコン川に沿って、碁盤の目の道が配され、道に沿って芝生の家が立ち並ぶ静かな街である。
9月下旬、ユーコンの短い夏のシーズンを終え、長い冬を迎える準備をしている。
ユーコンの川面も初冬の色をおびて暗く、その深さに冷たさが伝わってくる。一瞬その重たい流れの速さに
恐ろしさがよぎった。 9月下旬のユーコンはすでに人を拒んでいるようにもみえた。
 
ユーコンを下るかぎり、川と仲良くしたいものである。 躍るこころを押さえきれずに、岸辺におりてユーコン
流れに手をつけ挨拶をしたものだ。
 
いまから約120年前、ホワイトホースは、アメリカ各地から一獲千金を夢見て、金鉱に向かって押し寄せた山師がユーコンを下ってドソーン・シティに向かうための最初の野営地であった。かれらもまたこのユーコンの流れをみて、おなじ思いにふけり、 興奮に心躍ったに違いない。
 
10万人の山師がクロンダイク川支流の金鉱に向かった当時、ホワイトホースは無数の白いテントで覆い尽くされたとそうである。 現在のホワイトホースはユーコン準州の全人口の80%、27000人がここに住んでいる。
 
1896年カナダ人のジョージ・カーマックと仲間の先住民ドーソン・チャーリー、スコークン・ジムの3人がクロンダイク川の支流で膨大な金を発見し、川沿い約150mにわたって採掘権を主張する杭をたてる。彼らはここをボナンザ・クリーク(儲けの小川)と命名。ニュースはすぐに北米中に広がり、北の大地に一気に人々が押し寄せ、19世紀最大のゴールドラッシュが沸き起こった。
 
ユーコンには、金を求めて10万人がやってきたと言われるが、その多くはアメリカ人だった。彼らはカリフォルニアから船で西海岸を北上しアラスカのスキャグウェイまで行き、ここから歩いて峠を越え、ユーコン川までたどり着き、さらに川を下ってドーソン・シティへ、というルートをとった。最大の難所となったのはスキャグウェイの先に待ち構える峠チルクット・パスやホワイト・パスで、人々は重たい荷物を背負い、まるでアリの行列のように列をなして雪の坂道を登っていった。 この峠を越えた先、ユーコンの川下りを始めるためのキャンプ地となった場所が、現在のホワイトホースである。

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ホワイトホースへと雪のチルクット峠を越える金鉱探しの男たち


午後3時ごろ、日本人ツアー客を案内し、ユーコン川下りをしていたガイドの櫛田氏がゲストハウスを訪れ、打合せ。 その後、各種バッテリーの充電、リバーマップやガイドブックの研究、予定キャンプサイト位置のチェック、そして携行品をフードコンテナ、ツールバッグ、バックパックの3種類にわけ、床に就いたのが深夜。 床に就くが興奮冷めやらず熟睡には至らなかった。 もちろん夢にまでみたユーコン川をカヌーで下るその前夜なのである、無理はない。
 
ユーコンとは、先住民族のいう「偉大なる川」を意味する。 北米二番目に高いローガン山5959mから流れ出る山々の水が集まりユーコン川を形成し、ベーリング海峡までの3250kmを旅する大河である。
 
ユーコン流域には、グリズリー・ベアー、ムース、狼、リンクス(カリブー)達が住みついていた。人が入ってきたのはせいぜい120年前に過ぎない。

 


● 1日目  <9月16日>


ユーコンの街・ホワイトホースの早朝、どんよりとした曇り空のもと、気温は零下なのか霜が降り、遠くの山の頂に雪が見える。
午前8時45分、クロンダイク・カヌーイング・レンタルズ<Klondike Canoeing Rentalsのオーナー兼ガイドの櫛田氏がわれわれをピックアップにやってきた。


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櫛田氏の案内でゲストハウスを出発する
 

この日同じく、ユーコンカヤックに乗り単独で下るという静岡県藤枝からのW氏を紹介された。
9月下旬ともなると、ユーコンを下る冒険者も、夏の時期と比べると極端に少なくなるという情報に、一抹の
不安があったわれわれは仲間のあることを喜んだものである。

途中の艇庫でわれわれのカヌーとT氏のカヤックを積み込み、アラスカン・ハイウエー<AasanHighway>
東南約100km先にあるテスリン川<Tesulin River> スタート地点ジョンソンズ・クロッシング
<Johnson’sCrossing> へ、マーシュ湖(Marsh Lake)やスクアンガ湖(SquangaLake)の景観を
楽しみながらのドライブである。
 
ホワイトホースを出発しユーコン川を下る方法は、その先に横たわる約50kmのラベルゲ湖<LakeLaberge>をパドリング(手漕ぎ)で縦断し、川下る方法がある。

体力に自信がない場合や向かい風の場合は、水上飛行機で湖の出口であるLower Labergeまでカヌーごと
運んでもらうこともできるという。

しかし、われわれは体力や日程上から、ユーコン川に横たわるラベルゲ湖<LakeLaberge>縦断を断念、
大多数のカヌーイストがスタート地点とするテスリン川ジョンソンズ・クロッシングからユーコン川本流
(合流点・フータリンカ)を経由し、目的地であるカーマックスに向かうことにした。
 
同じ方向にユーコン川を下るのだから、よほどのことがないかぎりほかのカヌーに追い抜かれたり、出会うことはないことは覚悟していたが、この期間中にユーコンを下っていたカヌーやカヤックに出会うことは一度もなかった。
ただ、この秋深いユーコン川流域の大自然を満喫するキャンパーや馬にまたがって野に臥しながら狩猟を楽しむハンターたち、またモーターボートによるユーコン川の野営やキャンプファイアーを楽しむドイツ人ツアー客
にであった。
さすがこの時期、釣りシーズンが終っていたのか釣り人に出会うことはなかった。
 
ジョンソンズ・クロッシング(ジョンソン橋)―JohnsonsCrossing (Bridge)のテスリン川東岸にてカヌーに荷物を載せ、防寒服(兼雨具)、長靴、防水手袋、帽子にサングラスの出で立ちにライフジャケットを着け、目的地であるカーマックスでのピックアップ時間(9231500現地にてピックアップ予定)の打合せを済ませたあと、1230分櫛田氏に見送られて、テスリン川へカヌーを漕ぎだした。


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 テスリン川ジョンソンズ・クロッシングにて(出発地点)

もちろん、静岡県藤枝からのW氏もカヤック単艇でのスタートである。ゴールのカーマックスまでの約360kmの間、われわれは前後しながらお互いをウオッチング(安全確認・監視)しあえると思うだけでも安心であった。


カヤックは、カヌーとちがい座席部以外は密閉されたクローズデッキであり、荷物の大部分は座席後部の外側に置き、重心が高くなるぶん横転沈(チン)になりやすい気がした。 また、シングルブレードパドルなため流失を防ぐためにファーネスによる確保が必要でありそうだ。 そのほか、カヤックに荷物をくくりつけると喫水がほぼ腰直下にまできて危うさを感じた。それなりに熟練の操船技術と経験が求められるようである。


カーマックスまでの、無事な川下りを誓い合ってのスタートとなった。


さすがにカヤックである。 あれよあれよという間に、カヤックの姿が消えていくではないか。カヌーでカヤックを追いかけることは出来そうもないことに気付かされ安心もどこえやら、前後に一艘のカヌーもカヤックも見当たらないのだから一瞬不安がよぎる。


カヌーに<ワイルド・ユーコン / THE WILD YUKON>命名する。


カヌーが初めてのパートナーを貴賓席であるバウ・シート(前部座席)を割り当て、ウオッチャー(見張り役)としての役割を担ってもろい、存分にユーコン大自然を楽しんでもらうことにした。
もちろんスターン・シート(後部座席)はキャプテン席、舵取りからエンジン役はじめすべてをこなすことになる。
カヌーイストとしてその歴戦の腕前を披露することにいささか興奮していたのであろうか、数々の失態をかさね、ユーコン・カヌー下りは終生忘れえない、楽しい冒険旅行となった。

初日は、カヌー初体験のパートナーに、あれこれ操船技術や沈(チン・横転・水没)対応時の逃れ方などを伝授したりしているあいだに、テスリンの流れに乗って第一日目の野営地である<100マイル ランディング / Hundred Mile Landing> 近づいた。


テスリン川畔にまで森が迫っているHundred Mile Landingには、すでに先客が大勢い上陸し、設営を
済ませ、焚火を囲んで夕食の支度に励んでいた。そのほとんどの人々は、モーターボートによる
ユーコン・リバーツアーで、休暇を楽しむドイツ人の多いことに驚かされた。 このツアーのみなさんや
ガイドさんに、後日起こるわたしたちの食糧不足にたいして、差入れや援助を申出てもらうということになろうとは想像もしていなかったのである。


テスリン川第一日目の野営地<HUNDRED MILE LANDING>、9月16日夕方17時30分、小雨降るなかの
到着となった。


本日の漕走距離 約38km、約5時間のパドリング(paddling・漕行)であった。この夜は、簡易テントを設営し、寝袋にもぐり込んで熟睡。 暗闇に包まれる10時頃をすぎても、たき火を囲み談笑する声がユーコンの森に響いていた。


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テスリン川を強風により漂流
 
 
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                                    「テスリン・ユーコン川 カヌーの旅360km日記」  ②
                                                             につづく