shiganosato-gotoの日記

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潜伏キリシタンの里探訪 自転車巡礼 日記―⑳

2018『星の巡礼潜伏キリシタンの里 自転車の旅630km』 日記⑳

                                                    

潜伏キリシタンの里探訪 自転車の旅630km    13日目-②>  20189月13日
   ―  平戸旧城下町  ⇒  生月町博物館  ―        走行距離 16 km

 

聖フランシスコ・ザビエル記念教会>

「寺院と教会の見える風景」から眺める正宗寺・光明寺・瑞雲寺のかわら屋根聖フランシスコ・ザビエル記念教会の尖塔と十字架のコラボレーションは、潜伏キリシタンの殉教と聖地としての平戸のシンボルと呼ぶにふさわしい景観である。

ここから、この小道を上って行けば丘の上に立つ聖フランシスコ・ザビエル記念教会へ行けると思うが、石段が多いとのことで、自転車の走れる県道19号線を走ることにした。

平戸は、日本に初めてキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルが三度にわたって布教に訪れた地であり、ザビエル以降に来日したイエズス会宣教師たちによって平戸島生月島では多くの住民がカトリック洗礼を受け、その後の江戸時代の禁教令下でも「かくれキリシタン」として信仰を受け継いだ人が多かった。

明治時代に禁教が解かれて、平戸でも宝亀紐差などの教会が建てられた。1931(昭和6)年4月に現在の教会堂が建てられ、献堂40周年の1971(昭和46)年9月に、聖フランシスコ・ザビエルの像が聖堂の脇に建立されたことから「聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂」とも呼ばれるようになったとある。

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「寺院と教会の見える風景」正宗寺・光明寺・瑞雲寺のかわら屋根
 
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     聖フランシスコ・ザビエル記念教会の尖塔と十字架
 
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          聖フランシスコ・ザビエル記念像



東洋の使徒、偉大な聖者として世界の人々に尊敬されているフランシスコは1506(永生3)年47日スペインのナバァラの貴族の子として生まれた。彼はバリー大学在学中、「人は全世界を掌にすることができても、その魂を永遠に滅ぼすなら何の意味があるか」(マタイ16-26)という聖句を学び、人間の幸せは愛によって神にむすばれ祝福される生き方にあることを悟り、同志と共に修道会(イエズス会)を創立しキリストの教えを伝える一介の伝道者になった。
インド各地の伝道の後、1549(天文18)年、いまから469年前の815日多難な航海を経て鹿児島に上陸、日本に初めてキリスト教とヨーロッパ文化を伝えた。
翌年、フランシスコは平戸に来島、藩主松浦隆信の歓迎を受け、教えを説き多くの信者をえた。


生月大橋公園をめざす>


聖フランシスコ・ザビエル記念教会を後にして、県道19号線に戻り、坂を上り、西に向かってペダルを踏む。右に古江湾、前方に安満岳(530m)を見ながら走る。
途中、左手にある山野カトリック教会への標識に従い、安満岳の中腹にある山野集落へとむかう。


山野カトリック教会を後にして国道19号線に戻り、平戸島生月島に囲まれた聖地・中江ノ島を見下ろしながら生月大橋を渡って、今晩お世話になる「生月大橋公園」(道の駅・生月)に向かうことにした。


<山野カトリック教会 と 山の集落>


県道より安満岳に向かうアスファルトの山道を走ると、右手にカトリック教会堂に見られる荘厳な風格を天に突きだしている様子はなく、簡素できりっと引き締まった現代風の山野カトリック教会が迎えてくれる。潜伏キリシタン信徒が、身を隠し、信仰を守ろうとするその生きいきとした生き様が見えてくるようである。


平戸島の安満岳の中腹に、すでに訪問した外海の出津集落より五島を経て、この山野地区に移住した潜伏キリシタンが、お互い助け合って密かに集落を形成していたという。


「山野は徳川幕府による厳しい迫害を逃れて1820年頃(文政年間)大村藩外海地方から五島を経た移住キリシタンの子孫が住む。五島から平戸北西の小主師海岸に上陸した約10戸のキリシタンは皆、山野姓を名乗り助け合いながら信仰を子孫に伝えていった。最初の教会は1887年ラゲ神父のもと17名の信徒によって建てられ、1924年に現在地に新築され、献堂落成した。」   カトリック山野教会信仰の歩みより一部抜粋)

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           県道19号線前方の安満岳を望む
 

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     県道19号線を標識に従い山手へ                                         山野カトリック教会


<雨煙る聖地・中江ノ島


晴れ間が見えていた安満岳の中腹より国道に向かうにしたがって、雨雲が空に広がり、小雨降るなかのサイクリングとなった。
小雨煙るなか、潜伏キリシタンにとっての殉教の島であり、聖地である中江ノ島が清楚な姿を見せて、迎えてくれた。

江ノ島平戸島北西岸と生月島東岸の各沖合の中央、2キロの距離に位置する長さ400m、幅50mの無人島である。
この島では禁教時代初期に平戸藩によるキリシタンの処刑が行われた地であり、現在の生月の「かくれキリシタン」にとって聖水を採取する「お水取り」の重要な地でもあり、「サンジュワン様」と呼ばれている聖地である。


聖地・中江ノ島を右手に、周囲の島々に潜む「かくれキリシタン」への見せしめの処刑という悲しい物語を思い出した。処刑の時刻には「かくれキリシタン」は、中江の島を拝してオラショを唱えたであろう。そのオラショの祈りが聴こえてきそうである。

かくれキリシタンの里 ・生月島への入口   生月大橋
淡い水色にぬられた生月大橋は、周囲の海や空、緑の島々に溶け入るようにマッチしている。優しさをたたえた静かな表情を見せている。五島列島からの帰路、博多港に向かうフェリーが、この生月大橋の真下を航行した際には、橋を見上げて「星の巡礼潜伏キリシタンの里探訪自転車の旅650km」の完走を祝ったものである。


生月大橋からは、聖地・中江ノ島の刻々と変わる表情、島影を追うことができる。
大橋を渡りきった左手一帯が生月大橋公園であり、その一角に「道の駅生月大橋」がある。


この公園は、今夜の露営地でもある。
下見を済ませたあと、「島の館・生月町博物館」で「かくれキリシタン」の現状に触れ、なお夕暮れまでに時間があるので「ダンジク様」を訪問することにした。


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     雨煙る聖地・中江ノ島に迎えられる                           生月大橋を渡って生月島へ向かう

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    生月大橋より聖地・中江ノ島を拝する         公園より生月大橋(対岸が平戸島・右端に安満岳)を望む

 
<島の館・生月町博物館>            入館料 510


生月大橋公園を出て、北に向かっての最初の三叉路を左へ道なりに曲がって行くと左側に大きな鯨が迎えてくれる「平戸市生月町博物館」がある。生月は、江戸時代に日本最大の鯨組・益富組の本拠地となり、明治後期の鰯巾着網、遠洋巻き網漁業へと発展し、島を潤す。

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   かくれキリシタンの復元部屋もある「島の館・生月町博物館」



一方、生月島は各地より移住してきた潜伏キリシタンが禁教時代を堪えぬいた島でもあり、解禁後も他宗教との土着化が進んだ「かくれキリシタン」が住む島でもある。


2階常設展示室には、「かくれキリシタンの復元住居」もあり、450年間厳しい弾圧を耐えて受け継がれてきた信仰の現場を再現している。いまなお、壱部集落などで行われている「かくれキリシタン」の信仰の実態の一部を紹介しておくことにする。


① お水・サンジュワン様: 「かくれキリシタン」の信仰が継承されている集落や地域では、「お授け(洗礼)」の
  儀式が行われ、お水は聖なる場所から採水したものが用いられる。ほか「家払い」「野立ち」「餅ならし」、
  「“おまぶり”(お守り)の御霊入れ」、葬式の時の「家清め」、「新船の魂入れ」、「石塔の魂入れ」、
  「仏壇の魂入れ」などに用いられるという。


② お水取り  聖水「お水」を採取する行事をいう。生月島の「かくれキリシタン」は、「中江ノ島」に渡り、
  岸壁の前でオラショを唱える間に沁みだす水を採取する。

③ お水瓶 : 一般的に用いるお水瓶は高さ20センチ程度の鶴首の壺で、口は紙などで蓋がされ、
  行事の時にお水を付けて祓うイズッポと呼ばれる木の棒が付いている。

④ オテンペンシャ: もとは苦行の鞭だったものが、祓いの道具に転化したもの。一文銭などを加工した
  十字型金属を紐につけているものが多い。

⑤オマブリ   : 和紙で作ったオマブリは、生月島平戸島の「かくれキリシタン」信徒の様々な行事の際、
  主に魔除けとして用いられる。写真右の剣先十字型オマブリは生月島壱部集落のものである。

⑥ 御神体     : 写真は、旧館浦ダンジク講の御神体「ダンジク様―聖家族図」
   ダンジク様とは、島の南西岸の暖竹の薮影に隠れていたが、船で探索していた役人に発見され処刑された
   親子三人のキリシタンで、山田集落や館浦集落には彼らを祀る講がいくつか存在する。ご神体には、
   キリスト教絵画のキリスト、マリア、ヨセフの聖家族を描いた絵の影響が認められる。


⑦ お授け「洗礼」: 御爺役が「へこ子」(受洗者)の頭にお水をかけ、日本語の洗礼文句を唱える。

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 かくれキリシタンの復元住居          お水瓶            オテンペンシヤ
 
 
 

潜伏キリシタンの里探訪 自転車巡礼 日記㉑

2018年9月13日 ― 生月町博物館 ⇒ 平戸島・春日集落 ― 走行距離 14 km 
つづく