shiganosato-gotoの日記

星の巡礼者としてここ地球星での出会いを紹介しています。

2019『星の巡礼 びわ湖冬景色・老人自転車ひとり旅』⑦

びわ湖冬景色―近江の歴史をたどる老人自転車ひとり旅』 ⑦
                                                                

■ 2日目びわ湖一周のルート案内  Ⅲ  (2019217日)
     
  <▲膳所城址公園 ⇒ 湖岸緑地 岡山園地 35km>


<ビワイチ―の西岸と東岸のルート状況>

びわ湖西岸は、比叡山系・比良山系が湖岸に迫り、南北に人家が密集している。 
自転車ルートは、自然と生活圏を走ることになり、歩道もない狭い車道を走る個所も多いので
細心の注意が必要である。

サイドミラーを見るのでさえ危険を感じる車との間隔であり、車のスピードに臆することさえある。
十分な緊張感と、心のゆとりを持ってサイクルすることをお勧めする。

もちろん専用の<びわ湖一周サイクルロード>では、歩行者には十分注意するものの、風を受けて周囲を楽しむゆとりが生まれるのがいい。 

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びわ湖西岸では街中走行も多い (上・マキノ  下・高島)
    
イメージ 3湖西にある「びわ湖レークサイド自転車道

 
一方、びわ湖東岸は、干拓の穀倉地帯の平原が広がり、人家も少なく、湖岸道路が南北に
通じている。
この湖岸道路の両端に自転車走行可能な歩道も併設されているので安全なサイクルを楽しむこと
ができる。

その多くの歩行者兼用歩道に沿ってのは車道には、サイクルサインが描かれ、車道を走行する自転車に注意するように、車のドライバーに注意を促すようになっている。
その一部の車道には、車道と分離したサイクル専用の区分を設けている個所も見られる。

どちらにせよ、安全なサイクル・スタイルが求められるのには変わりない。
ヘルメット着帽・点滅灯装着をお忘れなく。
 

また、車道走行中、大型トラックによる追い越しでおこる風圧や、幅寄せには自転車側は風圧に備えてのハンドルの固定と、同時に減速して事故防止に心がける必要がある。
また、たえずサイドミラーによって後方から接近する車に注意することも、危険防止、安全確保のために必要である。

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びわ湖東岸・湖岸道路の自転車走行可能な歩道
 
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びわ湖東岸の湖岸道路上のサイクル標識
 
 
 
 <▲第二日目露営地 湖岸緑地 岡山園地>  
   長命寺手前南約4kmの所にある園地   
   (注意:冬期中閉鎖WC//△雨天避難用東屋)

 
今夜はこの冬最低の気温になるとラジオの天気予報が伝えている。
夜間、霜もおり零下(-5℃)になるという。

厳寒に備えて、早めに設営をし、暖かい寝床を作る準備に入った。
まず、霜を避けるため緊急用の東屋の空間にテントを張らせてもらうことにした。
 

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             -5℃野外防寒対策
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真冬の夜空は、手の届くような星たちのまたたきが賑やかで、テントからみる天体は万華鏡の世界である。
眠ることを忘れ星座を追うのも楽しみの一つである。

時間とともに悠久の軌道を描きつつ、暁の光の中に消えていくさまは、人の一生を物語の中に
見る思いである。
 

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 星空には未知の世界があり、夢があり、物語があり、ロマンが詰まっている。

 
 
二月の丑三つ時、びわ湖畔の2月は夢うつつのなか、零下の世界に包まれる。
指がかじかみ、背中に悪寒が忍び寄る。二重の羽毛寝袋のジッパーを顔まで上げて、
ニット帽とネックウオーマーに包まれた顔をすっぽりとおおった。

闇の中に沈潜していく己を、もう一人の己が静かに見守ってくれている。
背中のカイロの温もりが冷めきった体全体にゆっくりと広がっていくのが肌につたわり、
無の世界にひこまれていく。


<ああわれいま 日野川びわ湖岸の露営地におりて> 
       湖岸緑地・岡山園地にて
        詩 後藤實久
 

  ああわれいま びわ湖岸日野におりて
     暗闇に燦々と照りし冷月のもと
       おのれを無となし 月を讃える
 
       無数の星高らかに 賛美の歌うたい
     静けき夜空に木霊して われを包みしや
  おのれを無となし 星と戯むる
 
  月照りまして 星その姿を隠し
     テントもまた 寒のなかに埋没するや
       おのれを無となし 月光を楽しむ
 
       ああわれいま 夜陰に安土の城仰ぎ
     その秀麗にして 優美なるシルエット仰ぎ
  おのれを無となし その主と語るや
 


 
びわ湖東岸・ビワイチから見る水城の地政学的背景>

昔、干拓がなされていなかったびわ湖東岸は、現在よりさらに内陸部に湖岸があったようである。
街が形成されている近くに湖岸があったのではないだろうか。
現在の湖岸道路の多くは、干拓される前の琵琶湖上を走っていることになる。
湖岸道路を走ってみると、人為的に作り出された人工的な湖岸の植栽や干拓地を流れる河川や
用水路が稲作を中心とした穀倉地帯を支えていることに気づかされる。
 
安土城彦根城佐和山城もまた湖岸を離れ内陸部に築城された。
 
例えば、現在の安土城址はびわ湖岸よりずい分と内側、すなわち内陸部にある安土山の上にある。しかし、昭和21年ごろの地図を見ると安土城址は「小中の湖」に面しており、それは「大中の湖」を経てびわ湖と通じていることがわかる。
すなわち、びわ湖に通じる内湖や運河の先に築城することによって、隠れ城として湖上と内陸路の
両面から軍事的ウオッチャーとしての機能を果たしていたといえる。
すなわち、内陸部であっても大小の湖や池を水路としてびわ湖に通じた水城と言われる所以である。
 
故に織田信長の時代の安土城は直接びわ湖へ舟で出入りできたと考えられる。すなわち直接びわ湖に面してはいなかったが、内湖を戦略的防御として使っていたように思える。
 
また、軍事的な立地だけでなく、芸術的にも内湖を庭園の一部とした豪壮な築城であったと
うかがえる。

彦根城も、現在、湖岸よりずい分と内陸部にあるが、干拓の前の彦根城は松原内湖に面して築城され、その北側に通じている入江内湖からびわ湖に出られたようであった。
彦根城もまた水城であったといえる。
実に興味深いが、松原内湖に佐和山城の麓もまた迫っていた。
 
一方、びわ湖西岸・高島にある、大溝城址干拓により内部にあるが、その城壁の遺構は当時の
びわ湖岸に接していた内湖・乙女ケ池にあったことがわかる。
近くには信長が水運上重要視した近江北部の大溝港もその遺構を残している。

 
琵琶湖の東岸に安土城を築いた信長は、琵琶湖沿岸に数多くの城を築いて防御を固めた。安土城の対岸に位置する大溝港は特に重要視され、大溝城は北陸をにらんでの防御とともに、
港を守るように築かれたといわれている。


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 内湖・乙女ケ池に面していた大溝城の石垣遺構と本丸跡 <現・高島市
 
 
こうしてみてくると、びわ湖を取り巻く各々の城郭は、水城としてびわ湖の水運や水軍に対しての監視、防御的な城であったといえる。

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彦根城佐和山城 および 安土山(城址)とびわ湖・内湖との関係
<写真参照 :琵琶湖国定公園の成立と内湖干拓の関係性に関する考察―小沢晴司より>
 

<老齢でも楽しめるサイクリングを>
 
若いときは、距離と時間を中心に据えて、いかにまだ見ぬ遠くの街へ行くかを競っていたものである。
歳とともに、距離も時間も稼げなくなってきた分、その土地の歴史や風俗、伝承などに興味を移して走るようになってきた。
サイクルスピードが落ちるのに比例して、目に飛び込んでくる世界や自然が広がっていく
のがわかる。
また歳に関係なく続けてきている露営(野営・野宿・ビバーグ・キャンピング)の内容に変化はないが、野営用具の携帯に体力が追い付かなくなってきたのは確かな事実である。工夫したい。
 
自然との真摯な対峙、感謝、観察、料理など楽しい野営を今後も続けていくつもりである。
わたしのサイクルと山登りにあっては、露営なくして成り立たないということである。

最短1日・24時間内で完走できるビワイチを、5日もかけてサイクルするなんて笑うなかれ、
時間の内容や使い方が異なる人生の楽しみ方がまた増えるているのだから。

サイクル万歳である。80代には80代の、そして90代の走り方を楽しみたいと願っている。
歳をとると欲張るようになるようである。願望だけは、ということかもしれないが・・・。
 
たとえば、各々の露営地での朝日の昇り方、夕日の沈み方一つをとってみても、その土地や
自然環境によってドラマチックに変化するのだが、それを拝するおのれの微妙な心の動き、
すなわちメンタルによりメッセージの受け取り方が違うのである。

なんとすばらしい自然との、いや宇宙とのコミュニケーションであろうか。
夜空の星を見ながら、この大宇宙、天体の中でちっぽけな命として生かされていることの
素晴らしさをかみしめる一瞬でもある。
 
 
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■3日目びわ湖一周のルート案内  (2019218日)   早朝-2℃(零下)・晴天
 
露営地の周りは霜で真っ白、朝日に照らされ徐々に赤く染まってくる。
 冷気に指しびれ、ガスバーナーのコッフェルからの湯気にかざして生気を宿らせる。

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朝食は、熱々のインスタントBIG CURRY422Kcal)で体を温める
 

              <3日目行程表>

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露営地 湖岸緑地 岡山園地をスタート、チェックポイント長命寺へ向かう> 
 
730AM  撤収作業後、露営地の清掃、柔軟体操、感謝の祈りをささげ出発する。

早朝の向い風は冷たい。20分ほどで長命寺港に着く。
長命寺チェックポイント<そば処長命庵>南西角に置かれた自販機『びわイチ』にクイズが
貼られている。

長命寺港前公園には公衆トイレ、東屋がある。 WC/水補給/△東屋/自販機
また、長命寺港に隣接して日帰り湯<長命ずいかく湯:@1580円>があるので、立ち寄るのもいい。
 
 
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長命寺港・ずいかくの湯(中央)・東屋
 
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そば処・長命庵・ビワイチ自販機(右)
 

長命寺―808石段を上り本堂に至る>

体力に自信があれば808の石段を上り、創建619年、天台宗系寺院、西国33ケ所31番札所の本堂に参拝するのももよい。

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   長命寺・石段808(参道)を上り本堂に至る
 
 
 長命寺からは、びわ湖岸の県道25とバイパス県道25の二つのルートに分かれる。

びわ湖岸ルートは、右手に沖島を見ながら休暇村近江八幡、堀切新港(沖島通船発着港)をへてコンビニ・ファミリマートでバイパス県道25(湖岸道路)と再び合流する。

今回は、バイパス25ルートを走り、近江牛産地である大中町で牛舎を訪ね、あと堀切新港に立ち寄って沖島通船について情報収集することにした。

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近江牛と対面 (大中・高井牧場)

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沖島通船発着―堀切新港沖島片道@500円)

 
また時間があれば、立寄り地として安土城址>がある。

バイパス25ルートの分岐である信号・長命寺口より長命寺川を上り、西の湖をへて安土城址に至るのである。
現在、観光屋形船が往来しているこのコースは、安土城からびわ湖に出る信長の軍船が使用した
ルートでもあった。

先でも述べたが、安土城は湖岸より離れた安土山に築城された一見山城であるが、西の湖の湖畔に面し、西の湖をへて、びわ湖への水路を持っていたことで水城とも言われる。

 
この西の湖水上ルートは、われわれ近在カヌーイストがカヌーやカヤックを楽しむ水路でもある。

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安土城が、西の湖を通じてびわ湖に直結していたことを示す地図
 
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                                             織田信長軍団(水軍)も利用した水路
                <水郷をすすむわれらカヤック軍団>
 
 


 
 
びわ湖冬景色―近江の歴史をたどる老人自転車ひとり旅』 ⑧
                       (2019年2月18日) <▲湖岸緑地 岡山園地 ⇒ 姉川手前湖岸緑地公園 55km>
につづく