shiganosato-gotoの日記

星の巡礼者としてここ地球星での出会いを紹介しています。

2019『星の巡礼 びわ湖冬景色・老人自転車ひとり旅』⑫

びわ湖冬景色―近江の歴史をたどる老人自転車ひとり旅』 ⑫
                                                                

■ 日目びわ湖一周のルート案内  Ⅱ   (20192月20日)
   
 
     <▲ 西浅井 大浦浜 ⇒  JR志賀駅 スタート地点に戻る  48km>


湖周道路(県道333)と県道558の分岐、信号「木津」(こうつ)を湖岸への細い道<さざ波サイクルロード>を入っていくと木津桟橋跡の標石がある。
また、木津桟橋跡の近くには木製燈台(レプリカ)や竹生島遥拝所跡の碑があり、ここから竹生島神社巡礼の舟が出たという。

イメージ 1
木津(こうつ)桟橋跡の背後に竹生島を遠望
 
イメージ 2

木津浜に建つ木製燈台 


湖周道路(県道333)と県道558の分岐、信号「木津」(こうつ)を湖岸への細い道<さざ波サイクルロード>を入っていくと木津桟橋跡の標石がある。
また、木津桟橋跡の近くには木製燈台(レプリカ)や竹生島遥拝所跡の碑があり、ここから竹生島神社巡礼の舟が出たという。

 
<近江の歴史 : 木津の港跡>
 
木津は奈良時代の郷名として、既に『倭名類聚抄』に出ており、天正二年(1574)六月の「饗庭定林坊自分並家中田畠帳」にはコツ(木津)とある。
また「古津」とも書かれ、江戸時代の寛永年間には、当時の若狭からの蔵米、貨客<旅人・巡礼>をこの地から船で運ぶ、海上交通の要衝になった。
船宿は百軒を超えたと伝えられている。物資はいずれも湖上をまっすぐ大津港へ向かい、そこで再び陸揚げされ、京都・大阪へ運ばれた。
また、多くの巡礼を竹生島へ船で渡していたが、この地で、はるかに竹生島を拝して、賽銭を投げることもあったと伝えられている。
今でも木津の湖岸からは古銭が見つかることがある。
 
木津の港跡解説でもわかるように、当時のびわ湖水運の隆盛をみることができる。
先にも少し述べたが、交易の最重要課題は物資搬送のルートを如何に時間的に、距離的に
短縮するかにかかっている。
世界のパナマ運河スエズ運河の着想にも見られるように、南北に長く伸びる日本にあっては
切実であったといえる。
日本の中央に位置するここびわ湖ルートも運河としての役目を果たし、昔から流通の拠点であった
ことが理解できる。


イメージ 3
木津港跡石標と解説版
 
<さざ波サイクルロード>は、葦の茂るバードウオッチング・フィールドを横切り、<新旭町水鳥観察センター>のある湖周道路(県道333)に出る。

 

バードウオッチング・フィールドにある東屋でランチ休憩(デミグラス・ハンバーグ400Kcal)とバードウオッチングや湖北の景色を楽しむ。


イメージ 4
<さざ波サイクルロード>にあるバードウオッチングフィールドからの絶景

イメージ 5

新旭町水鳥観察センター(建物前にWC


イメージ 6
ビワイチルート・湖周道路(県道333)にある<しんあさひ風車村>

 

チェックポイント<しんあさひ風車村>として、また道の駅として機能しているか確認できなかった。 

イメージ 7
 快適なラン・この景色の中を自転車を走らせることの喜びは最高である。


イメージ 8
<白浜荘 ♨648円>
 
イメージ 9
<宝船温泉 ♨700円> で汗を流せる。
 
イメージ 10
「萩の浜口」信号を越すと高島である
 
イメージ 11
西近江路・高島の街並み

 
びわ湖サイクルラインは「萩の浜口」信号より、高島の街に入っていく。

イメージ 12
高島の町おこしセンターでもある「びれっじ」
 
イメージ 13
ビワイチ・チェックポイントのあるJR高島駅  水&WC


 

 

 

 
 『びわ湖冬景色―近江の歴史をたどる老人自転車ひとり旅』 ⑬
 (2019年2月20日) <▲ 西浅井 大浦浜 ⇒ JR志賀駅 スタート地点に戻る 48km>Ⅲ            
  につづく