shiganosato-gotoの日記

星の巡礼者としてここ地球星での出会いを紹介しています。

2005『星の巡礼 台湾一周スケッチ紀行 ブログ展』

 2005『星の巡礼 台湾一周スケッチ紀行 ブログ展』

 

日本よりも日本らしい風景が残り、丁寧な日本語が飛び交い、懐かしい童謡を歌い聞かせてくれる台湾の老人たち・・・

ここ台湾は、約半世紀にもわたり善悪はともかく日本の統治下にあり、西欧列強による過酷な植民地搾取政策を反省し、統治者としての善政を心がけたところでもある。

いかなる時代でも支配者と被支配者のかかわる植民地は、差別と悲哀と増悪に充ちた場所であることに変わりはない。

霧社事件」は、支配者に対しての従順の中にも、愛する郷土を踏みにじられ、自由を制限されている民にとって、所詮支配者は侵略者に過ぎないということを証明する事件であった。

信頼醸成が出来上がっていたと信じていた相手が、牙をむき自由回復に立ちあがった姿に、植民地支配の悲しさが見て取れるのである。

近代史は、かかる植民地政策のもと、世界は支配する側の国や民と、抑圧される側の国や民に、二分された不平等のなかにあったと云える。

 

第二次世界大戦後、中国共産党政権に対峙して一国二制度を模索する台湾、大国に翻弄されながらも独自のIT産業に活路をみいだし、自主路線のなかに生存権を守っている台湾の少し平和な時代(2005年)を旅し、温泉につかりながらスケッチをしてきた。

 

過去に同族・同胞として遇してきた台湾のその後の生き方に、日本の未来の在り方を含めて、少しでも目を向けていただければ幸いである。

 

台北に遺る大日本帝国の遺産や台湾の歴史に触れ、人々のこころのよりどころであるお寺やお宮に詣でたあと、台湾一周のスケッチ&温泉巡りに出かけてきた。

                     

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            2021年6月30日 志賀の里 弧庵にて

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              台湾一周スケッチ紀行ルート図

             (訂正お詫び: 阿里山への入口・台中は、嘉義です)

 

 

龍山寺  台北・台湾  

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                 <龍山寺>   台北 台湾

             Sketched by Sanehisa Goto

 

龍山寺に観る台湾の原点> 

龍山寺は神々を祀るために建てられた寺院で、仏教や道教など、さまざまな宗教が習合されている。

道教儒教の影響を強く受けているが、基本的には仏教寺院で、本尊には観音菩薩を祀っている。

 

中国大陸の福建省から人々がここ艋舺に移住してきた当時、生活環境が悪く疫病が流行したため、神のご加護と平安を祈る為に1738年に初代の龍山寺が建てられたという。

龍山寺は伝統的な中国の 四合院宮殿式を採用し、北を背に前殿、本殿、後殿、左右の鐘樓、鼓樓と回廊で構成された重厚な寺院である。

 

一歩境内に入ると、線香と焼香の煙との強烈な匂いに混じって、多くの老若男女の祈りの熱気に包まれた。

早朝の龍山寺を訪れ、台湾の人々の日常に触れた。

朝の祈りを捧げる大集団が、読経により、方角を変えて祈りの声をはり上げるのである。 こちらは祈りの熱気に押されながら一人黙々とスケッチの筆を動かしているから不思議な静・動のコラボである。

 

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                     龍山寺

 

イリヤフォルモサ/台湾の成立ち>(美麗島

台湾は、大航海時代の1544年にポルトガル人によって発見され、<美しい婦人・麗しの島>Ilia Formosaと命名された。

スペインやオランダによって通商上の要地として要塞が造られ、支配された一時代(1624~1661)があった。

その後、1661年に「反清復明」を掲げた鄭成功が大陸を追われ、オランダ支配の台湾を占拠し、三代にわたって台湾の開拓経営に力を注いだ。

このように、17世紀初頭、明朝から清朝への移行期に、鄭成功のもと広東客家(ハッカ)の台湾渡航者が多くみられた。

日本との関係としては、1593年豊臣秀吉が、台湾に入貢を促したことがある。

1683年清朝は、明朝の遺臣である鄭氏一族を台湾から放逐し、大陸による台湾に対する最初の文民支配を開始させた。

渡来した漢民族は、未開地を開拓し、台湾原住民の女性と結婚し、土着化・台湾化していく。

そして、日清戦争の敗戦により、下関条約のもと台湾は割譲地として日本の統治をうけることになる。

 

<口にしたい台湾の一品➀>

龍山寺を訪れたら、台湾屋台の味 胡椒餅(フージャオビン 1個45元)を楽しむのもいい。

店<福州元祖胡椒餅>は、MRT龍山寺駅1番出口より徒歩約2分の路地にある。

 

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                おすすめの胡椒餅(フージャオビン) 

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                   路地にある福州元祖胡椒餅

 

 

■旧大日本帝国台湾総督府   台北 台湾

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              <旧大日本帝国台湾総督府>  台北 台湾

               Sketched by Sanehisa Goto

 

 

<旧大日本帝国の台湾統治時代>

日清戦争の結果、台湾が下関条約で当時の中国・清朝から日本に割譲された1895(明治28)年から、第2次大戦終結により中華民国に返還された1945(昭和20)年までの50年間、ちょうど半世紀の間、日本による台湾統治が行われた。

その間の台湾の日本による統治の中心は、ここ大日本帝国台湾総督府であった。

 

日本統治の初期の段階では、割譲地台湾を日本に同化さすという強硬派の施政に大きな抵抗もあり、暫時同化に向けていくという英国植民地政策を後藤新平が採用し、大きな成果を上げている。

なかでも、中国大陸の清朝を襲っていた英国によるアヘン戦争の影響を受け、流行っていた台湾におけるアヘンの駆逐に成功を収めたことは特筆すべきことであろう。

 

台湾統治中期になると、第1次大戦の結果、民族主義が台頭し、民衆と自由思想による民族自決が叫ばれるようになる一方、レーニンによる赤化革命である植民地革命論が台頭し、国際情勢は一気に変わり、日本の台湾への統治政策も変わっていく。

 

抗日運動に対しては、「匪徒刑罰令」を公布し、武力弾圧を徹底したが、一方、社会的に顕著なものに対する者への勲章を授与して称えることもした。

なかでも、最大規模の原住民部族による武力闘争は、「霧社事件」と呼び、日本に帰順し、開化が進んでいた「理蕃政策」(台湾原住民に対する統治政策)の模範とされた高砂族約300名が、1930年10月27日未明、日本の圧政に抗して、武力蜂起し、連合運動会に襲いかかり、邦人134名が犠牲となった。 蜂起の原因は、性急な同化政策への反発、圧制・搾取に対する民族抵抗の戦いであったといわれる。

 

これにより、台湾総督府は内地法を採用し、同化政策を一挙に進めていくことになる。 日台共学による日本語学習の推進など、台湾人への差別を減少させていくとともに、鉄道や水利事業など積極的に拡大していく。

 

台湾統治後期、1037(昭和12)年、日中戦争支那事変>が勃発すると、台湾は戦争遂行資源供給基地として重要性を増していく。 台湾における国民意識の向上が課題となり、四大皇民化政策である<国語運動、改姓名、志願兵制度、宗教・社会風俗改革>を台湾総督府は強力に推し進めていく。

日中戦争から太平洋戦争への転換により、台湾は武官総督を再配置し、南方作戦基地として軍事色を強めて行った。

このことは、太平洋戦争に突入してからは、徴兵制など内地と同じ制度を導入し、台湾の多くの青年を戦地に投入することになる。 軍属を含め約21万人が徴兵され、約3万人の台湾人(当時は日本人)が死亡した。 痛ましい日台の関係が残念ながら日本の敗戦まで続いたのである。

 

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 晩年、日本ボーイスカウト総長に         霧煙る大日本帝国台湾総督府前で 

     推戴された後藤新平

 

 

 

■国父記念館  台北 台湾

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               <国父記念館>  台北 台湾

               Sketched by Sanehisa Goto

 

<日本敗戦後の台湾  祖国復帰―光復— ①>

国父記念館<National Dr.Sun-Yat-sen Memorial Hall>は、中国近代化革命の父とされる孫文の生誕100周年を顕彰して建てられた国立の建物である。

孫文(1866~1925)とは、辛亥革命(しんがいかくめい)を起こして清王朝を倒し、中華民国を建国した人物であり、その生涯を革命に捧げ、国父と呼ばれた。

中国の広東省で生まれた孫文、ハワイ在住の華僑の兄のもと、西洋の教育を受け、西洋の民主主義を体得した。

三民主義>は、孫文が革命のスローガンとして提唱した「民族主義」「民権主義」「民生主義」の三原則を指している。

辛亥革命以降は、<三民主義>は、中華民国の政治理念となり、長年続いた封建体制や、列強による半植民地支配から脱して、新しい中国を建設するために使用された。

清王朝に追われ、海外で捕まった孫文は、ロンドンの清国公使館から釈放されたあと、日本を訪問、熊本の思想家・宮崎滔天の支援を受けている。 この亡命時に結成した<中国同盟会>が中心となって辛亥革命へのスタートを切っている。 また、この時からペンネームに日本名<中山>を付け、<孫中山>と名乗っている。

 

さらに、孫文の生涯の伴侶となった宋慶齡との結婚式も亡命先の日本の東京で行われている。

政治家・革命家・親日家として知られている。

ただ、孫文の思想は、蒋介石率いる国府軍共産党軍との内戦に敗れ、進駐した時に遺影とともに政治理念として台湾に持ち込まれたのである。

現在でさえ、台湾国民党はもちろん、中国本土を支配する中国共産党もまた「孫文の正当な継承者」を名乗っており、孫文は中国統一のスローガンにもなっているといえる。

 

亡き孫文もまた、三民主義のもと中国が統一された民主国家を熱望していることであろう。

 

 

中正公園    台北 台北

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                 <中正公園> 台北 台湾

               Sketched by Sanehisa Goto

 

く祖国復帰 ー光復—② >

1945年8月15日、日本の敗戦により台湾が中国に返還され、台湾はようやく中国へ祖国復帰<光復>を果たす。

当時、本土からやって来て台湾統治をした国府軍(当時共産党軍と内戦状態にあった)に対して、その士気の低さと驕りのため台湾人は失望する。

1947年2月28日、闇煙草摘発をきっかけに台湾人(内省人―台湾人)による国民党(中国からの外省人―中国人)に対する反乱がおこるが、徹底弾圧・鎮圧される。

この時点で、台湾人は、中国大陸との精神的依存状態からほぼ脱却したといわれる。

 

その後、朝鮮戦争勃発を契機に、共産主義と対峙するアメリカからの巨額の援助をえて経済的自立の道を進み、現在のIT先進国としての地位を確立していく。

この間、中国本土進攻の機会を狙っていた蒋介石総統も死去し、政治の民主化も進んで多党化時代に入り、民主国家としての姿や体制と地位を確立していった。

 

ただ、独立国としての地位は困難であり、一国二制度としての自治を望んでいるようだが、中国共産党は香港の芽を潰すことにより、台湾の夢を葬り去ったともいえる。

中国共産党政権による台湾の武力統一というシナリオは迫りつつあると言っていい。

 

いま台湾は、国際情勢の中で、専制独裁に対する自由民主の防波堤として注目され、地政学的に世界中の眼が注がれている。

 

台湾で、国府軍の国旗「晴天白日満地紅旗」が紅衛兵により掲揚されているのを見ていると、今から100年程前には同じくここ台湾で、日の丸の旗がひるがえっていた時代を連想し、台湾の歴史の悲哀が今も続いていることに心を痛めた。

 

中正公園をスケッチした帰り、屋台で久しぶりのお粥(30元)に対面、葱・縮緬雑魚・鮭粉・三つ葉をトッピングしてもらい、その美味しさを楽しんだ。

 

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     中正公園での中華民国旗の掲揚式           中正公園前で                     

 

 

宣蘭照應宮    宣蘭市 台湾北東

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              <宣蘭照應宮> 宜蘭市 台湾北東

               Sketched by Sanehisa Goto
      

 

<台湾の民衆信仰・媽祖を祭っている宣蘭照應宮>

宣蘭駅(イーラン/ぎらん・台湾北東)から徒歩10分のところにある宣蘭照應宮は、中山路と新民路の角にあって、<媽祖・まそ>を祭り、宜蘭民衆の信仰と交流の場として一日中賑わっている。

中国本土から台湾に土着した民衆信仰<媽祖>は、航海・漁業という海の守護神であり、日本でいう金毘羅山宮に似ているようである。 航海安全、商売繁盛、家内安全の守り神として信仰されている。 媽祖が誕生した中国福建省では今日ほとんどその姿を消しつつあるというが、台湾では民衆の間に根付き、立派に生き続けているから外来宗教の現地化といっていいだろう。

 

台湾東海岸沿いの列車の便は極端に少なく、移動には不便である。 路線バス<國光客運>を上手に利用することをお勧めする。

こちらはのんびり旅だから贅沢に時間を使ったが、蘇澳―宣蘭をへて基隆に出るにも列車の本数は少ない。

 

宣蘭照應宮に一歩踏み入れて、参拝者の混雑と、お香の燃え立つすさまじい煙に迎えられた。 人々の媽祖への信心深き熱気は、東京の浅草寺の祭り騒ぎに似ている。

 

<口にしたい台湾の一品②>

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        葱たっぷりで、あっさりした美味しい小籠包の店<正好鮮肉小籠湯包>

 

正好鮮肉小籠湯包(北横公路・泰山路民族二巷角/宣蘭駅から約13分/小籠包10個で80元)

 

故宮博物館  台北 台湾

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               <故宮博物館> 台北 台湾

                    Sketched by Sanehisa Goto

 

故宮博物館—世界四大博物館>

世界四大博物館の一つである有名な国立故宮博物院に出かけた。

目指す玉器彫刻<翠玉白菜>や<肉形石>は、3階の明清代彫刻コーナーに展示されている。

はたして石彫でここまでリアルに、みずみずしく、臭いまで感じさせる作品が彫れるものだろうか。

作品の前に長時間立ち尽くし、息をのみ込んだことを覚えている。

もちろんスケッチどころではない。 そのリアリティにただただ見入ったのである。

これらの中国4000年の芸術品がなぜ北京の故宮ではなく、ここ台湾の台北にあるのかと一瞬懐疑的になった。

もちろん国府軍が台湾に撤退進駐したき、蒋介石の指揮で大陸から移されたものである。

 

 <台湾で絶対に見たかった一品>   (写真 故宮博物院提供)

 

翠玉白菜 すいぎょくはくさい』

世界で一番有名な白菜、「翠玉白菜」は、みずみずしい白菜が玉石本来の色を生かして彫刻で表現されているのであるから驚きである。 

この白菜の葉にはキリギリスとイナゴが彫り込まれており、生の白菜を美味しく喰いちぎる様により、よりリアルティを与えている。 

また、白菜の白い部分に斑点をつけ、葉っぱの縁や葉脈が巻いている箇所にも亀裂を入れることにより、よりみずみずしさを表現させている。

かかる玉石の自然な形や色あいを巧みに利用して彫刻する技法を「巧彫」といい、古来から中国にはあった。

 

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            翠玉白菜 すいぎょくはくさい』(写真 故宮博物院提供)

 

『肉形石 にくがたいし』

肉に味をしみ込ませたような彫刻を見たことがあるだろうか。

故宮の「肉形石」は、よく煮込まれた「豚の角煮」そのものである。 角煮の匂いまでにおってくる(ような)のだからたまらない。 角煮そっくりにしようと表面に小さな窪みを作り、豚の毛穴そっくりにしたうえに、醤油がしみ込んだ皮に見えるものだから、まさに、豚の角煮の匂いが漂ってくるのである。

台北の夜市の屋台で見る角煮と何ら変わらないのだから、その技法に驚かされ、ただただ唾を飲み込んだ。

 

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               『肉形石 にくがたいし』(写真 故宮博物院提供)

 

 

■旧台北州庁舎   台北 台湾

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               <旧台北州庁舎> 台北 台湾

                 Skeched by Sanehisa Goto

 

<日本統治時代の遺作品>

先に述べた大日本帝国台湾総督府などを設計した森山松之助による本格的なフランス式バロック建築で、重厚さの中に貴婦人のような美しさを漂わせている姿に目を見張させられる。 

ここは台北であり、パリではない。 その優雅さは、ここが台湾であることを忘れさすほどである。

植民地者としての権威主義が見え隠れするが、当時の日本の貧しさからして精一杯の威厳を見せているようにもみてとれる。

現在は、監察院として使用されているようである。

台北駅から10分ほど東へ向かうと、忠孝東路と中山北路の交差点の角に建っている。 訪台の際は是非立寄って、日本統治時代の遺作品というか、統治の意気ごみを感じてみるのもよい。

 

<台湾で食べてみたいフルーツ一品>

フルーツ王国台湾は、トロピカル・フルーツの王国でもあり、熱帯性果物で溢れている。

マンゴ・ライチ・レンブ・パイナップル・スターフルーツ・ドラゴンフルーツ・バナナ・グアバ・パパイヤほか、その種類の多さに驚かされる。

台湾で食べたいフルーツの一品に、強い甘みと、柔らかい食感に惹かれる日本人好みのトロピカル・フルーツであるマンゴを挙げたい。

美味しいマンゴの選び方をあげておくので是非現地台湾でマンゴを食べてみて欲しい。

果皮にしわなどがなくハリがあること、そして傷や黒い斑点が無いものを選ぶこと。 また手に持ってみて、ずっしりと重みがあり、少しベタつきがあるものがおいしいマンゴであるといわれている。

 

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      屋台に盛られたマンゴ              トロピカル・フルーツ

 

 

■陽明山温泉   台湾北部

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               <陽明山温泉>  台湾北部

               Skeched by Sanehisa Goto

 

火山国 台湾には沢山の温泉地があり、日本にいるような雰囲気にひたることが出来、 多種多様な泉質と、温泉から冷泉までを楽しむことが出来る。

陽明山温泉は、緑に囲まれたまさに大自然の中にひっそりとたたずむ温泉地であり、 泉質は酸性硫黄泉で日本人になじみ易い。

台北市内からMRTで新北投駅へ行き、駅前から陽明山行き路線バス#230に乗車、約1時間以内で行ける。

陽明山バスターミナルに向かう途中、湯気が立ち上る源泉「龍鳳谷硫黄谷」を見ることができる。

 

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             渓谷美を楽しめる自然豊かな陽明山温泉

 

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             台湾の温泉地(台湾温泉ガイドより)

 

 

日月潭  台中 台湾

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                  <日月潭>  台中 台湾

                Skeched by Sanehisa Goto

 

日月潭

日月潭は、台湾3大観光地の1つで、標高749mにある最大の淡水湖である。

湖畔に建つ文武廟から眺める 日月潭の西に浮かぶ光華島を境にして、東側が<太陽>、西側が<月>のような形に見えることから日月潭と呼ばれるようになったという。

なお、光華島は、日月潭周辺に住む台湾の原住民「サオ族」の旧居住地であり、サオ族の『先祖の霊が眠る神聖な土地』でもある。

文武廟は、日月潭の北側の湖畔に建ち、「文」の神様である孔子と、「武」の神様である関羽岳飛が両方祀られている。

日本統治時代にこの日月潭を利用しての発電計画が持ち上がり、湖面が現在の位置まで上昇したため現在地に移築されたといわれている。

また、 日月潭の近くには蒋介石が母親への感謝の意を表すために建立した慈恩塔や、ロープウエーで向かったところに台湾の原住民たちの暮らしをテーマパークにした九族文化村がある。

 

日月潭をロープウエーから眺めると、まるでユーラシア大陸とアフリカ大陸のような形をしている湖である。 その風景は、中国大陸の桂林でみられる枯山水水墨画の情景よりも、日本の松島に似ているといえる。

 

日月潭への行き方は、台湾鉄道 台中駅の出口5・6から1階にあるバス乗り場に向かい、南投客運バス乗り場(3番窓口)から日月潭行きに乗車するとよい。

 

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    日月潭の北側の湖畔に建つ文武廟(交通部観光局提供)ロープウエーからの眺望 日月潭

 

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                 日月潭遊覧船乗場で

 

 

        

         ■盧山温泉   霧社 台湾中部

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           <盧山温泉入口の吊橋> 霧社 台湾中部

              Skeched by Sanehisa Goto

 

盧山温泉>

台湾鉄道の台中駅から路線バスで所要30分の終点<埔里>に行き、南投客運の廬山温泉行バスに乗り換える。

廬山温泉に着いたのがお昼ごろ、調べておいた<碧樺大飯店>の地下にある露天風呂と野外プールにスイムパンツをはいて飛び込んだ。 湯の花が浮かんでいる湯をなめてみた。 甘みのある塩分含みの温泉である。

泉質は、炭酸水素塩泉という。 入湯料150元。

台湾でもっとも標高の高い山間部渓流沿いにある温泉地で、石畳の道の先にある吊り橋、温泉ホテルやレストラン、土産屋が立ち並び温泉地風情たっぷりの場所であり、散策していると日本の温泉地にいるような錯覚に落ちる。 日本統治時代から非常に人気の高い風光明媚な温泉だったといわれている。

コンビニで購入した弁当を突っつき、渓流の音を耳にしながら、温泉風情に溶け込んでいる<廬山吊橋>のスケッチを楽しんだ。 

その後、2009年以来つづく集中豪雨による土石流で、渓流が被害を受け、温泉地そのものが移転することになったとのニュースを知り驚いている。

また温泉街を散策中、同じ京都の大学の後輩に出会い、ここ盧山温泉の入口で<Café & Pup-Mahebo Auberge>とゲストハウスを経営しているということで投宿し、タタミ部屋で大学時代の想い出を語り合ったものである。 後輩であるご主人も日本への留学以来の同窓生に出会ったと大変な歓待をしてくれたのである。

 

廬山温泉 ゲストハウス『馬赫坂森林』 (Mahabun Senrin)

<Café & Pup-Mahebo Auberge>

Mr. Wallace Liao (廖繼雄・ワルサ アウイ・同志社大学商学部・太田進ゼミ・1994年卒・長老系クリスチャン)

< aaheho@hotmail.com>

埔里と廬山温泉の間に、霧社という町がある。 先述したが、ここは日本統治時代に、日本の強圧的な統治と搾取に抵抗した少数民族が蜂起し、多くの死者をだした霧社事件が起きた場所である。

ゲストハウス『馬赫坂森林』のネーミングは、霧社事件後、強制疎開により消滅してしまった村名を忘れないためにつけたと、霧社事件にかかわった原住民の子孫であるオーナーから聞かされ、恩讐を越えた日台の友情に感謝したものである。

 

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           廬山温泉 ゲストハウス『馬赫坂森林』 (2017年Facebookより)

 

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   <盧山温泉>炭酸水素塩泉の風呂              霧社事件記念碑 <霧社>

 

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                   盧山温泉入口 吊橋前で

 

< 霧社事件の背景>

爽やかな朝、澄んだ空気のもと小鳥たちがさえずる霧社の街に立寄った。

近くでは鶏たちが声高らかに朝を告げている。

そう、今から75年前の10月27日、霧社セデック族の若者たちは、息をひそめてこの朝を迎えたのである。

謀議の結果、準備を経て300人の決起者が夜明けとともに、まず、霧社管内の警察詰所を幾グループに分かれて襲撃した。 自分たちの誇りを守るため、種族の全滅を覚悟で立ち上がった朝である。

 

詩 《 ああわれいま霧社におりて》 實久

 

  廬山をいでて 霧社の山道を歩く

  千尋の谷より激流の音木霊して

  東方の峰々に紫雲棚引きし

 

  鶏声一番 霧社の青年立上りて

  勇士の鬨の声 渓谷に響き渡り

  霧社の正義 霊と交わりしや

 

  支配するもの、支配されるもの

  互いに憎しみあう空しさよ

  吹き来る風となって交われと

 

  可憐なる白き花々咲きて弔い

  静かなる時を刻みて君たちを想う

  ああわれいま霧社で瞑目するなり

 

 

 

阿里山森林鉄道   嘉義 台湾中部

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             阿里山森林鉄道> 嘉義 台湾中部

               Skeched by Sanehisa Goto

 

阿里山森林鉄道は、日本統治時代に阿里山のタイワンベニヒノキなどの豊富な森林資源輸送を目的に敷設された。

現在は、台湾鉄道 嘉義駅で阿里山森林鉄路に乗り換え、玉山阿里山観光に活躍している。 

なかでもスパイラルループは、鉄道フアンにとってたまらない魅力を提供している。

阿里山は、台湾で一番高い玉山(標高3952m 旧日本名・新高山)の西に位置する。

ちなみに、玉山は富士山(標高3776m)よりも高く、日本統治時代に「新しい日本の最高峰」として<新高山/ニイタカヤマ>と命名された。

1941年12月2日に発令された日米開戦の日時を伝える、大日本帝国海軍の暗号電文『ニイタカヤマノボレ一二〇八』に使われた<ニイタカヤマ>(新高山)で有名である。

標高差2172m、全長約72㎞、所要時間3時間30分で走る観光登山列車として活躍している。

ディーゼル機関車1台で、5両連結の車両を引っ張る。 思ったよりそのスピードは速い。 

スイスやペルー、インドのダージリン線など多くの登山電車に乗ったが、ここ阿里山は本格的な山岳路線であるといっていい。

約3時間かけて、2100m近くの高度差を1回のスイッチバックで上りきるのだから、トンネルも多い。 お陰でトンネルを抜けるたびに、山麓側と山頂側が交互に代わり、そのどちらの景色を十分に堪能できる。

また、路線脇の棕櫚林と竹林がつづき日本では味わえない異国情緒を愉しむことが出来る。

 

登りきった「沼平駅」で下車して、<1時間トレッキング・コース>を歩くもよし、また<祝山>登山にでかけ<玉山/旧新高山>を眺めてくるのもいい。

 

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  スパイラルループを上る特急列車阿里山号        阿里山森林鉄道の蒸気機関車の前で           

 

阿里山は、入山料として150元を支払う。

 

阿里山には、屋久島の縄文杉のような古木は少なく、切り株と植林された杉(人工林)が並んでいるのには少し落胆したものである。 ただ、桜の種類は多く、それぞれが競い合って満開であった事には感動させられた。

 

 

■関仔嶺温泉  台湾中西部

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              <関仔嶺温泉> 台湾中西部

              Skeched by Sanehisa Goto

 

台湾四大温泉の一つ関仔嶺温泉は、台湾中西部 嘉義市内から南へ約25kmのところにある。

台湾鉄道の嘉義駅から関仔嶺行のバス(所要1時間)に乗り、終点で下りる。

日本統治時代から一番泉質がよいといわれる<関仔嶺警光飯店>で、さっそく泥温泉(100元)につかった。

関仔嶺温泉は、台湾では珍しい「泥温泉」であり、泉質はアルカリ性炭酸泉、硫黄成分を多く含み、灰色に濁っている。

泥温泉と言えば、いまはなくなったが、よく通ったお気に入りの泥温泉が家の近くの大津堅田にあった。

堅田の泥温泉に比べれば、関仔嶺の方が泥の粒子が大きく、比重も高く、良質である。

 

裸で温泉に入る日本式とは異なり、台湾のほとんどの温泉が、露天・混浴・プールで水着着用が義務付けられている。 ただし男女別浴場では水着不要である。

韓国でもそうだが、台湾でも男女別大浴場では、タオルを一切使わず、前を隠すこともしない。 この日もタオルを持ち歩いたのは私だけであった。

 

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     泥に濁る熱めの関仔嶺温泉                関仔嶺温泉で 

 

 列車でご一緒した汶さん夫妻(大正3と昭和5生・王子製紙の代理店をしたあと隠居)によれば、台湾でも靖国神社参拝の問題があるという。 大陸からやって来た国民党の呼びかけで、靖国神社の戦犯合祀に反対しているが、一般の台湾人は関わってはおらず、多くの台湾人(旧日本人)の遺族が毎年参拝のため訪日しているとのことである。

台湾経済が安定し、外貨準備高世界4位にまでになったのも、その基礎は台湾の農業の安定にあるとおっしゃる。 それは日本統治時代の農業政策、日本人八田與一氏による造営<鳥山頭水庫>(ダム)による灌漑のお陰だと感謝されていた。 車窓からみる一面の水田、野菜畑、果物畑をみているとその成果がうかがい知れる。

 

また、汶さんは将来の台湾について、多分大陸による台湾併合があるといわれていた。 そのためにも子供たちをロスアンゼルスシンガポールに住まわせ、危険を分散していると語っておられた。

自由こそ、人に与えられたかけがえのない特権であると真剣な顔をされて言われた。

 

―台湾の果物は美味しいですよ。是非たくさん食べて帰ってください―

―台南はまるで京都のようです。 台北は中国の都市であり、台南や高雄は台湾そのもの  の街です。ゆっくりと台湾のよさを見て帰ってください―

と流ちょうな日本語でおっしゃった。

 

 

■四重渓温泉 台湾南端      

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               <四重渓温泉> 台湾南端

                Skeched by Sanehisa Goto

                                  

台湾四大温泉の一つである四重渓温泉は、台湾最南端の手前にある泉質良好、豊富な湯量をもつ弱アルカリ性炭酸泉である。

台湾鉄道 枋寮駅から中南客運のバスに乗り継ぎ、約50分の所にある。

この辺りは、北回帰線より南で熱帯気候に属し、冬でも平均気温20度もあるという。

5つもの温度差のある温泉槽と温泉プールで成立ち、トイレ、更衣室が完備し、親子連れで大賑わいである。温泉から見る田園風景がいい、スケッチにも見られるように、まるで畑の真ん中に露天風呂があるかのようなところなのである。

 

<湯の出 ― 温泉源頭>

日本語案内によると・・・

「静寂が包む森の中の四重渓温泉の泉質は、無色・無味・透明な炭酸水素監泉で可欽可沾です。 泉温は50℃~80℃の間で、血液循環と増進する他に、筋肉を柔らかくする効果もあります。 皮膚病・胃酸過多症・関節痛・神経痛にも効きます。  清泉」

 

ゆったりした温泉につかる地元台湾の皆さんの穏やかな顔を見ていると、平和そのものである。 果たしてこの国は10~20年先どうなっているのだろうか。不確実性の中にあるのが実情である。 

国民党の中華民国台湾が、ある日一転して共産党政権の支配する中華人民共和国になり、生活はじめ経済、政治体制などすべてにおいて管理独裁、すなわち共産党一党独裁の党則に従っているかもしれないのである。

しかし、人々の顔にはその恐怖や憶測を顔に出している人は一人もいない。誰よりも彼らが歴史の繰り返しの中で翻弄し続けているのに、である。

 

台湾の人々は、歴史の教訓から危機への対処の仕方、心の持ち方を知っているのかもしれない。

現在まで築きあげてきた自由と平和を持ち続けて欲しいと心から願った。

 

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                  四重渓温泉の露天風呂<炭酸泉>

 

 

<台湾地理考>

アリュ―シャン列島から日本列島を経て、沖縄列島の行きつくところが石垣島の先にある台湾である。

このことから海底の地溝は北から南へと一連の地続きである。

風景や作物、火山や山並み、地形などおおくの共通する事象が列島共和国的域内を示していると云える。

かえって中国大陸とは、気候や、地形的相似性の希薄さがうかがえるといってもいい。

日本人にとって台湾が身近に感じられる所以であろう。

 

墾丁国家公園

フイリッピンとの間にあるバシー海峡を眺められる台湾最南端に<墾丁国家公園>がある。 四重渓温泉からバスで、ミカン畑や養殖池がつづく海岸を南下すると<墾丁海水浴場>に着く。

台湾最南端の海に潜って、熱帯魚と戯れ、シュノーケリングを楽しみながら、砂浜に横たわって<蔡焜燦著「日本精神」>を読んだ。

「日本統治の50年間で培った日本精神は、善としていまなおここ台湾の高齢者に引き継がれ、現代日本人の学ばねばならないことが何と多いことか」ーと述べている。

 

墾丁国家公園からバスと列車を乗り換えて台東にでて、台東駅から<森林遊楽区>行バスに乗換、知本温泉で下車した。

 

 

■知本温泉     台東

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             <知本温泉 公共浴室忠義堂> 台東

              Skeched by Sanehisa Goto

                            

台湾最大の温泉地である知本温泉は、台湾東部一の美観をもつ観光地であり、台東市内のバスターミナルから路線バスで向かう。

泉質は、渓谷の川床から湧き出るアルカリ性炭酸泉で無職・無味・無臭であり、水温は90~100℃以上で最上級である。

炭酸泉は、八ヶ岳下山中に立寄った唐沢温泉で、炭酸ガスの気泡が肌にまつわりつく感覚を味わって以来である。

 

忠義堂のお寺さんが提供している、無人の公共浴場である<忠義営公共浴室>に20元のドネーションで入場して、炭酸泉の湯につかった。

全部で20の個室浴槽があり、一人または家族で入るので、ここだけはノーパン・フリーである。 実に爽快な入浴であり、熱帯の太陽を浴びながら、裸で<知本温泉・忠義堂のスケッチ>を描き上げた。

 

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       知本温泉露天風呂・プール            知本温泉 公共浴室忠義堂前で                    

 

 ここ最近、旅館で見る海外のテレビニュース、とくにCNNによると、中国全域特に北京での反日抗議デモを盛んに報じている。 学生たちが中心の抗議プラカードや連呼によれば・・・

➀学校教科書で正しい歴史認識を教えていない

安保理非常任理事国への立候補反対

靖国神社への首相参拝反対

を掲げ、日本製品へのボイコットを呼びかけている。 在北京駐在日本大使館への投石など抗議がエスカレートしているようである。

とくに目立っている日常生活への日本の小売業、飲食業、コンビニ産業の浸透に快く思っていないようである。 牛丼の<吉野家>、セブンイレブンなどのコンビニ、電気製品や自動車産業へとボイコットや、抗議の輪が拡大しているようである。

 

 

■台湾苗栗古文明丁面客神秘太陽紀 

 ―台湾古文明のお面展 台東旧駅アトリエにてスケッチー

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          <台湾苗栗古文明丁面客神秘太陽紀> 

              台湾古文明お面展 於・旧台東駅

              Skeched by Sanehisa Goto

 

台東駅は、大正11年(1922)日本統治時代に建てられた古い駅である。

路線の北側への移設により、その地位を新台東駅に譲っている。

新旧交代のイベントとして、原住民のお面展や写真展が開かれ、昔の台東駅の情景を紹介している。

今から83年前の台東駅は、野原に駅舎が立っているだけの無人に近い未開拓の田舎であることが分かる。

もともと原住民の土地であったが、鉄道が敷設されて以来、日本人の入植がはじまった。 いまなお日本の地名がそのまま残されているという。

 数多くある台湾原住民族の部族は、季節によって祭事が行われた際、宇宙神を恐れたり、豊作神に感謝を捧げたり、戦いの前の祈りの踊りに、雨乞いをするとき、体に装飾を施し、お面を付けていたという。

 たとえば、アミ族の集落では伝統的な祭事である<豊年祭>が、7~8月ごろ盛大に行われたと伝わっている。

 サアロア族の<貝神祭>や、タイヤル族の顔タトゥーを彫る風習、サイシャット族の<霊迎祭>、ブヌン族の<祈禱小米豐收祭>・ツォウ族の「mayasvi」という狩猟祭や成人儀式・プユマ族の<大狩祭>・サオ族の<祖霊かご祭>・カヴァラン族の<首狩儀式>・カナカナブ族の<米貢祭>等でお面<マスク>が使われていたようである。

 

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                                                                台東駅構内

 

<原住民部落を訪ねて>

このあと訪れた太魯閣渓谷では、プロテスタント派長老教会の<天祥キリスト教会>の教会堂の一隅で数日お世話になった。

原住民出身でもある戴牧師の案内で、原住民部落を案内していただいた。

牧師が結婚した当時購入した家屋(当時、学校の関係で息子さん二人が居住)を訪問し、バイキング料理をご馳走になる。

山岳地帯の原住民部落と言われるここですら、台湾の平均的で、文明的な都市生活となんら変わることはない。

自由があり、平和な山村である。

戴牧師は、日本人の私に歴史の苦難を越えて台湾の民主的平等が根付いていることを見せたかったのであろう。

台湾の民主主義は、第二次世界大戦後の世界でも模範的な成長を遂げていることを物語っている。

戴牧師の柔和なお顔の表情には、神の名のもとに成し遂げた台湾の民族融和と平和なる郷土に対する誇りさえ感じられた。

 

瑞穂温泉

途中、台湾の有馬温泉として親しまれている<瑞穂温泉>に立寄った。

静かな温泉で、ここも広い露天風呂を一人で借りきった浴槽で、100%のかけ流しの湯を楽しんだ。

夜7時にもなると、この瑞穂の村を行き交う車もなく静寂に包まれる。

日本語の上手なご主人とお喋りしたあと、花蓮行きの列車に飛び乗った。

70歳ぐらいのご主人によると、有馬温泉と同じ泉質で、日本のお客さんに喜んでもらっているという。

老舗なのであろう、レトロで、少し古い感じがするが温泉の情緒豊かな田舎の湯である。

一人用の湯槽が10 ,二人又は家族用が7つあり、鉱泉を愉しむことが出来る.

 

この近くにこれまた日本人愛好の<紅葉温泉>があるという。

次回に楽しみを残すことにして瑞穂温泉より、花蓮に向かった。

 

臺彎鐵路局/台湾鉄路局の莒晃6車27号の座席に座って太魯閣渓谷で有名な花蓮駅に着いた。

 

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        今回のスケッチ・温泉紀行は、台湾鉄道による列車の旅でもある 

 

この夜は、<五州大旅荘/花蓮市>(朝食付600元)に泊る。

 

翌朝、<花蓮客運総站バスターミナル>より太魯閣へ向かう。

「天祥・落鞀・梨山」行バスに乗り、「天祥」で下車(2H 140元)

 

 

■太魯閣/タロコ 白楊瀑布  天祥 台湾東

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            <太魯閣 白楊瀑布>白楊遊歩道より望む

              Skeched by Sanehisa Goto

 

 

 台湾鉄道 花蓮駅より路線バスに乗り<天祥>で下車し、白楊遊歩道を歩いて秘境<水簾洞>に向かう。

幻想的な水のカーテンで有名な太魯閣白楊瀑布近くにある水簾洞に立寄った。

洞窟の奥に光に浮き立つ滝があり、それは幻想的な水のカーテンのようである。

雨具必携。

そのルートそのものが太魯閣の渓谷に沿ってあり、白楊瀑布の絶景に足を止めてスケッチした。

 

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       太魯閣 白楊瀑布           水簾洞の水のカーテン(台湾観光協会提供)

 

 

 

太魯閣渓谷 と 天祥キリスト教 台湾東

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          太魯閣渓谷                天祥キリスト教会(太魯閣)

 

太魯閣渓谷では、プロテスタント派長老教会の<天祥キリスト教会>の教会堂の一隅で一宿をお願いした。 台湾の教会の多くは、青少年の野外活動や旅行を支援するためゲストハウスやユースホステルのように解放している。 

<天祥天主堂>も、ドミトリーとシングルルームを備えている。 バス停「天祥」下車、バスのきた方向にもどって、左側の坂を上り徒歩5~8分の所に建つ石造りの教会である。

 

<太魯閣渓谷トレッキング・ルート図>

太魯閣渓谷は、トレッカーにとって魅力的なトレッキング・コースを幾つか提供しているので紹介しておきたい。

 

白楊遊歩道<天祥―小九田―白楊吊橋>

天翔~白楊吊橋間の約4km、所要1時間の<白楊遊歩道/次基里渓コース>は、

白楊瀑布や水濂洞の<水のカーテン>がみられる人気コースであり、

白楊遊歩道からの渓谷美は息をのむような絶景である。

幾つもの曲がりトンネルを通り抜けるのでヘッドライトがあれば心強い。

 

②緑水トレッキング・コース<天祥―緑水>(1.9km/約1時間)

  緑水トレックの圧巻は<緑水テラス>であろう。 ぜひ歩いてみて欲しい。

  この山道(コース)は日本統治時代にできたトンネルの前に、原住山岳民族が使っていた生活道(旧道)であったと思われる。 それにしても断崖絶壁、獣も通れない千尋の谷に面している。

  一方、新道は天祥から歩いて下り、3っのトンネルを抜けると約25分で緑水に到着する。

 

③豁然亭トレッキング・コース<天祥―豁然亭 約2km/約2時間半>

「天祥青年活動中心」の正面玄関の手前左側にある<豁然亭遊歩道>サインに従って、豁然亭に向かう。

稜線を歩くことになり、高度差も1320mあり、かなりハードなコースである。

標高で見ると、出発地点<天祥 580m>をスタートし、分水嶺1113mを通過し、ゴールの豁然亭1900mに立つのだから登山と考えるべきである。

   

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                                                 太魯閣渓谷トレッキング・ルート図

 

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                                                  天祥キリスト教会戴牧師夫妻と共に教会堂前で

 

<文山温泉―太魯閣渓谷/大沙渓>

太魯閣渓谷の大沙渓にある文山温泉にも立寄ってみた。

ここは渓谷露天温泉として有名で、道路から渓谷にある露天風呂までの高低差が180mもある。

それも吊橋を渡った対岸にある。

しかし、残念ながら落石が激しく閉鎖中であり、露天風呂からの渓谷美を味わうことは叶わなかった。

またの機会に譲ることにしてゲストハウスの<天祥キリスト教会招待所>に戻った。

 

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                太魯閣・大沙渓・文山温泉探索へ向かう 

 

<台湾におけるキリスト教宣教>

1624年オランダ東インド会社は、現在の台南・安平を拠点として台湾支配を開始した。 

主に原住民対策としてプロテスタント宣教師の協力を得た。 

オランダ統治下でキリスト教は、統治と教化の両面で利用されたのである。

 

一方、台湾北部を占拠したスペインは、カトリックを統治と教化に利用したが、1644年オランダによって駆逐され、オランダも又、明朝復興を願って台湾に反撃根拠地を作った鄭成功の攻撃を受けて台湾から追放された。

オランダの台湾からの追放によってキリスト教の宣教は、一時中断されることになった。

 1858年、アロー戦争の結果結ばれた天津条約により、開港された台湾の現在の淡水・台南・高雄を中心に、清朝によってキリスト教布教の容認のもと、カトリックによる布教が開始されたが、成果は芳しくなかった。

その後の台湾でのキリスト教布教の主流は、プロテスタントの中でも長老教会であった。

1865年、英国長老教会派のマクスウエルが台湾布教活動を本格的に開始したと《臺灣基督長老教會百年史》に書かれていると<天祥キリスト教会>の戴牧師が語ってくれた。

旅の最期に訪れた淡水にある<真理大学>もまたプロテスタント派のキリスト教長老教会によって創設されている。

 

<太魯閣渓谷 天祥に別れを告げる>

今朝の太魯閣の山々にかかる朝焼け雲が天女の衣のように美しい。

教会の番犬たちも別れを感じているのだろうか寄添って離れない。 生きしもの別れまた寂しや、である。

朝8時45分のバスで天祥を下り、花蓮に向かうが、その前にスケッチを仕上げ、戴牧師に贈呈。

教会堂にあるドミトリーを清掃し、感謝の祈りをささげて、天祥キリスト教会を後にした。

 昨日は、戴牧師の運転する車で、高砂族の部落を案内してもらった。 都会と何ら変わらない村の生活であるが、古びた家並みに貧富の差を見て取れる。 繰り返された支配者下の歴史の繰り返しであったが、のどかな平和のなかに村は包まれていた。

はたして山岳民族である住民が、都市文明の生活に組み込まれたことが幸せであったかどうか、それぞれによってとらえ方が異なることであろう。

 

<蘇澳冷泉に立寄る> (蘇澳/スーマウ)

花蓮➔蘇澳 58次 2車03号 莒光/普快車 145元

 1895年台湾割譲時、仙台丸輸送指揮官 竹井信景は蘇澳上陸時の兵士の飲料水として飲ませて好評を得たという。 この水はサイダー・ラムネとして1916年の日本全国博覧会で銀賞を獲得するほどの好評を得ている。

 広々とした鉱泉浴槽にただ一人体を沈め、赤茶色の鉄さびのような、肌に咲く炭酸の粒々を払い落としては、水面に舞い上がる水疱を眺めては、楽しんだ。

 

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                                     炭酸カルシウム泉の蘇澳冷泉

 

<礁渓温泉>  炭酸水素ナトリウム泉

宣蘭から淡水に向かう前に、礁渓温泉にも立寄ってみた。

列車を下りると、すぐ目前が温泉街である。 台湾で一番古びた温泉ではないだろうか。 

温泉と言えば渓谷や森に囲まれ、自然豊かな温泉地がほとんどであるが、ここ礁渓温泉は街の中にある。

どうも自然を楽しむ温泉ではなく、生活に密着したものであるようである。

 入浴した公共温泉浴場は、川床に造られており、男子のみでみな裸で入浴する。 もちろん温泉地である限り女子の浴場もあるのだろうけれど確認はしていない。 裸で入浴できるところは、ここと「関仔嶺温泉」の二か所ではなかっただろうか。

 しかし、ここ礁渓温泉は、温泉の常識を超えた変わったところである。

タオルを露天風呂につけるは、靴を洗ったみずや、体を洗った水が流れ込んでいるのだから常識では考えられない温泉である。 

もちろん、顔や頭を湯に付けず、恐るおそる湯船に体を沈めたものである。

話は変わるが、台湾に来て以来、髭を生やしている人に出会った記憶がない。 郷に入ればとここ礁渓温泉でも髭だけはきれいに剃り上げた。

 

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                                                         礁渓温泉 川床に設けられた足湯

 

 

<基隆をへて台北に帰り着く>

基隆では、金ぴかの<仏国山極楽寺>に詣で、門前の屋台で懐かしいどら焼きを買い食い、基隆港を散策した。

日清戦争の結果、下関条約によって台湾が清朝(当時の中国)から1895年(明治28 年)5月、日本に割譲されたことはすでに触れた。

台湾に進駐すると、 総督府は基隆港、高雄港の築港を行い、大型船の利用と鉄道連絡が 出来るように整備し、台湾の海運業の改善と、日本の南方進出のための中継港湾基地とした。

 

基隆港を後にして、今回の台湾一周スケッチ旅行のベースキャンプである台北駅近くにあるゲストハウス<Happy Family>に計画より3日程はやく戻ってきた。

これから3日間、台北近辺にある訪問地を日帰りで回ることにしている。

 

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                                         日本統治時代の基隆港(鈴木商店写真館より)

 

<陽明山温泉> スケッチ先掲)

朝食にお粥(25元)をかけこみ、台北駅北側にあるバス停から260番<陽明山温泉>行に乗り、終点で下車。

きれいに手入れされた中山公園・前山公園を横切り池のほとりに立ち、少し濁り湯である公共浴場に向かった。

ここも台湾で多く見られる男性オンリー(限定)の円形浴場である。

円形の浴場を囲むように洗い場・脱衣場・冷水槽・WCと交互に配置されている。

 

<国父記念館> スケッチ先掲)

陽明山温泉を楽しんだ後、<国父記念館>まで往復4時間のウオーキングである。

途中、公園で行われている朝一番の中国式体操に参加して体をほぐす。

 

途中で出会った台湾式ゴミ収集に見とれてしまった。 日本の標準的ゴミ収集は、ごみの種類によってゴミ出しの日が決まっていて、毎日それらをもってゴミ出しをするという無駄が多く、ゴミ収集側に便利にできている。

それに対して台湾式は、種類別の三台のゴミ収集車が同時にやって来て、ベルを鳴らして知らせ、各種のゴミを同時に収集している。

 

孔子廟保安宮

帰国前三日目の台北散策は、中山北路を北上し、多くの参詣者が回りながら一仏一神に祈りを捧げる<孔子廟保安宮>に向かった。

 

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                  孔子廟保安宮

 

この後、淡水にも足を運び、真理大学にあるレンガ造りの<理学堂大書院>をスケッチをして過ごした。

 

 

■真理大学  淡水 台湾 

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                           基督長老教会創建<真理大学理学堂大書院> 淡水 台湾

                                                Skeched by Sanehisa Goto

 

台湾一周を終え、台北に戻り、息子が卒業した米国コーネル大学の同窓で大先輩の李登輝元総統が関係した真理大学を訪れた。

真理大学は、1865年宣教を開始した台湾最大のプロテスタントキリスト教派である基督長老教会が創建した大学である。

淡水の英国領事館の裏側の抜け道を行くと真理大学にでる。

礼拝堂から聞こえてくるパイプオルガンの音色は、青空に吸い取られるように響き渡っていた。

荘厳な雰囲気に包まれたここ礼拝堂では、2020年9月19日李登輝元総統の告別礼拝が行なわれている。

 

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                   真理大学理学堂大書院   <基督長老教会創建>   真理大学礼拝堂

 

 

■鳥来/ウーライ温泉  台北

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                                                           <鳥来温泉>  台北

                                                     Skeched by Sanehisa Goto

 

帰国前に台北にある渓谷温泉である大自然に囲まれた<鳥来温泉>でゆっくりと体を休めた。

台北市の南東約30㎞先に位置する烏来温泉は、海抜500mにある避暑地としても有名である。

鳥来温泉は、原住民族タイヤル族によって約300年前に温泉(タイヤル語でウーライ)は発見された。

台北MRTの新店駅から路線バスで、40分ほどでアクセスするできる便利なところにある。

青空のもと、川の流れを眺めながら露天風呂(無料)につかっていると日本にいる気分になった。

 

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烏来渓谷に造られた人気の野渓温泉<烏来熱力温泉>        帰国前日 鳥来温泉で

 

 

■鳥来滝とタイヤル族のファッション  鳥来温泉 台北

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          <鳥来滝とタイヤル族のファッション> 鳥来温泉 台北

               Skeched by Sanehisa Goto

                  

鳥来温泉の渓谷露天で体を休めたあと、散策がてら片道1.5km 約20分のところにある鳥来滝までの散策を楽しんだ。 台湾の原住民族については、スケッチ<台湾苗栗古文明垃丁面客神秘太陽紀> 台湾古文明のお面展で述べているので参照願いたい。

 

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                  鳥来滝とタイヤル族戦士像

 

 

<陽明書屋  陽明山国家公園>

帰りに、台湾統治者であった故蒋介石の邸宅<陽明書屋>(旧中興賓館/現在は資料館)にも立寄って見た。 陽明書屋は、台湾ボーイスカウト総本山としてのキャンプサイトを備えた陽明山国家公園のなかにある。

 

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                  陽明書屋

 

 

                 

 

 

文化学園公園   台北

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          <文化学園公園の池に浮かぶ無花蓮>   台北

             Skeched by Sanehisa Goto

 

 

台湾を一周し台北に戻ってきて、三日目 帰国前日である。

あす、エバー航空で帰国する。 パッキング(帰国準備)も済ませ、近くの文化学園公園を散策しながら『星の巡礼 台湾一周スケッチ旅行』を振り返ってみた。

 

池にある蓮の葉をスケッチしながら、台湾の人々の温かいもてなしに出会ったこと、 また、どこか台湾に同族のような親しみを感じている自分がいることに気づかされた。

 

台湾の人々の<自分に生きる>姿に出会えたことに感謝したい。

自分を認め、自分たちの政治的環境を理解し、いかに生きるべきかを神に問い、神と共に歩むその姿には、平安と自信と、喜びに満ちていた。

神の教えに従い、神に従う僕(しもべ)こそが、未来を見つめる台湾の人々の選択でもあるかのように思えた。

 

現在、中国共産党政権が行っているウイグルチベット内モンゴル各民族の漢民族同化政策推進もまた、旧大日本帝国の台湾・満州・朝鮮に対する植民地政策と変わりはないと云える。

 

人類は進歩を停め、同化という美名に隠れて差別化・隷属化を進めているように思えてならない。

 

ご来場有難うございました。

谢谢你的拜访

 

          

       

       2005『星の巡礼 台湾一周スケッチ紀行 ブログ展』