2021『星の巡礼 南奥駈け6泊7日老人奮闘記』②
<玉置辻~熊野本宮>
南奥駈道6日目朝、玉置神社を出発し、玉置辻に下りてきた。
玉置辻の鳥居をくぐると、舗装された道路上にちょっとした広場があり、左手に数張のテントが張れる空間がある。
また、舗装道の反対側にこれから向かう大森山の入口(奥駈道)があり、<熊野三山入口>の標柱と、<新宮山彦ぐるーぷ>の標識が目に入る。
玉置辻で一服し、大森山を経由し、今夜の露営地である<六道の辻/金剛多和>に向かった。
舗装道をはさんでテント地の反対側に大森山への この奥駈道は林道と合流し、しばらく林道を歩く
入口がある
標識<熊野三山入口>と<新宮山彦ぐるーぷ>が立つ
林道を進むと右手から大森山への山道に入って行く 左大森山・右水吞金剛<第9靡>の分岐を左へ 07:45
大森山への尾根から篠尾の村の田畑を見下ろす
大森山 標高1045m 09:40登頂
大森山より急下りで篠尾辻にでる 11:00 通過 岸の宿<第8靡ーなびき>
切畑宿で昼食(めはり/きつね寿司)11:15/11:40 五大尊岳<第7靡>825m 12:20/12:40休憩
(玉置神社駐車場食堂<栄山めはり寿司>)
6日目露営地 六道の辻/金剛多和<第6靡> 14:45到着
まずはリュックを置き、水場を確認に出かける
<水場標識>六道に辻より2分・奥駈け道を右折3分 豊富な沢水あり
六道の辻に張られ、南奥駈け最後の夜を迎えるツエルト
南奥駈け最後の晩餐の準備
南奥駈け最後の暗黒の森を楽しむ(深夜鹿たちの来訪あり)
■《 南奥駈け最終日 第7日目 六道の辻/金剛多和より熊野本宮神社にむかう
老人7時間コース 》
6月1日 南奥駈け 7日目
<いよいよ最終日を迎え、ゴール熊野本宮に向かう>
『今日もよろしくお願いします』と、熊野の峰々に深く頭を垂れた。
計画の行動日数を2日も延長し、己の戦いから神仏へのお願いと変わっていく様を感じ出していた。
これは己の健康、成し遂げたいという願望を今少し見守ってくださいという切なる祈りであり、生への原動力を与え給えという究極の願いでもある。
この歳で限界を超えてくると、自他ともにわが生は総力戦を強いられるのである。
当初、この高齢で南奥駈けに踏み出した時は、道中での遭難や滑落を気にし、疲労が加わり不安に見舞われるとたえずエスケープの妄想にさいなまされた。
しかし、ここまでくると自分を誉め、目標達成という欲望が湧いてくるから人生は不思議であり、愉快である。
すべてが軽く感じ出し、歩速も滑らかになって来るのである。
そして、あの一歩の重さも吹き飛び、歳をも忘れ、青年のように「いざ進め」と高らかに叫び、己の背中を押し進めるのである。
目標とゴールが一致しだした瞬間の歓びこそ人生最大の歓喜の瞬間であるような気がする。 幸せと安堵が体中に広がり、青空の素晴らしさに目を見張ったものである。
自信とは、人生の基(もとい)である。
すべてに助けられ成し遂げられたという幸せと、満足感と、充足感にみち、感謝というほのかな温もりがこころの中に広がった。
ここは玉置神社と熊野本宮の中間地点である<六道の辻・金剛多和>(第6靡―なびき)の広場に張らせていただいたツエルト(簡易テント)の中で、寝袋に体を横たえて日記を付けている。
もう少し若ければ、この時間にはすでに熊野本宮に到着し、南奥駈け無事踏破を報告し、祝福を受けている頃である。 しかし、歳からくる疲れのため、ここ六道の辻に臥すとき、熊野杉の樹間に沈みゆく太陽の光が、老体を祝福するように幾筋もの黄昏の夕陽が差し込んでくる風景に出会うのもまたいいものである。。
なんと静かな、幸せな瞬間であろうか。
いま一幅の大自然という絵画の中に老いたおのれの姿を認める幸せこそ、生かされている喜びそのものであるように思えてならない。
仰向けになって熊野杉の先に広がる天池のような天空を見上げる時、栄光の輪が広がり、天国の入口のように光り輝き、われを招いてくれているように見える。
その情景は、天地創造が聖書にでてくる瞬間でもある。
光は闇を求め、闇は光を求める。
自然の法則に、存在するすべてのものが従っている姿を目にして、己の小ささを痛感するツエルト生活がここに在る。
大自然の中で露営する楽しさを味わう瞬間でもある。
奥掛けの孤独な露営もまた然(しかり)である。
<熊野川が目に入った>
いよいよ南奥駈け最後の日がやって来た。
老体を考え、自信をもって仕上げた行程(計画)が、スタートして3日目に無残に打ち砕かれた南奥駈け、恐るべきことであるというべきか、無謀であったというべきか。 後日、判断ミスがどこにあったか反省の材料にしたい。
しかし、2日遅れのゴールもまた良しである。
単独の4泊5日の行程が、6泊7日に延びたこと自体、通常考えれば継続は不可能である。 数グラムでさえこだわった携行の品々、切り捨ててきた限界ぎりぎりの携行品、飲み水でさえ生命線ギリギリに抑えたはずの行程を、2日もオーバーしたことは、二日間の遭難にひとしい体験をしたことになる。
ただ、計算された2日間の延長であったところに、遭難そのものの切実さがなかったというだけである。
心して反省しなくてはならないとも思っている。
2日も生き延びて、ゴールできるのであるから、その矛盾からくる成功にこそ、老人成功の秘訣が隠されている気がしてならない。
それは一体何が2日も延ばしてゴールせしめたのだろうか。
体力の温存であり、食料の再配分であり、なんといっても先達との約束を果たすという覚悟と信念、それに神仏の導きと大自然の尽きない声援を受けたことによるものだと確信している。
ここに、おのれでは計算できない、こころの中にある導きによって南奥駈けが無事になされたと思っている。
最終7日目 六道の辻露営地を発ちゴール熊野本宮を目指す 05:00出発
今朝も天気と健康に恵まれ、峰々に抱かれることに感謝である
大黒岳<第5靡> 大黒天神岳573m 05:40/05:50 休憩
雲海に消える高圧送電線をくぐる 06:20
雲海の中、山在峠(林道)を目指して下る
山在峠にある<宝篋印塔> 06:55/0710休憩 山在峠 標高1035m 林道を渡り奥駈道に入る
吹越山<第4靡>標高325m 07:40通過 再度、林道を渡り標識に従って奥駈道に入る 07:50
吹越峠670m 08:45通過
展望台 大斎原の大鳥居・熊野本宮を一望 09:10
七越の峰公園(WC)09:20通過 広場直進 七越の峰 登山口 09:30
七越の峰を下り、 舗装道路に出て歩く 案内板より舗装道と別れ、右手より奥駈道に入る
09:45/10:00休憩
南奥駈道最後の上りが始まる
南奥駈道最後の急下りから見る熊野川
ここが大峰奥駈道<順峯>の起点であり、南奥駈道<大峯奥駈道逆峯>の終着である 10:45到着
堤防から熊野川へ降りる階段がある 渡川は不可能ではないが、万一の事故を避けるため備崎橋を渡る
堤防を歩いて備崎橋に向かう 熊野本宮神社 旧社地 大斎原の大鳥居にも踏破報告
熊野本宮神社にて、奥駈道踏破報告と共に、感謝の祈りを捧げた 11:40
大好物のトンカツ定食で奥駈道踏破を祝った
これから、バスで湯の峰温泉に向かい、7日間の疲れをとるためゲストハウス<ジェイホッパーズ熊野湯峯>に投宿し、露天風呂につかる。 楽しみである。
また、帰宅時の交通機関乗車のマナーとして、これまた7日間着たきり雀の下着はじめすべての衣類を洗濯機で洗い、乾燥機にかけて汚れと悪臭を消し去るつもりである。
かかることが出来るのも、奥駈道踏破後も元気であること、いや生きて帰ってきたということである。 80年の集大成である挑戦を手助けしていただいた神仏に、そして大自然の一木一草にいたるまでの見守りと声援とに感謝である。
《 駈けし峯 振り返りてや 白き雲 曲りし腰に 老いを背負いし 》 實久
ーかけしみね ふりかえりてや しろきくも
まがりしこしに おいをせおいしー
感謝合掌
第1期2002<吉野~太古の辻~前鬼口> 第2期2021<前鬼口~太古の辻~熊野本宮>
ここに大峯奥駈道逆峯完全踏破を終える
2021年6月1日11時40分
熊野本宮神社に到着し、報告する
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<カミーノ・デ・サンチャゴ巡礼路 と 大峰奥駈け道>
二つが姉妹巡礼路であり、世界遺産であることは世界的に知られ、近年海外からの巡礼者が熊野古道、特に中辺路で多く見受けられた。 今回は残念ながらコロナ禍の環境にあり、吉野・玉置・熊野本宮でさえ外国からの巡礼者との出会いは皆無であった。
世界遺産・熊野古道シンボルマーク 世界遺産・カミーノ・デ・サンチャゴのシンボルマーク
姉妹都市シンボルマーク
わたしも自転車で踏破した老若男女で溢れかえるカミーノ・デ・サンチャゴ870kmの巡礼路は、フランスからスペインにまたがるピレーネー山脈をつらぬく山岳地帯を縫って牧草地や村の中を歩く、景観豊かな魂の巡礼路である。
そこには歩き巡礼路としての宿泊施設「アルベルゲ」が迎えてくれ、歩き巡礼者の交流の場となっている。
これに対し、熊野参詣道の中辺路が、カミーノ・デ・サンチャゴの巡礼路に似た雰囲気を醸していると云える。 海外からの巡礼者も好まれる巡礼路のひとつである。
古代から中世にかけて熊野三山の信仰が高まり、上皇から一般民衆にいたるまで、多くの人々が熊野を参詣した。
当時、「蟻の熊野詣」といわれるほど、紀伊路・伊勢路・大辺路・中辺路・小辺路は多くの人々で溢れ、切れ目なく熊野に参詣したと伝えられている。
今回の大峰奥駈道は、初心者でも手軽に歩ける<魂の巡礼路や参詣道>とは異なり、現在でも山伏という修験者の山岳修行の場でもある。 その心づもりと覚悟で入峯することが問われることはもちろんである。
大峯奥駈道が、日本・海外からの多くの青年男女で溢れ、精神修養(自己研鑽)の巡礼路としてさらに脚光を浴びる日が来ることを祈るものである。
<南奥駈道におけるエスケープ考>
老体を引っさげて修行の険しい峰々<南奥駈道>を歩くことを計画して以来、たえずエスケープルートの情報収集にエネルギーを使ったものである。
それは単独行を生涯貫き通したいという山行ポリシーにある。
単独行、それはたえず死と隣り合わせであり、一瞬にして起こる遭難は多くの関係者に迷惑をかけることを知っているからである。
自己責任、それは生還への絶対的自己防衛であると思っている。
死んでは、自己責任が果たされなかったことになるからである。
「いかにして生きて帰るか」、エスケープルートの情報収集・研究は登山にあったって老人としての最重要な必須条件である。
若い時は、入山したら何とかなるという絶対的自信に、死を恐れることなどみじんもなかったから、その自信がどこからきていたのであろうか。
老化よりくる円熟味は、登山考はもちろん人生考までも慎重になるから面白い。
今回、計画したいくつかのエスケープルートが、現場ではただの希望的なルートであったことに気づかされ愕然とした。 これでは自分を納得させるためだけの幻のエスケープルートに過ぎないからである。
その中で、南奥駈道の生きたエスケープルートをいくつか上げておきたい。
➀「持経小屋エスケープルート」白堂林道から国道425に出て下北山温泉に抜けるルート
<新宮山彦ぐるーぷ>作成の「持経宿周辺案内図」参照
②「行仙宿山小屋エスケープルート」
行仙小屋のある<佐田の辻>より浦向道を下り、四ノ川林道を左折
国道425に出て、浦向または十津川温泉方面に向かうルート
<新宮山彦ぐるーぷ>作成の「行仙宿周辺図(広域)」参照
③「葛川トンネル経由エスケープルート」
稚児の森にある<岩の口>より下山し、国道425にあるバス停より
十津川温泉行バス 一日三便のバス07:38/09:30/15:02を利用できる
④「玉置山神社エスケープルート」
駐車場へ予約(条件付き)によりバスの迎えがあるとの情報(十津川温泉行のみ)
又は 緊急時のヒッチハイクも可能
<ゲストハウス・ジェイホッパーズ熊野湯峯 と 湯の峰温泉>
最終日、熊野本宮神社での奥駈道踏破感謝報告の後、バスで湯の峰温泉に移動、温泉で疲れをとり、洗濯をして身だしなみを整えた。 滞在した<ゲストハウス・ジェイホッパーズ熊野湯峯>もシーズン中は、海外の巡礼者で溢れるそうだが、コロナ禍のもと、この日はただ独りの滞在者であり、寂しい限りであると担当者が嘆いておられた。
汗と泥で汚れ切った奥駈け踏破者にとって、露天温泉と洗濯施設(洗濯機と乾燥機)があるホステル<ゲストハウス・ジェイホッパーズ熊野湯峯>の存在は、有難い。 温かく迎えていただき感謝している。
<ゲストハウス・ジェイホッパーズ熊野湯峯>
ゲストハウス・ジェイホッパーズの露天風呂 湯の峰温泉街で信楽の狸に出会って
当初予定していた湯の峰温泉公衆浴場に飛び込む予定は、現在建て替え中で、懐かしい温泉場が消えてなくなっていた。 つぼ湯は営業中、健在である。
湯の峰温泉は、古くから熊野古道を歩き終え、熊野本宮に参詣する前に身を清め、衣を整える所として栄えた。 現在でも中辺路へとつながる<大日越・赤城越>が湯の峰温泉を起点として残っている。
湯の峰温泉公衆浴場は建て替え中 つぼ湯は営業中
2021『星の巡礼 南奥駈け6泊7日老人奮闘記』
完
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■<老人用携行品研究ーロングトレイル用> (後期高齢者/4泊5日/単独)
■<大峰奥駈道行程地図>
■<大峯南奥駈け高低差之図>
■<大峰南奥駈道 行程表 ‐ 後期高齢者仕様>
2021『星の巡礼 大峰奥南駈け6泊7日老人奮闘記』完/末尾