shiganosato-gotoの日記

星の巡礼者としてここ地球星での出会いを紹介しています。

追悼ツーリング (PAGE3)

追悼ツーリング (PAGE3)
 
岐阜・福井県境『温見峠1020m』前後の国道は、2車線幅の道路になり、緊張から解放されてホッとさせられる。
温見峠(ぬくみとうげ)には、午前920分に到着した。峠は曇り空のもと人一人いない、車も出会わない寂しい光景である。ただ紅葉だけがわれわれを歓迎してくれていた。
峠には「これより福井県大野市」、「能郷白山登山口」(▲能郷白山1617m)の標識があり、日本海からの風に乗った小雨が無常に舞っていた。
 
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 峠から福井県に入り紅葉のまぶしいこと、真っ盛りである、S字急カーブのゆったりした幅広の国道を2kmほど下ると欄干のないコンクリートの橋をわたる。この橋が慰霊地の大切な目印となる。
転落現場を正確に保存するためにスピードメーターで確認しておきたい.
 
≪慰霊現場は 温見峠より福井側に丁度2.0KM下った  標高825mの地点≫である。
 
この橋から150m先の左手の路肩に菊の花と線香の束と缶ビール「スーパードライ」の慰霊の跡が残されていた。ご家族との無念なる対面がなされたのであろう。なぜこんなところで?という問いに彼はなんと答えたのだろうか。
 
橋から急にクランク的に、数秒間に二回の直角カーブ(ハンドル)を切ることになるが道幅もある。渓谷側をのぞくと川の流れまでの高低は15mほどだろうか、ただガードレールはなかった。油断からなのか、緊張の解けた安堵からか それとも肉体的な疾病からか体勢を立て直すゆとりがなかったのだろうか。道路の状況は正常・普通である。なぜここで?
 
彼はついに答えずに永遠の世界へと旅たった。
わたしもつい叫んでしまった『なぜや!』。悔しかった。無念だった。いつまでも穏やかな彼の顔が脳裏から離れることはなかった。
 
 
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持参した線香、哀悼の辞、日本酒「鬼殺し」を供え、祈りを捧げた。と言うより彼に語りかけた
 
                    『大槻陽一君、来たよ!』
 
なんでや、君みたいに慎重なオートバイ野郎が、なにがあったんや
  紅葉が君に笑いかけてるよ、谷川の流れもただただ君と歌ってるよ
  涼しい風が峠から谷へ駆け抜けさわやかだ
落ち葉がカラカラと鳴いているよ
 
君は往ってしまったんだね
君といつかツーリングしようって言ってたのに、なぜや?
でも、とうとう君のところへ来たよ
君とゆっくりとしゃべりたかったんだ
 
僕は君と同じルートで岐阜からやってきたんだ
よくわかるな、岐阜側の道があまりに酷いので
峠を越える直前からの広い道に気がゆるんだんだね
 
お線香の煙がまっすぐに君のところにむかってるよ
鬼殺し(日本酒)うまかったかな
いっしょに飲んじゃったよ
ビールもいただいたんだね
いまごろ真っ赤な顔してるんだろうね
いつものように
 
では  ゆっくり休んでくれ
またいつか遊びにくるからな
 
2014/10/27  10:11am  温見峠標高1020mより福井側2km  慰霊地に花を手向ける)
 
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ガードレールの無い現場で彼に語りかけた
 

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  1.            橋から急にクランク・カーブに入る。 橋から150m先が慰霊の地だ。 
 
再会を約して現場を離れた。
何ということだろう現場から約7km下ると立派な国道157号線に再会した。いままでの酷道157とはうって変わって見まがうほどであった。
途中、道の駅「九頭竜」に立寄り彼が果たせなかったであろう名物「舞茸うどんと混ぜご飯」をいただいた。
あと福井市にでて、国道8号線を南下し、敦賀より国道161号線(西近江路)を走り、マキノ「愛発越」(あらちごえー高島トレイル入口)から滋賀に入った。
 
この日は木枯らし第一号(西近江では比良八荒ともいわれている)が吹き荒れた悪天候、風に舞ながら彼を堅田に連れ帰った。
 
わが友 大槻陽一君
 
君の見守りのもと、追悼ツーリングを終えることができ感謝である。 
ゆっくりとお休みください。
ご家族のみなさまには こころよりお悔やみ申し上げます。 合掌
 
志賀の里 後藤實久
 
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国道161号線マキノより琵琶湖を遠望
 
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出発地点・堅田・琵琶湖に帰着  
 
 
            <追悼ツーリング 完>