立山は富士山、白山と並ぶ日本三霊山の一つである。
弥陀ヶ原や称名滝、地獄谷、餓鬼の田など仏教由来の名が多いのもここが信仰の山だからだと言われる。
かつて修験者たちが歩いた道、拝んだ風景をこの日体験した。
修験者たちが一の越より峰本社に向って法螺貝を吹く姿を見たことで、霊山にたいする信仰の神秘さを目の当たりにしたのである。胸が高まった。
峰々はわたしにとっても山の神である。 入山前と下山後、山の神にごあいさつとお許しとご加護と感謝のお祈りをするのはわたしの習わしでもある。
わたしは基本として単独行である。
山行では危険なことがいっぱい待ち受けている。
道迷いや霧や雪中でのホワイトアウト、ガレ場でのつぎなる一歩、サインの見落とし、滑落した直後、水場が消えていた、沢でのサインの見落とし、闇のなかでのビバーグ、転倒、骨折などなど、どれも命につながる。
いや命に直結することばかりがわたしの身に起こるのである。
それらの現場に出会ったとき、体が引き締まり、心眼が研ぎ澄まされ、神の声が聞こえてくるような気がする。
不思議である。
死に直面する登山者のすべてにみられる超能力現象の一種ではないだろうかとおもう。
そう、人生で起こるすべての経験値がその一瞬に凝縮してわたしの体に伝えられるのである。
山行には豊富な経験値とともに研ぎ澄まされた予知能力と次なる的確な情勢判断を導き出す能力が必要であることは言うまでもない。
わたしには両方ともいまだ欠けているが、その瞬間に神よりの啓示というか野生の本能が光り輝き、なすべきことを伝えられるようなきがしてならない。
いまだ生かされていることを思い、その瞬間を乗り越えてきた神の恩寵を思いだすとき、頭を垂れるとともに生かされることの重みを味あわされるのである。感謝である。
登山準備をした仲間があつまり、小宮君の指導で柔軟体操をした。 高齢者ばかりなので転倒、捻挫予防など入念な準備が必要だ。わたしは小宮君の準備運動の理にかなった指導方法に感心した。
そして的確な情勢判断、指示、差配すべてが安心感をあたえ、責任感が伝わってくる。
このひとも登山を知った本物の山男なのだ。
誠実で経験豊かな頼もしいリーダーである。
雄山登山前の柔軟体操 (リーダーは小宮君)
登山前の記念写真
その天空の広場での柔軟体操である。
ある登山客がわたしに問いかけてきた。
「すばらしい山の会ですね。 どちらの会ですか。」
その理由を聞くと 「すばらしい柔軟体操に感動しました」 と。
先にものべたようにわたしも小山君の指導に驚いていたので胸を張って応えた。
「わたし達の山仲間は海の上で知り合ったんですよ。 PB81山の会といいます。 全国から集まっています」 と。
みくりが池温泉を出発した。
途中、立山室堂山荘まえで参加者全員の記念写真をとった。
わたしたちの山の会は、山を愛する人たちが集っていると先に述べた。
山登りはしないが山の魅力をだれよりもこよなく愛する歌人・青山マサ子さんも山の会の仲間だ。彼女は山の風と戯れ、雪渓と遊び、花々を愛で、峰々と語り、山の神に抱かれながら人生を歌うため独り室堂平を散策するという。
彼女の短歌のひとつを紹介しよう、
「そこ紅」が ちいさき庭を うめつくし 季のながれの はやきをしりぬ 万游
「一の越山荘」までが一行程である。 十数個の雪渓を横切り標高2400mの室堂平より2705mの一の越山荘まで、雄山を仰ぎ見ながら、またふりかえって富山平野や日本海を見下しながらのすばらしい上りである。
大阪からの中学生、修学登山のご一行さんと抜いたり抜かれたり、少年少女たちと楽しい会話を楽しみながらのシニア登山となった。
隊列を組んで雪渓をゆく
連休でもあり季節もよく、家族ずれもおおく見受けられた。 子供たちがサングラスをかけ、ストックを使い立派な山スタイルで挑んでいる姿には、ユーモアと凛々しさを感じた。
山ガールファッションの原色化にはいつも度肝を抜かれる。 山ガール族の奇抜なファッションと色彩に、なにか場違いな違和感をもつのはわたしひとりなのだろうか。
遭難を防ぐヤッケの色彩と自己主張の色彩はおのずから違いがあるとおもうがいかがなものであろうか。
賛否両論があることは承知の上で問題を提起してみたい。
山登りの本来の目的は何なんだろう。
もちろん個々人によってことなることはわかっている。
わたしの場合を考えてみたい。
山の神との出会い、汗しての学び、危険からの学び、潜在能力の開発、極限能力への挑戦、山との対話、夜の静寂にひそむもう一人の自分を見つめて、危険を背負っての挑戦、孤独との戦い、計画を立て準備をする楽しみ、自分の世界に飛び込むため等々、わたしにも山登りへのいろいろな動機が潜んでいるようである。
登山考にふけりながら、ほかの仲間より遅い足どりで「一の越山荘」に到着した。
一の越山荘
そこにはまた別世界の山々が横たわっていた。 それも180度のパノラマ、これほどの大パノラマを見たことがない。興奮した。
4年前に縦走した裏銀座の船窪岳(2459m)を左端にはじまり、烏帽子岳(2628m)、野口五郎岳(2914m)とつづき、槍ヶ岳(3180m)をはさんで水晶岳(2986m)、三俣蓮華岳(2841m)から笠が岳(2897m)をへて、右端の黒部五郎岳(2840m)までの大眺望である。 目を凝らすと豆粒ほどの富士山が餓鬼岳(2647m)と不動岳(2172m)の間に見えるではないか。
わたしはこの大パノラマをまえにスケッチをはじめた。 リーダーの許しをえて雄山登山をせず、ここ一の越にとどまりスケッチにふけることにした。それだけの迫力を秘めた北アルプスの絶景である。
雄山を一の越より見上げる
雄山の稜線でチームPB81
雄山登山をおえた仲間と、お昼過ぎに「一の越山荘」まえでコーヒーマイスターの福島和實君の入れてくれた珈琲を愉しんだあと下山した。
立山三山に雲がかかりはじめた。 雪渓は暑さにゆるみ足を引きずり込む。 ずぼっと雪渓に穴があき、その下を雪解けのせせらぎがかすかに歌をうたいながら流れている。
お花畑も大自然の営みに合わせて、その個性豊かな顔々を輝かせて咲きほこっている。
花々に迎えられての下山(凱旋)であった。
二日目の夕食のあと、部屋にあつまり宴がはじまった。
持ち寄ったツマミとアルコールにほろ酔い、話題はNPO立上げ構想である。
鹿児島の大地主 中山正行君の敷地に養護老人ホームを開設するという壮大な計画をぶち上げて気勢をあげたものである。
理事長に太田佐和子さん、理事に小宮宮子さん、中山夫人とし、他のものは出資者として参加するという構想であった。酔いのまわったわたしにはその内容がわからないまま、談笑は夜更けまでつづいた。
三日目の解散の朝を迎えた。 仲間との楽しい三日間が夢のように過ぎ去った。
再会を約しそれぞれの帰路についた。
解散後、梶村佐喜江さんは、大日岳に登りにいくという。
わたしは一の越、浄土山、五色ヶ原方面へスケッチに出かけることにした。
まず浄土山めざして雪渓を登ることにした。
仲間は室堂バスステーションにむかって下りはじめていた。
天空の風にたくして 「また逢う日までサヨナラ」 と叫んでいた。
『ああわれらいまここ立山にありて』
詩・後藤實久
ああわれらいまここ立山にありて
標高2450の室堂に集いて再会す
11面観音阿弥陀如来にいだかれて
そのこころに癒され青春に沸立つ
神と仏の化身なりしわが身を識り
極楽浄土を願いて立山にわれ没す
日常を脱し見失いし珠玉の心洗い
山を見よ花を見よ我を見つめよと
青き天空に突きだすその姿鎮座し
残雪に清き心を映して歓喜感涙す
吹き抜けし無なる風心地よく舞い
仲間なる一人一人に天地有情あり
この崇高の極みを与えし友ありて
西の地にて病身なる孤高をかこう
君の快復を祈りともに哄笑を願い
久住を約してその青春の瞳輝かす
ああわれらいまここ立山にありて
山の神立山権現の宇宙を飛翔せり
2015年7月21日深夜
みくりが池温泉にて