shiganosato-gotoの日記

星の巡礼者としてここ地球星での出会いを紹介しています。

『星の巡礼・インパール作戦白骨街道に一粒の供養米をおくる運動』

星の巡礼インパール作戦白骨街道に一粒の供養米をおくる運動』
 
2016112日より約1ヶ月、

インパール作戦に斃れた英霊を偲び、当時「白骨街道」と化した阿羅漢(アラカン)山脈を縦走します。 特に、ビルマインパール南道」と「カレーミョ・タム間のカバラ渓谷」を踏破してきます。

 

ビルマインパール南道<カレーミョ⇔タイゲン村⇔テディム⇔トンザン⇔シンゲル⇔インド国境


■ カバウ渓谷  <カレーミョ⇔インタンジー⇔ヤザジョウ⇔カンパット⇔タム・インド国境>
 
激戦地であったインド側インパール南道には、2003年2月7日より約1ヶ月慰霊訪問してきました。

当時、ビルマ(現ミヤンマー)は軍事政権のもと鎖国政策をとっていて、個人的入国は厳しく制限され、おおくの地域が立入を禁じられていました。

ビルマ国境からの帰途、インド側インパール南道上のトルブン隘路口・モイライ・ニントウコウ・ビシェンプールで慰霊をさせていただきました。
 
今回、夢であったビルマインパール南道とカバウ渓谷を歩き、弓第33師団の英霊が歩んだ道をたどってきたいと思います。
 
いまから72年前、援蒋ルートを遮断する戦略的な目的と全線戦での後退的日本軍の挽回という希望的観測のもと開始されたインパール作戦は、20日分の米を背負って阿羅漢山脈を越えインパールへと進撃を開始しました。

しかし待ち構えた英印軍のトーチカや戦車、空挺部隊による後方攪乱や補給腺の遮断、また雨季という気象条件からくるマラリヤ赤痢などが重なり撃退されました。
糧食が尽き病に斃れ、撤退路には将兵の屍が累々と続きました。
この撤退路は「白骨街道」「靖国街道」と呼ばれています。
 
今回、白骨街道を歩くにあったって英霊に日本の郷土米を届けたいと思います。
こころを同じくする方々の「祈りを込めた一粒の郷土の米」を届けるため、下記の要領で受付けたく思います。

ご希望の方は封筒に「祈りを込めた一粒の米」と「英霊へのメッセージ(呼びかけ)」のいずれか又は両方を同封し郵送してください。

また現地へ写真同行したいという方は、写真(L版)1枚の裏面にお名前とお会いしたい亡き戦友または関係者の氏名等をご記入のうえ、同封してください。 慰霊の際、一粒の米と写真を阿羅漢山脈上の白骨街道に残置してまいります。

申し訳ございませんがその他一切のものを同封しないようお願いします。また、上記以外のご要望はお受けできかねますので何卒ご容赦ください。 受付締切は急で申し訳ありませんが、201617日(木)必着とさせていただきます。


宛先はメールsanegoto1941@yahoo.co.jp  にてお手数ですがお問い合わせください。ご高齢になられている関係者やご遺族のみなさんは、若いみなさんの協力・助力を得てください。

           
(提唱者: 後藤實久 ごとうさねひさ)

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星の巡礼インパール作戦白骨街道に一粒の供養米をおくる運動』
    につづく