shiganosato-gotoの日記

星の巡礼者としてここ地球星での出会いを紹介しています。

2016『星の巡礼・東海道53次自転車ぶらぶら旅500km』 Ⅴ

星の巡礼東海道53次自転車ぶらぶら旅500km』 Ⅴ
 
東海道53次の一里塚跡をたどりながら日本橋に向かう> 5
 


■52  草津宿


草津は、いまから45年ほど前、新婚当初2年ばかり草津市駒井沢というところに住んでいたことがある。
当時は田畑の美しい、遠く比良山系や鈴鹿山系に囲まれ、瓢箪型の大きな池(琵琶湖)がある滋賀県の内庭といった風情豊かなところであった。


それからの発展は目覚ましく、大きな道路が縦横に走り、草津駅前など中堅都市としてのその様変わりに目を見張った。


草津宿東海道と中仙道という二大街道の合流点であり、旅人や物流あふれる宿場であった。
また宿場のなかでも格式が高かったのではないだろうか。徳川家歴代の大老職にあった井伊家のおひざ元であったことから、参勤交代で宿泊する大名たちの様子を探索していたとも推測できる。本陣のその規模の
大きさからも推し量ることができる。


もちろん山並みを往く中仙道よりも、旅を楽しむには風景に変化がある東海道の方を多くの旅人が選択したで
あろう。


さて、その東海道と中仙道の合流するところに『右東海道 いせみち』(伊勢路)・『左中仙道 美のじ』(美濃路
という火袋つき石の道標(常夜灯)が残っている。この草津の宿の人口は2351人、家の数は586軒、そのうち本陣が2軒、脇本陣2軒、旅籠屋は72軒あったと記録されている。

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歌川広重 東海道五十三次草津 と 「木曽海道六拾九次之内 草津追分」 の浮世絵     
左端 : 東海道中山道の分岐点にある火袋つきの石造道標(常夜灯)
 

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草津宿本陣(田中本陣跡)                           草津宿の旅籠の並び

草津宿は、東海道中山道の合流点であり、多くの旅籠が軒を並べていた。
そのシンボルであり大名などが休泊したのが草津宿本陣(田中本陣跡)である。
 

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「うばがもちや」草津本店全景と 「姥が餅」

当時、街道の楽しみは、茶屋での一服であったろう。宿場への途中、見晴らしのよい峠の茶屋や、海辺の松林で松風や波音を聞きながら休憩をとり、空腹をみたす。旅人には地元の餅や団子などが歓迎されたようだ

旧東海道を自転車で行くと、一服する店やコンビニと出会うことはむつかしい。国道1号線と並走するときに休憩することになる。
この休憩が大切な時間となる。こちらは餅や団子ではなく冷たいものを欲した。
快晴の日などアイスクリームを買い求め、額に当ててクールダウンするのである。
トイレを借りてさっぱりさせ、濡らしたTシャツを着こんで次の目的地までの暑さをしのぐことになる。Tシャツが乾ききるのに30分とかからない。これを繰り返して熱中症を予防するのである。

旧東海道日本橋にむかう仲間やカップルに数組であった。走るもの、てくてく歩くもの、じぶんに会う方法で53次の旅を楽しんでいた。その姿やまるでサハラ砂漠を行進中の外人部隊の敗残兵のようなスタイルである。
タオルやバンダナで肌を覆い隠すと、眼だけが光り異様な雰囲気をかもしだす。
でも、なりふり構っておられないのである。自分を日射病から守らなければならないからだ。

5月がこのように暑い季節とは想像していなかった。みな快適だとおもって出発したのに、実に暑かった。
ときにはペットボトルの水を頭とTシャツにふりかけての走行となった。

昔の街道はアスファルトやコンクリートで地肌を覆い隠してはいなかった。それだけで照り返しである輻射熱や吸収熱がなかった。現代の生活に対する利便性が快適性を奪っているともいえる。

箱根越えなどではむき出しの大地を歩いた。その感触は人間性回復の原点でもあった。


5年前の「中仙道てくてくラリー」では、梅田幹人氏(同志社ローバースカウトOB71期生)の出迎えを受け、近江鉄道の「武佐駅」より草津まで同伴してもらったことがある。田舎路である旧中山道を二人して赤とんぼを追いかけ、バッタを観察し、手作りの豆腐を食べ、極楽湯というスーパー銭湯で背中をこすりあったことを懐かしく思いだしながら草津宿を後にして石部宿に向かった。

 
■51  石部宿


六地蔵一里塚跡   京より832km日本橋より117里・468km
                              (滋賀県栗東市六地蔵附近)

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六地蔵一里塚跡
 
石碑の側面には、「間ノ宿・六地蔵/西へ至目川一里塚」・「和中散のまち・六地蔵/東へ至石部の宿」とある
石部宿は、滔々と時が流れ、歴史の中に生きる街道にさんさんと太陽の光を浴びていた。
近江富士(三上山)の美しい体の線が田植をおえた田圃に落ちている。風紋にゆれる曲線はいっそう艶めかしい。

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六地蔵から近江富士を眺める     六地蔵にある大角家<和中散本舗ーぜさいや>
 
六地蔵には江戸時代、旅人のために道中薬を売る店が数軒あり、写真の大角家(国重要文化財)は、その中で和中散という薬(胃痛・歯痛)を売る「ぜさいや」の本舗として栄えたという。


薬を売るだけでなく、ここ六地蔵草津宿と石部宿の「間の宿」として、公家・大名などの休憩所も兼ねたそうである。

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田楽茶屋(歌川広重の浮世絵に描かれた茶屋を旧東海道沿いに再現したもの) と  石部宿浮世絵


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真明寺の山門                                                                            芭蕉句碑 「都ゝしいけ帯」
 
真明寺の山門をくぐると正面左手に芭蕉句碑がある。芭蕉が石部宿の(田楽)茶店で詠んだといわれる。
「都ゝしいけ帯 そ能蔭尓 干鱈さく女」  <つつじいけて その陰に 干鱈さく女>とある。

 石部宿を出て田畑のひろがる細い旧街道を水口宿に向けて自転車のペタルを踏み続けた。
すこし距離があるのだろうか、暑さに汗がしたたりはじめた。
汗を流し、体を冷やすために温泉へ一直線だ。




東海道53次の一里塚跡をたどりながら日本橋に向かう> 
■50  水口宿 につづく