■50 水口宿
水口宿名物 「かんぴょう」
水口の初夏の風物詩、青空の下で白いかんぴょうが干される風景が描かれている。
今在家一里塚跡
ここに典型的な「一里塚」についての解説板があるので紹介しておく (写真左端)
「一里塚は、街道の脇に一里(約4キロメートル)ごとに、旅行く人々の目印として造られた塚で、
江戸時代に全国的に整備されました。今在家一里塚は江戸日本橋から112里目にあたり、
今在家村地検取調総絵図によれば今の位置よりも東にあり、また道を挟んで両側に対に築かれ
ていたことが描かれています。江戸時代の一里塚は明治の初年に撤去され、現在の一里塚は
その後、復元されたものです。今は塚の上に榎が植えられていますが、かつては桜が植えられ
ていたと伝わります。 作成:甲賀市市民協働事業 今郷好日会」
水口城乾矢倉 「からくり時計」石橋の東で旧東海道は三筋に分かれている
水口温泉・つばき湯
水口宿東見付跡 食事の事例
第一日目の疲れは「水口温泉・つばき湯」でおとして、露営予定地の公園にむかった。
途中、水口宿東見附跡(水口宿の東端に設けられ、「江戸口」と呼ばれ、警備の役割を担っていた)に立寄った。
テント設営時には興味を持たれた近所の方が見学に来られた。 水口宿の歴史的なお話をお聞きすると共に、当方の旅行目的を伝える。テントの簡易性・利便性に注目され、ご自分も挑戦してみたいとお手伝いいただいた。
ひとりでも多くのアウトドア―派が誕生することは喜ぶべきだ。
第一日目の露営地は水口宿・田町・秋葉水公園(山川橋西端)の東屋の軒下をお借りした。
設営後、露営地に向かう前にコンビニで購入した夕食・朝食(豚丼・菓子パン) と 睡眠導入として鬼殺しと柿ピー、そして栄養剤として持参している「アホエン」(ニンニクカプセル)・Q&Pを用意してテントに潜り込んだ。
夜空には、満天の星が悠久の輝きを送り続けている。すでに消え去った星までがあたかも現に存在しているがごとく微笑んでいる姿は、いまは亡き妻や父母、友人たちの魂の輝きのようにまぶしい。
今夜は満月である。カメラを向けると蛍のように飛び回り焦点が定まらない。その優雅な月の舞はわたし自身の舞に置き換わり、般若湯のせいであろうか四智円明の世界に吸い込まれていった。
露営におけるテント張の注意点を述べておきたい。
1.必ず周囲住民に声掛けをしておくこと(テント泊の目的・出立時間・人数ほかを伝えておく)
2.テントまたは自転車に宿泊標識を掲げること(目的・氏名・住所・携帯連絡先ほか)
3.テントは雨模様以外東屋内に張らないこと(東屋外に張り、降雨時に移動させること)
4.許可を受けた場合は可能、時として許可なき場合不審者として通報されるので注意を要する
5. テント撤収後、ゴミ拾いと周囲環境の原状復帰に徹すること(来た時よりも美しく)
6.露営地出発にあたり一晩の恵みに感謝をささげること
天候の急変に備えて東屋の軒先をお借りした
宿泊標識(目的・連絡先・氏名ほかの標示)を掲示
サイクリングの第一日目、やはり疲れがどっとでた。日頃使っていない脚の筋肉やスジの突っ張り
(こむら返り)のほかサドルによる股関節の痛みに襲われた。2~3日は続くことであろう。深い眠り
に入りたい。
■2日目 <2016年5月24日 快晴>
■49 土山宿
美しい朝焼けが天幕を染める
こころの中に朝日が広がり詩(うた)が生まれる
今日という日が私の中に宿る
目を覚ますことの歓びがこの瞬間にある
露営地で二日目の新しい夜明けを迎えた 土山宿の夜明けでもある
土山宿の田植も昔から変わらない風景である 土山宿・旅籠「東屋」
<旧東海道に残る松並木>
東海道における松並木は極わずかしか残っていないが、わたしたちを道迷いよりその都度確実に助けてくれた。
■土山宿-2 につづく>
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