古戦場「桶狭間の戦い」
◎「桶狭間の戦い」
25000といわれる大軍を率いて尾張に侵攻した駿河の戦国大名である今川義元に対し、尾張の大名であった織田信長が少数の軍勢で本陣を強襲し、今川義元を討ち取って今川軍を退却させた。日本三大奇襲(日本三大夜戦)に数えられる日本の歴史上有名な戦いである。
わたしも中学の日本史の授業で心躍らせて合戦を思い描いて興奮したものである。信長は中学生にとって英雄であった。
■39 知立宿
3日目の設営地・明治用水跡緑道
3日目の露営地は、東海道をはなれ広重の浮世絵を求めて、「知立の松並木」が切れるところから左(北東)に曲がり明治用水のあった緑道をすすみ、東屋のあたりで設営、広重の浮世絵世界である朝夕の景色を観賞、堪能した。
宿泊りでは味わえない、露営だからこそ味わえるリアルな醍醐味である。
ぜひ体験して欲しい。病み付きになること間違いなしである。人生の味も生きる目的も微妙に変化するであろう。
テントが無くてもいい、ただ庭やベランダに横たわって星を見るだけでいい。星があなたに語りかけてくるのだ。あなたは何億光年先の友人や恋人と心通わせることができるのだ。
神の贈り物がそこにあるのだ。
今宵も流れ星が祝福をあたえながら消え去った。
その一瞬に人生を感じるのだ。
明治用水(めいじようすい)は、西三河南西部に農業用、工業用の水を供給する用水である。幕末・明治維新期に、全国に先駆けて測量・開削が行われた近代農業用水だったため、明治という元号を冠するエポックメイキングな命名がされた。
いまなお日本人には先人のDNAが引き継がれていることに誇りを感じる。
この夕暮れも、この明治用水緑道におおくの住民が暮れゆく田圃の風景を楽しみにそぞろ歩きされていた。たくさんの方がテントにお声掛けしていただいた。みなさんが郷土を愛し、旅人にも優しく接しておられる姿は宿場街に伝わるホスピタリティなのであろう。
旅人として、こころ満ちる時間である。
<東海道53次京より4日目 2016年5月26日 曇り時々小雨>
夜中に少し雨が降ったようである。東屋に引っ越す必要なほどの雨ではなかった。
濡れたテントは重くなる。すこし早めに起きだし、テントをひっくり返して風による乾燥に時間をかけた。
曇り空で走りやすく、体力の消耗を抑えられそうだ。ここ2-3日の疲れも慣れてきたのであろうか軽い。
感謝の祈りを捧げて、いざ出発だ。
東海道の松並木にもどり、ローソンに飛び込んでインスタントの「キムチラーメン」に熱湯をかけ
冷えた体を温める。
良くいただいたモヤシ付き朝食
約1km先、左(北側)に「来迎寺一里塚」がある。
(愛知県知立市来迎寺町古城)
来迎寺一里塚
「来迎寺右塚 猿渡川右岸の来迎寺の集落を通る旧東海道の左右に設けられた一里塚である。昭和36年(1961)に指定された右塚(北塚)は高さ3.5m、基部の幅10m、奥行9mの規模で、西側がやや崩れているものの一里塚の原形をよく保っている。塚上には黒松が植えられている」 (知立市教育委員会)
ここより9kmさきの矢作橋を渡るといよいよ徳川家の岡崎宿に入る。
<東海道53次の一里塚跡をたどりながら日本橋に向かう> 13
■38 岡崎宿につづく