shiganosato-gotoの日記

星の巡礼者としてここ地球星での出会いを紹介しています。

2016『星の巡礼・東海道53次自転車ぶらぶら旅500km』Ⅶ

星の巡礼東海道53次自転車ぶらぶら旅500km』
 
東海道53次の一里塚跡をたどりながら日本橋に向かう> 7

 
■ 土山宿ー2

■土山一里塚跡     京より1558.9km (日本橋より110里・440km) 
                        滋賀県甲賀市土山町北土山附近)

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<土山一里塚解説板>


当時、「一里山」という地名を産むほど「一里塚」は重要なキーポイントであったことがうかがえる。旧東海道には地名の外にバス停などにも「一里山」がよく使われている。


「一里塚」は遠くからでもわかるように、台座をつくり、土を盛り上げ大木である榎(えのき)を植えていたことから山のように見えたのであろう。


もう少し、「一里塚」について紹介しておきたい。


東海道一里塚跡  <省略> この制度が整ったのは、慶長八年(1603年)家康が日本橋を仮設し、翌九年この橋を起点として東海、東北。北陸の諸街道を修理し、その折36町毎に道の左右に相対して一里塚を築き、塚の上に榎を植えて遠くからでも望見できるよう旅行者の便を図ったことにはじまっている。


土山町の設置場所は、山中地先、土山地先、大野市場地先であったが、現在その跡はほとんど残っていない。塚の規模は、およそ高さ2.5メートル、円周12メートルの大きさであったと伝えられている。土山地先の一里塚は、土山町北土山の大森慶司氏宅付近にあったと伝えられ、この付近の字名は一里山と名づけられている。
平成七年三月 土山町教育委員会

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天気・健康状態の情報を残す                                     素敵な「土山宿レリーフ」案内板
 
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「土山宿本陣跡」

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「土山宿」石碑                          道の駅「あいの土山」                          田村神社  (土山宿側 鈴鹿峠登下山口)

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旧東海道・土山宿側にある田村神社鳥居横にある「鈴鹿峠入口の案内板」
(江戸へ向かう土山宿東出口にある)


 土山宿を抜けるところに道の駅「あいの土山」がある。 ここで鈴鹿峠に向かう準備をする。洗顔・水の補給・柔軟体操・本日の行程チェック・排便などルーティンをこなす。


国道1号線をわたり田村神社の石の鳥居をくぐり、案内図に従って旧街道を鈴鹿峠に向かう。


鈴鹿峠 378m>  鈴鹿山系の滋賀と三重の境に位置する


西の難所である鈴鹿峠(378m)は滋賀県近江国)と三重県伊勢国)の境界にある。


旧東海道を行き来する旅人はこの鈴鹿峠を越えなければならなかった。


道の駅「あい土山」からはなだらかな道が鈴鹿峠まで続くが、三重県側は八丁二十七曲がりと呼ばれる厳しい下りが続く。東の箱根越え・西の鈴鹿越えといわれるほどの難所であったのであろう。


両峠とも、どちらかといえば西側がゆるやかな勾配で、西側が険しい下り(上り)となっている。


 
旧東海道の峠越えでは、荷物を積んでいる自転車後輪が小石や石畳みの凹凸に翻弄され悲鳴をあげた。


しかしいまでは行き交う人はなく静かすぎる峠越えであった。


山賊もでたであろう。襲われたこともあったであろう。峠はただ沈黙の中にあった。静かだ。


 


■48  坂下宿 
伊勢国(三重)   京より72km / 日本橋より421km


 
坂下宿は鈴鹿峠の東麓にあり、昔そのままの自然豊かな峠道は心休まる風景が今も残っている。
旧東海道のなかでも、鈴鹿の古道は箱根街道と同じくそのままの情景を残している。


坂下宿はもともと片山神社下の谷間にあったが1600年代の大洪水で壊滅し、現在の場所に移設したとある。


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鈴鹿峠                                        鈴鹿古道の石畳道                    歌川広重「坂下宿・鈴鹿越え」浮世絵
 
旧東海道鈴鹿峠三重県側を下りはじめると「八丁二十七曲がり」の厳しい道がつづき、坂下宿へと続く。
下りであっても歩きに徹する。 ヘルメットの緒を占めて転倒に供える。ブレーキをかけるたびにタイヤが
よこすべりする。冷や汗をかきながら下り終えるまで緊張に、汗した。

しかし旅人ひとりにも出会わない静かな鈴鹿越えに、忘れ去られた峠に歴史の流れが止まって見えた。

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鈴鹿峠を下り三重県(坂下宿)側峠登り口に出る                      「鈴鹿馬子唄発祥之地」の碑

 

 鈴鹿峠を越え、八丁七曲りを下ると三重県(坂下宿)側峠登り口に出る。国道1号線との分岐を横目にアスファルト道を直進すると「鈴鹿馬子唄発祥之地」の前に立つ。

「坂は照る照る 鈴鹿は曇る あいの土山雨が降る」と歌われている鈴鹿馬子唄の石碑が建つ

この日も静かな時が流れ、馬にまたがり馬子唄を聴くわたしがいた。 緊張と眠さが襲う鈴鹿越えであった。



 
 
東海道53次の一里塚跡をたどりながら日本橋に向かう> 8
                                                 < 坂下宿 2> につづく