shiganosato-gotoの日記

星の巡礼者としてここ地球星での出会いを紹介しています。

2017『星の巡礼・奥の細道紀行-句碑の前でわたしも一句』 11

2017 星の巡礼奥の細道2400kmをたどり、恐れながらわたしも一句』 6

  
 


1.日光⇒黒羽⇒芦野⇒白河 <奥の細道紀行1>
 
③ 黒羽(くろばね)-1     201757日>


5時、目覚めと同時に道の駅「矢立」を出発、国道461号線を東に、黒羽(くろばね・旧栃木県那須郡)でのベースキャンプである「道の駅 那須与一の郷」に向って車を走らせる。


ところどころ田植えがはじまっている。近江の国(滋賀)よりも少し早いようである。たぶん日照時間の関係で早めなのであろう。


芭蕉曽良もこの田植風景をみながら、日光奥街道(国道461)を東へ向かったと思うだけで心がはずむ。
田の水に浮かぶ雲、シャクナゲ芽吹く山々も当時の風景とかわりなく今に伝えているとおもいたい。


道の駅「那須与一の郷」は、ゴールデン・ウイークを黒羽で過ごす車であふれかえっていた。すぐ横に中学時代に歴史で習った「那須の与一」の伝説で有名な那須神社がある。


◎恐れながらわたしも一句

③黒羽(くろばね)      <句碑所在地>               <わたしも一句>
「木啄も 庵はやぶらず 夏木立」 雲巌寺山門左手 「凛として 夏戸立てたる 雲巌寺
(きつつきも あんはやぶらず なつこたち)   (りんとして なつどたてたる うんがんじ)
「山も庭も うごき入るや 夏座敷」 桃雪邸跡 「せせらぎに 朱の伽藍睨む 夏坐禅
(やまもにわに うごき入るや なつざしき)   (せせらぎに しゅのがらんにらむ  なつざぜん)
「野を横に 馬牽きむけよ ほととぎす」 常念寺山門前左 「夏の野や 鐘の音抱きて 臥せしわれ」
(のをよこに うまひきむけよ ほととぎす)   (なつののや かねのねだきて ふせしわれ)
「今日も又 朝日を拝む 石の上 」 明王寺境内左手 「白き花 おのれ隠さじ 山法師」
(けふもまた あさひをおがむ いしのうえ)   (しろきはな おのれをかくさじ やまぼうし)
「夏山に 足駄を拝む 道途かな」 修験光明寺 「峰々の 行者行き交ふ 夏の役」
(なつやまに あしだをおがむ かどでかな)   (みねみねの ぎょうじゃゆきかふ なつのえん)
「かさねとは八重撫子の 名なるべし 」 曽良の句 「風に乗り 雛菊もまた 旅仕度」 
(かさねとは やえなでしこのななるべし) 西教寺境内手前 (かぜにのり ひなぎくもまた たびじたく)
「秣(まぐさ)負ふ人を枝折の夏野かな」 玉藻稲荷神社 「山桜 風吹き去るも 物見かな」
(まぐさおふ ひとをしおりの なつのかな)   (やまざくら かぜふきさるも ものみかな)



芭蕉の里・黒羽  <芭蕉句碑巡りサイクル・マップ> (大田原市

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芭蕉曽良は、ここ黒羽(くろばね)に14日間も逗留している。「奥の細道」全行程中もっとも長い。
黒羽では、芭蕉の門人である黒羽藩の城代家老兄弟、俳号を桃雪(兄・とうせつ)と翠桃(弟・すいとう)の温かいもてなしを受けた。
 
地図でもわかるように、芭蕉句碑がおおく残り、芭蕉の館を中心に「芭蕉の里」の雰囲気を色濃く残している。
 
まずは、黒羽の中心から離れている雲巌寺(うんがんじ)に車でむかった。
黒羽を流れる那珂川(那珂橋)より雲巌寺へは、往復約30kmの坂道である。
 


雲巌寺(うんがんじ)   山門左手 地図10
  •  芭蕉 「木啄も 庵はやぶらず夏木立」  (きつつきも あんはやぶらず なつこたち)
   雲巌寺仏頂和尚は、芭蕉が深川の臨川寺に参禅していたおりの和尚であり、その山居を訪ねるのが
   目的であった。
   禅宗日本四大道場の一つで、渓流に沿った静寂のなかに伽藍が並んでいる。
  「山門石段前に清流あり、名は武茂川といい、朱の橋・爪橋(かてつばし)渡って参詣する」(奥の細道)と
  ある。


   朱の橋を渡り、石段をあがると、山門をくぐったところの偈に「寺とは、聖なる逍遥に己の心の内を置く」と、
  書かれていた。
  逍遥とは、こころを俗世間の外に遊ばせること、と広辞苑はいう。


   こころを整え、姿を正し参詣した。
 
   凛とした空気のみなぎる境内、日中の出入りは許されているが、建物へは一切の立入禁止とある。禅修行
  の厳しさが伝わってくる。もちろん本堂裏山にある山居跡にも近づくことは出来なかった。
 
   句をかみしめ、せせらぎにこころ洗われながら雲巌寺を後にした。
 
   山門左手に句碑が立っている。
 
      仏頂和尚 「竪横の五尺にたらぬ草の庵むすぶもくやし雨なかりせば」
 
       芭蕉 「木啄も 庵はやぶらず夏木立」  (きつつきも あんはやぶらず なつこたち) 


   禅の師であり、畏友佛頂和尚山居跡を訪ねました。さすがに尊い和尚の修業跡なればよろず突っついて
   木に穴を開けてしまう啄木鳥も和尚の庵には乱暴を働かないようだ。


  <奥の細道  当国雲岸寺のおくに、 仏頂和尚山居跡あり。
    竪横の 五尺にたらぬ 草の庵むすぶもくやし 雨なかりせば
    と、松の炭して岩に書付侍りと、いつぞや聞え給ふ。其跡みんと雲岸寺に杖を曳ば、人々すゝんで共に
    いざなひ、若き人おほく道のほど打さはぎて、おぼえず彼麓に到る。山はおくあるけしきにて、谷道 遙に、
  松杉黒く苔したヾりて、卯月の天今猶寒し。十景尽る所、橋をわたつて山門に入。
  さて、かの跡はいづくのほどにやと、後の山によぢのぼれば、石上の小菴岩窟にむすびかけたり。妙禅師
  の死関、法雲法師の石室を見るがごとし


  <現代語訳> 下野国雲巌寺の奥に、わが参禅の師である仏頂和尚の座禅修行の跡があるという。
  竪横の 五尺に満たぬ 草の庵 むすぶもくやし 雨なかりせば
  と、松の炭で岩に書いておいた、といつか師から聞いたことがあった。そこで、その山居の跡を見ようと
  雲巌寺に向けて出発した。人々も誘い合ってやってきた。若い人たちが多く、道々にぎやかに騒ぎながら
  行ったので、麓までは思いがけず早く到着した。雲巌寺の山内は森々として、谷道はどこまでも続き、
  松や杉は苔むして濡れ、四月だというのに冷え冷えとする。雲巌寺十景の終わるところに橋があり、
  それを渡って山門に入った。
  さて、山居の跡は何処かと探しながら、後ろの山を登っていくと、小庵が巌にもたれるようにして造って
  あった。南宋の高僧妙禅師の死関、法雲法師の石室を見ているような気がしてきた。


  木啄も 庵はやぶらず 夏木立  と即興の句を庵の柱に残してきた。



    實久 「凛として夏戸立てたる 雲巌寺  (りんとして なつどたてたる うんがんじ)  

イメージ 4
禅宗日本四大道場の一つである雲巌寺

 
■① <道の駅・那須与一の郷>   (黒羽・芭蕉句碑巡りサイクリング・スタート&ゴール地点)


雲巌寺よりもどり、黒羽のベースキャンプ「道の駅・那須与一の郷」で自転車を組立て、「芭蕉の里・黒羽」
へと走り出した。
道の駅横を走る国道461号線を、那珂川橋に向かって(東へ)下り坂を駆走、橋を渡ってまず「芭蕉の館」に
向かう。

イメージ 5 イメージ 6
左奥に道の駅 ・ 正面に那須神社表参道 (スタート)      那珂川・に架かる那珂橋を渡り「芭蕉の館」に向かう


黒羽藩主大関家の菩提寺芭蕉門弟である城代家老、浄法寺家の墓所もある大雄寺から黒羽城址公園の間には芭蕉句碑が立ち並び奥の細道探訪者をよろこばせてくれる。


滞在中、芭蕉は黒羽周辺の名所旧跡をおおく巡っている。「芭蕉の里」を標榜する黒羽は、奥の細道を凝縮させた街づくりをすすめているようである。案内板も随所に立ち、「芭蕉の里」のイメージを色濃く残している。


句碑の横にはスタンプ台も設けられており、ここではスタンプと写真とをならべ、芭蕉の句を味わってみたい。


なお、奥の細道原文や現代語訳などは、芭蕉DB 芭蕉に関する歴史的事項・全作品・関係人物集・関係書籍など芭蕉に関する総 合データベース)より引用、参照させていただいた。


サイクリングで訪れた順番に芭蕉句碑を見ていくことにする。句碑の位置は黒羽(太田原市芭蕉句碑案内板にある地図番号で確認願いたい。地図は拡大することができる。(写真の右下角にポインターをあててマウスをクリックすると拡大する)

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黒羽(太田原市芭蕉句碑案内板 地図番号


 
■②・黒羽大雄寺付近  地図6


   芭蕉  「行春や 鳥啼魚の 目は泪」  (ゆくはるや とりなきうおの めはなみだ)   


   うららかで花咲きそろう春は格別である。その春が行ってしまうのだから、鳥までもわびしさで泣いている
   ように聞こえ、魚も目に涙を光らせているように思われるものだ。


   <奥の細道 「彌生も末の七日、明ぼのゝ空朧々として、月は在明にて光おさまれる物から、不二の峰幽
    かに みえて、上野・谷中の花の梢、又いつかはと心ぼそし。むつましきかぎり*は宵よりつどひて、舟に乗
    て送る。千じゆと云所にて 船をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別の泪を 
    そゝぐ。是(この句)を矢立の初として、行道なをすゝまず。人々は途中に立ならびて、後かげのみゆる迄は
    と、見送なるべし。


    <現代語訳>  今日、陰暦三月二十七日。あけぼのの空は春霞にかすみ、有明の月はすでに光を失って、
     富士の峰がうっすらと見えてきた。上野や谷中の桜の花には、また再び相まみえることができるのだろう
     かと、ふと不安が心をよぎる。親しい人々はみな前夜からやってきて、共に舟に乗って見送ってくれる。
     千住というところで舟をあがると、前途三千里の遥かな旅路が胸に迫って、夢まぼろしの世とはいいながら、
     別離の悲しみに、涙が止まらない。
     この句を、この旅の最初の吟とはしたものの、後ろ髪を引かれて足が前に進まない。見送りの人々は道の
     真ん中に立って、後ろ姿がみえなくなるまで、見送ってくれた。

  イメージ 8 イメージ 9
 桃雪邸跡付近の路傍に立つ芭蕉句碑「行く春や」 と スタンプ
 
     實久 「春霞 別れも辛き 三度笠」              (はるがすみ わかれもつらき さんどかさ)


    實久 「振り返る 千住恋し 牡丹哉」            (ふりかえる せんじゅうこいし ぼたんかな) 



 
 
                       1.日光⇒黒羽⇒芦野⇒白河 <奥の細道紀行1>
 
                        ③ 黒羽(くろばね)-2  につづく