shiganosato-gotoの日記

星の巡礼者としてここ地球星での出会いを紹介しています。

2004『星の巡礼 シルクロード踏破16000㎞日記』⑤<ペシャワール/パキスタン⇒クエッタ/パキスタン・イラン国境>

星の巡礼 シルクロード踏破16000㎞日記』⑤ 
       星の巡礼者 後藤實久
ペシャワール/パキスタン ⇒ クエッタ/パキスタン・イラン国境>

 

2001年9月11日 首謀者ウサーマ・ビン・ラーディンによるアメリカ同時多発テロ事件。 この時期、ウサーマ・ビン・ラーディンの行方は不明で、多分アフガ二スタから脱出し、イスラマバードちかくのアジトに潜伏しているという情報もある。
ここハイバル峠は、アフガニスタンゲリラ・タリバンの越境も多く、アメリカ軍とアフガニスタン政府軍・パキスタン軍にとってもっとも警戒し、神経戦が飛び交う緊張を含んだ非常態勢下のエリアである。
特にアメリカにとって、ハイバル峠はテロ掃討の最前線といってよい。

 

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      アフガニスタン・ハイバル峠にてカーン氏と

 

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《 9月3日 ペシャワール ⇒ ラホール 3日目 》

 

ペシャワール・ツーリスト・イン・モーテルで連泊し、アフガニスタンとの国境地帯ハイバル峠でのオーサマ・ビン・ラーディンによる9:11アメリ同時多発テロ以降の緊張感を現地で体験した後、モーテルのオーナーであり、ガイド役を務めてくれたカーン氏の見送りを受け、列車で次の目的地ラホールに向かった。

ラホールは、カラチに次いでパキスタン第2の都市であり、芸術・文化の中心として歴史的に重要な位置を占めてきた古都である。
歴史的には、古代インドの大叙事詩ラーマーヤナ」に出てくるラーマ・チャンドラの息子が建造したといわれている。

朝8時にペシャワールを出た列車は、午後2時50分スモッグの古都ラホール駅に到着した。

 

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                ラホール行き列車で サル―家族と

 

シルクロードをたどった玄奘が著した「大唐西域記」にも、ここラホールについて書き残している。
ラホールには今世紀に残る壮大で芸術性の高い建造物が多く残されている。それらは、トルコ系イスラム王朝シク教徒(ターバンを巻いている)、英国によって建てられた古い建造物が旧市街いたるところに残り、まるで中世の都市国家にいるような雰囲気を味わうことが出来る。

さっそく、駅よりリークシャに乗ってラホールYWCAに出向いたがすでに満室で、バックパッカーとしては少し高いが、リーガル・インターネット・イン(125Rs.)に投宿することとなった。

 

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                   ラホール旧市街繁華街

 

ラホールのダウンタウンでは、長逗留している多くの日本人青年男女といたるところで出会うこととなった。
このゲストハウスにも、情報魔の日本人バックパッカーが残した情報ノートが残されており、そこには推薦する料理店、お土産屋、遺跡、列車情報、モスク、イスラムの習慣、犯罪・危険地域、両替、物々交換、政治情報などその内容の濃さ、次に来る新参者へのサゼッションが日記風・スケッチ・漫画など絵入りで微に入り細にわたり書き込まれているのである。この日本人の情報ノートは世界中どのような片田舎のゲストハウスにも置かれているから驚きである。
まるで1980年代の世界の商取引をリードしていた<SHOUSHA>(商社)のテレックスによる情報網にも匹敵するように思えたから、その内容は素晴らしいといっていいだろう。この情報ノートには外国人も驚きの声をあげていた。

同宿の各国からのバックパッカーたちと一緒に夜のラホール下町に夕食に出かけ、チキンカレーと野菜サラダ、コーク(320Rs.)とちょっぴり贅沢をする。食事中、久しぶりのディベート(討論)、フランス女性リルやコロンビア出身のニューヨーカー嬢、英国紳士ドリュウ君らとのリーンカネーション(輪廻転生)について語り合い、楽しい夕食会であった。
その後で出たアイスクリームは、絶品であった。ラホールの夏の夜が暑かったからだったかもしれない。

 

<▲9月3日  ラホール泊  REGAL INTERNET INN投宿  125Rs.>

 


《 9月4日 ラホール 2日目  快晴 》


 
「快便あり、体調良し」、これなくして旅先での幸福感はない。しかしここラホールの夜は、一晩中蚊の攻撃を受け寝不足である。睡眠、これまた幸福度をはかるバロメータである。
中国国境の街タシュクルガンに続いて2回目の船便をラホール郵便局から、カラコルムハイウエイ沿いの村々で手に入れた品々を送り出した。(パスポートコピーと700Rs.が必要)


「断食するシッダールタ」 (断食するブッダーラホール博物館)
<ラホール博物館>に出かけ、世界的に有名なガンダーラ芸術の代表作「断食するシッダールタ」像をスケッチする。その後、ガンダーラ仏教美術ハラッパモヘンジョ・ダロの発掘品などをゆっくりと観賞した。
「断食するシッダールタ」(断食ブッダ)像は、ガンダーラ芸術初期の作品であり、2世紀前半頃の作品。その特徴は、骨ばかりにやせ細った体や、そこに浮き出た血管さえも、明瞭に表現されている。
壮絶な中に、頭部の後光や、肘から垂れ下がる衣の曲線、緩やかに組まれた腕、少し右へ傾いた姿勢などガンダーラ仏像の代表作である。
ゴーダマ・シッダールタ(お釈迦様)は、世を憂い悟りの道を模索し、断食による苦行を始めた。その断食をする様子を表現したのが、「断食するシッダールタ」像である。
結局は、断食では悟りはえられないことを知り、断食をやめ、菩提樹の下で瞑想することで悟りの境地に達し、ブッダとして世に知られるようになったのである。


9月2日ペシャワールでスケッチしたシッダールタ像にもラホール博物館から帰って彩色を施した。両スケッチともイメージカラーで仕上げてみた。

 

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      <断食するシッダールタ> ラホール博物館          Sketched by Sanehisa Goto

                                               

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       <断食するシッダールタ>ペシャワール博物館     Sketched by Sanehisa Goto

 

パキスタン大学生の夢>
ラホール博物館で、2人のパキスタンの大学生につかまり、どうしたら日本のような経済先進国になれるかとの問いを投げかけてきた。

 

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     ラホール博物館で出会ったパキスタン大学生


日本の場合は第二次大戦の敗戦国となり、賠償金を払いながら、すべてを失いそこから這い上がってきた国なので<勤勉・倹約・感謝>を暗黙の基本理念として共有し、汗する努力、満足してもらえる物作り、あくなき改善と研究、創造と工夫に徹して今日の発展につながったと思うと伝えた。
別れ際に、あなた方のようなパキスタンの青年が国を背負って活躍することを祈っていると伝え、「アッサラーム・アライクム」 (あなたの上にこそ平安を!)と言って別れた。

 

<黒い犬  WOLFL> ウルフル
投宿先のゲストハウス<REGAL INTERNET INN>で、思いがけない出会いがあった。親友となった黒犬ウルフル君である。
優しい目でわたしの心の中に語り掛けてくる不思議な犬である。わたしもまた彼の心に宿ることが出来たことを喜んだものである。
ゲストハウスにいる間は、いつも一緒に過ごし心の対話を楽しんだ。
<ラホールの友、心美しき友>ウルフルと一緒に写真を撮った。大切に残したい。

 

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          わが友 ウルフルと  (ラホール REGAL INTERNET INNにて)

 


《 9月5日 ラホール ⇒ ムルタン 》

 

<Daewoo Pakistan Express : Lahore⇒Multan Bus Service  400Rs. 所要時間 6H>
ラホールからムルタン行きは列車(Economy Class 90Rs.)や長距離バス(135Rs. 6H)が便利である。 しかし、サービス等評判のいい韓国の自動車会社<大宇>が現地法人として運営するDaewoo Pakistan Expressという直通バスに乗ってみることにした。
多分、バスをも製造する<大宇>は、ここパキスタンに現地子会社を設立し、バス路線の認可を得て現地化し、バスの売り込みを図ったのではないだろうか。そのバス路線をパキスタン全土に広げ、サービスにおいて最高の評価を得るまで成長したようである。
値段は現地バスの3倍(400Rs.)高いだけあって、飛行機のように最高のサービスを提供している。
① 発着時間 : 時間厳守  ②サービス内容 : イヤホーン付きTV・ミネラルウオーター・新聞・
スナック・ソフトドリンク・セキュリティチェック  ③乗車人員 : 20名  ④乗車率 : 50%以上で運行 ⑤ 乗客 : 中級以上  ⑥セキュリティ : バゲッジー&ボディ赤外線チェック・乗客の顔撮影
以上のように韓国らしい現地進出のパターンである。
世界各地で、日本製の日野や日産のバスを駆逐し、韓国製<Dawewoo-大宇>のバスが走り回っているのである。
ラホールからムルタン行き<Daewoo Pakistan Express : Lahore⇒Multan Bus Service>は、General Bus Station からではなく、街の南にあるラシチンダーから出ている。

快適なDaewoo Pakistan Expressバスは、朝8時にラホールを出発し、午後2時ムルタンに時間通り到着した。エアコンの効いた最高級のサービスを受け、久しぶりに西欧の匂いを嗅ぎ、時を過ごした。ただ残念だったのは、バスにはトイレがなかったことであろうか。

 

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                シルクロードパキスタンルート地図

 

<▲9月5~6日 Aziz Hotel/アジーズ・ホテル連泊  ムルタン  100Rs.>


今回のシルクロードの旅での最安値の宿と言えようか、100Rs./200円である。駅から近いといことだけで決めたのだが、日本では考えられない値段、木賃宿とはどのようなものか紹介してみたい。
建物は古く、部屋もきれいとは言えない。ただ屋根の下で寝られたら文句を言うほどのことではないが、
部屋には軋むベッドに、薄汚れたマットにアイロンの掛かっていないシーツ、がたがた音を出す扇風機、古びたイスと机と質素である。
当然だがシャワー無し、トイレはイスラム式の桶から杓で水を汲み流すが、臭いは吐き気を催す。部屋は埃で汚れているが、鏡台は場違いな気がする。自動車の騒音で眠れないと文句を言いたくなるが、バックバッカ―にとっては屋根があって、鍵があって、トイレがあればまず合格である。

 


《 9月5~6日  ムルタン 》

 

部屋が通りに面しているので騒音だけでなく、強盗の浸入にも対処する必要がある。この夜、眠っている戸を激しくたたくやつがいるので、大声をあげて威嚇すると静まった。
どうも人が泊っていることが、窓から漏れる光でわかるようで、人がいるかどうか試しているようである。さっそくスティックを身近に置き、懐中電灯を用意し、窓や戸のカギを確認してベッドに横たわった。
扇風機は回っているが、かえって熱い空気をあびて、さらに汗が噴き出す。ロープにかけたパンツやTシャツ、タオルはすでに乾いている。体感温度は40℃ほどか。とにかく熱い。
とうとう寝付かれずに、乾いたTシャツを再度水にぬらして被ってようやく眠りに入ることが出来た。
この耐暑方法は、昨年スペインにある<カミーノ・デ・サンチャゴ860㎞自転車巡礼の旅>で編み出したもので、ピレネー山脈の熱さを防ぐためにTシャツを濡らし自転車を走らせたことから始まった。

 

イスラム教徒とユダヤ教徒
このシルクロード踏破の旅に最も軽い一冊の文庫本、トルストイ著「光のあるうちに光の中を歩みなさい」を持参した。世俗の生き方と、クリスチャンの生き方を通して、二人の青年の理想像と苦悩像を描いている。

朝4時半、夜空には薄れゆく半月を囲んで星たちが輝いているなか、スピーカーからコーランが流れ始めた。パキスタンムスリムは、信仰としてのアラーを信じているのだろうか、それとも英雄としてのアラーを尊敬しているのだろうか。
イスラム教は富を必要としない、だから貧しさと汚れに甘んじているのだろうか。毎日5回の礼拝を欠かさないのがムスレムなのであろうか。いくらコーランの教えとはいえ、女性を差別・蔑視(と思える)するのがムスレムなのだろうか。コーランの教えだから自分には責任はないのだろうか。
ユダヤ人もまたユダヤ教聖典である「トーラ」に忠実な民族である。一部の超正統派<ハシディズム>
を除いて、ユダヤ教徒ムスリムと同じく宗教の教えに忠実であるが、より世俗的であり、教えもまた非常に合理的で、一般社会で暮らせる融通性を持っている。

この二つの宗教人、イスラム教徒(ムスリム)とユダヤ教徒は対照的な人の生き方を示しているように思える。宗教規律に縛られるムスリムは、経済の発展より阻害されているのに比べ、宗教そのものを生活や経済の中に積極的に取り込んでいるユダヤ教徒は、人間の経済的欲望に忠実であるように思える。
はたしてどちらが幸福といえるのであろうか。

現在、ムスリムは西欧型社会に挑戦状を突き付けているようにみえる。
それは紛れもなくムスレムの苛立ちであり、敗北感であり、経済的自立の失敗であり、コーランの教えの時代性の遅れである・・・とささやかれている。
ムスレムの青年たちは、はけ口をキリスト教的な貧富の差に的を絞り、ムスレム世界を実現すべく革命に立ちあがっているようだ。そこには進歩性は後退し、ジハード(聖戦)の響きが空しく聞こえてくる。

人のいい、底抜けに明るいパキスタンの人々の大半が、その日暮らしに満足しているように見え、イスラムの教えに従順で、今いる汚れた世界の中に幸せを見つけ、一握りの富裕層の手助けをしているように見えてならない。
人びとは、貧しさの中に自分を沈め、あきらめ、ただただアツラーの神のもと忠実な僕(しもべ)であることに幸せをかみしめているのであろうか。それもまた幸せでいいかと、ひとりうなずくムルタンの朝である。


暑さに強いダニや蚊、ブヨは、特に夜中活発に動き回っているようで、噛まれた肌はでこぼこである。
古びたうえに汚い格安ホテルで目を覚まし早朝のムルタンの街を散策した。
ここムルタンは、インダス古代都市として繁栄した街である。たしかに古い街なのだが、現代の住民が古代都市繁栄とは真逆の貧しい生活を送っていることに悲しさを覚える。
インダス古代文明が嘆き悲しんでいるように思えた。

 

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              ムルタン市街 朝の風景


この貧乏に甘んじる国では、コカ・コーラ―が水より安く、中古の車がリサイクル工場のように掃きだめされ、街を走り回り公害をまき散らし人々の命を縮めている。まるで富める国のゴミを一手に引き受けているがごとくである。
権力者は自尊心を捨てきれず、核武装による優位性を誇示し、隣国インドとの均衡を保っている。核を持つ代わりに学校を建て、教育に力を入れる教育革命こそがこの国の宝を創造すると思うのだが・・・


ムルタンの暑さ45~50℃に負け、これからの更なる暑さを避けるため予定の世界遺産モヘンジョダロ立寄りを変更、直接カラチに向かうことにした。シルクロードパキスタンのハイライトであるインダス文明の空気を味わいたい気持ちを押さえ、残されたシルクロードのことを考えて、体をいたわることにした。
この熱さ45℃が、古代インダス文明の時代にあったとは思えない。近代文明の異常な発展による地球温暖化によるものと思われる。まずは、この地を逃れることにした。
またの機会、暑さの落ち着いた時期を見計らって再訪したい。
なぜならインダス文明の中で最大の遺跡モヘンジョダロは古代の計画都市(人口30000人)で、その優れた文明の証を見ることが出来るからである。

この暑さ45℃から逃げ出すため、迷うことなく列車、それも冷房車両に飛び乗った。
いま、特急列車の1等車両、冷房の効いたゆったりした座席には、パキスタン青年アシム・サディック君と同席、インダス文明の最大遺跡モヘンジョダロの話や、パキスタンの政治・宗教・生活・未来についての話を聞くことが出来た。

 

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      カラチに向かう特急・1等車でパキスタン青年アシム・サディック君と

 

普通列車二等の370Rs.(740円)に比べ、特急一等は1250Rs.(2500円)と約3倍であるが、冷房と時間短縮はバックパッカーにとっても納得に行くものである。
日本でいう豆の天ぷらをこの列車で味わったのでアシム君に何という揚げ物かと聞いてみた。ピリ辛で美味しい豆の揚げ物は、MIX PAKORA ―パキスタンのスナックで<ポコラ>というらしい。実に冷えたコークに合う。

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              パキスタンのスナック<ポコラ>

 

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              ニカーブ着用のパキスタン婦人


<▲9月7日  カラチ YMCA連泊    125Rs.>

カラチのYMCAもまた、大変なホコリと、汚れがこびりついていた。英国植民時代の建物を使い古したような100年物である。家具は壊れたまま鎮座し、その原型には英国調のクラッシックな風格が漂っている。
このシルクロード踏破は、格安なバックパッカースタイルを貫いて旅を続けているので、少々なことでは驚くこともなく、かえってその貧乏旅行を楽しんでいるといっていい。
しかし、安さでは他に類を見ないような宿を探して泊まり歩いているなかで、貧しさからくるここパキスタンの宿はあまりにも貧弱すぎて、無気力である。
ただその貧しさの中にもここYMCAで慰められ、パキスタンの人々の客をもてなす姿に接し感動したことがある。それは、汚れの中にあってシーツと枕カバーが真っ白に洗濯され、客をもてなそうとするパキスタンの人々の心優しさを感じたのである。神のやどるYMCAのスタッフのみなさんに感謝したものである。

 

<父とYMCA>

YMCAと言えば、わが父の青年時代、留学先のアメリカで授業料や生活費を捻出するために、宿泊はYMCAで過ごしたと話してくれたことがある。苦学生としてYMCAに寝起きし、靴下や下着を洗濯し、破れ個所を繕いながらニューヨークにあるコロンビア大学で勉学に励んでいた。
わたしも父のルーツをたどり、各国のYMCAをよく利用している。YMCAは、旅人よりも貧しい学生や、失業者や路上生活者を救済することを主目的としていることを知っておくべきである。

 

<わたしのバックパッカー論 : 旅は人生、人生は旅といえるバックパッカーをめざして>

バックパッカーは、主婦のように多忙を極める種族である。
バックパッカーは、ひとりで日常生活のすべてをこなせなければならない。掃除洗濯をはじめ、栄養を考えたクッキング又は外食、裁縫・修理修繕、健康チェック管理、コミュニケーション・交渉、買物・購入、予定表作成、家計簿記帳、予算の管理、記録・記帳、情報収集、危険察知と防御ほか、家事能力と交渉力と情報に基づく嗅覚が必要な主婦そのものである。
さらにその上、生きるための知恵と工夫、予算の獲得と使い方、安価でボリュウムの嗅覚、節約の努力と仕方の研究、我慢・耐乏する精神力、臨機応変の危機回避、状況分析能力、瞬時の対応と決断、計画変更の柔軟性、状況判断と逃避の変わり身、瞬発の危険予知能力、危険からの離脱方法や現在地確認の正確さ、的確な観察・洞察力、善悪・嘘を見分ける能力、値段交渉の駆け引きなど実に様々な生きる上での経験とテクニックをバックパッカーには求められる。
また青年は、旅を通して経験し、バックパッカーとしての生きる知恵を身に着けていくのである。
旅を成就し、成功させるためには、かなり慎重に自身を鍛え、コントロールされなければならないといえる。

今日も、旅は人生、人生は旅といえるバックパッカーをめざしてシルクロードを歩いている。
旅先で、パンツの破れを直したり、サブザックの壊れを銅線とガムテープで修理するのも楽しいものである。

「ザックさんご苦労さん、
ザックさん、君にはいつも沢山の物を詰め込んで、重たい目に合わせてごめんね、
いつも大切なものを守ってくれてありがとう。
埃と垢ですっかり見る姿もなくなったけれど、きちんと自分の役目を果たしているのだから凄いよ、
自分が何をすべきかちゃんと心得ているのだね。
シルクロードを一緒に歩いてカラチまで付いてきてくれてこころから感謝してるよ、
洗濯はしてあげられないけれど、ご褒美に壊れたところを修理してあげるよ。」

「何をおっしゃいます、
こちらこそあなたに認められ、シルクロードに連れてきていただき深く感謝しています。
途中、いろいろなところに連れていってくれましたね、今回の旅もエキサイティングです。
大阪から上海に船で渡り、バスや汽車に揺られてここカラチまでお供できたのですから、
わたしも幸せ者です。
今日、カラチのYMCAに泊まり、イエスキリストのお写真に迎えられ労をねぎわられたのですから、
ありがたいことです
こちらこそシルクロードの最終地ローマまで無事お供できることを願っております。
宜しくお願いします。」

 


《 9月8日  カラチ   快晴 45℃ 猛暑 》

 

<YMCA Polytechnical Schoolの生徒たち>
朝7時半、小中高校生の登校が始まる。YMCAの庭園を散策中の東洋人に興味をいだいたのだろうか、挨拶を交わしているうちに、学生たちは次々と集まりだした。
ここカラチのYMCAは、ミッションスクールを経営しており、制服に身を包んだ生徒たちが溌剌と行き交っている。チャペルからはオルガンに合わせた聖歌隊の清らかな讃美歌が流れてくる。
集まった学生たちにジェスチャゲームを教えたところ、始業時間の鐘がなるまでお祭り騒ぎが続いた。
とうとう守衛さんが生徒たちを教室に追いやることとなってしまった。
若いということは好奇心旺盛で、まだ見ぬものに興味を持つものである。シルクロードを歩く初老の東洋人、我が国を訪れYMCAという神の館に投宿している日本人に好奇の目をもつ年齢でもある。世界どこへ行っても若者のもつ情熱的な、冒険心に溢れた観察眼は魅力的である。
若者の瞳には、夢と希望と愛が満々ている。
世界を旅して若い人たちに出会うとき、平和がいっぱいな地球でのびのびと育ってほしいと何時も願うのである。

 

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               YMCA Polytechnical Schoolの生徒たち

 

神は、今日もすべてものに対して愛の光を平等に注がれておられる。
ここYMCAの中庭に面したカフェテラス、行き交う生徒たち、すべてに光が当たり輝いている。
青空にも神の光を讃える歌声がこだまし、質素なYMCAの部屋も神の光と愛が満ち溢れている。

カフェテリアでの朝食、ナン・ジャムとバター・リプトンミルクティー・オムレツ(オニオンとトマト)と英国風である。

  

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                  YMCAでの朝食   (カラチ)

 

今日は、カラチよりクエッタへの長距離夜行バスのチケット購入と、カラチ博物館を観賞することにしている。

<バスチケット購入>
教えられた住所に、バス会社らしい建物がないのである。何人にも尋ねてみたが同じ場所を教えてくれるが、探し当てられずに焦ったものである。
親切な人がいて、ついて来いというので後に従った。地下の暗闇に入って行くので少し警戒した。へっぴり腰になりながら、十分な警戒心をもって、身構えながら案内人に従った。
なんと壊れた机の引き出しからチケット綴りを取りだし、明日朝6時出発するから350Rs出せという。「ほんとうにここからバスは出発するのか?」と疑ったら、本当に出るといって怒り出した。
旅で度々出会う不安な状況である。誰にも相談できず相手だけを信じて決断しなければならないときである。この時は、相手を信じ、自分を勇気づけて切符を購入した。
それもそのはず、窓ガラスは全部割れ、通りはゴミの山、切符を買った後でもまだ信じられず、通りに出て必死で目印になる看板やサインらしいものを探したものである。
なんとアラビア語で書かれた看板の片隅に小さなバスの写真を見つけたのである。
旅先で、日本語も英語も通じないとき、不安は最高潮に達するが神経を研ぎ澄ませ、落ち着いた観察眼をもってすれば解決の糸口は見つかるものである。
山で道に迷い、小さなテープサインを見つけた時の安堵感と歓びに似ている。

 

パキスタン国立博物館―カラチ  地元民4Rs. 外国人200Rs. >
投宿先のYMCAの近くに<National Museum of Pakistan>があるので、世界遺産モヘンジョ・ダロで見られなかった出土品や、インダス文明ガンダーラの美術品を観賞しに出かけた。
中でも、モヘンジョ・ダロの<神官王像>は必見である。
ここカラチにあるパキスタン唯一の国立博物館が所蔵する本物の<神官王像>が見られるのである。
ちなみに、モヘンジョ・ダロ博物館にある<神官王像>は複製である。

暑さは時間と共に増し、散策から逃げ帰ってYMCAの部屋にこもった。
裸になり、ぬるい扇風機の風にあたりながら、カラチ・ナショナル博物館で出会ったモヘンジョ・ダロの<神官王像>のスケッチにイメージ彩色することにした。

 

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  モヘンジョダロの<神官王像>          パキスタン国立博物館―カラチ

 

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  モヘンジョダロの<神官王像>のイメージ・スケッチ   (パキスタン国立博物館―カラチにて)

                                                  Sketched by Sanehisa Goto

 

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         インダス文明テラコッタ達   (パキスタン国立博物館―カラチにて)

                                                     Sketched by Sanehisa Goto

 

<フォトグラファー Mr. Amir>
国立博物館で出会った写真家アミー氏と宿泊先であるYMCAで会うことを約束した。
博物館にある世界的に有名なモヘンジョ・ダロの<神官王像>をスケッチしていたところ彼に声を掛けられ、
スケッチが仕上がったらコピーを送ってほしいと頼まれていた。それを変更して今日どうしてもコピーを欲しいとのことでの来訪である。
わたしのスケッチの何が彼の役に立つかわからないが、約束した限りイメージ彩色を施しておいたのである。
写真集の出版にあたってこの<神官王像>のスケッチを載せさせてほしいとのことである。
出会いを大切にし、人に喜んでもらえることも旅を成功させる秘訣である。
さらに、自分の書いたスケッチが現地の人々に夢を与えられることに使われることに感謝したい。
パキスタンの人々が古代メソポタミア文明にいまなお哀愁と誇りを持ち続けていることを感じるものである。

<Are you Chinese?>
旅に出ると必ず質問されるのが、この問いである。
たいていの日本人が海外で中国人に間違われる体験をするといっていい。それは中国人が全世界の至る所で経済活動に励み、その地域のコミュニティーに溶け込んでいるからである。その代表的存在は、華僑であろう。
全世界の東洋人のイメージは中国人であって、まず日本人を日本人と認められることは万が一ない。しかし、危険な地域や紛争地帯などでは、時として日本人として指摘されたときに起こりえる困難<拉致・身代金請求・脅迫・強盗・暴力的押し売り>など身に危険が及ぶことが多い。それも確立が高いといっていい。
それは、日本人はお金、すなわち現金(ドル)を持って旅をしているという先入観があるからであろう。
シルクロードへの旅立ちにあたって、特に紛争地域では日本人に見られない工夫を考えたものである。坊主頭に数珠を首にかけイスラムの民族衣装をきた姿は、ここパキスタンの人々の目をくらませるのに成功したようである。
誰一人日本人と言ってくれない可笑しさ、おもわず鏡を見て、そこに映っているタコ入道に我ながら思わず完璧な中国人の姿に吹き出してしまった。

<カラチの繁華街>
昨夜、カラチの中心街<Zaib-un-Nisa Street>を散策した。
電気街・ファッション街・宝石街が立ち並び、多くの人・車が行き交って、街は大賑わいである。しかし悪いが清潔な街並みとは決していえないのが残念である。
パキスタンの人々が日常生活につかり、明るく快活に生活をエンジョイしている姿には幸せさえ感じるのである。またわたしもそのようなありのままの素朴なパキスタン人の人間性が好きである。
それと清潔とは少し違うような気もする。家に招待されたときに味わった絨毯を敷き詰め素晴らしい住空間と公共の場の汚れの落差に驚いているだけである。
それはモスクの中の清潔さと一歩外に出た時のゴミの山、尿の匂い、瓦礫の散らかりに、汚さに慣れたバックパッカーでさえ驚くのである。

<英国植民地から解放されたインド帝国の一部としてのパキスタン
英国植民地インド帝国の汚れを、一手に引き受けて独立した国のように思えてならない。
これは一体どういうことなのだろうか。公共心の欠如なのだろうか、公共衛生・倫理観のなさか、いまだ理解できないでいる。
汚い処ばかり見て歩いているのであろうか。いや、この汚れのなかでも別天地があることを知っている。その別天地に住める富裕層はパキスタン全人口の0.5%にも満たないという。
中産階級を除いても、約85%の人々はこの汚れの生活を余儀なくされ、あきらめの中にあるようである。

英国はこのような地域や住民を植民統治し、富の搾取を終えると民族運動の高まりを機に放り投げ、手をひいて撤退していった。そのあとインド帝国より独立した一つがパキスタンなのである。
遠く母国を離れた植民統治者は、母国と同じ環境、都市計画、建物、道路、鉄道、避暑地、スポーツ施設、動植物園などを建設し、母国を懐かしんでいたのであろう。
それらの施設や建物がいまなお朽ちかけていても汚れたまま、今なお光り輝いている現在のパキスタン都市文化の象徴として残っているから驚きである。
パキスタンの政治家、人々はどのような未来図を描いているのであろうか。
国家建設、福祉向上、教育改革など山積、今後の国づくりに日本も積極的に協力すべきであろう。

 

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            カラチYMCAのゲストルームに吊るされた洗濯物

 

《 9月9日 カラチ ⇒ クエッタ  Coach Service  350Rs.⇒400Rs.運賃値上げ 》

 

<カラチから、クエッタへ向かう>
いま、カラチのセブン・スター・チョーク近くにある<クエッタ行コーチサービス>の小さなバスターミナルにいる。
カラチの騒音と排気ガスがわがもの顔で入り込んでくる。
6時出発というのに乗客は誰一人見当たらない。多分カラチ時間という時計があり、数分前に集まるのであろう。
壁にある案内板はすべてアラビックで書かれ理解不能である。異国の地で寂しさと不安を覚える環境下にいる。多くのかかる状況下では、他人の行動をみて状況を理解し、行動を共にして難を逃れ、解決してきたが、今回は行動の指針となる人がいないのだから、やはり心細いものである。
オフィスが開いて、ティーサービスを受けてから、急に我に返って落ち着きをとりもどした。
パキスタンのバスは、行先への郵便物、小包、野菜類、雑貨などが持ち込まれ、バスの屋根はもちろん、社内の半分近くを満たすこともある。
クエッタ行バスがターミナルに入り、荷物を積みだしたので予定通りに出発するらしい。ようやく普段の自分に戻っていく姿に安堵したものである。
一人旅の不安と安堵のなかに、旅の醍醐味を感じる瞬間でもある。

 

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           クエッタ行バスの屋根に積み込まれた貨物類

 

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    ムスリム婦人のスケッチ                                    ニカーブ着用のムスリム乗客

 

イスラムの国にも酒屋はある>
コーランの教えにより、ムスリムは酒を口にしてはならない。
ここコーチサービスのバスターミナルの向かいに小さなよく観察しないと分かりにくい<Peal Wine Store>という看板がでている。一見、両替屋とも思われる建物がある。
その外観は、小さな窓に金網を張り、その下にわずかな穴があり、そこから金や酒瓶の受け渡しをやっている。受け取った缶ビールのパックや、ウイスキーの瓶はすばやくダブついたイスラムの民族衣装のなかにしまいこまれ、何喰わない顔で立ち去るのである。バスの運ちゃんの話だと、この両替屋風酒屋で1日あたり約1900本の酒が売れているそうである。
イスラムの厳しい戒律をかいくぐり、要領よく生き抜くすべを知っているムスリムも案外多くいることに生身の人間として一面うなづいたものである。
戒律や法律だけが人民を束ねるものではなく、裏を生き抜く多くの人民もいるということである。

出発時間を随分すぎて、ようやく乗客が3人に増えた。
二人のご婦人は真っ黒な布<アバヤ>で目と手足のほかをすっぽり隠している。どうもこれが<ニカーブ>というムスリムの衣装であるようだ。連れのオヤジはターバンを巻いたペルシャ人の顔をしている。
真っ黒なベールの奥から、こちらを観察している視線を感じる。
目を隠すネットたった一枚だけで、ご婦人とわたしを隔てて他人にしているが、その奥に潜む心の温みはひしひしと感じられるのである。
ただただ想像を膨らませ、人間としてヒンズーの挨拶である、両手を合わせ<ナマステ>と笑顔をおくった。
驚くことはないことだが、ここカラチでは日常的なバスターミナルの風景なのである。
逆に、この三人からしたらなぜここにモンゴル系のタコ入道がいるのだとろうと思っていることだろう。

ムスリムの祈り ー サラート>
朝6時30分になった。定時のコーランアザーンと呼ばれるアツラーへの祈りの言葉)がスピーカから流れてきた。
黒装束の婦人たちとオヤジは祈り用の絨毯を取りだし、メッカに向かって祈り始めた。
アツラーへの祈りは次のように行われた。
① 両耳に手を当てて、アツラーの神の声を聴く
② 両手を前で組合せを祈る
③ ひざまずいて頭を土間につけ、両手を前に突き出して約10秒間保つ
④ 立ち上がって、②③を5回繰り返す

 

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               モスクでの礼拝<サラート>

 

<追加代金を徴収します>
コーチサービスのバスがカラチを離れ、ようやく一路クエッタへ向かって走り出した。
市内各所でお客(16名)をピックアップしたあと、スタッフが「これから追加のバス代金を徴収します」という。どうも定員に満たないため差額分を頭割りにするようである。結局、1人あたり50Rs.の追加を支払わされた。
パキスタンらしい安定経営に徹した料金設定である。

<時が流れる>
それにしてものんびりと客をピックアップしているが、一体何時にクエッタに着くのであろうか。カラチではパキスタン時間が流れているのであろう、水すましのように車が走り回り、バスは遅々として前へ進まないのである。
時間のとらえ方は各国や民族により異なるようで、人生のとらえ方と同じで千差万別のようである。
面白いことに、それぞれの人生はそれぞれの時の流れに乗るのが一番安心であるといえる。
ここパキスタンの時間の流れに乗るのが一番生き易いのである。
シルクロードは16000㎞と長旅である、パキスタンの時の流れに乗ってのんびり行こう。
人生又然りである。

<カラチークエッタ間はバスによる耐久レース>
屋根に目一杯積み込んだ荷物が左右に上下にと揺れ、バスは不毛の地のデコボコ道を走り続け、体は宙に舞う。小便をしたいが、先を急ぐドライバーは止まってくれない。ましてやWC付きバスではないから我慢に我慢を重ね、苦行の連続である。
二人の運転手が交代で11時間走り続けるのである。
やっと止まったと思ったら、われ先にと外に飛び出して、それぞれの方向にむかって立ちション(放尿)と思いきや、男どもみなしゃがみ込んでワンピースをまくり上げて涼しげな顔して粛々と尿出しをするのだから異様というか、平和そのものである。
男子たるものしゃがみ込んで尿をするなどいまだかって見たことがなかったので、最初は一体何ごとが始まったかと目を見張った。
それが終わると、今度は絨毯をひいてメッカの方を向いて祈りの時間である。ムスレムは一日5回の祈りの時間を持つことはすでに述べた。イスラムの国をバスで旅をすると、必ず祈りの時間を持つため停車することが分かる。それに合わせて休憩や小用を足す時間が持たれることもわっかった。
実は、正確な礼拝タイム(休憩)が決まっていたのである。
イスラムの国を長距離夜行バス旅行するとき、礼拝タイムを知っておくとおおよその休憩時間を把握することが出来るといえる。
① 夜明け前 ②正午 ⓷午後3時頃~日没 ④日没時 ⑤夜中 の5回の礼拝時間(休憩)がある。

 

 《 9月10-11日 クエッタ 滞在 》


<標高1600m高原の街 クエッタに到着>
クエッタは、カラチの北方にあり、アフガニスタン国境に近い街である。
クエッタから国境にあるホージャック峠を越えるとアフガニスタンのチャマンの街にでる。
先にも述べたが、日本の高校教師がここホージャック峠を一人で越えてアフガニスタンに入り、ゲリラに殺害されたと耳にはいっていた
住民はインド・アーリア系と異なり、アラブ系に近い顔をしている。さらに旧ソ連軍の侵攻により避難してきたアフガニスタン人やモンゴル帝国の名残の東洋系の顔も入り混じる少数民族の混合で成り立っている町である。
他のパキスタンの都市と異なる雰囲気がある。
クエッタの街は、アフガニスタンと接する国境の街のゆえに、重武装の兵士が街角に立って警戒している。
重々しい雰囲気が朝のとばりの中に、緊張感が漂っている。先に訪れたアフガニスタン国境のハイバル峠麓の街・ペシャワールよりもさらに緊張感が強いようである。
ここクエッタでは、一般の旅行者は少なく、イラン越えのバックパッカーが通過する街として知られている。
シルクロード西進は、ここクエッタから長距離バスで国境の街クイ・タフタンへ向かい、イラン国境を越えてザーヘダーンの街に入る。

 

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    茫漠としたクエッタ近郊を通過         クエッタ・ニューバス・ターミナル

 

<▲ クエッタ  Muslim Hotel ムスレム・ホテル投宿 100Rs. >
この薄汚い宿で、イランからやって来た大学生・大山君(神戸在)と出会って、互いの情報を交換した。
イランに向かうバス旅行での注意点として、
① 舞い上がる熱砂に注意 (サングラス・帽子・リップスティック・水必携)
② 国境越えで炎天下の徒歩を覚悟(パキスタン側1㎞/イラン側1㎞=2㎞の国境地帯の徒歩横断)
③ イラン側でワイロを要求されることもある

 

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                クエッタ繁華街の混雑

 

<胸の痛み>
前年のSARSの経験から自己診断するに、どうも肺に膿が溜まり肋骨が痛むのであろう。今回は左の肋骨のみが痛み、今のところ幸いだが右の肺には兆候は見られないようである。
どうもホコリや排ガスに混じる細菌による空気感染ではないかと思う。やはり体力の低下に、栄養のバランスが崩れて細菌侵入を許したのであろう。
いまだシルクロードの三分の一あたりを踏破中である。なんとか最終地であるイタリア・ローマまで体力を回復させ、継続させたいと持参した抗生物質に手を付けることにした。
シルクロードの中でも一番過酷な情況の中を移動していることを承知しているのであるが、体がついていっていないのが一番つらい。
砂漠や、不毛地帯の砂埃、猛暑、バス移動中の過酷な振動、不眠、食欲不振、栄養不足と初老の体にはこたえるのである。
持参した肺炎用Cravit 100mgを服用したところ、その副作用である①お腹が張る②だるい⓷下痢⓸頭がぼやけ困ったものである。しかし肺炎に巣くう細菌と戦うにはこれだけの副作用を持つ劇薬を飲まないと回復しないのであろう。すこしは回復してほしいものである。

アフガニスタン青年 カリット君への期待>
ムスレム・ホテルを定宿にして学校に通っているアフガニスタン青年カリット君と友人になった。アフガニスタンの敵は内なる族長間の戦い、そう内輪もめのときではない。独立国家として団結し、外国勢力と戦うべきであると考えを述べると・・・
カリット君は、国内の紛争に嫌気がさし、ここクエッタに移り住んで3年、いま11年生だという。母国アフガンに帰える前に、コンピューターの学校を卒業し、その後アメリカに2年留学してさらに研鑽に励み、国に帰って貢献したいと計画を熱っぽく語ってくれた。
かれの夢が叶い、アフガニスタンから戦乱が消え、平和のもと国内が統一し、国民が平等に自由を謳歌する来る日を期待したい。

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              クエッタ⇒タフタン国境行バス乗り場

 

<雑貨商 大山君26歳の経営理念>
同じホテルに日本人、神戸からの若き雑貨商である大山君がおり、声をかけてきた。
わたしがシルクロードを歩いていると聞いて、途次の安全を祈ってタイで仕入れた原石のブレスレッドをプレゼントするという。
「旅の安全と、幸運がありますように」と・・・
彼の雑貨に対する姿勢を情熱的に語ってくれた。
<雑貨を購入するお客様のハートをつかまえ、そのハートを満たす品々を仕入れること>
<雑貨たちに選ばれる雑貨商たらんとすること>
<雑貨の持つそのエネルギーと輝きをお客様に満足してもらうこと>
お客と雑貨のマッチングを重視した素晴らしい若き雑貨商であるとともに、
その利益をボランティアの形で世の中に還元したいという。
<アフリカの子供たちや東南アジアのご婦人たちが作ったハンドクラフトを購入し、販売したい>
<店で雑貨購入のツアーを組み、お客様に雑貨の世界や魅力を伝えたい>
<全国の賛同者と共同購入し、全国チエーン展開をしたい>
若き経営者の夢ある話は尽きない。
91歳まで京都四条と錦市場との間で雑貨も扱っていたブティック「ラ・ぺティート」の経営者であり母であった一人の商売人の生き様と、商売の神髄を参考までに伝えさせてもらった。それは雑貨を売るのではなく、あなたの心に共鳴したお客様があなたの選んだ雑貨の中にもあなたの心が隠されていることに気づき、満足してもらうことだと語ったものである。
そこには売り買いという形を越えた、心の交流のこもった満足という姿があり、そこにはもはや雑貨ではなく、擬人化した雑貨の温もりがお客様一人一人の心に中に、宝として残るのであろうと・・・・。

出会いは新たな夢を生み、新たな心を学び、あらたな決意を生むものである。
たえず目覚めて、集中して、真理を学びとろうとの姿勢が旅にも、人生にも大切である。
大山君の人生が豊かなものであることを切に祈るものである。

<人のゴールは同じ>
最近旅をしていて、自分のやつれた顔を見て驚くことが多くなってきた。
街角や路地でみかける散髪屋さん、鏡と手動バリカンとカミソリだけの青空散髪屋さんは、わたしのお気に入りなのである。
青空のもと、鏡に映るわが疲れ切った顔をながめて現在の健康状態を知ることが出来るのがうれしいのである。ましてや、老人の散髪屋さんに出会うとその人生に対する真摯な生き方に賛同し、あたたかい心の交流に埋没できるシチュエーションが好きである。そして共に歩み来た人生の悲哀や、感動の物語にはいいれれば最高である。人の数だけその人の物語があるのであるから世の中とは実に面白いのである。それも自分の責任で、いやなるがままにいやおうなく自分の人生が流れ着く終着駅に近いのだから、すでに諦めもあるのだろうが、ゴールに近づきつつある顔や心はすでに神であり、仏である。
わたしはその老のなかに愛を感じて、偉大なる力のなせる業を認めざるを得ないのである。

どんな人もゴールは一つである。

 

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               心休まるクエッタの散髪屋さんで

 

パキスタンで医学の勉強をするイランの青年>
コーヒーブレイクで一緒になったイラン青年は、隣国イランでは英語による勉強や研究は禁止されており、医学など英語文献の多いパキスタンで勉強し、卒業後は敵国であるとされるアメリカでドクターコースに進みたいという。
1979年、宗教指導者ホメイニー師ひきいるイスラム原理主義者により革命が起こり、当時のパーレビ国王のアメリカ亡命によって、<イラン革命>によるイスラム教国家が樹立した。

 

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                       クエッタ中心街

 

イスラム教は、ユダヤ教キリスト教が創りあげた封じ込めの教えか>
創始者である預言者ムハンマドが、西暦610年に啓示を受け、その後布教をして起こったのがイスラム教である。イスラムとはアラビア語で「神に帰依すること」を意味し、信徒は「ムスリム」と呼ばれている。全世界に16億人の信者がいるとされているが、一部の富める階層以外のおおくの信者が貧困に苦しんでいることも知られている。
イスラムの国々を旅していて、なぜ貧困の状況の中に人々は甘んじているのだろうかと思うことがある。

イスラムという枠をつくり、そのなかに閉じ込めてしまった勢力があるのではないだろうか
イスラムの教えが、ユダヤ教キリスト教の教えに敵対するものと見せ、イスラムの貧困化を謀った

 のではないか

自由という思想を奪っており、アツラーの神を信じる限りムスリム内での平等は担保されても、他宗教からの差別主義はなくなるとは思えないし、西欧の経済的搾取に苦しむようなシステムになっているように見える。
自由経済のシステム自体が、イスラムの人々を押さえつけ、富が一方向に流れるようになっているような気がしてならない。
世界支配の構図からイスラム教が産み落とされたという説が成り立ちはしないだろうか。
しかし、大多数のムスリムは家族を大切にし、平和を愛し、純粋な生き方に満足しているのである。現状に満足しているかのようで、不満を押さえる生き方に埋没してはいないだろうか。

<忘れられない一言   Oh no!>
Where are you going next to Pakistan?  あなたはパキスタンの次はどこへ行くの?
I am going to Iran.             イランだよ。
Where are you going next to Iran?      イランの次はどこへ行くの?
I am going to Turkey, why?        トルコだよ、なぜ?
Next to Iran, you can be free!       イランの次に、フリー(自由)になれるね!
I think Pakistani is also free!        パキスタンンもフリー(自由)じゃないか!
Oh no!                 オーノー!<とんでもない!>

<クエッタの山も盆地もホコリ色>
この地方の気象状況や地形によりホコリ色の世界が醸成されていると思うのだが、多くは大気が汚染され埃をかぶっているのは人為的なもののように思えてならない。
山々や砂漠の神もむせび泣いているようだ。わたしも悲しさを覚えた。
「取り戻せ新鮮な空気を! がんばれパキスタン! ビバー・クリーンエアー・パキスタン!」

 

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             クエッタを出ると不毛な茶色の世界が始まる

 

《 9月12日   ▲タフタン行長距離夜行バス 車中泊 

 

<月の砂漠の車中泊
真夜中、星空のもと長距離バスのブレイクタイム(休憩時間)である。
月の砂漠のように草一本生えていないぼう漠とした砂漠の中の静寂、澄み渡った暗黒の夜空に輝く星たち、まるで真夜中の星空ピクニックである。
でも眠たい、真夜中である。狭い座席、それも最後部の座席、16時間ものバウンドと揺れに体が小刻みに震え、体全体がしびれている。シルクロードの中で一番の過酷な長旅である。
さらに砂漠のふわーっと浮くセメント状の砂ほこりが体内の穴という穴に入り込んでくるから恐れ入る。
しかし、このブレイクタイムは、大切なピーピータイム(小用)でもあり、礼拝の時間でもある。。
みなぞろぞろとバスから出ると、男性はすぐしゃがんで民族衣装のワンピースの中で小用を足すのである。前回のバス旅行で体験したせいで、すぐその行動を理解することが出来た。
実は、ムスリムではないわたしにとっては大切なピーピータイムと思っていたが、ムスリムにとっては一日5回の祈りのタイムでもあるのだ。だから礼拝用ペットボトルと絨毯をもって降車する。礼拝する前に手を洗い、口をすすぎ、メッカに向かって礼拝するのである。
ペットボトルの水で、身体に付着した汚物を水で洗い流す行為を「イスティンジャ」というらしい。
朝6時にもバスが止った。神聖な朝の礼拝の時間なのである。

すべての男性乗客はムスリムの民族衣装である真っ白なワンピースを着ているので見分けをつけるのがむつかしい時がある。その中でただ一人モンゴル系の顔に黒いジャケットを着ているのだから目立つてしょうがない。地球という狭い星の中にいろいろな人種や習慣、言語や文化があるのだから実に面白い。

 

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           バロチスタン砂漠の中をイラン国境に向かう

 

 

<バスによるイラン国境の越え方>

◇Quetta/クエッタ・バス・スタンド<ナヤ・ヤンダー>(クエッタ市街南西部)より16:00出発
 ⇓  バス 16時間 ヤクマッチ集落より始まる<ノーク・クンディ砂漠>横断
◇Taftan/タフタン(パキスタン国境の街) 翌日08:00頃到着
 ⇓   徒歩 約15分 (1km)
◇国境=======================
 ⇓   徒歩 約15分 (1km)
◇税関<Mirjave Customs> (タクシー乗場表示あり)
 ⇓   10km (タクシー5,000~10,000Ris.)
◇Mirjave(イラン国境の街)
 ⇓   84㎞(バス 2,700Ris.)
◇Zahedan/ザーヘダーン  15:00到着

 

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                <イラン国境の越え方>メモ

 

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             パキスタン(手前)/イラン(後方)国境付近のスケッチ

 

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                    国境に向かう砂漠道

 

 

ここにシルクロードパキスタンをあとにして、次なる中東の大国イランに入る。
イランもまた、イスラム教国であり、それもイスラム原理主義国家である。
宗教指導者によるアメリカへの敵対政策がとられ、両国の関係次第では日本の中東依存の石油輸入がストップすることさえありうる。

いよいよシルクロードペルシャに入る。いままさにパキスタンとイランの国境をまたぐ瞬間である。
シルクロード最終地イタリア・ローマはまだまだ先である。
 

           

            『星の巡礼 シルクロード踏破16000㎞日記』⑥
     <ザーへダーン/パキスタン・イラン国境 ⇒ タブリーズ/イラン・トルコ国境>

                 につづく