shiganosato-gotoの日記

星の巡礼者としてここ地球星での出会いを紹介しています。

2004『星の巡礼 シルクロード踏破16000㎞日記』⑨<シルクロード最終イタリア・ルート>

星の巡礼 シルクロード踏破16000㎞日記』⑨

 <  シルクロード最終イタリア・ルート> 
      星の巡礼者 後藤實久

 

シルクロード16000㎞踏破も、いよいよ西の起点ローマへの最終イタリア・ルートに入った。

 

テッサロニキ駅、豪勢な夕食>

憧れだったギリシャの地を列車に揺られてその山野の情景を楽しみ、同乗の人々との温かい交流を持ちながらの6時間ほどの列車の旅は、テッサロニキ駅でブルガリア・ソフィア行の夜行列車に乗り換えるのである。

ギリシャとの別れの夕食を、テッサロニキ駅の食堂でバックパッカ食ではなく、すこし豪勢なメニューにした。特大のフランクフルトソーセージ2本とライス付きのギリシャ風野菜煮込みセットを注文、9€(1300円)の夕食である。白ワインのコーク割で乾杯、ギリシャというより幻のアトランティス大陸に祝杯をあげた。

 

いよいよシルクロード西の起点、最終地のローマに向かってイタリアルートをたどることになる。

 

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           シルクロード最終地・バチカン・サンピエドロ大聖堂

              Schetched by Sanehisa Goto

 

 

《 10月13日 ブルガリアの首都 ソフィア 》

 

<旧共産主義国への越境にあたって>

10月12日 テッサロニキ駅22時4分発の列車は、ブルガリアの首都ソフィアに翌日13日朝7時5分に到着する。

深夜2時、大粒の雨が列車の天蓋をたたいている。湿った夜風が、コンパートメントの上段ベットに這い上がってきた。どうもギリシャと旧共産国ブルガリアの国境に着き、国境出入国管理官が乗り込んできたようである。

軍靴の床をたたきつけるような音が嫌に大きく不気味に聞こえてきた。

国境管理官の威圧的な声が、ひときわ甲高く聞こえる。

乗客は下段ベットに坐らされ、薄明りの列車灯に照らされ、まるで囚人のように怯え切って呼び出しの順番を待っのである。

何とわびしく不安な時の流れであろうか。

国境越えのパスポートコントロールは、旅人をチェックする現代の関所である。国籍・氏名・年齢・性別・入国の目的・滞在日数・滞在先・連絡方法の確認を行い、最後に旅人の服装や荷物・人相や挙動を観察して彼らの眼鏡にかなえば、スタンプをパスポートに捺してくれるのである。

 

わたしは一度、先の旅の国境越えで逮捕され、強制的に連行され、豚箱で一夜を過ごしたことがある。

その時は、ドイツ・ベルリンからオーストリア・ウイーンへの夜行列車の旅で、途中のチェコスロバギアには下車しないのでチェコのビザは必要ないとおもい込んで乗車していた。

しかし、深夜国境越えで乗り込んできたチェコスロバギアの入国管理官(軍人)は、列車に乗っていたバックパッカー男女数人をビザなし違法越境という理由で逮捕、下車させたのである。 

みんなで飛行機と同じく通過地のビザなし通過と同じであると主張したが認められず、一夜を鉄格子のはまった殺風景で、無味乾燥な拘置所で過ごすことになった。

翌朝、何の説明もなく荷物とパスポートを渡され、ソフィア行別の列車に乗せられ、一件落着となった経験がある。

旅をするとその国の政治情勢により思わない事件に巻き込まれたり、容疑をかけられることがあることを知っておくとよい。この時も共産圏諸国が崩壊して間もなくのころで、なお国境管理の組織や制度が完全に西欧化していなかったところに、認識の違いからの行き違いであった。。

またうがった見方をすれば、この時の旧共産国の官憲は、西欧化になじめず旧態依然の官僚的傲慢さを残していたと思える。

いかなる旅でも、情報収集を第一とし、自己判断・自己都合で物事を安易にすすめることの危険性を理解しておくべきであろう。

 

<アイデンディティ   一体わたしは何者なのか>

旅においての身分を保証するものはパスポート以外にないと云っても言い過ぎではない。

国内においては運転免許書や健康保険証などがあるが、これらは国内での統一された制度においてのみ有効であり、国外では紙切れであるにすぎない。

是非ともパスポート(旅券)の海外においての重要性を認識して、取り扱いに気を配り、厳重保管することが最重要である。

特に旧共産圏の国を旅したり、政情不安な国を旅するときはパスポートはあなたの命より大切なものであることを知っておいて欲しい。

パスポートを持たない(不携帯の)あなたは、誰も、あなたですら己のアイデンディティ(identity=自己証明 )を明らかにすることが出来ないのであるから注意したい。

とくに、むやみに他人にパスポートを見せたり預けたりは、余程の理由がない限りしてはならない。窃盗にあったり、強奪にあったりして、先の旅が中止になったり、複雑な現地でのパスポート再発行という手続きをとることになるからである。

パスポート紛失に備えて念のためコピーを数枚とり、数か所にわけて保管することをおすすめする。

一番狙われるのは意外とポーチに入っているパスポートであろうか。よくポーチのチャックが開いている場合があるが、ほとんどがぴったり体を寄せてくる人込みでの場合が多い。

このシルクロードでは、首掛け巾着に入れて持ち歩いている。すこし面倒な方法ではあるが腹巻ポケットもいい。

列車の外の雨は一層激しさを増し、尋問の様子が雨音にかき消されるほどである。

また乗客の一人が「お前は何者だ」と尋問されているのだろう・・・

その人の不安な気持ちが伝わってくるようで、緊張が走った。

何事もなかったように列車が動き出した。

 

定刻07:05を少し遅れてソフィアの駅に着いた時には、雨は止んでいた。

シルクロード16000㎞踏破 バルカン半島ブルガリア」に入った。

 

ブルガリア・ソフィア散策>

アテネを後にして列車でブルガリアの首都ソフィアに着いてみたら真冬のような摂氏5度という寒さだ。みな防寒具を着ているのには驚かされた。

さっそく暖を取るべく 「Internet Sofia Hostel」 に飛び込んだ。ブルガリアは1989年まで共産圏だった国、すべてに官僚的な制度が残っている。一面、EU諸国に比べたら貧しさが残るが素朴でゆったりとした時間の流れているのにはほっとさせられる。

 聖ネデリア教会の鐘の音が清らかにこころに響く。雨に煙るソフィアの街角を歩くソフィアのご婦人たちの深く思いを秘めている瞳は知性あふれたこの古き都によく溶け込んでいる。

いまバルカン半島ブルガリア・ソフィアの歴史に触れているのだという感動に昂揚しつつ、聖ネデリア教会の燭台にゆらめくローソクの火を見つめながら時間を過ごした。忘れられない街になりそうである

 

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                 ブルガリア共和国国旗

 

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                        シルクロード最終イタリアルート・マップ

 

<バルカンの歴史>

多くの民族や多宗教で成り立っていたバルカン半島は、1453ビザンチンを滅ぼし、支配者になったオスマン帝国オスマントルコ)の寛容政策によって統一され、民族の混在という多様性の中、<交易の十字路・シルクロード>として発展してきた。

しかし、19世紀にヨーロッパより入ってきた民族自決というナショナリズムの名のもと、ギリシャセルビアルーマニアブルガリアと、衰退しつつあったオスマン帝国からの自立を要求する運動が起きた。

第一次大戦までに以上の各国は弱小国民国家として独立することとなる。しかし、バルカン諸国の内ユーゴスラビア多民族国家としてチトーのもと第二次大戦では社会主義国家としてまとまるが、1982年の冷戦終結により連邦解体が始まると、1990年代初めから、それぞれの民族が独立志向に向かい、つい最近までムスリムとの宗教的民族対立が激化し、<ヨーロッパの火薬庫>と呼ばれ、悲劇的な民族間の殺戮<民族浄化>が繰り広げられてきたことは日本でも詳細に伝えられてきた。

 

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       ブルガリア・ソフィアに建つ解放記念像・アレクサンダルⅡ世ロシア皇帝

 

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               ブルガリア・ソフィア散策

 

《 ▲ 10月1516日 ルーマニア ブカレスト  ビラ・ヘルガ・ホステル連泊 10US$

 

ソフィアよりルーマニアの首都ブカレストへも寝台列車に乗っての移動である。所要14.時間半、運賃2340Lei(約72US$)の旅である。宿泊はブカレストの「Villa Helga Youth Hostel」に決める。

ルーマニアは古い歴史を持っているが1989年に独裁者チャウシエスカヤ大統領処刑後に市民権や自由を獲得した若い国である。国の形がいまだ定かでなく、国家秘密警察時代の暗黒の匂いが色濃く残っている。市民の顔に笑顔が見られないのが気にかかる。いまだ独裁政治や監視制度の悪夢から覚めやらない心の傷が一日も早く癒されんことを祈る。いまだ独裁の象徴である「国民の館」なる宮殿が残されているのにも驚かされた。寒さに耐えられずにフリーマーケットで下着(パッチ)を購入して着用するほどの天候である。それもそのはずで、すでに10月の中旬になっていた。

 

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                              ルーマニア国旗

 

ブカレスト散策>

ブカレスト、静かなくすんだ一切の色気を取り去った、さっぱりとした飾り気のない街である。

秋の気配濃く、落葉を踏みしめると、なお一層のこと暗愁を肌に感じる街なのである。ブルガリアの首都ソフィアの西欧化に比べ、1989年にルーマニアの独裁者ニコラエ・チャウシエスカヤ大統領の処刑後に獲得した遅すぎた自由であり、西欧化への道のりはなお4~5年はかかりそうである。

いまなお市民の間には、長きにわたった共産主義独裁による警察国家の悪夢や、密告監視制度による拭い去りがたい不信感が漂よっている。顔からは笑みが消え、不気味なほど会話のない相互不信の歴史の上に成り立ってきた国といえる。イランのご婦人が着用させられているチャドルのように、一歩家に入ったら他人の目を気にせずに素顔を表して、自由と平和的な陽気さで幸せを噛みしめてくれていることをこころから願うものである。

一方、独裁者であったチャウシエスカヤは、「国民の館」なる15階建てのパレスを建て王政たる独裁の贅を尽くしていたのであるから、国民の怒りも頂点に達したのも当然の帰結であった。市民革命は独裁者を裁き、リンチなる革命的報復をもって裁いたのである。

 

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     共産主義時代の独裁者チャウフスカの遺産<国民の館> (ルーマニアブカレスト

 

《 10月16~17日 ルーマニアブカレスト散策後、ハンガリーへ列車移動  曇のち小雨 》

 

ブカレスト2日目、ルーマニアを単独観光中の八王子市在、K生命保険を定年退職されたO氏と同じホステルで出会い、同歳ということで意気投合、ブカレスト散策に一緒に出かけた。語りて楽しく、聞きて良きアドバイザーであり、活痰な笑いに腹をかかえたものである。60男の妻を想うこころ深く、はにかむ姿に共感する。心豊かで、こころ温かい人柄がまたいい。

久しぶりに心弾ませ、耳を傾ける心豊かな会話を愉しむことが出来た。二日間という行きずりの友であったが、その出会いは千金に値する貴重な出会いとなった。カフェーバーでのO氏との談笑を終え、それぞれの次なる目的地に向かうこととなった。

フリーマーケットで、防寒用パッチ(下着)を購入。軍事博物館では、ルーマニア軍事史やソビエットの影響下での政治情勢の写真に、世界史の裏面に横たわるスターリン独裁下の血で血を洗う陰惨さに見入ってしまった。

 

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                     ブカレスト散策

 

現代のシルクロードでは、至る所でマクドナルドのビッグマッグを口にすることが出来る。それもポテトフライ、コーク付きで100,000Leu(約340円)、これはほぼ世界標準価格であるから、各国の貨幣事情により高低はあるが手に入れやすい軽食である。

ハンガリー・ブタペスト行き国際寝台列車に乗り込む前に、マクドナルドで夜食用のハンバーグを仕入れ車中の人となった。

 

ルーマニアブカレスト 10/16  20:17発 ⇒ ハンガリー・ブタペスト 10/17 10:12着 

                     寝台列車#460T 2nd Class Sleeper  50US$>

 

現在、深夜2時、国境目前のルーマニアSIGHSOARA駅を通過中である。

車窓から見上げる星たちはキラキラと笑顔で出迎えてくれている。

星たちがわたしたちの周りを回っているのだろうか、いや、わたしたち(地球)が自転しながら星たちの周りを回っているのだから楽しい。

星たちは、その時・場所、地球の動きによって色々な表情に変わるのだからこれまたうれしい。地球の自転速度と同じ速度で同期して回っている人工衛星は静止して見えるが、星たちは完全に静止し地球の反転をこころ静かに見守ってくれているのである。

悠久なる天空のなか、北極星は自転する軸の上にあって動かず同じところにあるのだから山登りをする者にとっての羅針盤であることはよく知られている。その星たちがシルクロードの終着地・イタリアのローマに向かっている私を優しく見守ってくれているのであるから心豊かにさせられる。

「星さんありがとう、もうすぐシルクロードのゴールですよ。」

ハンガリー<Lo”ko”sha’za>駅が、国境の街である。笑顔をたたえた二人の好青年がパスポートコントロールにやって来て、<おはようございます。ようこそハンガリーへ!>と歓迎の意を表してくれたのである。実に気分爽快である。いやな気分を味あわされた今までの旧ソビエット連邦国の応対とは天国と地獄の差がある。

朝一番の通勤電車が反対側のホームに滑り込んできた。冬支度の乗客が手をポケットに突っ込んで白い息を吐きながら歩いている。ハンガリーの清々しい朝の始まりである。沿線の質素な田舎家の苔むす煙突から白い煙が棚引き、旅人の心を和ませてくれる。まるで故郷に歓迎されているような情景である。

駅の拡声器が眠気を誘うように低音で何かを伝えている。雀たちのお喋り姿にも燕尾服を来た貴公子然と見えるのだからお伽の国にいるようだ。美しい朝である。

 

<▲10月17日 ブタペスト・ハンガリー   マルコポーロユースホステル泊>

 

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                 ハンガリー国旗

 

世界唯一の温泉都市で有名なブタペスト滞在が短時間のため、交通に便利な宿として、ここデアーク広場に近い<Marco Poro Youth Hostel>に宿を決めた。今日は、日曜日で商店はみなおやすみである。ハンガリー訪問時には必ず立ち寄る懐かしの<セーチエニ温泉>に出向き、38℃の温水プールで泳ぎ、疲れた体を癒し、体力回復につとめた。

その後、ドナウ川に架かる<くさり橋>を渡り、ブタ地区にある王宮を訪問した。

 

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     マルコポーロYH          温泉都市ブタペストにある<セーチエニ温泉>

 

 

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                 ブタペスト散策

 

( 2020年現在、ハンガリ・ブタペストは、現代版シルクロード<鉄のラクダ隊>といわれる大陸横断鉄道が通過する、中共政権提唱主導の<一帯一路>の重要拠点のひとつである。)

 

<出会いの旅を終えるにあたって>

「出会いの旅」シルクロードも神の導きにより、いよいよ終わりに近づきつつある。

出会ったすべてに感謝し、感動したでだろうか

出会った人々に誠意と愛情を示したであろうか

出会った時間の流れにおのれを託し切ったであろうか

出会いそれぞれにその意味を感じたであろうか

出会いのすべてに己のこころを見せたであろうか

出会ったすべてに己を没入したであろうか

 

いまシルクロード「出会いの旅」を終えるにあったって、己に素直でありたい。

己を見つめ、己を愛の中に置き換える業を教えられたような気がする。

感謝である。

 

 

《 10月18日 ハンガリー・ブタペストより、オーストリア・ウイーンに向かう 》

 

雨上がりのブタペスト、朝9時過ぎの地下鉄、ラッシュアワーのあとの静けさがいい。

昨夜、ホステルの二段ベットで読んだ柴田錬三郎著「図々しい奴」を読破、その中に描かれている人間関係、人間描写、人間の生き様に感動し、眠るのも忘れ読みふけった。

この本の作者より伝わる人生訓をわがものに取り込もうとする主人公の姿勢から多くの教訓をえた。

20才という若き主人公の彼が「切人(キリスト)」として、わたしの中にぐいぐいと迫ってきたのである。

いよいよ終盤、シルクロードの終点に近づいてきた。

ハンガリ・ブタペストよりオーストリア・ウイーンへは約3時間の近距離列車移動である。

宿泊は<Jngendherberge Wien Youth Hostel>ウイーンの中心街にある。ウイーンは、豊かな街路樹に古き石の建築物がよく似合い、歴史が息づく古都である。

 

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                小雨降るウイーンの街で

 

雨上がりに、歴史の重厚さを感じながら約300万人が埋葬されているウイーン中央墓地<Wiener Zentralfriedhof>を訪ねた。ブログ作成時のBGMでいつも愛聴しているモーツアルトの墓碑に詣でたあと、少し離れたベートーベン、シューベルトシュトラウスブラームスほかクラッシックの巨匠たちの墓に額ずいた。墓地を散策し、それぞれの人生を歩まれた故人と語り、想いを巡らせるのが好きである。

 

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  モーツアルトの記念墓碑      ベートーベンの墓        シューベルトの墓

  

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   ウイーン中央墓地 左・シュトラウスの墓

            右・ブラームスの墓

 

墓地で出会ったブラジル人、サンパウロからのバックパッカーパウロ君(28歳)と、青年時代に過ごしたサンパウロの現状を興味深く聞きながらハプスブルグ家が造りあげたウイーンの中心、王宮の周りを散策、心地よい市電の音を楽しんだ。青年と別れてからは独りウイーンの繁華街の石畳みを踏みしめながら、迫りくるクラッシックな石造りの建物や、美しすぎる街並みを観賞してまわった。

ウイーンの街は、時の流れに逆らい、ゆったりと散策するのがリッチなのである。しかし、中世の街を歩きすぎたようである。程よい疲れと空腹に、現実にもどされ、足早にユースホステルにもどり、途中でテイクアウトしたディナー<カツレツ・野菜サラダ・スープ・赤ワイン・パン>を同宿の兵役明けのユダヤ青年エドワード君と共に、エルサレム嘆きの壁での体験を語りあいながら、旧約聖書の世界に迷い込んだ。

 

<▲10月18日 オーストリア・ウイーン   Jngedherberge WienYouth Hostel泊>

 

 

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                              オーストリア国旗

 

1019日 国際登山列車 ウイーン ⇒ インスブルグ ⇒ イタリア・フィレンツエ 》

 

4時起床、シャワーをあび、YHよりウイーン・ウエスト駅まで徒歩30分。オーストリア西端にあるインスルブルグまで列車QBBEC#562便で約4時間半、ここでアルプス越えの登山列車に乗換えてイタリア・フイレンツェに約6時間で着く。

午前610分発の列車は、霧に朝日をはばまれた重厚なウイーン駅を出発し、薄暗い大地を野ウサギのように走り続けている。いまだまどろみの中にある家々の窓に宿る灯は、霧の中にぼんやりと浮かび上がって幻想的である。影を落とす樹々もまた黒子のようにその姿は緩慢である。矢のごとく過ぎ去る線路沿いの白壁は、一条の明るさとなって脳裏に残る。この世のすべてが霧というマントをかぶり、目だけを光らせているようである。

この幻想的な車窓の風景は、インスブルグに着く午前1046分まで続いた。

 

<インスルブルグ経由イタリア行列車の車窓から>

向かいの席の出勤途上の中年男が書類を広げ思案気である。時に、ボールペンを走らせ問題点を書き込んでいる。コーヒーが好きなのであろうか、買い込んだコーヒーの匂いが6人用のコンパートメントの乗客に、目覚めの時間であることを告げている。

なんと日常的な一瞬なのであろうか。

霧の中に遊んでいた頭脳が一瞬にして現実に引き戻されるのを覚えた。

列車はオーストリア・アルプスの入口、インスブルグの郊外を走っているのだ。

 

霧も少しづつ晴れ、アルプスの隘路にたたずむ一木一草が、点在するインスブルグの田舎の家一軒一軒をあたたかく包み込んでいる。

隣の婦人のイヤホンからは、ラジオの朝番組であろうか軽快なメロディーが漏れ伝わってくる。

アルプスの雄大な景色に一歩踏み入れたような気持ちにさせられると同時に、ここオーストリアの片田舎の日常の朝が始まるのである。

 

アルプスの麓、広がる牧場、遠くの煙突からひとすじの白い煙が、消えゆく霧に溶け合って棚引く風景に見入ってしまった。

豊かな緑の放牧場の牛や鹿たちの幸せそうな顔は、乾燥地帯のパキスタン、イランやトルコでは見られない表情である。

ブドウやオリーブ、ヒマワリといった果実や種子からとれるワインや油も又乾燥地帯と、豊かな穀倉地帯ではその味の濃さに決定的な違いがあるように、牛乳やチーズの風味にも同じくあらわれるものである。

牛乳であれば、乾燥地帯のウイグルやイランで飲んだ牛乳の方がその濃さにおいて勝っているといえる。人間もまた、その環境によってさまざまな生き方、考え方に染まるのだから愉快である。

線路わきに咲き乱れる白い花たちや、牧場に放たれた沢山の鹿たちの「ようこそオーストリア・アルプスへ」の歓迎の声に、まるで星の王子さまの気分にさせられながらインスブルグ駅に滑り込んだ。

駅から見るアルプスの峰々は、すでに白い雪をかぶっていた。

 

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               白銀のアルプスに囲まれたインスブルグ駅にて

 

これより懐かしの景色、アルプスのオーストリアとイタリア国境越えである。

インスルブルグよりフィレンツエに向かう国際登山列車は、アルプスの白銀の峯をぬいながらイタリアへ下って走る。

 

<アルプス住人の願望>

コンパートメントでの同室者のひとり、書類に目を通していた初老の男はオーストリア人で、フィリップと自己紹介した。

45歳、女房とふたりの娘があり、仕事でスイスに行くという。どうも特許事務所に勤務しているようで、特許のもつ大切さについて語りだした。

2003年度のアメリカの特許出願件数は、30万件に達し、その特許による総収入はGDPで大きな割合を占めるという。現在の外貨獲得の主役は、貿易による物流から特許など知的財産からの使用料(約3%のライセンス料)にとって代わってきているそうである。

 

こちらが日本人であると知ると、日本の知的財産における特許出願数はアメリカ以上の50万件であるといって、その外貨獲得戦略の素晴らしさをほめだした。

だが日本は、まだまだ研究投資額に対して効率的な特許料収入には至っていないそうで、イスラエルやオランダが特許研究における費用対効果で群を抜いていると、インスルブルグ駅到着までに世界の特許事情を解説してくれた。

これまた、バックパッカーの課外授業のひとつの形であるといっていい。ここヨーロッパ・アルプスの地で日本の真価を認めてくれるビジネスマンに出会えたことがうれしい。

 

知的財産権や特許による国富へのアプローチは、自由と平和な状況下でないとその価値を発揮しないことを肝に銘じておくべきであることはもちろんである。

最後に彼は、「われわれオーストリア人は、牧畜と農業に生き、恵まれた自然と観光を大切に、この素晴らしい国土と生活を守っていきたい」と少し自慢げに締めくくった。

美しい自然を子々孫々に残したいという、アルプスを囲む国人(くにびと)の熱烈な想いが伝わってきた。

遠くから眺めていたアルプスの峰々の雪は、インスブルグの街を見下ろすようにその顔を白く輝かせていた。

 

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             オーストリア・イタリア国境越え付近の白銀のアルプス

 

シルクロードの終着イタリアのローマに向かうには、ここヨーロッパ・アルプスを越えていくルートと、すでに通ってきたギリシャピレウス港から船でイタリアのベネツイアへ渡るルートがある。今回の<シルクロード16000㎞踏破>では、美しき峰々を眺めながらのアルプス越えを選んだ。

アルプスの峰々の雪帽子に歓迎された国際列車QBBEC#562 は、インスブルグに午前10時46分に到着し、車内清掃を済ませ、プラットフォーム7番線から午前11時26分に出発し、アルプスを越えて終点イタリア・フィレンツエ駅に着く。

 

<昔懐かしい、驚きのアルプス越え列車のトイレ> 

国際列車のトイレの入り口横に「停車中・トンネル通過中、トイレ使用禁止」とある。

なんと懐かしいトイレ使用規定標示であり、それは原始的な解放式という垂れ流し方式なのである。開放式とは、列車内の便器の下から直に線路に開放する方式で、駈ける列車から一瞬にして過ぎ去る線路に落下する黄色い爆弾を、風圧によって木っ端みじんにして大気中に噴霧散するか、または風化消滅させる方式なのである。いまなおこのような原始的列車便所が残っていることに驚きであるが、多くのヨーロッパの国々の普通列車には現在でも採用されているのである。

ノスタルジーを乗せたアルプス越えの列車は、イタリアのフィレンツエに向かって様々な夢を運んでいる。

 

<あきれたドタバタ劇>

日本以外の列車運行には遅延はつきものであることを承知しながらの列車の旅を続けているが、今乗っている国際列車の約15分の遅延を忘れ、フィレンツエ到着時刻である17:31の時計表示をみて慌てふためき下車したのである。もちろんフィレンツエは終着駅であるので遅延であっても慌てる必要はないのだが、この時は錯覚が加わり、衝動的に行動し、フィレンツエ駅一つ手前のプラト駅に下車してしまった。

それからも悲しいかなドタバタ劇はさらに続く。

次に来た列車に乗ったのであるが、今度はプラト駅にリュックサックを置き忘れてきたことに気づいて終点のフィレンツエで折り返しプラト駅にもどり、主人に見放されプラットホームに寂しく待つリュックを発見した。

どうも数か月の旅の疲れからか注意散漫になっている自分を戒め、わが分身との再会を果たし、安堵の息を深々と吸い込んだものである。

リュック君にしてみれば、「なんと呆れた主人なのだろう。でも必ず迎えに来てくれるのだから、憎めないよな。」と、許してくれているようであった。

時間の浪費はあったが、何はともあれバックパックとの奇跡的な再会に感謝した。

なにかわが人生の一隅を垣間見たような気がした。

人生は滑稽でもある。

神様もきっと笑ってみておられたのだと思う。人生って自分で気づいていなくても、このように間が抜けて時間を浪費していることが多いのだろう。それはそれで幸せであることを認めているのだから人生は愉快である。

<間抜けを知らずして、間抜けに生きる>のも人生なのかもしれない。

いかなる人生も神様からの授かりものであることに変わりはない、大切に生きたいものである。

 

<▲10月19~20日  フィレンツエ・ユースホステル連泊  @8.25

 

《 10月20日 フィレンツエ 》

 

<歴史空間、フィレンツエの街 - パラティーナ美術館 >

フイレンツェは、今までに何度訪れたことであろうか。この古き街はスケッチのモチーフにあふれた豊かな歴史的芸術空間である。

アルノ川西岸の小高い丘に建つピッティ宮殿には、約10000点の美術収蔵品が所蔵され、展示する6つの博物館と美術館がある。そのうち絵画を展示する<パラティーナ美術館>(8.5€)に足を運んだ。

パラティーナ美術館の2階への階段に飾られた笑顔の子供の天使像が出迎えてくれ、「ようこそシルクロードの終着地イタリアへ、お疲れさまでした」と、シルクロードの苦労をねぎらってくれているようである。

 

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                        ルネッサンス期の天使像に迎えられる

                        フィレンツエ・パラティーナ美術館にて

 

ここパラティーナ美術館では、初期ルネッサンス・フィレンツ派の巨匠の一人であるフィリッポ・リッピ作「バルトリーニのトンドの聖母子像」(円形画)に再会した。

円形画(ドント)に描かれた聖母の憂いに満ちた庶民顔が中学生であった私のこころに深く刻まれていた。

少しこましゃくれて聖母らしくない、イタリアの片田舎で見受けられる娘を見ているような親しみを感じたものである。

母子に見送られパラティーナ美術館を後にして、ミケランジェロ広場でフィレンツエの街をスケッチし、ブエツキオ橋に向かった。

 

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<ブエツキオ橋>

ピッティ宮殿からのフィレンツエの街並みは絶景である。しばしスケッチにふけることにして中世の街並みに埋没した。

パラティーナ美術館のあるピッティ宮殿の庭園に並ぶオリーブの木にぶら下がった赤みを帯びたオリーブの実を観察しながらアルノ川に架かる観光名所であるブエツキオ橋を散策し、フィレンツエの街並みを眺望できるベルヴェデーレ要塞に立寄ったが、残念ながら修復工事中のため入場できず退散することとなった。

 

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     アルノ川西岸ピッティ宮殿前のミケランジェロ広場よりフィレンツエの街を見下ろす

 

 

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 アルノ川西岸の小高い丘に建つピッティ宮殿のミケランジェロ広場からフィレンツの街をスケッチする

   アルノ川に架かる屋根付きPonte Vecchio-ブエツキオ橋   /    ドウオモ(大聖堂)

               オニザティ教会        オルサンミケーレ教会  

                                      サンタクローチェ教会

 

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                 アルノ川グラツィエ橋から有名なブエツキオ橋を望む

 

 

1021日 フィレンツエ ⇒ シエナ  曇 》

 

<食べる喜び、食べられる喜び>

ユースホステルの朝食のデザートに出されたオリーブの山、その一つ一つの粒の光り輝く表情がいい。その中でも青味の残るひときわ元気そうなオリーブをつまんだ時、彼女が「食べる喜び、食べられる喜び」と小声でつぶやいているのを耳にした。

「ありがとう、わたしを選んでくれて!」

「どういたしまして、僕たちは運命の出会いの中にいるのだね」

その種をティッシュに包んで、そっとポケットにしまい込んだ。

 

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                        シルクロード西の起点 イタリア国旗

 

<人生に無駄なことはない>

昨日のプラト駅でのリュック置忘れ事件が無ければ、今頃は同じトスカーナ地方であるシエナに泊っていることであろう。予定を変更したために、ここフィレンツエに留まって、愛らしいオリーブ嬢との出会いがあった。

人生もまた然りである。人生につまずいてうまくいかなないことがあっても、その時そこでやるべきことがほかにあるという法則を知っていれば、人生のもう一つの筋書きに出会い、つまずきは修正され人生物語は続くということだ。

旅の途上のつまずきや失敗も、恐れることなく、悔いることもなく、落ち着いて解決したいものである。

 

 

<認めることの喜び>

フィレンツエは、赤ワインの産地で有名なトスカーナ地方の州都である。郊外には見渡す限りのトスカーナのなだらかな丘陵地に葡萄畑が広がっているなか、小鳥たちがさえずるパラダイスである。

ツグミだろうか一羽の小鳥が、ブッシュで朝ごはんの虫を啄んでいる。今日も忙しい日常のトスカーナの朝を迎えているようだ。ツグミは視線をこちらに向け、くちばしを忙しく動かしながら語りかけてくれた。

「目が合いましたね。わたしを認めてくれてありがとう。」 すべての出会いは、相手を認識するところから始まるのだとツグミは語っているようである。

相手をお互いに認めることで、心の通いが始まり、時の流れを共有し、同じ世界に埋没できる瞬間である。

一瞬、孤独を忘れ幸せな時間がゆったりと流れた。

あの敦煌の熱砂のシルクロードで出会った懸命に生きる小さな生命<糞転がし>との会話以来の感動である。

厳しい自然の中、与えられた命を懸命に生きる姿は、実に美しい。

 

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                   トスカーナ地方の葡萄畑の丘陵地の風景

 

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                           延々と続くトスカーナ地方の葡萄畑

 

 

トスカーナの田舎が大好きである>

アルプスを取り巻く国々や地方の中で、ここイタリアのトスカーナの風土が好きである。気取らず、エプロンをかけ、つっかけを履いて走り回るイタリアのおばさん的なざっくばらんさが好きである。

なにか日本の原風景に埋没したようで、ほっとさせられ、気持ちをゆるめられるからであろうか。

整然と合理化された人間の営みや配置から抜け出して、生活の匂いがあり人間の風味といえる洗濯物の天日干しや、庭の鶏小屋からコケコッコーの鳴き声が聞こえ、鶏糞の匂いが風に乗って鼻腔をくすぐる様がいい。

 

<フィレンツとシルクロード

商圏拡大に熱心であったと思われるフィレンツエ商人にとって、東西の交易路であるシルクロードを見逃すはずはなく、すでに出来上がっていた東アジアへの入口、黒海東北にあるターナーという街を物流拠点としてシルクロード商圏にアプローチしていたとの記述がある。

フィレンツエ商人の商圏であったターナーやその東先にあるサライの街は、マルコポーロの「東方見聞録」にもシルクロードの様子として紹介している。

当時、フィレンツエ商人は騎馬民族であったモンゴル族黒海から西安に至る大帝国の拡大に合わせ、シルクロードを幹線として東方との絹貿易に商機を見つけていたのである。

 

西安から出発したシルクロードという不毛の経由地では、シルクロードのロマンが残り、そこに住するシルクロードの子孫が顔を出し、その当時の遺跡がその情景を醸し出しているが、西欧に入ってからはシルクロードの匂いや影は薄れ、その物語さえ見つけ出すことが困難である。シルクロードの歴史さえ埋没してしまっており、マルコポーロの「東方見聞録」にその陰影を残しているに過ぎないことと、シルクロードの西の出入り口といわれたイタリアでシルクロードの残滓にさえ触れることが出来ないことにいささか驚いたことは確かである。

都市は、シリルクロードをその路地裏に押し込め、隠してしまったのである。

しかし、シルクロードという交易路の持つロマンに魅せられ、ここシルクロードの西の出発地に立てたことを心より喜んでいる。

シルクロードという華麗な歴史の花は東方、アジアの地にだけいまなお咲き続けていると言っていい。

 

<ドウオーモ・大聖堂にて>

神は、かくも立派な大聖堂を望まれたのだろうか。

ルーマニアのソフィアで目にした独裁者チャフスカヤによって建てられた白亜の<国民の館>という箱物に出会ったときにも同じ気持ちにさせられた。モデェスティ(謙虚)、シンプル(質素)、ピュア(清純)のなかにこそ人の心は宿ると思われるのだが、人の世は複雑である。

威厳の中にこそ権威と威光を感じる人間のほうにこそ問題があるのだろうか。

クーポラ(ドームの天井)に描かれた「最後の審判」(フレスコ画)を見上げながら、心によぎった。

ステンドグラスより差し込む一条の光は、床に映えまばゆい。

無心に燃え揺らめく蝋燭の火は、神への賛美の声をあげている。

十字架上のイエス・キリストのもと、神にいざなわれ人々の顔に安堵と幸せがただよっているのだが・・・。

 

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                クーポラ(ドームの天井)に描かれた「最後の審判」(フレスコ画

 

 

1022シルクロード西の起点 ローマに向かう   曇 》

 

シエナに亡き同輩の足跡をたどる>

フィレンツエ滞在を終え、シルクロード最終地ローマに向かう途中に、トスカーナ―地方のシエナに立寄った。

シエナは、いつか必ず訪れたいと思っていた土地である。朝日が雲の間から天使の梯子を地上にかけ渡し、天上へ招いているような鮮やかな光景に迎えられた。

この地は、在職していた職場の敬愛する亡き同輩 W君がエクステンション授業として取り入れていた提携滞在先であり、シエナ校舎と呼んでいたところである。

 

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                         トスカーナ地方シエナに建つ大聖堂(ドウオーモ)

                   Sketched by Sanehisa Goto

 

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           シエナ大聖堂をスケッチしたあと写真に残す

 

シエナは、美学の一大会派であるシエナ派の拠点であり、美術史と語学を現地で学ばせようとした亡き同輩の情熱はいまなおこの地で衰えずに燃え続けている。

この真紅の太陽、見渡す限りの丘陵地帯に囲まれたトスカーナシエナの地で永遠の眠りについているW君に野花を手向け、愛を込めて祈りをささげた。ハレルヤ!

Piza del Campo(ピサ デ カンポ)にある<MUSEO CIVICO>(シヴィコ博物館)で美学シエナ会派の絵画を観賞し、彼のシエナでの足跡をたどった。

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                      シエナ郊外の素晴らしい丘陵地帯の風景

 

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           フィレンツエーシエナ線終点キウシ・キアンシアーノ駅

 

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                   シエナ・トレッキング地図

 

<▲ 10月21~22日  ユースホステル・デ・シエナ連泊  @15.75€>

 

ユースホステル近くのマーケットで手に入れたトスカーナ―産赤ワインと、昨夜手作りしたサンドイッチ(

Ham & Vegetable with Myonase)を、近くの<Instito de Agrico>の屋上に持ち込んで、共に愛した瓜生の山から見る京都西山に沈む夕日にだぶらせ、暮れゆくシエナの夕焼けを眺め、シエナに眠る同輩の霊にトスカーナの赤ワインをささげ、ともに痛飲した。

 

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   トスカーナ産赤ワイン ROCCA RASA<BARBERA DALBA> と PRIMITIVO<ANTICA ARPIA>

 

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                 トスカーナ地方シエナの葡萄畑

 

 < シルクロード踏破を祝っての晩餐 >

亡き同輩も愛したであろうトスカーナ地方のシエナの丘陵を紅く染める夕陽を眺めながら赤ワインを痛飲したあと、シルクロード終着点への到着を祝って豪華な夕食となった。白身の魚のソテー、ピーマン・茄子・トマトのトスカーナ風グラタン、オリーブのガーリック漬け、パンと焼きリンゴ、アイスクリーム、デミタスコーヒー、それに赤ワインでシルクロード16000㎞の踏破を祝った。(23€)

 

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                           シエナの夕暮れに酔いしれた

 

<イタリアーノ、青年の夢>

食事を終えるころ、ひとりのイタリアーノ(青年)が日本人であると知ってか、同席していいかという。

自己紹介によると、TOYOTAのトラクタ―部門に勤務しており、TOYOTAの素晴らしさを知って欲しいという。そのうちイベルコのトラクターを抜いて、イタリアでのシェアー・ナンバーワンにするのだと、熱き夢を語りだした。

青年時代、計画を立て目標に向かって進むことは、夢をはぐくみ、やる気を起こさせるのである。この青年の情熱に、その純粋さがみてとれて好感が持てた。

日本は憧れの国であることを、青年はわたしに伝えたかったのであろう。

 

シルクロード最後の洗濯>

シルクロード踏破中は、簡単な手洗いで済ませてきた洗濯を、帰国を前にすべての着衣を洗濯機にぶち込んだ。体から出た分泌物で汚れ切った下着、純白であったタオルやハンカチのどす黒く変色した茶色、砂漠の色に変わった上下のサファリルック。それぞれシルクロード土着の色合いをだし素敵であるが、文明の利器である飛行機に乗るかぎり、その汚れと匂いは一応取り去っておくのがジェントルマンのたしなみであろう。

文明にもどるとは、なんと大変なことか。

 

 

1023日 シエナ ⇒ アッシジ

 

トスカーナ―地方は朝霧の風景がいい>

かすかに霞む糸杉の隊列、ぼんやりと霧に溶け込む橙色の屋根、色づき始めた紅葉、きれいに刈り取られた牧草、煙突からの灰色の煙と霧の溶けあうグラデーション、どことなく落ち着きのあるトスカーナの丘陵の風景が好きである。

成熟期を越えた老年の渋さを油絵の具で描き上げたような重厚さの中に静けさがあるのである。そのうえ、重なり合う丘陵の丸みに女性らしい優しさと美しさを重ね、次元のことなる夢想の世界へと誘ってくれるからたまらない。

 

< イタリアのわが故郷 アッシジに立寄る >

今回のシルクロード最終都市・ローマに向かう前に、シエナやローマから近いわが第二のイタリアでの故郷アッシジの村に立寄ることにした。

アッシジの聖フランチェスカシルクロード踏破をなし終えたことを報告するためである。

 

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                       わたしのイタリアでの故郷アッシジに立寄る

 

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                       アッシジの村落と果てしなく続く丘陵地帯

 

フランチェスカの教えは、わたしの心に響き、ただ神を賛美し、小鳥や動物を含んだ神の創造されたすべてを兄弟姉妹のように愛し、質素に、謙虚に福音の道を歩み、清貧に生きることを説いている。

 アッシジでの定宿である<Ostello de Assisi>に出向くと満員御礼だといわれ、面識のあるペアレント(管理人)に紹介されたアッシジ郊外の<Ostello della Parche>に腰を落ち着かせることにした。

 人びとが清貧の聖フランチェスカに出会うために世界中からやってきて、アッシジの村は賑やかである。

 

               

               <ああわれいまアッシジにおりて>

             

            ああわれいま無事にシルクロードを終えんとし

             神の加護によるものと深く感謝するものなり

 

            日々の導きのもと フランチェスカ聖堂に坐して

             喜び分かち合い感謝の祈りを捧げるものなり

 

            苦しい歩みにありしも主の導きにすがりて笑い

             古き絹の道を歩みて羅馬の街に立つを喜ぶ

 

 

<流し見る景色 と 迎え見る景色>

過ぎ去りゆく風景を、流し見る景色と迎えみる景色の二つの見方がある。

どちらかと言えば、過ぎ去る風景を流し見る方が好きである。

ここトスカーナ地方のフィレンツエやシエナ、アシジの広大な丘陵地帯をゆく列車の車窓からの風景は、迫りくる景色の雄大さもいいが、過ぎ去る景色の消えゆく悠久なる余韻を楽しむ方が更にいい。

列車の進行方向と反対の座席から過ぎ去る景色を楽しみながらローマへと向った。

 

<▲10月23~26日 アッシジ Ostello della Parche  /  パルチェ・ユースホステル 4連泊>

 

 

《 10月24日 アシジ 霧のち晴れ 》

 

                 <主への一里塚>

          霧のアシジ、いまだ暗く、なお深き眠りの中にありて

           聖フランチェスカの遺せし清貧のこころにわれを没す

         神に従いしはすべてを捨て去り  布一枚を巻きて

           神の宿りし魂をもてと聖徒はわがこころにささやけり

 

         アシジの朝 聖ドミアーノ教会の鐘響きわたりて

           おごそかに主なる神の到来を告げるなり

         ここスパシオ山に流れし聖歌は霧の舞となりて

           慈しみ深きキリストの目は神の愛をたたえて美しや

 

         ああわれいま神と歩みしシルクロード102日を終えてや

           ここアシジにて神の恩寵を受けその目的を果たすなり

         星の巡礼シルクロード16000キロの一歩一歩が

           求めし主への一里塚 歩み終えしを切に喜ぶなり

 

シルクロード最後のトレッキング - スパシオ山>

16000㎞のシルクロード踏破の途上、数えきれないほどのトレッキングを楽しんだ。

砂漠であり、海浜であり、長城であり、遺跡であり、高山であったりとそれぞれのトレッキングの記憶がよみがえってくる。

シルクロード最後のトレッキングは、ここアシジの村を見下ろす聖フランチェスカの瞑想の地であるスパシオ山(標高1290m)に向かうことにした。

果てしなく続くオリーブの樹々、たわわになる豊かなオリーブの実たちが喜びの声をあげて出迎えてくれる。小鳥たちが楽しげに朝の詩を口にし、霧はわたしを瞑想の山スパシオに導いてくれる。

霧を切りさく木洩れ日に静寂の森は息を吹きかえし、約800年の時空を越えて聖フランチェスカの祈りの声を震わせ、清貧のこころを満たしている。

スパシオ山の頂に石の十字架を描き、主にシルクロードの踏破を報告し、聖フランチェスカに伴われひとり踏破を祝った。

 

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               アシジ・スパシオ山頂に残した感謝の十字架

 

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                     スパシオ山への途中、カルチェリ庵の瞑想の地で

 

 

San Domiano/サン・ドミアーノ教会で祝福を受ける  アッシジ

 7月下旬に大阪港を発って、10月下旬に終着点・ローマに到着した。16000km、3か月におよぶフェリー、バスと列車によるシルクロード陸路踏破であった。

早朝、アッシジSan Domiano/サン・ドミアーノ>教会での早朝ミサに出席し、聖フランチェスカに会いまみえ、「星の巡礼シルクロード」の踏破を報告し、祝福をうけた。

 

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               アッシジ・サンドミアーノ教会の中庭

 

一条の蝋燭の光が聖堂の片隅で己の命を燃やしている。

聖母マリヤに抱かれた幼子イエスが私を認めてみ言葉を投げかけられた。

「よくやりましたね。まっていましたよ。」

うれしいみ言葉に身の引きしまるおもいである。

 

讃美歌の美しいこと、踏破したシルクロードの情景を思い返し、しばし瞑目した。

 

シルクロード、それは私にとって長いながい道のりであり、己を見つめる旅「星の巡礼」そのものであった。シルクロード、それは人の往来でできており、そこには前へ進む一歩の積み重ねが残っていた。シルクロードには、夢と情熱と希望がいまなお息づいており、まさに夢とロマンを成就させる道であった。

 

《 10月25~26日 アッシジ 霧のち晴れ 》

 

アッシジでの宿泊先である<Ostello della Parche>では、世界中からの<清貧の聖者・聖サンフランシスコとの出会い>を求めて集まった巡礼者との交流を持てたことを喜んでいる。ニュージランド人でスイス在住の熱心なクリスチャン、ミス・イネスや、アメリカ・ニュージャージ州フォルストヒルズからの自転車野郎パウロ君、アメリカ・サンディエーゴからのアメリカ野郎ジョゼー氏、アメリカ・テネシーの医者の卵アンナ嬢、スコットランドの母子ケイ& アグネス、食事前に必ず讃美歌を歌ってくれたドイツのミッションスクールの学生ミッシェルさん、韓国からの21歳の朴君(兵役を終えてアイルランドに語学研修に向う優しい青年)、私のスケッチブックに自分の家を見つけ抱きつかれたイタリア・フローレンス(フィレンツエ)からの50男、カミーノ・デ・サンチャゴ巡礼路を歩いたと意気投合ドイツアルプスからの女性、ひとり一人の友情に感謝である。

 

特に、ホステルのペアレントと奥さんは、こちらがシルクロード16000㎞を踏破して、ここアッシジの聖フランチェスカに報告のため立ち寄ってくれたことに感激し、疲れた体をいたわっていただき、何かとお世話になったことを忘れることは出来ない。

感謝の気持ちとして、ゲストブックにサン・フランチェスカ聖堂の絵と詩を残してきた。

 

            <祝福  シルクロード踏破を終えて>

 

         アッシジの朝 鐘が鳴り 聖ドミアーノ聖堂に坐すわれに

          厳かなる神の到来を告げるなり

            このスパシオ山に流れる聖なる歌は

              霧の舞いとなり  わが魂を覆い尽くすなり

                 十字架にかかりしイエス・キリストの目は

                    神の愛を満たして  大きく見開きし

 

        ああわれいま  神と共に歩みて  星の巡礼シルクロード

          終着なるローマに着きて  その目的を成就するなり

            ここアッシジにありて 聖フランチェスカをとおして

              その恩寵を感謝し  祝福を喜ぶなり

                われに与えられし神のみもとへの一里塚を

                  歩み終えしことを心より喜ぶ   ハレルヤ !

 

 

         < Blessing : After completing the Silk Road >

    

    Morning bell of Assisi rings and sits in the Basilica of St. Domiano

         Be announcing the arrival of the solemn God

        The holy song that flows on this mountain Spacio

         It becomes a dance of fog and covers my soul

           The eyes of Jesus Christ on the cross

            Satisfy God's love and spread wide

 

   Ah, I'm walking with God, the pilgrimage of the stars- Silk Road

    I arrived in Rome, the end of Silkroad and fulfill that purpose

           Be here in Assisi,  through St. Francis

        Thank you for the grace and rejoice in the blessing

            A milestone to God given to me

           I'm really happy to finish my steps

                  Hallelujah !

 

 

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        シルクロード踏破を報告し、祝福を受けたサン・フランチェスカ聖堂

                   Sketched by Sanehisa Goto

 

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               アッシジ・ サンフランチェスカ聖堂にて

 

みなさんに見送られてシルクロード踏破16000㎞最終地ローマに向かう。途中、プルージャに立寄り古き良きイタリアの路地裏をスケッチした。

 

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                   イタリアの古き良き時代のプルージャの路地裏

                        Sketched by Sanehisa Goto

 

 

 

《 1027日 シルクロード踏破16000km最終地 ローマに到着する 》

 

昨夜の大雨にぬれた朝霧に煙るアッシジを出て、列車でローマに入り、バチカンのサンピエトロ広場に立った。

手にした一枚のナイロン製買物袋に、居住地である大津市堅田にあるスーパーマーケット<イズミヤや>のロゴがあるのに気づき、苦難の道<シルクロード16000㎞>を共に駆け抜けた仲間の存在に、感無量の気持ちにさせられた。

今朝のバチカンは、世界中からの巡礼者がバチカンパウロ法王に迎えられる日である。

わたしも<星の巡礼 シルクロード16000㎞踏破>をなしえた証の祝福を受けるため、巡礼者の列に加わり、パウロ法王の祝福とメッセージを受けた。

巡礼団へのミサは、厳かなパイプオルガンの調べにあわせて、本日出席の巡礼団の紹介がなされていく。アイルランド・ダブリン巡礼団、チリ―・サンチャゴ巡礼団、マルタ巡礼団、フィリッピン巡礼団・・・と英語・スペイン語・フランス語・タガログ語・・・と各巡礼団の言語で紹介されていく。

紹介された巡礼団は大歓声で迎えられ、立ち上がって答礼するのである。その都度、サンピエトロ広場はブラザーフッド歓喜に沸くのであった。

 

カトリック教徒は、一生に一度はバチカン巡礼を夢見るといわれている。

トルストイ著「人は何で生きるか」に出てくる二人の老人が、ここバチカンへの聖地巡礼への途次、神の試練に出会う物語を思い出した。

一人の老人は、聖地巡礼に出かけてきたが、あまりにも多い巡礼者に紛れてしまい、果たして自分はイエス・キリストに出会えたのだろうかと疑いを持ちながら帰ってくる。

もう一人の老人は、聖地に行き着くまでに貧困家族に出会い、すべての路銀(旅費)を彼らを助けるために使い果たし、聖地に行けずに帰ってくるのであるが、彼は神と出会ったことに深く感謝するのである。

人生もまた、日常の人助けは、聖地巡礼に勝ることを語っている。

肝に銘じておきたい。

 

最後に、パウロ法王を乗せたオープンカーが広場に入り、巡礼団へのミサが執り行われ、祝福の言葉が述べられた。

わたしの<星の巡礼 シルクロード16000㎞>もここに祝福され、この旅を終えることとなった。

 

 

 《 1028日~29日 ローマ散策 と 帰国 》

 

専制や独裁のもとで花開いた文明に、人々は歴史遺産としての価値を見出すのであろう。

ローマに広がる遺跡には多くの観光客でにぎわっていた。

寸時を惜しんでローマの街を夜遅くまで駆け巡ったあと、翌朝シルクロード西の起点、ローマのパルテノンに別れを告げ空港に向かった。

 

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         シルクロード西の起点ローマに遺る壮大なドーム・パンテノン(後方)

         と バチカンにあるサンピエトロ大聖堂(前方) とのコラボレーション 

                    Sketched by Sanehisa Goto

 

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                       カトリックの総本山バチカン・サンピエトロ大聖堂

 

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                               ローマ・ナボーナ広場で

 

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                         夜のトレビの泉でエクアドル青年カルロス君と

 

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                ローマ・共和国広場の夜景

 

荒涼とした灼熱のもと、砂嵐が吹き荒れるシルクロードを、バンダナを口に当て彷徨した日々が懐かしく脳裏に浮かんできた。

ローマの遺跡に圧倒されながらローマ滞在を終え、ローマ・レオナルドダヴィンチ国際空港をたち、ドバイで乗換え、エミレーツ航空316便で関西国際空港に無事帰国した。

 

志賀の里はすでに冬支度、比良降しの寒風が迎えてくれた。  

 

 

          

 

        2004『星の巡礼 シルクロード踏破16000㎞日記』