=『一冊の本に導かれて』 《中村天風著 天風瞑想録「運命を拓く」》=
フィカル村からゴルゲ村へのトレッキング地図(ボーイスカウト式野帳)は参考までに前ページに書き記しておいたので参考にされたい。 また、この記録はあくまで2001年当時の情報、記帳であるあることをご承知おき願いたい。
■ いよいよゴルゲ村にはいる
ガイドHem・ヘム君はなかなか情報収集能力にすぐれており、「6ケ月前、6人の日本人がゴルゲ村を訪れたそうだ」、「ビシェヌ老人はまだ健在だそうだ」(カリアッパ師や中村天風師に出会ったゴルゲ村の長老)と報告してくれる。
ただ残念なことにビシュヌ老人とは病床にありお会いすることは出来なかった。ご快復を祈りたい。
暑い一日となった。
ゴルゲ村への道中は、のどかな田舎風景でGAJAというマリファナの一種である植物を観察したり、
日本とそっくりな竹藪を突きぬけたり、ゴルゲ村近くのMaiyu川では子供たちと水遊びしたり
とトレッキングを楽しんだ。
このMaiyu・マイユ川に架かる吊橋「カリアッパ橋」(N氏寄贈)を渡るとゴルゲ村である。
峠よりゴルゲを見下ろす
マイユ川では裸で子供たちと水遊び
吊り橋 「カリアッパ橋」がゴルゲ村の玄関口である (下に流れるのがマイユ川)
朝もやの中に浮かぶゴルゲ村 (Maiyu川に架かるカリアッパ吊橋)
川で水遊びをしたあと、携行した非常食ビスケットやバナナをゴルゲ村の子供たちと分けあった。
その中のひとりが今夜お世話になることになったShiva・シバの次男・Hridesh・リデッシュ君である。子供達の中に英語のできる中学生がいたので、村の様子などを聞いていると自分の家には日本人がよく泊まっていくのだという。
ガイドのHemが詳しく聞いてくれたところ、日本人の名前が次々と出て来るではないか。もちろんわたしの知らない人たちだ。
水浴のあと、ゴルゲ村の子供たちと隊列を組んでカリアッパ吊橋をわたって念願のゴルゲ村に入村した。
さっそく、Hridesh・リデッシュ君により自宅に案内され、家族に紹介された。
シバと寝室兼居間で
シバの息子 男三兄弟と
シバの母親・奥さん、息子さんたちと
真中にガイドのヘム君を囲んで
シバの許可を得ているので、連絡先として参考までに記しておきたい。(2001年当時)
Mr. Shiva Narayan Agawal
Gorkhe Bazal, Illam.M.A. NEPAL
Tel: 00977-27-29090
まず、昼食に持参したラーメンを奥さんに作ってもらう。
主人であるShivaからは芳名帳にでてくる訪問客の紹介を聞かされた。
また天風会との関係、神渡良平氏滞在時の話しを熱っぽく語ってくれた。
とくに1993年に瞑想のため来村されたプリンセス美智子の署名も芳名帳に見られた。
プリンセスは天風師の教えに感銘したひとりで、ここゴルゲ村滞在中、時間と場所を見つけては瞑想をされたとシバの説明がつづく。
また多くの訪問者が、ここゴルゲ村や村民の天風師滞在中のあたたかいもてなしに対し、報恩のおもいから学校や吊橋をはじめ多くの寄贈がなされているようだ。
Shivaはその内、代表的なものを紹介してくれた。福山のY氏は70,000ドルで学校を建て村に寄贈したと、N氏はMaiyu・マイユ川にカリアッパ吊橋を架けてくれたと言っていた。
福山のY氏寄贈の学校
どうもこれらの日本からの訪問客は、天風会のみなさんや、天風師を慕う方々であるということがShiva・シバの家に備え付けられていた芳名帳でわかった。
Shivaの家は、天風会ネパール支部のような役割を果たしているのであろうか。たぶんShivaが勝手にそう思い込んでいるのであろう。
たくさんの記帳に、中村天風師を慕う人々の情熱というか、静かなる心のうねりを感じた。天風師にふれただれもがその悟りの地に立ちたいと思うことは、決して不思議なことではない。とくに行く手の成功を求めて、また人生の困難期にあってそこから抜け出し光明を見い出したい、という人間としての行動のあり方や心の持ち方を中村天風師はわれわれに教えてくれているからである。
わたしも天風師の坐られたオラビンダ岩で瞑想にふけった。だれもがこの地を訪れ天風師と同じく、天風師の思いを感じ取りたいがために、オラビンダ岩に坐して天風師の魂におのれの魂を重ねてみるのも自然な流れであろう。
オラビンダ岩での瞑想
<オラビンダ岩>
ゴルゲ村Maiyu川に鎮座する大岩
天風師はじめ多くの聖者を生み出した悟りの大岩
カリアッパ師修行の大岩
天風岩(オラビンダ岩)をスケッチした
ゴルゲ村Maiyu川に鎮座する大岩
天風師はじめ多くの聖者を生み出した悟りの大岩
カリアッパ師修行の大岩
天風岩(オラビンダ岩)をスケッチした
<オラビンダ岩>
早朝、頭が冴え寝つかれない、起き上がってオラビンダ岩に坐る。 頭上に、星たちがふりそそぎヒマラヤの峰々が生きいきと浮かび上がる。闇の中に祈りの言葉が広がり、谷間にこだまする。
《 ああわれいま カンチェンジュガ山麓ゴルゲ村におりて 》
詩・後藤實久
ああわれいま ここカンチェンジュガの山麓 ゴルゲ村におりて
オラビンダ岩に坐し 天風師とともに こころを天に溶かしおる
降りそそぐ星のつぶてに われ光り輝き 力の結晶たらんと熱っす
我ここにおりて いままさに一つの願い成就せしを 天に深謝す
「人の中に神をみ 自然の中に神をみ おのれの中に神をみたい」
いまわれそれらを成就し ただ深くわが宇宙に沈潜せしを喜ぶなり
満天の星に祈り伝わり 星たちの大合唱 このゴルゲの谷に木霊す
蛍おどりて流星と競い 悠久の流れに月はわらいて 幸せの絵を描く
いまわれあるをよろこび 川の流れに身をまかす われ 深く瞑想す
天風師の願いし波動 時を伝いてわが心に宿りて 体 内に充満す
人のいとなみ 自然のいとなみ 宇宙のいとなみ 変わることなし
ただただ感謝のぬくもりに 天に飛翔して 高みよりわれを見るなり
感謝合掌
瞑想よりもどって、手作りのベッドでわたしから離れない次男坊Hridesh君と床を共にする。
遠くで鶏たちが時を告げている。
朝食の用意をしているのであろう、アワやヒエを石うすで挽いている心地よい石の触れ合うかすかな音が
伝わってくる。
奥さんの炊飯の煙が鼻をくすぐる。ゴルゲ村の朝があけようとしているのだ。
生きるという素朴な風景が今日もゴルゲ村に繰り返されるのである。
朝4時45分、電燈がついた。川向に小規模な水力発電所があり (これまた日本からの援助があったと聞いている)、朝夕各2時間の文明とのただ一つの接点の時間を村人は楽しむのである。
いよいよゴルゲ村を去る時がやってきた。わずかな滞在だったが去りがたい。シバの家族に送られて
ガイド・ヘムと共にフィカレ村にもどった。
ガイド・ヘムがいなければゴルゲ村訪問も困難がともなったであろうとおもうと感謝にたえない。
シバの家族の笑顔がいつまでも忘れられない。
すべてに感謝合掌である。
亡き彼女とゴルゲ村に滞在し、中村天風師と時を同じくした。
時がまじわり、われわれのこころにカンチェンジュガの爽やかな風が流れた。
激痛も苦しみもすべて解き放たれてヒマラヤの峰々に鎮座して天を仰ぐことができた。
ありとあらゆるものに感謝合掌である。
その日のうちにラジン君(ポカラよりのガイド)と待ち合わせたイラムに乗合ジープ(60Rs)で移動した。
ラジン君はインド・ダージリンでの仕事をすませイラムに到着し、今夜の宿「Green View Guest House」を見つけてくれていた。
イラムの「グリーンビユー ゲストハウス」を出て、Dharanダラン行きのバスに乗りBirtured ビルタードを経由し、Itahariイタハリで乗換のため下車する。
イタハリから別バスでBiratnagarビラトナガル (ネパール第二の都市・工業都市・日の気温43℃) に到着。
インドへ5kmのところ、暑いどころではない、蒸し風呂である。
住民はみなアーリア系インド顔である。食べものもインド風だ。
■ 人種差別から来る植民地支配の解放をよろこぶ老人
途中のバスで、ナガレン在住のインドネシアより移り住んだという老紳士が隣の席にすわり、話しかけてきた。
と熱っぽく語ってくれた。
アジアを旅行するとよく耳にする感謝の言葉である。
われわれの祖父の時代の出来事に対して、多くの日本人は目を閉じ、反省しきりである。
だが多くの東南アジア人々は植民地解放に立ちあがってくれた(と現地の人々には映った、そうあって欲しいと願った)日本にどれだけ勇気づけられ、感謝していることか。
人種差別から来る植民地時代を終わらせたという誇るべき、隠されたヒストリック・エピソードにわれわれ日本人はあらためて目をむけ、われわれの祖父の時代になされたよき一面を誇りに思いたい。
しかし、教訓として戦争は絶対にすべきではないことを肝に銘じるべきである。
ここビラトナガルで日本への帰国便のコンファームをとったあと、リクシャー(人力車・150Rs)で空港に向かう。
Budha Air ピーチクラフト16
カトマンズ空港でガイド役のラジンと抱擁の別れと相成った。感謝である。
その夜は、「Hotel Discovery」(400Rs)に投宿し、ゴルゲ村での素晴らしい出会いに想いをめぐらせた。
『星の巡礼・ネパール・スケッチの旅』
をブログに綴ってみたいと思っている。
最後に、中村天風師を慕い、ゴルゲ村をめざす同志に道案内としてすこしでもお役にたてれば幸いである。
15年もたっての記録開示でお役にたたないであろうが、道中やゴルゲ村の雰囲気を味わっていただければ
これまた喜びとするところである。
この章を終わるにあったって、今回のネパール大地震により亡くなられた方、被災された方に深甚なるお悔やみと
お見舞いを申し上げます。
後藤實久記 2015/6/1 志賀の里 弧庵にて
完