<南郷洗堰⇒立木観音⇒鹿跳橋⇒曽束大橋 24km>
■瀬田川南郷洗堰 より 立木観音をへて 鹿跳渓谷を進む
<立木観音>
瀬田川は、南郷洗堰をでてしばらくすると谷深い渓流となり大小の岩をぬって川は流れる。わたしもラフティングやカヤッキングを楽しむスリルに満ちた渓谷である。 ちょうどこの辺りに「立木観音」がある。
途中、最後のコンビニ・セブンイレブンがある。必要なもの(水・飴・食糧など)があれば手に入れておきたい。 もちろんトイレ休憩も忘れずに。
互いに健闘をたたえ合ってわかれた。
立木観音 (立木山安養寺本堂)
平安前期、弘法大師空海42歳のとき、一本の立木に等身大の観音像を刻み建立した寺といわれる。 急流のために瀬田川を渡れずにいた空海を、白い鹿が背に乗せて岩を跳んで渡ったといわれ、境内には鹿に乗った空海像があり、この辺りを「鹿跳」(ししとび)といい、付近には「鹿跳橋」と呼ばれる橋もかかっている。
境内までは700段余りの石段があり、中腹から瀬田川の景色が楽しめる。しかし石段はかなりこたえる。立木観音は厄除けの最強パワースポットとしても有名である。
鹿跳橋付近は鹿跳渓谷と呼ばれ、ラフティングからの渓谷の景観は淀川水系随一であり、岩肌をぬう急流を楽しむことができる。 わたしも「琵琶湖カヌーセンター」のスタッフとともにラフトで下ったことがある。
鹿跳渓谷 / ラフトティングの体験 (「そとあそび」より)
鹿跳橋をすぎると急に交通量が少なくなり快適なサイクルロードに変身する。昔懐かしいスカウトソングを高らかにうたいながらのサイクリングを楽しむ。 左手に瀬田川を見下ろし、宇治川の天ケ瀬ダム湖に流れ込むのであろうか水量も増え、滔々と流れている。
この辺りは京滋バイパスと並行しており、南郷・笠取インターと続く。工事をしているのだろうかダンプカーが走っていた。 後方には注意が必要である。
笠取近辺はわたしが隊長をしていたとき、京都ボーイスカウト第11団のスカウト達をつれてキャンプやハイキングにでかけたアウトドア―・フィールドである。 当時は三室堂寺をへて炭山に入った。そのスカウト達と50年ぶりに明日、城陽にある「野外活動センター・友愛の丘」で再会することになっている。 興奮を抑えることができない。
ここ瀬田川沿いを、そのスカウト達を引き連れて、銀輪部隊をはしらせたあの日々が懐かしい。
< ▲ 露営地 曽束運動公園 >
今夜の野営地は、天ヶ瀬ダム湖上流に架かる「曽束大橋」をわたり県道242号線を左折し、1kmほど進んだ「曽束運動公園」とした。
テニスコートを備えたすばらしい空間だ。 公衆便所にちかい平らな場所にテントを張った。
夕食はインスタント「日清焼そばUFOそばめし」(445 Kcal)、体を使った後の食事はインスタントも美味しい。 食後のコーヒーを堪能した。
近隣との境界をめぐっての争いがたびたび起きていたと禅定寺に残る文書に書かれている。中でも九条家(最勝金剛院領)の曽束荘(現大津市大石曽束町)との山堺争論は中世から近世末期まで延々と争われたとある。 <寺史より>
わたしは今日一日、大津市を北から南へと移動したにすぎないのだ。
大津市の行政区域の縦長には驚きである。
テントを張り終え、しばらく斜陽を楽しんだ。 運動公園の芝で、上半身裸での日光浴と読書に集中した。 なんとも言えない至福の時間であった。
独り用のテントから顔をだすと、そこには地球の営みがある。新鮮だ。
床にふしても、土のぬくもりと香りに喜んで、とうとう朝を迎えてしまった。
曽束運動公園が今夜の宿だ
しばしの斜陽を楽しむ
なかなか眠りにつけない。
こころに踊ることばを書き綴ってみた。
どうも般若湯「鬼殺し」が、わが青春に火をつけたようだ。
《 闇に光ありて 》
詩 後藤實久
陽まさに落ちなんとす
野焼きの煙、わが体に絡みて
その咽びに命味わう
村に溶け込みし寺の瓦に
闇せまりきて、眠りをさそい
一杯の鬼ごろし、夢を語る
夜空に星なる花満ちて
闇に光をみるなり
ああわれいま天地にありて
幸せをかみしめるなり
《 般若湯に沈む 》
詩 後藤實久
般若湯はいりて、われを
心地よき酩酊の世界へといざなう
近在に犬の遠吠えきき、暗闇で小鳥騒ぐ
ここ曽束のかくれし村で
天地を抱きて眠るに
一夜の露営に歌ありて
今宵もまたこの星に眠りしや
ひとの命ここにあり
心地よく酔いて また 温もりあり
この小村にただよいしこの空気
われに絡まり われを抱きしめし
ああわれいまここ曽束に
天地の愛をかみしめつつ
陽は沈み われまた沈む
今宵もまたこの星に眠りしや
ひとの命ここにあり
般若湯とは、智恵のわきいずるお湯という意味を持った液体、日本酒である。
《 一畳の宇宙にわれおりて》
詩 後藤實久
一畳の天蓋に ヘッドランプの輪
宇宙を照らし われを照らす
この一畳に宇宙のエキスありて
宇宙の真理に浸りおる
一畳の宇宙にわが住ありしや
《 われ宇宙人なり 》
詩 後藤實久
夜空の黒天に
無数の地球ありて
星なるわれまた輝く
その命を仲間に託し
われを宇宙人と呼び
なんの憚りあるや (憚りーはばかり)
《 夜天 仰望 》
詩 後藤實久
夜天 霞みて
星の数 半減す
カシオペアの先に
北極星ありて
七つ星消え
その残像を探る
人生の闇に隠れし
わが友に導かるる
ああ天を仰ぎ見るに
夜天に望みを託す
われありてわれを喜び
その残像を探る
《 光と共にありて 》
詩 後藤實久
この宇宙にありしを
歓びしわれおりて
この宇宙の響きに
心震わすわれあり
ああ この愛の高鳴り
わが魂をふるわす
われ眠りより覚め
この空間を飛翔す
このひとときに
わが命輝くなり
《 共に歌いて 》
詩 後藤實久
漢詩を高吟するわれありて
小鳥たちまた唱和するに
闇破りて静寂に木霊す
われらに虫たちも加わり
宇宙の温かさを感じつつ
歓び抱きしめ共に合唱す
星空に天の川をみつけては喜びの声をあげ、闇のしじま(静寂)に獣の眼光を見つけては感動しているうちに、一畳の空間に暖かき朝の光が満ちてきた。
野営の興奮冷めやらず、とうとう朝を迎えてしまったようだ。
至福の時間を過ごせたことにこころ満たされ、体にエネルギーを感じる。 力のみなぎりを感じる。
「わたしは力だ。 力の結晶だ。」と中村天風師と唱和している自分がそこにあった。
幻想的な朝焼け 野営地にて
さあ出発の準備だ
サイクリング二日目 曽束運動公園 4時45分起床。
曽束であらたな日の出を迎えた。
曽束運動公園は周囲を山に囲まれ太陽の顔出しがゆっくりとすすむ。
コーヒーを沸し、クロワッサンを口にする。
小鳥たちも集まってくる。 朝もやの棚引く田舎の幽玄なる風景だ。
生かされていることの歓びをかみしめる一瞬でもある。 こころが和む。
テントは夜露を避けるため大樹の下に張ったつもりでいたが、やはり水分を含んでいる。
たぶんわたしの呼吸から、まずテントの内側に水分の膜を張りそれがゴアテックスの布地を通って表地に染み出たのであろう。
グランドシートもずぶ濡れである。 地温と体温から土の中の水分を吸い上げたからであろう。
自然のなかでの、地球の営みや生き物の営みに感動させられる瞬間でもある。
夜露と土の湿りで濡れたテントを干し、一夜の思い出をパッキングして出発である。
まわりのゴミ拾い、野営地への感謝の儀式をおえて曽束運動公園をあとにした。
につづく