8月22日~27日
《熊野古道とカミーノ・デ・サンチャゴは姉妹巡礼路である》
今までにスペインの「カミーノデ サンチャーゴ」、マチュピッチュの「インカ道」、「四国八十八ヶ所巡礼路」、ユーラシア大陸の「シルクロード16680km」、「大峰奥駈け」などを歩いてきたが、「熊野古道」もまたこの星・地球星をみつめる集大成となった。
《熊野古道への関心は、隣人であるY氏の生きざまに感動したことにはじまる》
Y氏は太平洋戦争の末期に総力戦の尖兵となった神風特別攻撃隊の最後の攻撃隊チームの一員であった。
彼は最年少であったがゆえにひとり基地に残され、チーム全員は特攻し散華した。
残された彼の生涯は己を清め、散華した先輩を弔うことであったという。
まず弔うにふさわしい場所として、ここ「志賀の里」を選んだ。
わたしもY氏と同じくこの<連歌山>に魅せられて住を構えたひとりである。
この蓬莱山を散華した先輩たちの弔いの場にしたという。「蓬莱」とは、史記によれば不老不死の地とされる霊山をいう。
Y氏は志賀の里に庵をかまえ、年数回囲炉裏に火を焚き、一升瓶を供えて亡き先輩たちと一夜を共にされる。
亡き先輩たちに生かされているその身を清めるため、Y氏は修験道に身をおき、修験者先達として大峰奥駈けで修業を積まれた。
わたしはY氏から人には人のなすべき使命、すなわち生かされている役割があるということを学んだ。
このとき大峰奥駈けへの興味、スピリチュアル(霊的)体験のできる熊野古道に興味をもったのである。
このY氏の話をきき、さっそく情報収集と準備をおえ一か月後に5泊6日の「星の巡礼 大峰奥駈け」に
出かけていた。
あの「星の巡礼大峰奥駈け」から十数年の月日がたった。
<やたがらす 追いて(老いて)くまのじ せみしぐれ>
江戸時代に入って熊野詣は広く庶民にひろがった。
歩いてわかることだが、今回紹介する熊野古道・中辺路も昔からの生活の道であるということだ。
大正以降に造られた現代の自動車道路は熊野の谷を走り、熊野古道は山並みをぬっての峰々を歩くことになる。
もちろん熊野古道には車道と並行して歩く部分もある。
蟻の熊野詣と言われた沢山の巡礼旅人がこの道を歩いたのだ。
わたしもこの齢を迎え、巡礼者のひとりとして熊野古道・中辺路を歩く機会に恵まれた。
2015年8月22日~27日 5泊6日の熊野古道中辺路巡礼に出かけた。
ほかに中辺路派生(裏街道)ルートである「大日越」・「赤木越」に96湯峰王子がある。
熊野古道中辺路を次のようにA・B・Cの3ルートに分けて巡礼することにした。
<マウンテンバイク(自転車)を利用しての各王子跡巡礼>
< 徒歩巡礼>
Cルート 熊野古道中辺路派生(裏街道)ルート 「赤木越」・「大日越」 :
< 徒歩巡礼>
C-2ルート 「大日越」裏街道ルート<湯の峰温泉6:00am⇒96湯峰王子⇒大齋原
⇒熊野本宮大社 9:57am>
熊野古道・中辺路の起点(田辺市)70出立王子~77鮎川王子の間はマウンテンバイク(自転車)を利用して各王子跡をめぐった。 田辺市街にあるこの区間はなぜか世界遺産に登録されていない。中辺路が世界遺産登録によって分断されているのだ。
70出立王子⇒ 1.7km ⇒
71秋津王子⇒ 3.5km⇒
72万呂王子⇒ 2.2km⇒
73三栖王子⇒ 3.4km⇒
74八上王子⇒ 2.9km⇒
75稲葉根王子⇒ 2.8km⇒
76一ノ瀬王子⇒ 2.6km⇒
77鮎川王子⇒ 8.2km ---------------------→ Bルート: 78滝尻王子へ
王子社はやはり奥深い峰々のなかに抱かれてひっそりと巡礼者を迎えるのがいい。
田辺市街にあるAルートの王子社は住宅街や路地裏に忘れ去られたように息をひそめていた。
へつづく