shiganosato-gotoの日記

星の巡礼者としてここ地球星での出会いを紹介しています。

2016『星の巡礼・東海道53次自転車ぶらぶら旅500km』Ⅹ

星の巡礼東海道53次自転車ぶらぶら旅500km』
 
東海道53次の一里塚跡をたどりながら日本橋に向かう> 10

 
■43四日市宿ー2
 
もうすぐ二日目の露営予定地の諏訪神社横の公園だ。
あと一息ペダルをこぐ。

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アーケードが東海道である                                                  諏訪神社

アーケード商店街と化した旧東海道は、諏訪神社の表参道でもある。
商店街をぬけると、今夜の露営地である諏訪神社に隣接する公園がある。
 
設営前に汗を流しておきたい。教えられたスーパー銭湯 三滝温泉満殿の湯」に向かう。
国道1号線(東海道)を北へ向かい、広重の浮世絵・四日市のテーマとなった三滝川にかかる四日市橋わたってすぐ左折(西)、名鉄四日市線をくぐったら右手(北)にスーパー銭湯がある。

一日約10時間に及ぶペダリング(自転車走行)をつづけると汗にまみれ、塩を吹く。 どうしても就寝前に体を洗い、着替えを済ませておきたいものである。

そしてゆっくりと一日をふりかえり記録をとっておくことのほか、明日の天気を備え付けの新聞やテレビの天気予報で確認しておくの必要がある。
 
その日の汗と疲れをとっておくことと、栄養と睡眠を取り翌日に備えることは長距離ランでは最重要な事である。


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三滝川を見下ろすスーパー銭湯「三滝温泉・満殿の湯」
 
コンビニで豚野菜炒め(630Kcal)を購入し、露営地の公園にもどった。

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今夜の露営地 お世話になります         夕食 豚野菜炒め(630Kcal)
 
夕暮れ近くの公園は、女子高生のグループが集いきて歌い、親子連れがブランコや滑り台で遊び、近隣住民
の憩いの場でもある。


公園の中央に東屋(あずまや)がある。万が一の雨の場合、雨除けの空間として使わせていただくことを確認し、迷惑のかからない場所に設営させていただく。


夕食を終えるとすでに街燈の照明が灯され、テントの中にもその淡い光がこぼれていた。
二日目の夜が静かに更けていった。疲れのなかにわが人生の一瞬が溶けて行くではないか。


喜多さんはすでに睡魔のなかにあり、夢はすでに宇宙をかけめぐっていた。
夜、それは休息の時間であり、母なる愛に包まれる憩いのときでもある。
神はいつもわれわれの内におられるのだ。


わが魂はわが肉体をはなれ神のもとでその疲れを癒す、なんと幸せな露営のひとときであろうか。
闇のかなたに一筋の光をもとめて駈ける自転車野郎がいるではないか。

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「すぐ江戸道」という石造りの道標

 

「すぐ江戸道」という石造りの道標に、弥次喜多コンビは東海道歩きを意識したであろうか。
 


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歌川広重は浮世絵で三滝川三滝橋を画いている  歌川広重東海道五十三次四日市

 
<野営のすすめ>


露営・幕営・野営・野宿・・・・・
少年時代の夢をいまなお続けている。
そこには男のロマンがあるからだ。


野に伏し山を駆け巡り、宇宙と対話し神秘に出会う。
神に導かれ、未知の世界を徘徊し、真理に触れる。


ロマンなくして、人生は成り立つだろうか。
わたしの星の巡礼は神と共に死ぬまで続けることになるであろう。


野営の基本の一部を是非とも紹介したい。


今晩はここ四日市諏訪神社に導かれ設営を終えた。
張られたテントに潜り込む、まずは居住性を高めるためにわずか1畳のスペースを整理整頓する。


枕元や足元には次のものを配置した。


・ペットボトル : 意外と就寝中に水分をとるものだ。


蚊取り線香: テントの密閉性はたかく、防蚊スクリーンもついているが、出入りの際に蚊を招き入れる
 ことがある。
  一匹の蚊で睡眠不足を招くことがある。安眠のための必須アイテムである。
  ただし、テント内での火の取り扱いは慎重の上に慎重にお願いしたい。


・ヘッドランプ : たいていは防犯上、街燈の光が届く範囲内で設営するので問題はない。
  しかし時としてタイマー等で暗闇になることもある。また思いついた言葉(詩や句など)を
  書き残したいときに光が必要である。


・緊急小便用袋 : 公衆便所の近くに設営するが、急な大雨で外へ出られない時などに利用する。
  二重ジップナイロン袋を使っている。使用後は内容物をトイレに流すこと。


・ポーチ : 中には、東海道53次ガイドブック・記録用ノート(野帳)・簡易歯ブラシ・老眼鏡・
  常備薬(栄養剤ほか)・笛・磁石・超小型ラジオ・デジカメ・ティッシュ・・筆記用具・超軽量ライト・
 小型ナイフ・貴重品(生活資金・郵貯などカード・健康保険証・運転免許証・事故保険ほか)


・空腹嗜好品 : 菓子パン・つまみ・ガム・アメ・チョコ・バナナ・リンゴ ビスケットなど
 一日の総カロリーが不足している場合や空腹を覚えると不眠になることがある。
 できるだけ早めにお腹を満たす必要がある。また次の日に備えて食する方がパワー不足を
 防ぐためにも賢明である。
 お蔭で踏破後の体重は68kgと走り出す前と変わらず、妻に笑われたものである。


・強盗・獣対策 : 必ず登山用のスティックを持参しているので、枕元においている。
 今までに国内では使ったことはない。しかし野外での独り寝である。
 万が一のため防護・防御用として備えるべきである。
 森や人里離れたところでは笛や鈴も役に立つ。


・安眠用品 : 空気枕・アイマスク・耳栓・防蚊ネットはかならず携帯している。ほかに不眠(熟睡)のためお酒(鬼殺し1合紙パック)または赤ワインを準備することにしている。


・足元には ; 靴・ヘルメット・各種袋物・雨具・着替え・リュック・ゴミ袋ほか
・テント空間 ・ 張られたロープに湿ったタオル・ハンカチ・水洗いした下着・バンダナなどを干す


 
なかなか大変なようだが、わたしの場合、テント張に約8~10分、テント内就寝準備や整理に
約10分と露営地に着いて約30分以内で就寝準備を終えている。
期間中の行動を見てみると、午後7時には就寝し、朝4時起床、5時までに設営地を完全復帰
させ、周辺の清掃を行い、感謝の祈りをささげ、柔軟体操をして現地を離れる。


こころある若者よ、老人よ、野宿に出かけて神とおしゃべりしようではないか。
そこから学びは始まるのだ。
 
 


東海道53次京より3日目 2016年5月25日 快晴>

■42 桑名宿


伊勢国・三重>  京より117.8km / 日本橋より386.9km


 
神社隣接の公園で目覚め、ここ四日市宿諏訪神社前より桑名宿にむかう。
まずは腹ごしらえのため、国道1号線にある「すき家」に飛び込み定番の「朝定の納豆定食」を
注文する。
 
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オアシスの一つ<すき家>            朝食定番<納豆定食>
 
東海道筋にはコンビニも牛丼店もほとんどないので、国道1号線と並走している間に買い物や食事
などは済ませておくべきである。


サイクリスト(自転車乗り)にとっては、この「すき家」立寄りが大変貴重な時間なのである。


まず、定食を注文した後、トイレで洗顔し、用を足し、水を補給し、鏡で身だしなみをチェックしあと
健康状態を目視するのである。
たいていは納豆定食を好んで食する。おふくろの味である味噌汁がおいしい、お漬物に生卵、
海苔と刻みネギが付く。それに何といっても大好きな生姜があることだ。


徒歩旅行や長距離サイクリングでは、生姜をよく食べる。それは脳梗塞後の血流を良くするためだが、怪我に対して進入する細菌に対しての免疫力を高め、殺菌効果が抜群であることにある。


そのほか、食後の一服に記録をつけ、スケジュールの確認と地図のチェックをしておくのである。


家にいるときには考えもしない色々やることが次々と頭に浮かび、こなしていかねばならない。それも短時間のうちに脳を働かさなければならないからボケていられないのである。(笑)


モウロク(耄碌・ボケ)防止、このことが家から外に出る特効薬でもある。


何時にどこを、どのルートを通って走るか。露営地まで何時間かかり、何時に着くか。昼はどこで何を食べ、夜は栄養価を考えて何を食するか。外に出るとすべてを自分の脳に刻み込み、問いかけ確認し、行動し、反省し、記録して引出にしまう、そして改善する。


やはりボケていられないのだ。
いや加齢によるモウロクやボケから脱出するためのツールがアウトドア(野外活動)なのである。


夜は夜で、神の領域に入り込んで神と対話し、おのれを省みなければならない。
実に忙しい一日を過ごすことになる。
 

「桑名宿は、長良川の河口部にあり、南は伊勢湾に面しているため、中世以来港湾都市として発展した。美濃の幕領からの年貢米をはじめ、移出物資の多くは桑名湊から江戸へと送られた。」と文献にある。

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「桑名宿の七里の渡し」              長良川
 
当時はここ「桑名宿の七里の渡し」より船で、7里すなわち28キロを海上移動して「宮宿の七里の渡し」に渡っていた。もちろん陸上の東海道は設定されていない。
この辺りは大河である揖斐川長良川という大河が中洲を挟んで合流して伊勢湾に流れ込んでいる。

◎桑名宿・七里の渡し場
桑名宿と宮宿(現名古屋市熱田区)の間は江戸時代の東海道唯一の海路で、その距離が七里(約28キロ)あることから、七里の渡と呼ばれた。七里の渡は、ちょうど伊勢国の東の入口にあたるため、伊勢神宮の「一の鳥居」が天明年間(17811789)に建てられた。 また、七里の渡しの西側には舟番所、高札場、脇本陣駿河屋、大塚本陣が、南側には舟会所、人馬問屋や丹波本陣があり、東海道を行き交う人々で賑わい、桑名宿の中心として栄えた。
 
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歌川広重東海道53次・四日市」 浮世絵
 
 
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伊勢神宮の「一の鳥居」 (伊勢国の東の入口)        大塚本陣跡 (明治から料理旅館「船津屋」として営業)
 
大塚本陣は桑名宿で最大かつ最高の格式をもった本陣で裏庭から直接乗船できたという。
 
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揖斐川長良川にかかる伊勢大橋                         


現在は揖斐川長良川にかかる伊勢大橋を渡って国道1号線を「宮宿・七里の渡し」に向かう
七里の渡しは東海道における唯一の海上路で、1601慶長6年)の東海道制定の際に定められた。七里の渡しの名称は、移動距離が7であったことに由来する。渡し船によって移動し、所要時間は約4時間であった。
天候の悪化などにより、海難事故がしばしば発生する東海道の難所の一つであった。海上を避ける迂回路としては、脇往還佐屋街道があった。宮宿、桑名宿は渡船場として賑わい、旅籠屋数でそれぞれ東海道における1位と2位の規模を誇っていた。

ここ伊勢大橋を渡って海上七里(約28km)を、迂回路である国道1号を使って宮宿の「七里の渡場」に向かう。
 
 
 
 
 
 
東海道53次の一里塚跡をたどりながら日本橋に向かう> 11 
  ■41宮宿 につづく