< 爰も三河 むらさき麦の かきつばた > はせを
西棒鼻跡(藤川宿西入口) 歌川豊広(浮世絵師)の句碑
その先、名鉄藤川駅近くの街道にある西棒鼻跡(藤川宿西入口)に立つ歌川豊広(浮世絵師)の句碑。
豊広は広重の師匠である。
< 藤川の しゅくの棒ばなみれそせば 杉のしるしと うで蛸のあし > 歌川豊広
藤川宿脇本陣跡(藤川宿資料館) 藤川宿 高札場跡
藤川宿 本陣跡 連子格子の旅籠あとに藤川宿の面影を見る
江戸板橋で処刑され、京都でさらされた近藤勇の首を同志が盗み出して、ここ法蔵時に葬ったが、その後盗まれて不明であるという。
現在、境内にはただ墓碑と胸像だけがある。
法蔵時は、徳川家康(竹千代)の幼時期 読み書き手習いに通った由緒ある寺でもある。
京都新選倶楽部幹部の面々 池田屋事変記念パレード後、八坂神社前で鬨の声あげる
京都新選組倶楽部 のメンバー
京都府で1864年におこった「池田屋事変」を偲ぶ「池田屋事変記念パレード」を主宰している。同パレードは、祇園祭宵山に合わせて京都新選組同好会により行われるもので、提灯や隊旗をかかげた新選組同好会の面々が、羽織袴姿で壬生寺に集まる。
◎歴史を歩く
時代の要請に応じ開国をせまられる徳川幕府。
しずかに瞑目した。
なぜ藤川宿の法蔵寺だったのか。
歴史の証人の魂はいまだ定まることをしらず、生き続けている。
■36赤坂宿 につづく