2016年10月22日土曜日の夕方、「奈良の大峰山系 不明の登山男性を13日ぶり救助」とのニュースが流れた。その報道内容は衝撃的であった。遭難者である富樫氏の苦闘と不安の13日間からの生還に山男のひとりとして、拍手をおくった。そして、多くの教訓を学ばせてもらった。いま一度遭難に対する自分自身の姿勢と装備を再点検しておきたい。
まず、生還のニュースを載せておきたい。
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奈良の大峰山系 不明の登山男性を13日ぶり救助 10/22/21:57 NHK NEWS WEB
今月8日(2016年10月8日)、奈良県南部の大峰山系の山に登山に出かけたあと行方がわからなくなっていた島根県の土木部長の男性が、22日昼すぎ、13日ぶりに見つかり、救助されました。男性は登山道にいて「崖の下からはい上がってきた」と話していて、けがをして衰弱しているものの命に別状はないということです。
救助されたのは、島根県の土木部長の冨樫篤英さん(53)です。冨樫さんは、今月8日、奈良県天川村の登山口から大峰山系の弥山(みせん)に入りましたが、翌日、山頂の山小屋で目撃されたのを最後に行方がわからなくなりました。警察や消防は家族からの通報を受けて今月12日から捜索しましたが、手がかりは見つからず、20日で捜索を打ち切っていました。
警察などによりますと、22日正午すぎ、弥山を登っていた男性が登山道で頭から血を流している冨樫さんを見つけたということです。
冨樫さんは男性に対し、「2週間、遭難していました。崖の下からはい上がってきました。助けてください」と話したということです。
その後、山頂の山小屋を通じて警察に救助要請があり、午後2時すぎ、奈良県の防災ヘリコプターが冨樫さんを救助して病院に搬送しました。救助にあたった県の防災航空隊や消防によりますと、冨樫さんは腰や胸にけがをしていて自力で歩くのが難しく衰弱している状態ですが命に別状はないということです。
救助されたのは最後の目撃情報から13日ぶりで、警察は冨樫さんから話を聞いて、どのように過ごしていたかなど、詳しい状況を調べることにしています。
「崖の下からはい上がってきました」
警察によりますと、冨樫さんを見つけたのは登山をしていた大阪府吹田市の48歳の男性で、警察に対し「弥山の栃尾辻の登山道で、リュックサックを背負い登山用のカッパを着た男性が頭から血を流して立っていました。声をかけると、『私は冨樫といいます。2週間、遭難していました。崖の下からはい上がってきました。助けてください』と話しかけてきました」と、当時の状況を説明したということです。
「何も食べていない」と話していた
冨樫さんを救助した奈良県防災航空隊の金正健太郎副隊長は「通報を受けたとき、早く現場に駆けつけて助けたいという気持ちでした。冨樫さんは腰や胸にけがをしていて、肩を貸すとなんとか歩ける状態でした。かなり疲労している様子でしたが受け答えはしっかりしていて、『遭難している間は何も食べていない』と話していました。およそ2週間ぶりに発見されるというのは私にとって初めてのことで、驚いています」と話していました。
冨樫さんが13日ぶりに救助されたことを受けて22日夜、富樫さんが部長を務めている島根県の土木部が県庁で記者会見を行いました。富樫さんの部下で土木部のナンバー2である山岡雄二技監は「これまで捜索にあたっていただいた警察や消防などの皆様に心から感謝を申し上げます」と述べたうえで、「本当に無事でよかった。1日も早く元気を回復して公務に復帰してもらいたい」と話していました。
富樫さんはふだんから登山に行っていたということで、復帰したらアドバイスをする考えはないかと尋ねられると、山岡技監は「登山を再開されるのであれば、単独での登山は避けていただきたいと、率直にはそう思っている」と気持ちを語っていました。
捜査打ち切りまでの経緯
救助された島根県の土木部長、冨樫篤英さん(53)が弥山に入ったのは今月8日でした。冨樫さんが勤務先に提出していた行程表などによりますと、奈良県南部の天川村から標高1895メートルの大峰山系の弥山に登るとしていました。
弥山は比較的登りやすい山として登山者に人気ですが、警察などによりますと、登山ルートを外れると切り立った崖などの危険な場所もあり、注意が必要な山だということです。
行程表には、その後、同じ大峰山系の八経ヶ岳に向かい、9日に下山すると記されていました。しかし、冨樫さんは9日の朝、弥山の山頂の山小屋で目撃されたのを最後に行方がわからなくなっていました。
下山予定の日から2日たった今月11日になっても冨樫さんが戻らなかったことから、妻が警察に届け出て、翌日の12日から捜索が始まりました。
警察や消防は行程表のルートだけでなく、弥山から別の山へのルートなど広い範囲で捜索を行いましたが、手がかりは見つからず、20日に捜索を打ち切り、登山客などに情報の提供を呼びかけていました。
<10/22/21:57 NHK NEWS WEBより>
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T氏は10月9日朝・弥山小屋での目撃を最後に、10月22日昼・栃尾辻避難小屋付近の登山道で発見
登山をする者にとっては、いつも遭難と隣り合わせている。とくに単独行は遭難を想定しての準備をせずに生還はありえないのである。ボーイスカウトのモットーである『そなえよつねに』<Be Prepared・備えよ常に>は登山においても絶対標語といえる。
単独行登山を基本とする者にとっては、今回の遭難・生還劇からわが身の遭難を考えて身の引き締まる思いと、その遭難対策を再点検する必要を痛切に感じたとおもう。「どうしたら遭難から生き延びられるか」
遭難は慎重な準備と注意と判断と情報収集により回避することができると信じている。遭難はおのれの命を落とす原因であり、多くの人に迷惑をかけることになる。山に登る限り遭難は絶対に避けなければならない至上命題である。体験なくして突然やってくるのが遭難である。
後日、遭難の経緯が語られるであろうが、今回の遭難は濃霧による道迷いと崖からの滑落が重なったものではないかと推測している。
降積雪・濃霧での道迷い、夕暮・暗闇、地図の読み違い、獣道への迷い込み、標識の見落とし、疲労からの判断ミス、転倒骨折、転落滑落、打撲流血・獣蛇・病気(食中毒・下痢)・気力(希望と絶望)ほか、それぞれの条件が複雑に絡み合っておおくの遭難を引き起こすものである。
遭難対策は、机上での想定演習だけでは不十分であるといえる。一度でもいい山中での模擬遭難<野宿>を体験することをおすすめする。携行品紛失という想定で、野宿してみることである。ヘッドライト・食糧・水もなく、谷間で体を横たえて、夜を明かしてみる。野生動物の気持ちがわかり、森林の闇夜の深さを味わい、大地の呼吸に接し、夜空の星に見守られてみる。そして「いまここに いる我」を野の地に伏して冷静に見つめてみる。自然は多くの知恵と優しさと恐怖を教えてくれるものである。山野は敬虔なる精神世界であることを知るであろう。
この経験が道迷い・滑落・遭難などでの不幸な状況を打開する沈着な思考と行動の覚醒につながると確信する。遭難から命を守るのは、登山者その人以外にはないということを自覚したい。
≪山岳遭難から命を守るための一考察≫
今一度、おのれの安全のための遭難対策として、登山準備リストのうち水・食糧・救急・サバイバルの各セットを再点検しておきたい。
まず、古典的なサバイバル(生還)術より、野外での命の守り方を確認しておこう。
■サバイバルの基本・安心安全原則
●まずはリラックスすること。 「冷静沈着な行動」 にこそサバイバルの基本原則がある
●「そなえよつねに」 日頃、常に備えておくことこそサバイバルの安心安全原則である
《遭難時の精神的強さの維持》は訓練、体験、状況判断、情報収集、不安除去、現在地の把握(立地環境)、傷害の程度、非常食・水、ツエルト・救急などの携行装備によりリラックスの度合いは異なってくるものである。
また、登山前における携行品のチェック、その登山目的にかなった装備であるかを再点検しておくことが、遭難時のリラックス(冷静沈着・安心)につながるのである。
1. 《緊急シグナル発信への対応》
発見されやすい赤系の服装・帽子の着用、笛、狼煙(新聞紙・防水マッチ・濡枯葉)、
反射鏡(晴天昼間時の救援ヘリコプター用)、
渓流用フロートセット(チャック付ナイロン袋・赤紙・筆記具)・ヘッドランプ(照射合図用)
などの準備携行をおすすめしたい。
なお、第⑧項の《捜索に備えよう》に注意点を書き添えておいた。
2. 《緊急露営用シェルターの携行》をすすめる
シェルターの携行は、安全安心の精神的安定をもたらす。例えば軽量テント、ツエルト、
アルミシート、ナイロン製ゴミ袋、ポンチョ一枚ででも露営として使えるように工夫し、実際に設営
訓練を繰り返しておくとよい。ツエルトが張れないときは、悪天候下での低体温にも備える必
要がある。ツエルトを体に巻き付け、濡れないこと、重ね着すること、ツエルト内での横寝は
体温を奪われるので坐り寝するなど細心の注意が必要である。
<ブログ別項に書いた「野宿のすすめ」を参照願いたい>
2002年9月 大峰山系・奥駈けで採用したポンチョによるツエルトでの露営
2012年8月 日本アルプス縦走・栂海新道・白馬付近のハイ松にもぐりこんでの露営
2015年10月 高島トレイル縦走時のツエルトによる露営
3. 《非常食は高カロリー・軽量のものを携行》 することにしている
今回の大峰山系・弥山遭難において、遭難者が語っているが10月9日に道に迷って以来、
食することなく湧水だけで2週間を過ごしたという。
わたしは遭難時の非常食として3日間の延命を基準として携行食品を選んでいる。
遭難の状況に応じて1週間延命の配分に切り替えることにしている。
非常食の重量はどうしても切り詰める傾向にあり、軽視又は無視される傾向にあるのは残念である。
単独行の場合、重量コントロールとして非常食を重視し、コッフェル・バーナーセットを携行しない
決断をせまられることがある。
温かい食事も捨てがたいが、致し方がない。
<主食1日当たり> 朝食―菓子パン1個(1個当たり約600Kcal)
昼食―オニギリ2個
夕食―味付アルファー米 + 補助食
<行動食> スニッカー(チョコレート・ピーナツ)・干ブドウ・ガム・氷砂糖・飴・
<非常予備食> マヨネーズ(3日分=10gX9袋)・乾パン/ビスケット・チョコ・塩・
チキンラーメン(水なしでも食べられる優れもの)・乾燥野菜果物ほか
4.《水は命である》
携行品の中で一番大切なものは水である。携行水が1/3になり、尽きかける前に最初に
出会った水場、それも一滴のしたたる水場であろうと時間をおしまず満杯にしておくことに
している。
例えば、大峰山の奥駈ルート上では極端に水場が少なく、水・食糧を中間地点である弥山
にデポ(貯蔵)をして回収しながら縦走をなしおえている。途中、水場である岩場からの
水汲みに500ml満杯に45分もかかった記憶がよみがえる。
高島トレイでも中間点(若狭街道)にデポ(貯蔵)しての縦走をはたしている。
それだけ水は命の源である。
今回の遭難でも「湧水」があったから命が助かったと遭難者は語っている。
なんども言うが、水それは命そのものである。こころしたい。長期縦走や水場のないルート
をトレックするにあたっては、水場に出会わなかったり、枯れていたりして水確保に失敗した
場合に備え、窪地の泥水、池の水などから飲み水確保をするため浄水器を持参することに
している。
わたしは登山にあたっての水分補給を最低限に抑えるようにしているので、少ない水の量
で一日を過ごせるような体作りを日頃常に心がけている。1日の行動水としてペットボトル
500ml 1本と1Lの予備水を携帯用水袋につめて常時携行しているが、ほとんどの登山で
予備水も非常食にも手をつけずに持ち帰っているのが常である。この非常食や水の持ち
帰りに、安全登山への自信を深め、無事の下山(生還)に感謝している。
2002年9月 大峰奥掛け 前鬼分岐の大日岳付近での給水 <一滴の水が命>