『星の巡礼 ≪葉っぱのフレディ―いのちの旅―≫ から学ぶもの』
レオ・パスカーリア作
小学1年生になった伴侶の孫娘が久しぶりに息子夫婦と一緒にここ志賀の里に遊びに来るという。
自転車にも乗れるという。クラッシックバレーも習いだし、発表会にも招待してくれた。
純粋無垢な小さな花のつぼみが人生という期待と不安から顔をだす季節を迎えているのだ。
わたしもそろそろ人生の引き継ぎをする季節をむかえているようである。
人生で一番悲しみのどん底にあったとき、親愛なる友から送られた一冊の絵本がある。
それはレオ・パスカリーア作「葉っぱのフレディ―いのちの旅―」であった。
忘れもしない伴侶が多発性硬化症という難病にいのちを絶たれたときに出会った―いのちの詩―である。
悲しみに打ちひしがれ重い鬱病(うつ)に落ち込み、薬でなんとか保てていたとき、ひとの一生いや自分の一生を静かに見つめる一冊の心の本に出会えたことは一筋の光明であった。
ひとのほんとうに短い一生、―いのちの旅―を理解し、そのすべてをつかさどる見えざる神の意志が働いていることに、こころから気付かされた瞬間でもあった。
わたしも傲慢な生き方をしてきたひとりであったがゆえにそのショックは計り知れないものがあった。
わたしはこの感謝と喜びの気持ちを伝え残す使命がある。それは伴侶の旅発ちや一冊の本を贈ってくれた友、そのすべての流れに存在する神の意志にこたえる責任がある。
わたしの学びを孫娘に伝えておきたい。知ってもらいたい。
いのちの引き継ぎを・・・葉っぱのフレディのように・・・
ただそれだけで、なぜかおのれの高揚からぬけださせる術を見つけられずにいる。
こころ満ちたりたひと時でもある。
すべてのものは、この世に生を受けた時からゴールをめざしている。
美しく旅立てる場所はどこか、いかに美しく旅立てるか。
ゴール、すなわち旅たちは時間によって定まるものじゃなくて、
そのものにとって一番美しい時にゴールするのである。
ゴールを目指す姿は、尊く、美しく、溌剌としている。
これこそ全てのものにとってただひとつの美しい道である。
ゴールへの挑戦は、血を沸立たせ、目を輝かせ、自信に満ちている。
そこには不安はなく、たえず永遠の命の姿を思い描く。
生きるとは、たえざるゴールへのチャレンジである。
聖書にいう「死んでも生きる」とは、人間の霊の不滅をいう。
ひとは誰でも、このゴールを乗り越えて初めて神に出会う、
再生をはたし、復活するのであり、
そして、神と共に神の世界で永遠に生きるのである。
ひとは、神から出でて、今に生き、今に学び、ゴールすることによって
はじめて神の子となるのであろう。
わたしもまた、美しくゴールしたいというこころをもって生きているひとりである。
そして、今日もまたこころ清く、静かに神のもとに帰って行ったこころの友がいる。
鎮魂歌・フォーレ・レクイエムを聴きつつ、友を見送った。
2016年11月1日 志賀の里にて静かに友を想う
しらさぎ かりそめ
≪ 白鷺の 残せし愛を ひとの世や 仮初の巣に 別れ告げなむ≫ 實久
しょうてん ふじ さんげ
≪ 昇天の 葉っぱの不二や 散り舞いて 愛の散華に 心みつるや≫ 實久
≪ 昇天の 葉っぱの不二や 散り舞いて 愛の散華に 心みつるや≫ 實久
完