shiganosato-gotoの日記

星の巡礼者としてここ地球星での出会いを紹介しています。

2017『星の巡礼・奥の細道紀行-句碑の前でわたしも一句』 1

2017 星の巡礼奥の細道2400kmをたどり、恐れながらわたしも一句』 1


平成29年(20175月田植の季節に、念願の芭蕉句碑めぐりの旅路、「奥の細道」に出かけてきた。


元禄2年(1689)、いまから328年前の5月、俳聖 芭蕉46歳)は、高弟 曽良41歳)を伴って歌枕の地を訪ね、江戸深川~岐阜大垣600里(2400km)を旅した。この旅をまとめたのが「奥の細道」である。


奥の細道」は、旅の途次、松尾芭蕉詠んだ句と曽良の書き綴った旅日記をもとに構成されている。


歌枕(うたまくら)とは、古くは和歌においてよく使われた言葉や詠まれた題材を意味したが、江戸時代には和歌の題材とされた日本の名所旧跡のことをさしているようである。


現在、歌枕の地は古の面影はなく、訪れる旅人も少ない。地元の努力によりその歌枕の地はどうにかその姿が守られている。


しかし、その地に立ち、古の和歌を口ずさむとき、作者の心情を歌枕に託するその切なる想いをかみしめることができる。


わたしも俳句をたしなみ、俳句を愛するひとりである。


人生の糧に俳句を取り入れ、人生に華を添えてきていた。今回、芭蕉の跡をたどり「奥の細道」をめぐることにこころの高まりを抑えることができなかった。


ひとつでも多くの句碑に出会い、芭蕉の俳句を愛で、おおくの芭蕉フアンのいだく5・7・5、17文字の尽きない世界にひたりたいと「奥の細道」をトレースした。


 


奥の細道2400kmをたどり、おそれながらぼくも一句」と気負ってはみたが、はたして満足のいく句を詠んだか心もとない。かえって俳聖 芭蕉の句をけがしたとお叱りをうけることを覚悟している。


俳句は、その場・時・事象・感情という写実を絵画することであり、生きた言葉に坐禅するということではないだろうか。奥の深い世界である。


5・7・5の17の世界に迷い込み、芭蕉の想いに駆けてみる、そして創造の世界に一心に遊んでみた。


芭蕉が俳聖としてその名声をいまに残している凄さは、蕉風のリズム、それもすべてのぜい肉を取り除いたエキスの、この言葉(感情・事象)しかないという句を残していることであろう。「奥の細道」のその場に立ち、芭蕉の句を口ずさんでみると、その凄さに身震いする感動と、その写実がいまに蘇生する鮮やかさに、名画を観ているかのごとくである。


芭蕉奥の細道は、おおくの研究がなされ、それぞれの解説が専門的になされているのでそちらにおまかせし、わたしの「奥の細道」に出かけて見たい。


芭蕉は江戸 深川を516日に出立し、1018日に結びの地 大垣を伊勢に向かっている。(太陽暦


奥の細道は、156日(約6か月)間の大旅行であった。馬や舟、駕籠といった乗り物以外は徒歩であったようで、当時としては2400kmをこの日数で歩き通したことは速かったという。かえってこの速さでの踏破を隠密であったが故のことであるとの憶測もなされるほどである。いや、芭蕉が忍者の里として有名な伊賀の出であることに、その因があるようだが興味深い。


当時は月の満ち欠けを基準に季節感のあまりない(イスラムの国々で使われている)太陰暦を使っているが、ここでは春分とか冬至とかを基準にし、季節と日取りが基本的にずれない太陽暦を使うことにした。


わたしも53日にここ志賀の里を、自転車を車に積み込んで出発、56日に東京 深川を早朝、わたしの「奥の細道」をスタートさせた。


今回は、奥の細道の全行程を8区間に分け、各区間を車で移動し、全区間にある34拠点を自転車や徒歩で回った。


この奥の細道で、芭蕉の句碑の前に立ち発句した自身の句を、わたしもまた余生をかけて推敲していきたいとおもっている。楽しみである。

  ■2017『星の巡礼・わたしの奥の細道行程表』  
     
1.深川⇒日光⇒白川 <奥の細道紀行1> 281km
     
深川・千住・春日部泊⇒草加⇒儘田  
日光  
黒羽(くろばね)  
那須  
芦野の里  
     
2.白河⇒飯坂 <奥の細道紀行 2> 104km
     
白河  
須賀川  
飯坂温泉  
     
3.飯坂⇒仙台⇒松島⇒登米⇒平泉  <奥の細道紀行 3> 372km
     
多賀城  
塩釜・松島・石巻  
登米  
     
4.平泉⇒山寺⇒新庄 <奥に細道紀行 4> 532km
     
平泉  
岩出山陸奥上街道  
出羽街道中山越え   
山刀伐峠⇒尾花沢  
山寺  
     
     
5.新庄⇒出羽三山⇒鶴岡  <奥の細道紀行 5> 187km
     
新庄  
羽黒山(414m)  
月山(1979m)・湯殿山(1500m)  
     
6.鶴岡⇒象潟⇒新潟 <奥の細道 6> 184km
     
鶴岡  
酒田  
象潟(きさがた)  
温海(あつみ)  
     
7.新潟⇒親不知⇒金沢  <奥の細道紀行 7 - 越後路> 452km
     
出雲崎  
親不知(おやしらず)  
市振  
倶利伽羅越え  
     
8.金沢⇒山中⇒福井⇒大垣  <奥の細道紀行 8> 282km
     
金沢  
小松  
山中温泉  
大聖寺  
福井  
敦賀  
大垣  
     
  わたしの奥の細道・全走行距離 2398km


 
奥の細道行程図  

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詳細は、写真・図の右下角をクリックし、行程図を拡大して「奥の細道」をたどる (足立区地域文化課作成) 


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奥の細道に同行した車デリカ(三菱)と サイクリング車ワイルド・ローバー号




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                      ■『星の巡礼奥の細道芭蕉句碑巡礼チェックリスト』につづく